Saturday, September 30, 2017

オーヤン・フィーフィーになりたかたったの

★Pointe shoe sewing class とバレエ・レッスン、そして、それに続く「くるみ割り人形」のBig Mice 役の リハーサルまでは順調だったのに、その後のBig Mice の衣装の Fittingというのがあったのを押さえきれいなくて、結局超・てんやわんや。
もう、このてんやわんやが私の普通の生き方になってしまいそうで、とっても怖い今日この頃です。
ともかく、なんとしてでも全てを4時まで終わらせて、賢人に車を渡さなければならなかったのだけど、でも、夫がめずらしく、昼過ぎに仕事を終えて、ふらりと家に戻ってきてくれたので、彼の車を賢人が使ってバイトに行くということで、私は、ヘア・カットに遅刻したものの、ちゃんと2人共、切ってもらえて、ハッピー・エンドな土曜日となりました。
★何がハッピーかって、ヘア・スタイル。
今までの私ひとり分の料金とチップで2人分の料金と少し多めのチップが払えた上、出来栄えは、願った以上。
髪の毛が少なくて細いから、大きく膨らむスタイルが好きなのだけど、日本人のスタイリストさんって、私がさらりと希望を伝えるぐらいでは、みんな口を揃えて、「まとまる」とか「かるく」とかのコトバで、私の髪もそのようにしてしまいがち。
でも今日、切ってくれたりささんは、トップをふんわりと大きく膨らませてくれて、私はかつてないほどの大満足。
誰が切っても同じという言葉、取り消しです。

週末を待ちわびない生き方のススメ

★ひんやりと気もちのよい、9月最後の土曜日の朝です。
おはよう。
毎年、1年間で最も重たいはずの9月が、軽やかに過ぎ去ろうとしています。
今朝開いた詩篇の66編にもあったけれど、賛美が私の仕事を支えてくれているのかもしれません。
金曜日はこれが1本25セント買える
これがはなのお楽しみ
おとなりの教室の先生が、「教室で賛美を歌ったり、BGMに流したりできるなんて夢のよう、天国じゃあるまいし」と言っていた言葉を思い出します。
そう感じて、それを言葉にして言うこと自体が、もう賛美。
★今日は、朝、Pointe shoe sewing class なるものに、はなと共に参加します。
そしてバレエ・レッスン、レッスンに続き、「くるみ割り人形」のリハーサル。
最後は、はなと一緒にヘア・カットをしてもらいに行きます。
髪を切ってもらうのはとてもひさぶり。
秋と春の2回は切ってもらうことにしたいものです。
★週末を待ちわびない生き方を提唱(!)しています。
どういうことかと言うと、例えば、小さな頃、お母さんごっこで、お母さん役をして遊びました。
今、あの頃、夢にみた、お母さんになれたのだから、「子どもの手がはなれたら」なんて言わず、今、そのお母さん業を楽しもうという考えです。
今は、過去に夢みた夢の現実で、過去の努力の実なのに、せっかくかなえられた夢を忘れて、夢を見続けることをスポルジョンの言うところの、「絶えず嘆き悲しむ者」、だと私は思うのです。
山のようにあるコンバースを
はなに全部あげた
永遠のベストセラーかも
週末になったら、冬休みになったら、車の免許と取ったら、学校を卒業したら、仕事を得たら、結婚したら、子どもが生まれたら、子どもが大きくなったら、家のローンが終わったら、孫が生まれたら、定年したら、なんて、言いいながら幸せを追いかけるのはやめにして、今、ここにある幸せをエンジョイしようではありませんか。
それを、「臨在を生きる」、というのだと思うわけです。
★というわけで、今週もわりと成功。
私にとって、「臨在を生きる」ことは、とても単純。
ただ、洗濯物や片付け、掃除をためないこと。
週日に、忙しい忙しいといい訳をしながら家の中をぐちゃぐちゃにしちゃうと、頭の中もこちゃごちゃしてきて、心の平安がなくなり、聖書を開いたり祈ったりの時間がまず削られ、仕事が、現実以上にてんやわんやな印象になり、もう、命からがら土曜日を待ちわび、土曜日は、目をつりあげて家事に没頭し、あっという間にブルーなマンデーを迎え、月曜の朝から、週末になったら、ちょっとリラックスしたわ・・・の循環の中にはまるというしくみです。

朝ごとに 9・30

全地よ。神に向かって喜び叫べ。
御名の栄光をほめ歌い、
神への賛美を栄光に輝かせよ。
詩篇 66:1,2
絶えず嘆き悲しむ者よ。
この点に関して自分に罪がないと思ってはいけない。
また賛美の歌なしにあなたの神に対する義務を果たすことができると考えるな。
あなたは生きる限り、主の御名をほめたたえるために、愛のひもをもってつながれている。
立って、神への賛美を歌え。
夜明けのたびに感謝の叫びを上げ、夕日の沈むごとにあなたの賛美の歌を歌え。
あなたの賛美をもって地をおおい、美しい調べによって地を包め。
そうすれば神は天から聞いてくださって、あなたの音楽を受け入れてくださるだろう。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
明日の聖日礼拝でピアノ奏楽をする私にとって、これ以上の励ましのメッセージはありません。
スポルジョンは、厳しい口調で、「絶えず嘆き悲しむ者よ。この点に関して自分に罪がないと思ってはいけない。」と言います。
悲しみながら、神さまを褒め称えることはできないからです。
昨日、幼稚園で「は」という文字と、「か」という文字をワークシートで練習しました。
練習を始める前に、「はのつくことば!」と子どもたちに問いかけると、「ハレルヤ!」という声があちこちからあがりました。
泣きながら、悲しみながら言うには、最も難しいことばではないでしょうか。

