Friday, June 29, 2018

良い知らせふたつ

そして今、主の吉報が届きました。
本日ふたつめの良い知らせです。
一つめ、朝、生意気だけど祈られている姉妹が小さくコロンと転がりこんできた。
坂を登るビー玉みたいに不自然に。
いえ、超自然的に。
そして、敵の大きな岩がゴロリと動いた。
これまた、超自然的に。
そのまま、ゴロゴロ押し出そう。
主と共に。
ゴロゴロ・ゴロゴロ。
私負けない。どこまでも祈って押し出してやる。


玉手箱のこと

玉手箱を、そうとも知らず、受け取ったのは、卒園式の後のフェローシップ・ランチョンの終わりの頃。
子どもたちひとりひとりから花束を受け取り、最後に、クラスの保護者をまとめていたある母親から「せんせい、ありがとうござました。」って箱を受け取りました。
お花もものすごい量だったし、ギフトカードや、寄せ書きフォトブックももらっていたから、お家に帰って、お菓子かな〜と思って、ラップをとったら、デジタルフォトフレームでした。
でも、それは、一見、Bestbuy とかTarget で買って来てくれたデジタルフォトフレームのようだった。
つまり、ばっちりシールされた新品だった。
それで、時間のある時に使い方読も、それか、賢人にあげよっかな、ドームでホームシックなんないように(なるわけないけど)、なんて思って、
クローゼットに直行させていたのでした。
で、昨日、「言い忘れていたけど、あれ、すでにデータささってます」ってメールが来て、あわててシールはがして、本体乱暴に取り出して、電源入れて、びっくりぎょうてん。
とってもとっても不思議なのは、公開してない部分。
卒園式とフェローシップ・ランチョンの生々しい、写真まできちんと収められていること。
あのてんやわんやの最中に、誰が、いつ、どうやって、当日のデータ足して、編集して、フォトフレームに収めて、ラップしたのかってこと。
セロハンに包まれた箱にあんな素敵なスライド・ショーが仕込まれているなんて、誰も絶対に想像できないと思う。
だって、こんな最中、あれやこれや撮ったそのデータをどうやって、箱も中に足すの?収めるの?編集したの?
私、この直後に、箱もらったんですけど、、、。


Thursday, June 28, 2018

開けてびっくり玉手箱4


開けてびっくり玉手箱3


開けてびっくり玉手箱2


開けてびっくり玉手箱

ベッドルームで、さて、ねよ、
としたその時、
eメールが届いたので
何気なく開いて何気なく読んでびっくり
ドキドキしながら、箱を引きちぎるように開いて、
も一度びっくり



AからB、BからA

まっすぐに歩いてきたつもりの道、でも振り返ってみると、ものすごいきれいなUの字を描いていて、「あれ?なんだか見たことある景色」なんて、方向音痴の私らしいオチだけど、
でも、心のどこかでそれを、知っていた気がする。
私はともかく、私の霊は知っていた。
そして霊が、その道をガイドしてくれた。
よくもまあ、あんな遠くまで通えたものだわって、自分でも呆れちゃうけど、でも霊の導きって、それを物ともせず、目的に向かってまっしぐらだったのよね。
ぶっちゃけた話、単純にAからBへ、BからAへ、ってただそれだけのことなんだけどね。
でも10年かけて、歩んだ道は、それほど単純ではなかったよ。

士師記 16章で

サムソンは主に呼ばわって言った。
「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。
ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。
わたしの二つの目のために、
もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」
士師記 16:28
楽しみなお弁当も完了
さあ、今日もがんばろう
そして、宮を支えている柱引き抜き、凄まじい再起と凄まじい最後を同時にに迎える怪力ナジルびとサムソン。
何度読んでも悲し過ぎる物語。
母は、目をえぐり取られた子のために、どんな祈りを祈ったのだろう。
結局のところ彼の破滅は、女への弱さによってもたらされた、と言っていいと思う。
かわいそうな力持ち。
かわいそうなナジル人。
神への誓願者。
神の子をいただくよりも、神に子をささげる方がよっぽどいい。
サムソンを読むたび、そう思う。

