ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。
それには「ユダヤ人の王ナザレイエス。」と書いてあった。
ヨハネ 19:19
今週は、Max Lucado の The Cross ~ He Chose the Nails という本を開いてデボーションをしているのだかけれど、その5章めで、あのピラトが書かせた罪状会について書かれています。
私、実はずっとひっかかっていた。
この罪状書きのこと。
イエスをからかって、「ユダヤ人の王さま、ばんざい。」と兵士が言ったのが、からかいであったのは聖書にそう、ずばり書いてあるから、わかるけれど、この罪状書きって、ピラトが書いたものです。
ローマ帝国の総督のピラトです。
そんな人が、誰かをからかったり、皮肉や嫌味を考えたりしないでしょう、いくらなんでもって。
私、誰にも言ったことないけど、これは、「罪状」ではなく「福音」だとひそかに思っていた。
Max の意見はこうです。
あれは、確かに罪状であるけれど、福音として用いられていると。
天国に入るのに、天使たちの面接があるのかどうか、ぼくは知らないけれど、もしあるとしたら、そのときの面談はさぞや見ものだったことだろう。
「天国の門入国審査センター」に強盗が着いたところを、ちょっと想像してみよう」
天使:どうしてイエスさまが王だとわかったんですか?
強盗:あのお方の頭の上に、サインがかかっていたんでさあ。「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」とね。そのサインを信じたら、ここに来ちまったわけで。
The Cross より
マックスはこうも書いていた。
人は必ずしも、クリスチャンによって伝道されるわけではない。
神さまは、どんなものを無駄にせずに用いるって。
それは、そうだろうけれど、でもそれって、これが罪状書きであったかどうかの証明にはなっていないよ、まっくす、と私は思うわけです。