Friday, September 29, 2017

泳ぐに長し聞くに短しな私の千

おつかれさま。
金曜日の夜を、どんな気分でおむかえでしょうか。
わくわく、やれやれ、いろいろあると思うけど、ともかく、終りました。
新しい1週間に向けて、リフレッシュしましょ。
今朝、プールで千を泳いだ後、ジャグジの熱いお湯に身を沈めながら、思ったこと。
子育て、家庭生活、年老いた両親のこと、お兄ちゃんのこと、仕事、奉仕、教会生活、人間関係、祈ることは尽きないけれど、神さまと交わることをもっともっと、貪欲に祈り求めようって。
例えば、庭仕事やお料理、ハイキングや遠出のドライブ、神さまと親密に交われる、自分だけの時間を、毎朝のプールでの時間だけに満足せず、もっと、求めてもよいのではないかなって。
欲張りでしょうか。
欲張りかもしてません。
でも、思うの。
例えば、はなのことを心配して祈ること、祈ったことの応えを、幼稚園で一生懸命に働きながら、待ちます。
そして、幼稚園の仕事のことで、主の知恵を求めて祈った応えは、そんな風な主との交わりの中で受けるのかもしれないなって。
つまり、アウトだけじゃなくて、インしたいなと思うわけ。
神さま、神さま、あのね、あのね、って、しゃべりまくって千を泳いでいるわけではないけれど、御声を聞くには、千は短かすぎる距離なのです。

朝ごとに 9・29

もし吹き出物が彼のからだ全体をおおっているなら、
祭司はその患者をきよいと宣言する。
レビ 13:13
この規則は一見奇妙だが、その中には深い知恵が隠されている。
なぜなら病毒を外に出すことは、からだが健全な証拠だからである。
自己を義とすることほど致命的なものはなく、悔恨よりも望みおあるものはない。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」
本当ね。
涙も怒りも決して外には表さず、でも、内側は、外からは想像もできないほどに混乱した不衛生な状態というのは、確かにあるのかもしれません。
そんなものは、覗き見たくもないけれど、でも、想像してみることは、子どもをみるとき、あるいは、人との関係の中で役に立つ知恵だと思います。


Thursday, September 28, 2017

ヤクザな子ども伝道者

プールでたっぷりと祈り、祈った以上にとっても良い一日だった。
幼稚園では毎朝、賛美して、聖書のことばをいただいて、そして、僭越なから、それをひもとき、そしてお祈りをします。
造り主である神さまに焦点をあてた今月の最後の週、最後の2日です。
全てを治める神さま、正しい神さま、義なる神さま、なんでもご存じの神さまと続き、今日と明日は、たくさんの造り主の側面の、「聖」に焦点をあてて、神さまについて、お話しようと祈ってきました。
真っ白なしわひとつないコピーペーパーを3枚だして、一枚は神さま。
子どもたちの目の前で、黒いクレヨンで乱暴にぐるぐる描きした一枚は、怒っている私。
そして、子どもたちの前で、くちゃくちゃに丸めて、もう一度開いて見せた一枚は心配している私。
どうしたって、自分では元には戻れない私。
でも。
そう、でも。
十字架のイエスさまがとりかえっこしてくれました。
真っ白なしわひとつないぴんぴんの心と。
取り替えて欲しい人?と聞くと一人残らず、全員が手をあげてくれた。
子どもって、正直です。
クレヨンでぐるぐる描きしたような心も、くちゃくちゃに丸めたみたいな心にも心あたりがあるのね。
キリストは、みんなのこの心のために十字架にかかってくださいました。
アーメンですか?
アーメン!
それで、私は、子どもたちと一緒に、「神さま、私たちの怒りんぼやメソメソをごめんなさい。でもイエスさまあなたの十字架をありがとう。あなたの霊を今日ください。ありがとう。」って、とっとと祈っちゃった。
不完全な悔い改めと、不完全な聖霊の招きであることは重々承知のすけ。
大きくなって、本当の祈りを捧げる時までのつなぎ。
でも、きっと、完全なつなぎ。

朝ごとに 9・28

主は天から目を注ぎ、
人の子らを残らずごらんになる。
御住まいの所から
地に住むすべての者に目を注がれる。
主は彼らの心をそれぞれみな造り、
彼らのわざのすべてを読み取るお方。
詩篇 33:13~15
恵み深い神を表すことばのうち、神が天の御座を降りて人類の欠けを助け、わざわいを免れさせるために親しくおいでになるという表現ほど、それにふさわしいものはないだろう。
神が私たちの髪の毛をも数えきり、行く手を指し示して導いてくださることを知る時、どうして私たちは神を愛さないでおられるだろうか。
神が高い御座におられて、あなたのことなどかまっておられないなどと思ってはならない。
あなたがどれほど貧しくても、主はあなたの御心にかけてくださることを覚えよ。
なぜなら、主の目は、全地をあまねくみそなわして、ご自身に向かって心を注ぐ者に御力を現してくださるからである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
本当に毎朝、私に必要なことばが、ずばっと与えられてます。
神さまって、こわいぐらいに、私以上に私のことをなんでもご存じです。
だから、私がすべきことは、自分の感覚に頼らず、ただ、ひたすらに、愛すること。
愛し続けること。
どう聞こえようと、何を感じようと、それは、風のように、空の色のように、明日には、いえ、1時間後にはもうどうなっているかわからないような、はかなく、なんの実体もないものなのだもの。
ん?は、ん?なままでよし。
深く考えずに、愛することにこの頭や心や身体を使おうではありませんか。
というわけで、今からプールで、そう祈ってきます。
ではでは、良い一日をね。