Wednesday, June 27, 2018

空っぽだけど幸せ

★すっごく仕事したような、そうでもないような。
どこがどう片付いて、先に進んだのやら、仕事の成果の見えにくい1日でした。
でも、神さまはご存知。
だから、自分に「おつかれさま」と言って、明日の自分に期待しよう。
明日は、苦手な4声部楽譜の賛美歌の練習と録音(!)、1年分です。
今日の私のお弁当
思いつきでピアノを弾く癖のある私にとってのビッグ・チャレンジング。
楽譜通りに弾けば良いことなのだけど、その楽譜通り、っていうのが、実は一番難しい。
素直で謙遜な心でがんばろう。
★新しい仕事がどんな教務で、どんなスキルが必要なのか、すこ〜しづつ、じんわり・じんわり実感中。
主と共にでなければ絶対無理な領域であることが、こんなにまで鈍い私にでさえわかるほどに圧倒的な臨在が私を包んでいる。
難しい方を選ぶって、なかなか悪くない。
この臨在感と取りかえられる、良きものはなにもない。




士師記 13章

神は、マノアの声を聞き入れられたので、
神の使いが再びこの女のところに来た。
主の使いは彼に言った。
「なぜあなたはそれを聞こうとするのか。
わたしの名は不思議という。
士師記 13:9 とんで18
怪力ナジルびとサムソンの生い立ちです。
私が読んであげた聖書物語の中でも、サムソンのお話は子どもたちにとても人気でした。
今日のお弁当
でも、私は、サムソンの母にだけはなりたくないと心から思った。
何度読んでもそう思います。
生まれた子を宮に連れて行き、宮にささげました。
3年生だったかな?
以来、教会が今日まで、私の息子を育ててくれた。
ここ、1年、毎朝、そのことを泳ぎながら感謝し続けています。
牧師からメンタ、兄弟、姉妹、お一人お一人名前をあげて。
おなかにいる時から主へのナジルびとの母とは雲泥の差で、それは本当に幸せな母業です。
★母の務めは祈りと弁当、ただそれ一筋
野菜不足が、ちと心配

Tuesday, June 26, 2018

本日のディナー〜ぷりぷり海老

夫が、昨日晩御飯を食べるの忘れて寝ちゃった私を憐れんで焼いてくれた海老
すっご〜くおいしかった
ぷりっぷり


士師記 10章

彼らが自分のうちから外国の神々を取り去って、
主に仕えたので、
主は、イスラエルの苦しみを見るにしのびなくなった。
士師記 10:16
旧約聖書を読んでいると、神さまの人格、あじゃなくて、神格って、とても温かく感じることがあるけど、ここなんて、まさにそう。
神さまが、見るに忍びなくなるって、すごい。
ひとりごを十字架にかけてくださった主が、見るに忍びなくなるほど憐れんでくださるイスラエルの民。
反逆と服従を繰り返して続けるイスラエルの民。
反逆と服従を繰り返し続ける現代を生きるキリスト者。
神に愛されるってとってもとってもと〜っても幸せ。

Monday, June 25, 2018

第2クチャクチャ期修了

良い知らせ。
賢人の住む場所が決まりました。
神さまがうっかりしていた賢人のために取っておいてくださった。
アメリカに上陸直後のテキスト
キャンパスの中です。
ファイナンシャル・エイドのカバーの中です。
ふう〜。
ひとりでとっても大きな山を乗り越えた直後の小さなうっかり。
賢人はこのことを通して、また一つとっても大切なことを学んだと思う。
大人になるって、実は時々とっても苦しいこと。
家に着いて最初にしたのは
ジョエルとのハグ
お財布の中にドルしか残っていないのに、飛行機に乗り遅れて、1週間後にしか乗れないって言われたり、サブミット・ボタンをクリックしそこなって、住む場所失くし、ギャランティないけどウェイティングリストに載せてあげるって言われたり。
主の憐れみを受けた後は、笑い話だけど、その時は本当に悔やんで反省して恥じてクチャクチャ。
大人になるって、クチャクチャになること。
クチャクチャすればするほど、人は大人になってゆく。
二食のお食事と、ランチのバウチャーがもらえる、最初の希望が叶えられました。
母は、それが何よりもうれしい。
火事や栄養不足の心配からやっと解放されました。



士師記 10章

しかし、あなたがたはわたしを捨てて、
ほかの神々に仕えた。
だから、わたしはこれ以上あなたがたを救えない。
行け。
そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。
あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。
士師記 10:13&14
わたしが神を捨てることはあっても、神が私捨てることは決してない。
そこを、間違えないようにしよう。
理不尽な言葉で笑わられる時、何を言っても否定される時、私が神を捨てて怒るのであって、主が私を捨てて怒るのでは決してない。
笑われた主を捨て起き、否定された主見捨てて去るのはこの私自身。
キックオフのホイッスルの音にびっくりして、この真理を忘れないよう、この手にしっかりと握っていよう。
★写真はレモン、でもこれライムツリーなのよね、10年以上、ずっと。

Sunday, June 24, 2018

今日のディナー〜誰も取りに来ないけど自信作

シーフードパスタときゅうりとトマトのサラダ
とっても美味しく上手に出来たのに
賢人は帰ってこず、
はなはそんなにお腹すいていないって
夫もまだビールのんでる
、、、、、、。

フラワー・アレンジメント〜私流





 










今日のランチ〜チキンアボガドサラダ

久しぶりの外ごはん
これで380カロリーっていうけど、
ほんとかな〜
私のサラダの3倍重たい
身体じゅうの血を胃に集めていたぞ
(食べ過ぎるとすぐわかる 眠くなるから)

チームワークへの報い

主の日、安息の日曜日、とっても清々しい朝です。
毎年のように思っているような気がするけど、これほど、よい気分はないわ。
一生懸命にやったこと、従い抜いたことへの主の平安というご褒美ほど良いものはありません。
特に最初の頃、とても危なかしかった大人たちのチームワークが、主によって癒され、回復され、和解させられ、そして建て直され、祝福をいただけたこと、このことに心から感謝している。
あっ、顔隠して泣いてる人発見!
これこそ、主の介入がなければありえない奇跡です。
普通に、例えば、保護者同士として知り合っていたなら、きっと絶対に交わることがなかったような者たちの集合体で始まったのだもの。
私たちは、子どもたちに毎日、言い続けてきました。
「お友だちにも気もちがあるよ。それをわからなければいけない。わからなければ、お顔を見てごらん。ほら、この涙。これはなんの気もちのしるし?」
私たちはこれを、互いにやってみせることで、この言葉が本当にインパクトを持って、子
どもたちの心に届いたこと実感している。
私たちの言葉は、主によって命与えられ、子どもと子どもの家にまで届いていました。
昨日もらった寄せ書きブックにこのくだりがさまざまに届いていたことを知って、本当に主の偉大さを褒め称えずにはいられません。
周囲の同労者たちの私という拙い者に対する苦労も大きかったとは思うけど、これほど、自分中心でわがまま、おまけに気難しい私にもできたのは、そういう私を通して主の御栄光が現れるためだったのね、きっと。
気分はまさに、ギデオンよん。
ハレルヤ!