Wednesday, September 27, 2017

古代生物の発見とその悲しみ

思えば、プロのいじめっ子なんて、どこにでもいます。
いちいち、立ち止まって、考えこんではいらえれないほど、広範囲の環境に、難しい条件は何もなく、古代から現代まで生息し続けている彼ら。
その業は皮肉、嫌味、そしてお世辞。
でも、それに最も鈍く、言葉の通りを信じ、間に受け、がんばり抜いて、燃え尽き、傷つくのがクリスチャンでもあるのよね。
皮肉と嫌味とお世辞、それしか持ち合わせない、実は世の中で一番キリストを必要としている人々であるにも関わらずさ。
でも、何が一番、悲しいかって、実はその皮肉と嫌味とお世辞に気づいちゃった自分だったりする。
3日後ぐらいに、ぼわんとね。
ん?
んんん?って。

3代目クリスチャン の試練

書くことは休んでも、泳ぐことは休まない日々。
でも、書かない日も2日が限界。
プールでは、毎朝、祈ることがたくさんありました。
1000では、足りないほど。
でも、祈る側から、神さまの平安が私を包むから、課題てんこ盛りでも私は幸せです。
本当にいろんなことがあります。
こんなに一杯生きていても、生まれて初めてのこともあります。
傷ついた同労者のために祈り、神さまは、それにも豊かに応えてくれています。
「伝道をしようとすると傷つくよね」って言われ、私の心はとても痛みました。
パウロだったら、どんな風に彼女を励ますかな。
私には、その傷私にちょうだいって言うことしかできない。
私は、おもしろおかしく、神の愛と義を子どもたちの胸に押しつけ、どさくさにまぐれて「アーメンですか?」って聞くようなヤクザな子ども伝道者だから、彼女の痛みのほんのわずかでも引き受けて、もう少し、天国への道に真剣になるべきなのかもしれません。



Monday, September 25, 2017

朝ごとに 9・25

神は、キリスト・イエスを、
その血による、
また信仰による、なだめの供え物として、
公にお示しになりました。
それは、ご自身の義を現わすためです。
というのは、今まで犯されて来た罪を
神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
それは、今の時にご自身を現わすためであり、
こうして神ご自身が義であり、
また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
ローマ 3;25,26
私たちは信仰によって義と認められたため、神との平和をもっている。
良心はもはや私たちを責めず、さばきも今や罪人に不利とはならない。
記憶は過去の罪を顧みて悲しむが、来るべき罰を恐れない。
キリストが身代わりになって死なれたたましいが、一人でも地獄に落ちることはありえない。
私は自分が罪人でないから希望を持つのではない。
私は罪人であり、主が私のために死んでくださったので、希望をもつのである。
C.H. スポルジョン 「朝ごとに」より
神さまを義と認めることは、最初はとてもつらいけど、後にこのうえない喜びとなると、スポルジョンは言います。
アーメンです。
それが、信仰という目には見えない壁のあちらとこちらの違いというものなのでしょう。
この壁にさわってしまうことを葛藤と言います。(勝手な私の解釈です)
その葛藤は聖霊さまがくださる痛みだと信じています。
だから、その痛みを超えて、本当に壁を越えてしまうことのないようにしたいです。

Sunday, September 24, 2017

あきらめない神さま

★今日の午後は、教会の近くの、があがあ公園で、ゆりかさんとのんびりおしゃべりして過ごしました。
ちょっと前のゆりかさんとはな
久しぶりに、大人と、業務連絡(夫)や教務連絡(コ・ワーカーたちと)以外の会話をした気がします。
喋らなくても聞かなくても、わりと普通に生きてゆける私は、大雨とか、洪水とか、ハリケーンとかミサイルとかって話を、こういう所で初めて聞き、「へえ~」となり、「ふ~ん」と、なんだかよくわからないなりに、なんの話だったかぐらいはわかるわけです。「で、その人の話のポイントは結局なんだったの?」とつっこむ私に、「ポイントなんて特にない、まあ、いわゆる報告ね」とゆりかさん。
のぞむくんの妹
「で、その報告のポイントは?」とさらに突っ込む私に、「そんなの最初からないと思うよ、ただ話したかっただけなんじゃない?」。
ありがとう。ごめんね、ゆりかさん。
でも、こんな私に、長年こりもせず、話続けてくれるの、もうゆりかさんぐらいしかいないのです。
神さまって、けっしてあきらめないお方。
★賢人が、茅野から留学に来ているのぞむくんと、とっても仲良しです。
のそむくんの母と姉
一緒にハイキングしたり、勉強をしたり、ご飯を食べにでかけたり。
今日は、2人で、礼拝の後、賢人の運転でおでかけ。
あの子にとって、初めての日本人の友だちです。
今まで、いくつかの日本人との出会いがありながら、あの子はいつもそれをつかむどっころか、困って、苦しんで、いつしか、避けるようにさえなっていた。
10歳の賢人が洗礼を受けて、ちゃんとクリスチャンになりたいと言い出したのも、日本人との人間関係のトラブルの中でのことでした。
のぞむくんは、さなえさんの子どもです。
そう、あの、賢人が茅野で最もお世話になったであろう、彼の写真に、ばんばん登場していた、私と同世代の女性です。
神さま、あきらめずにいてくれて、本当にありがとう。

究極的の健康法

★今朝、C.S.ルイスの文章を読みながら書いた自分の文章をなかなかいいなって、思った。
なるほど、思えば、いつもそうだったって。
臨在を信じることは、誰に対しても、どこに向けても、同じでいることだと思う。
だって、神さまがいつも側にいてくださると信じているのだから。
顔がひとつであれば、顔色もひとつだし、その顔色は主に受け入れられ、平安に満ちた顔色であるはずです。
いつも良い人でいるとか、正しく判断できる、とか、そういうことではなく、怒っても泣いても、神さまが見ている自覚の中での怒りや涙は、健康的なあるべき人の姿と思うわけです。
★今朝、はなのランチ・ペールと、私のスイミング・バックをキッチンで洗いました。
汚れている部分にベーキング・ソーダふりかけ、その上から、洗濯用の洗剤をこすりつけ、しばらく置いて、ブラシでこすりました。
はなのランチ・ペールは嘘のようにきれいになったけど、私のバッグは、ちょっと心配です。
汚れがかえって広がってしまった気がしないでもない。
去年の11月に自分へのお誕生日プレゼントに買いました。
プールで、何人もの人に「いいバッグだね」と言われました。
泳いでいる間はプール壁にかけています。
見た人が神さまからの祝福を思い出してくれていると信じている。
祈るような思いで、今、外に干してきました。
でも、イエスさまの贖いには、一点の心配もないことを感謝せずにはいられません。
心がきれいになるっていうより、毎日がブラン・ニューなのだもの。

反逆的意思と痛み

神はこのように、
人をご自身のかたちと創造された。
創世記 1:26
被造物にふさわしい善とは、それ自身を創造主に委ねることです。
つまり、自分はつくられたものであるというぎりぎりの事実のうちに与えられている神との関係を、知、情、意のすべてにおいて具現化することです。
そうするときにはじめて被造物は善であり、幸福なのです。
私たちが現在知っている世界で重要なことは、この自己放棄をどのようにしてふたたび人間の姿勢とするかということです。
私たちは改善されるべき、不完全な被造物というだけではありません。
私たちは武器を捨てて降服しなければならない反逆者なのです。
私たちが長いこと自分のものだと主張してきた意志を返すことは、どこで、またどのようにして返すにしても、それ自体耐えがたい苦痛に違いないというものです。
C.S. ルイス「痛みの問題 5」より
この頃、よく思うこと。
神の臨在と自分が受けている祝福を忘れないようにしよう。
誘惑にはいつも、必ず、もうひとつの選択があります。
神さまという選択です。
神さまを選ぶ理由は、うけている祝福がゆえにです。
そして、誘惑に負けない、つまり、自分を守ったり、弁護したり、しない選択の理由は、神さまは全てをご存じでいてくださっているという臨在を信じるがゆえにです。
説明しようという努力を完全に放棄した時、神さまの指が私の願う方向に動くのです。
まるで、汚れたものに触れるな、交わるな、葛藤するな、なにもしなくてもよい、それは、私の仕事だ、といわなんばかりに・・・。

Saturday, September 23, 2017

最近のお気に入りあれこれ

これ以上に良いものはないと胸を張って言えるリップ・バームに出会って大感激
しかも3個で2.99という安さ
デザインも超・やぼったくていい感じ
なにがいいって、パンチのきいたメンソールとのびの良さ
これはターゲットの子供服売り場の靴下コーナーでみつけた子供用の靴ライナーの L
普通の大人用だと靴を脱いだ瞬間に一緒に脱げちゃう悲しい靴ライナー
でもこれは、ぴたっとフィット 
脱ごうと思わない限り、間違って脱げることなし
上履き、外履きの有りな幼稚園で大活躍
ネクタイじゃないよ
髪の毛結ぶゴム
一つ1ドルと絶対に安くないけど、でもこれで私の問題、きれいに解決
プールで泳い後、普通のゴムだと、細くてクルクルした髪の毛が絡まって、ほどくのがとっても大変だった
プールの水は髪の毛をきしきしさせるから、本当に苦労していたの
一度は、髪の毛切らなきゃだめかなって、思ったほど
毎回推定167本ぐらいの髪の毛抜けていたと思うでも、これだとするっと取れる
泳いだ後は手首につけて次の出番を待つけど、ブレスレットみたいでかわいいと自分では思っている
 最後は、これ
はなが加工してくれる数々の写真
はなって、自分でも写真を撮るのが好きだけど、もらった写真を好きに加工するそのセンスがとてもいい
 ↓
気に入った写真をはなに送るとさらにかわいくしてくれる
ムードが変わる