士師記 7章

主はギデオンに仰せられた。
「あなたと一緒にいる民は多すぎるから、
わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。
イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、
わたしに向かって誇るといけないから。
士師記 7:2
「自分の手で自分を救った」と言って誇るといけないから、状況を不利にする主。
主のご栄光がはっきりとわかるように、小さな者用い、少ない資材人材、良くはない条件で闘いに送りこむ主。
それが主のやり方でした。
そして、そのやり方が、時々気に入らないのが人間というものです。
「こんなのどう考えても絶対に無理」
「できるわけがない」
「経験がないし」
「大人は苦手、事務も苦手、特ににエクセル大きらい(あ、これ、わたしだ)」
きっとそれは、目的がなんであるのかが、
どこかですり替えられ、(多分サタンによってね)主の御栄光ならず、自分の栄光を求めてしまている時の反応だと思う。
一人で苦労したくないとか、失敗して恥をかきたくないとか、エトセトラ。
サタンはネガティブに後ろから前から人を包み込むます。
現実的に可能かどうかは、祈りながら20ラップぐらいプールで泳ぐの3日ぐらい繰り返して、3リットルぐらいの水飲むのも3日ぐらい繰り返して、そんでもって、ヨシュア記を3日で読んで、あとは寝ながら主のサインを待って決めてもいいと思う。
余裕があれば、それを10回くりかえしてから決めてもよし。
決断の夏、トランスファーの夏、準備の夏、アジャストの夏。
あなたと私の決断に主の一杯の祝福がありますように。
★写真は、繰り返しシェアしている主の御栄光のほんの一部
体操の先生にも「無理と思うよ」って言われた一本橋
手作りしたリストコサージュ
庭に柱が立った日
そして、父と母が、キリストを受け入れ、キリスト者なった2日本旅行の最終日の笑顔



Saturday, June 23, 2018

神の家族

2ヶ月かけた歌
大人だって、難しい早口ソング
でも、歌えている!
すごい!

今日のランチ〜いつもとちょっと違うよ

いただいた寄せ書きブックを見ながら
おいしく食べました
大切な宝物になりそうです

10回目の卒園式

無事、送り出しました

とっても良い式だった
このクラスのこと、私きっと一生忘れない
最初の卒園式みたいだった
10回目の卒園式

士師記 6章

どうか、私が贈り物を持って来て、
あなたのところに戻り、
御前にそれを供えるまで、
ここを離れないでください。
それで、主は、
「あなたが戻って来るまで待とう」と仰せられた。
士師記のメインキャラクターのひとり、ギデオンと主の出会いの場面です。
酒ぶねの中で小麦を打っていたギデオン。
主に捨てられたと思っていたギデオン。
そのギデオンに、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と。
そして、彼が納得するまで、待ってくれた主。
そう。
神さまって、待ってくれるのよね。
親でさえ、待てない時も。
いえ、親っていうのは世界で一番待つのが苦手な人々なのかもしれません。
賢人がこの3年の間にハーバー・カレッジで得たものは、本当に大きかった。
夫と私がたとえ、倍の時間をかけても与えられなかったものかもしれません。
それは、経済的なサポートだけではなく、成績や夢や友情、勇気、根性(魚屋でね)、そしてお金を稼ぐことの難しさと楽しさと価値。
待つって、愛だと思う。
つくづく思う。
★当時勤めていた幼稚園のイベントにもよく混ぜてもらいました。
ここでもいろいろ経験させてもらった。
すごく貴重なことだった。


Friday, June 22, 2018

はっぴー・最終日

とっても良い日だった。
まだ、一個も食べていない
食べる時間がない
明日食べよう きっと
ややこしいことは何も考えず、とにかく身体を動かしまくった一日。
歌って、走って、笑って、運んで。
私、こういう仕事が大すき。得意。たぶんきっと上手。
そして、それは今年度最後の日でした〜。
パチパチパチ!
明日は卒園式です。
2、3週間前までは、とっても淋しかった。
この子たちと、このままずっとここで、こうやって暮らし続けていたいなんて思ってた。
でも、今、とてもほっとしている。
10ヶ月って、ちょうどよい期間。
この10年で作られた私の中の正しいサイクル。
次はどんな子?何しよう?あれしようこれしよう。
だから笑ってグッバイしなくちゃね。

ヨシュア記 24章

今、あなたがたは主を恐れ、
誠実と真実をもって主に仕えなさい。
あなたがたの先祖たちが川の向こう、
およびエジプトで仕えた神々を除き去り、
主に仕えなさい。
もしも主に仕えることがあなたの気に入らないのなら、
川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、
今あなたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、
あなたが仕えようと思うものを、
どれでも、きょう選ぶがよい。
私と私の家とは、主に仕える。
ヨシュア記 24:14,15
年を重ね、老人となったヨシュアが、イスラエルの長老、その他のリーダーたちを集めて、主のことばを告げ、その後、最初に言った、ヨシュアの自分自身のことばがこれでした。
「あなたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
最後は、自分で選べ、決めよ、誰も、何も、神ですら、あなたを強制はしない、勝手にせよ、とそういうことなのでしょう。
これ以上に恐い、つけ放しがあるでしょうか。
新しいチャレンジや試練や問題に、捕まえられ、捕らえられ、押され、引かれ、揉みくちゃになっているうちが華なのであって、何もない、ただ静かな状況を、私たちは、決して平安とは言わない。
神にもサタンにも興味を失われ、「ハレルヤ」と喜んでいる人に会ったことがないでしょ。