女心と秋の成績

★今日は、はなが普通の90分のバレエ・レッスンに続けて、午後は120分のマスター・クラスに行っているので、私は、家の中でちまちまとした用をあれこれ片付けています。
家庭の事務的な書類を整理したり、Eメールを書いたり、テキストメッセージを送ったり。
来週の土曜日に、はなと私のヘア・カットのアポイントメントも取りました。
1年ぶりに髪を切ります。
新しい人。
でも人柄は知っているので、とっても楽しみ。(天然のクルクルパーマだから、基本的に誰が切っても似たようになる だから、人柄が重要)
★この頃、学校からEメールが来るたびに、ドキドキしている私。
祈りながらおそるおそる開くと、「フリーのランチの申し込みが締め切り間近です」とか、「ファンドレイジングのお招き」とかそんな内容で、いつも、ああ、今回はセーフねっと、まるで、悪い知らせを確信しているような、プレッシャーがあります。
今日は、なんと郵便受けに、「はないしじまの両親へ」という宛名で絶対に重要そうな、手紙が入っていて、「きた!」と覚悟を決めました。
で、内容は、成績。
そして、それは、すごく良かった。
自慢ではないけれど、はなの成績はキンダー以来、ずっとずっとあまり、ぱっとしなかったにも関わらず、ここにきて、なぜ。
一般的に誰も悪いものを受け取らないはずのキンダーの1学期でさえ、2がいっぱいあったすごいはななのに。
一般的に誰もが多少の挫折を味うはずの6年生の1学期に、E がずらずらずら。
ABCDEF の E かと思ったけど、どうやらそうではないらしく、Exellent の E らしい。
はなの人生のピークか、事務的なエラーか、はともかく、私は、かなり親バカ者なので、二度と拝めないであろうこの奇跡を写真に収めておきました。

私が好きなお洋服のブランド

さて、兵士たちは、
イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、
ひとりの兵士に一つづつあたるように四分した。
また下着をも取ったが、
それは上から全部一つに織った、縫目なしのものであった。
そこで彼らはお互いに言った。
「それは裂かないで、だれのものになるか、くじをひこう。」
ヨハネ 19:24,25
だらしない人間(のジャケットで)は神のテーブルにつくことはできない。
だが、少しもだらしなくない人なんているだろうか。
よれよれの道義心。
薄汚れた真実。
すり切れた思いやり。
モラルという名のぼくらの服装は乱れきっている。
そう、神のテーブルにつくための基準は高い。
だが、神の子どもたちに注いでくださる愛はそれ以上のものだ。
だからこそ、神は贈り物を与えてくださったのだ。
ぼくたちは、十字架のもとに行くときは罪を着ているけれど、十字架を去るときには、主の強い愛の外套で身をおおい、正義と真実の帯を腰にしめ、救いの衣をまとうのだ。
さらに言えば、ぼくたちはキリストご自身を着て、去るのである。
主はあなたのために豪華な食事を用意してくださっただけではない。
テーブルを予約してくださっただけではない。
食事代とレストランへの交通費を負担してくださっただけではない。
主はそれ以外にもしてくださった。
あなたにきちんとした装いをさせるために、ご自分の服を着せてくださったのだ。
The Cross ~ He Chose the Nails より

Friday, September 22, 2017

毎日が夢の実現

★おつかれさまでした。
どんな金曜日の夜を迎えているでしょうか。
なにはともあれ、無事に終わって、私なんかの書いた文章でも読んでみようかというほどの遊び心が残っている、愛するみなさんの週の終りに感謝です。
さぞかし、色々なことがあったことでしょう。
夢をみていたみたいに遠い昔のような日々
でも、主が守られた1週間に、ハレルヤと声高らかに言いたいです。
★毎朝、プールで泳ぎなから、神さまに感謝することのひとつに、お隣のクラスのコ・ワーカーを、私に与えてくださったことがあります。
感謝しても、しても、しきれないほどの、支えとなっている。
今日は、活動で汚れたコンクリートをブラシで磨いておくようにと、その時間も用具もやり方もきっぱりと指示され、やれやれ、もっと良い方法があるのになっと思いながら、言われた通りをやっていたら、現れた。
隣の人。
協力せずにには、何事も達成できなかった日々
ブラシ片手に、ズボンまくりあげ、ニコニコ笑顔で。
ああ、同労者よ・・・、彼女の後ろにはっきりと主の御栄光が輝いておりました。
そして、私も彼女の笑顔に力を得て、聖書に書いていることは、本当だなっと、今日もまた思うのです。
兄弟が共に住む喜び、働く喜びには、何ものにも変えられない大きな価値がある。
そして、いずれは、共に働く全ての人を兄弟にしてしまいたいという、大きな目的が彼女と私にはある。
だから、愛することを、やめないでいましょう、やめずにいられますように、ってといつも祈り合うのです。
★週末を楽しみにしない生き方、日々の暮らしをエンジョイする生き方を提唱(!?)しています。
もう、戻ってはこない日々
でも先に進む勇気も希望もてんこもり
言いだしっぺの今週は、概ね大丈夫。
洗濯物もお掃除も家の事務もそれほどためていません。
リセットではなく、リフレッシュ、安息のための週末を迎えることができました、
子どもが大きくなったら、とか、家のローンが終わったら、とか、冬休みになったら、とか、週末になったら、なんて、思わない方がいいよ。
そう、思うことがあったら、今、すぐやった方がいい。
そしたら、毎日が、すごく夢の実現だから。


Thursday, September 21, 2017

ゴールデン・エイジなんて、言わないで

★いつも思うけど、今が一番いい。
今が一番幸せ。
私がこう言うことをクリスチャンの中でぽろっと言ってしまうと、「クリスチャン化が進むと幸せの基準化が下がるわよね~」とか、「広がるわよね~」とか言う人、絶対いて、私それ以上、何も言いたくなくなる。
そうじゃなくて、本当に、今が一番いいの。
★隣のクラスの私と同期、つまりニューのコ・ワーカーが、あらゆるコードがすごく違うけど、でも、伝道できる自由があるから、その不自由はなんでもないと言っていた。
私もそう思う。
なにもかもを、聖書と結んで保育できる幸せ。
言語も数も運動もアートも音楽も、科学はもちろん、そして、食育まで、おいしい給食にハレルヤと伝えることのできる日々の幸せは、やっぱり、どう考えても、例えば、2年前よりも確実に幸せ。
★はなは、体育の授業を違う先生のクラスに変わることになりました。
バレエ・スクールのお手紙があれば、免除されるのだけど、「体育は好き」と言うので、どうしたもんだな~、と思っていた矢先、学校からクラスを変わるように言われました。
つまり、割り振りを間違えて、はなの名前は、最初から、そのクラスになかったということらしい。
ふう~、一件落着です。
でも、これからもいろいろあると思う。
なんか、そんな気がするのよね。
でもだいじょうぶ。
私たち家族、どんどん天国に近づいているって、思えるから。

朝ごとに 9.21

わたしは彼らを幸福にして、
彼らをわたしの喜びとし、
真実をもって、
心を尽くし思いを尽くして、
彼らをそこの国に植えよう。」
エレミア 32:41
主はなぜ私たちを愛されるのか。
その理由を私たちは自分の中に見出すことはできない。
私たちは自分自身を喜ぶことはできないのである。
「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と記されている。
神はご自身の造られた世界を見て、「非常によかった」と言われた。
しかし神が、イエスの御血によって購われた者たちを見、ご自身の選ばれた者たちを見た時、その無限の心を抑えることはできず、歓喜の叫びをあげたように思われる。
C.H. スポルジョン「朝ごとに」より

Wednesday, September 20, 2017

本日の晩ごはん 9.20・17

ちっともおいしそうに見えないけど、
おいしくできた親子丼
ちっともおいしく見えないけど、おいしく蒸せた
シューマイ(炊飯器で!)
いっただっきま~す!

おめでとう広島

★水曜日は1週間で一番帰宅が早い日。
自宅で、ピアノレッスンの日。
そして、はなの帰宅が最も遅い日。
3コマのバレエレッスンと、「くるみ割り人形」のリハーサルで夜まで帰ってこない日。
かなり、すれ違っているので、今一番よく祈っているのは、はなのことです。
父の作業場
「せっかく母さんが片付けてくれたのに
2,3日すればご覧のとおり」という
コメントつき
★例のお休みとされた体育の先生には、私から、「欠席させていません。出席しています。
ご確認ください。」ときっぱりと書きました。
別に欠席にされても、はなは学校自体を休まない子なので、1回ぐらい平気だけど、あの子が休んでいないと言うので、そう書きました。
★今朝は、少しでもはなと話をしようと起きるのを待っていたら、すごく遅刻して(Yにね)600メートルし泳げませんでした。
でも、「あっ、これいいかも」って思った。
「これ」って、1000メートルにこだわらないこと。
何も心配ごとがなく、順調な時には、1000を思う存分泳げばよし。
そうじゃない時は、減らせばよし。
心配な時には、泳がなくてもよし。
★今朝の体重、103パウンド。
だいたい、最近こんな感じです。
ここで、キープできたらなっと思います。
そのためにも、1000にこだわらず、はなの様子をみながら、ね。
★広島が優勝だそうです。
父が新聞を写真に撮って知らせてくれました。
すごい!
パチパチパチ。
おめでとう!広島!






進化中弁当

水曜日の今日が、はなにとって最も長い一日
さて、これでおなかがもつかな
お弁当進化中

Tuesday, September 19, 2017

はなの親として、ご飯炊かない主婦として

★最近のはな、なんだか変だな~、いやな予感するな~、と思っていたら、予感的中。
体育の授業を休んでいるから、届けを出すようにとの連絡を受けて、内心大慌て。
この頃、いつも私の側で宿題をしたがるはな
でも、ここで私が普通に反応しちゃうと、彼女の悩みに油を注ぎ、大火事にする可能性があると心して、さりげなく事情聴取。
ふんふんふん。
って、なんだかよくわかないけど、とにかくそこにいたらしい。
数えてくれなかった先生が悪い、の一点張り。
私は彼女の親だから100パーセント信じることにしました。
私が信じなくてどうするっ、と目を閉じて。
嘘でも、今は信じる方がいいと思うのです。
母も、私にそうしてれたし、私は、母がそうしてくれたから、母に嘘をつかなくなったから。
はなが、いたと言うなら、いたのでしょう。
光輝く新しい炊飯器くん
★炊飯器が壊れました。
水加減を間違えたのでしょっと、はなを責め、賢人を責め、夫を責め、自分で炊いてみて、わかった。
うっ、炊飯器、壊れてる。
家族に「ごめんなさい」の気もちを込めて、本日、幼稚園とピアノレッスンの合間に、マルカイに走り48秒で選んで、エクストラの現金収入で支払いました。
神さまは、私がお財布にたくさんのお金を入れているとなんだか落ち着かないことをよ~くご存じで、その使い道を、いろいろ与えてくださいます。
アメリカに来て、はじめて、炊飯器を買いました。
高くてびっくり。
鍋で炊くということも考えたけど、よ~く考えたら、ごはん炊くの、はなと賢人と夫の当番制だったんだ。

Monday, September 18, 2017

私が泳ぐわけ

プールで泳ぐことから始まる一日の良さって、いろいろあるけど、ずばり一言ではちょっと説明難しい。
家から直接幼稚園に行くのとは、決定的に違う点がある。
こんな例えは、どうだろう。
家から直接幼稚園に行くと、たぶん12、3分。
かかっても15分あれば着いてしまいます。
それは、かなり直角な入り方。
角っこちょっとつらい。
でも、プールで泳いで、ジャグジで温まって、サウナで汗かいて、シャワーして、幼稚園に行くって、斜めにすべり込む入り方。
いつの間にか来ちゃってる。
まさに、ウォームアップ。
★はなの好きなサンドイッチはイタリアンソーセージとローストビーフとベーコンと玉子とツナ、チョコレート、野菜はレタスとトマトと玉ねぎ。
賢人は、ハムとレタス一筋。
それで、それぞれの好みに応じようと奮闘中。
っていうか、ハム&レタスを、はなのお弁当箱に間違って入れてしまわないように気をつけている。
逆にパックしちゃうと、ものすごい不幸せなランチとなるのです。
★昨日の夕方、父と母とひさしぶりにスカイプでおしゃべりしました。
Eメールで近況は読んでいたけど、やっぱり顔を見るまでは心配だった。
大丈夫、大丈夫と言いながら、大丈夫じゃなかったりするのが日本語だから。
でも、本当に大丈夫。
台風は、無事に通りすぎ、実家の台所は明るい日差しに満ち溢れ、ふたりの笑顔も心からの本物でした。
ハレルヤ!

秋の気配の朝

新しい1週間がはじまりました。
主がお造りになる、新しい1週間です。
毎朝、6時前後にサンダル履きで、裏庭を小走りに横切る時、少し、また少しと、朝がやってくるのが遅くなるを感じます。
今日はまだうすぐらい。
こうして、主は私に新しい秋を造ってくださっています。
幼稚園も、アフタースクールのピアノレッスンも、いろいろ楽しみなことが盛りだくさんの1週間です。
お水は75セントを2本分
そして、今日も、泳ぐことから、バタバタをやめて、水の中でただ泳ぐことから始めます。
主よ、どうぞ、私の日々をお守りください。
夫はもう、一足先に、でかけました。
はなは、そろそろ起きてきます。
賢人は地味だけど、安全なバス通学です。
私と、私の愛する家族の1週間を、今、あなたにおゆだねいたします。
どうぞ、一杯の祝福をもって、導いてください。

Sunday, September 17, 2017

私のキャパ・ちっちゃ・でもこれが私

★バッハを聴きながら、書いています。
なんだかとっても疲れました。
難解なのか、私の理解が未発達すぎるのか、まったくよくわからないゲストスピーカーの
親の心・子しらず
メッセージに、異常に疲れを感じました・・・。
すんません、神さま。
でも、正直、何が言いたいかさっぱりわからなかった。
主が、キリストの登場しない身の上話を、聖なる安息の日に、教会で、クリスチャンを集めてするわけないから、「????」なまま頭を抱えています。
★礼拝の後、車のない私は、ジュニア・ハイの礼拝に行っているはなと、迎えの賢人を待つ他なく、聞くとはなしに、周囲のメッセージに対する反応を通りすがりに拾ってしまったのだけど、私以外の人々には感謝感激感動の天の教えの取次ぎだったようでした。
っま、そんな日もあるわよねっと、気もちを取り直して、はなとお買い物に行ってきました。
はなのお洋服。
難しい時期に片足を上げて、今入らんとする彼女への思い、心配を証明したい、働く母の苦しい愛の表現です・・・。

台風とはなの行方

★ぐっすりと眠って、すっきりいつもの時間に目覚めました。
台風通過中
気になっていた九州を通過中の台風も、両親の住む町をうまくそれて移動してくれているようでほっとしています。
★昨日は、家の保険屋さんの弁護士に頼まれていた、じょえるの写真や、家のオーナーの証明書、じょえるの出生証明書を送る作業をがんばりました。(犬がメールマンを噛んだという疑いで訴えられ中)
木曜日に、弁護士からEメールがきて、火曜日まで送り返すように書かれていて、すごくプレッシャーでした。
写真をどうやってプリントしよう、普通のカメラで撮ってラップトップにおとしてプリンターかな、それとも電話で撮って近所のライトエイドかな、ドキュメントはコピーよね、それともスキャン?、まず、電子メールか陸路のメールにするかを決めなくては・・・などなど2日間、やり方についてずっと考えていて、でもひらめいてからは、10分で終わった。
つまり、すべてを電話で写真に撮って、そのまま電話からEメールしちゃった。
弁護士にこれも送ってみた
便利な世の中です。っていうかひらめくのおそすぎ。
★はながすごくおしゃべりになって、ちょっと気になります。
すごくといっても、普段あまりしゃべらないから、たいしたことないんだけど、でも、なんとかなく。
内容は、食べたいものや、友だちのことや、将来のこと。
とくに深刻なものはありません。
私との関係を確かめているのはなんとか感じることができるけど、それは、自己像を確かめていることに繋がっている気がしなくもない。(よくわからん)
今日は、一緒にカレーを作ります。

Saturday, September 16, 2017

まだまだ子育て中

★おはよう。
9時まで寝てました。
この頃、毎週金曜日の夜ははなが隣に入ってきて、すごい寝相で私の安眠をじゃまします。
よっぽど夜中にカウチ(彼女の小さいベッドには夫がいる)に移動しようかと思ったけど、目覚めたはなをがっかりさせたくないからがんばりました。
長い足を根元からどすんどすんと私の上に落してくるの。
痛かった・・・。
★えりさんの「素顔のダラス」https://ameblo.jp/eriotani/ を読むのが、土曜日の朝の楽しい習慣です。
いろんな意味で、いつもなんだか、とりまく状況に共通点のある私とえりさん。
この不思議を感謝しながら、読むたびに元気になる「素顔のダラス」。
会社が終わった後の、翻訳の仕事が増え続けて感謝だかけどチャレンジングというくだりに、しみじみその気もちを共有しています。
体重問題も然り。
★はなは、私の新学年が始まって以来なんだか不安定。
金曜日は3週続けて一緒に寝ようとするし、朝は必ず、出かける前にハグしに来てと言います。
今朝は、私が起きる9時まで、ずっとベッドの隣で、イヤフォンで ipad を見ていました。
私が起きると、今度は私の、この古くて遅く、とっても使いにくい(使い方にコツのいる)ラップ・トップを使いたがります。
ふう、なんだろうね。
自信がないのかなっと思って、いろいろ聞くと、学校もバレエも楽しいと言います。
5年生の頃よりも、バックの中もノートの中もきれいだし、学校のプロジェクトも見せてくれたけど、とっても楽しそうでした。
よくわかんないけど、神さまはご存じだから、ともかく、私が一番に、あの子の緊急に備える人としてくださいと、祈っています。(この頃ほとんど500メートルはその祈り、もう500メートルはお兄ちゃんのために)
★今週は一度もお店のごはんに頼らずに5日間自炊しました。
昨日、賢人が出先から送ってきた写真
うるさく電話をする私に
これでお返事・・・
そのために、書けない日もあったけど、でも書くよりも、今は、そうする方が大切と思えるから満足しています。
夫も賢人も、買うことに協力的だけど、はなが、「ママのごはんがいい」と言うのです。
それは、そうだと思う。
だって、朝も昼も午後の大きなおやつも四角いお弁当箱を開けて食べているのだもの。
汁物や煮物などをお箸を使って食べたい気もち、すごくよくわかる。
★さてと、新しい1週間に備えて、お買い物をしなければ。
簡単にお料理できる便利なもの探し。
少しでもおいしく食べられるお弁当の素材探し。
それから、一緒に外食。
リフレッシュ。
彼女の中で何が起きているのか、全てを知ることはできないけれど、手がかりを求めて、一緒にリフレッシュ。

Friday, September 15, 2017

私の新しい日々

★私の新しい日々もおおむね、順調です。
子どもたちとコ・ワーカーたちとの、純粋で天国的な、祝福された日々に、感謝の気もちで一杯です。
ちょっとでも天国から気もちがそれると、雑多なこもごもが押し寄せてきそうだけどコ・ワーカーたちに、かつてない主への渇きが起こされている気がして、それもまた益と、自分を励ましています。
「祈って」、のリクエストをことごとく、心に刻み、約束して帰路に着きました。
★困った時、どうすれば良いか迷った時、キリストだったら、どうするかなって、考えます。
そう考えると必ず、答えが与えられるからです。
今日も与えられました。
お昼寝の準備も終わって、さあ寝ようという、暗闇の中で、愛すべき孤独な乱暴者の男の子が、勇気を出してみんなに言った。
「たたいて、ごめんな、ほんまは好きやねんけど」
そしたら、ひとりづつ、全員、無言でハグしにきてくれた。
そして、その男の子はみんなに言った。
「最初から、友だちって、思っててん」
彼に言ったのは、たったの一言、「暗いから、何も見えないよ、謝っちゃえば?」。
★同じ学年を担当する、二人の先生たちに「子どもたちの前で、勝負しましょう」と呼びかけました。
3時20分、帰りの会でケンケン相撲で勝負して、自分のクラスの子どもたちに良い格好を見せようとしたのです。
なのに、惨敗。
私の子たちは、頭を抱えて残念がる子、一番強かったクラスの先生に抱きついて、尊敬の対象をねがえる子、冷たく私を見る子といろいろ。
しかも、私は、自分を負かした先生を、勝負が’ついた後に、大人げなく、押してしまい、間に入った2位の先生に、「負けても、こんな風に怒ったり、押したりしてはいけません、これは、絶対にマネしないでください。」なんて、つっこまれ、私は、全員にひれ伏して、「怒ってごめんなさい」。
そうやって、楽しかった1週間も無事におわりです。