Thursday, June 21, 2018

超簡単ディナー

おつかれさま
何をしたってわけでもないけど、つかれました
そんな、お料理したい気分じゃない日のお助けメニュー
それでいて、うちの子たちはこれが結構すき
ざ・ステーキ&ブロッコリー
でも、私の胃袋は今日も野菜を欲しがっているから
お肉は3枚


ヨシュア記 21章

こうして主は、
イスラエルの先祖たちに与えると誓った地をすべて、
イスラエルに与えられたので、
彼らはそれを占領してそこに住んだ。
主は、彼らの先祖たちに誓ったように、
周囲の者から守って、彼らに安住を許された。
すべての敵の中で、
ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。
主はすべての敵を彼らの手に渡された。
主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、
一つもたがわず、みな実現した。
ヨシュア記 21:43〜45
従うって、時々、「はい」、って言うことじゃなく、ずっと「はい」と言い続けること。
でも、いつかのマックスのメッセージにもあったように、主のオファーは、キッチンのお
自宅レッスンの子どもたちへのトリート
でも、昨日はレッスンお休みでした
鍋に入ったスープのようのお代わりがあります。
昨日、子どもたちと一緒に読んだ、お魚に飲まれたヨナにも、セカンドチャンスがありました。
でも、願わくば、いつもいつも祝福をいただきたいっと、私は思う。
いろんな祝福をたくさん。
だから、全ては一度で、「はい」とスッキリと先に進みたい。
その時は消化できなくとも、それは、後から主がどうにでもしてくださる。
自分の責任者が誰かを知るってそういうことよね。

Wednesday, June 20, 2018

目指すは一生現役

はなの学校への送り、という手間がなくなった彼女の夏休み、Yですごす時間に15分ぐらいの余裕があるのだけど、この15分が大きい。
いろいろわかる。いろいろ見えてくる。
まず、この15分で働き盛りの年齢層と、リタイヤしている感じの年齢層が入れ代わることがわかってっきた。
黙々と泳ぎ、黙々と出勤準備をして、さっさと本日の目的に向かって足早に去る人々の後にやってくるのは、子どもでも若者でもなく、おばあさんたち。
年を取るって、こういうことなんだなって、学んでいる。
それは視野が狭まり、想像力に乏しくなり、そしてかなりマイペースということ。
病院のすぐ裏ってこともあり、その15分で入れ代わるのは病院職員と患者たち、という構図も少しづつ見えてきた。
問題を解決したい人々と問題を見つけたい人々&問題を作りたい人々(多分普通の患者は泳がない)
黙って泳ぎたい人々と喋らなくては気のすまない人々。
両者が絡まらないように、素早く入れ代わるその15分、マスカラしながら、いろいろ思う中間の私・・・。






おわびのキャンディ

昨日、はながごめんなさいと言いに来た時、
いいよ、ではなく、
ママはそういうやり方、好きじゃない、
とハッキリ言ったのが相当応えたみたい
なけなしのお小遣いはたいて買ってきてくれた
私の好きなの上手に選んでいる

ヨシュア記 11章

主がそのしもべモーセに命じたとおりに、
モーセはヨシュアに命じたが、
ヨシュアはそのとおりに行い、
主が命じたすべてのことばを、
一言も取り除かなかった。
ヨシュア記 11:15
領土を征服しまくるヨシュアの勝利の理由は後にも先にも主の約束にある。
 ヨシュアが約束を守ったことにある。
 「これぐらいはいいかな」はなかった。
「それはこういう意味だ」という自分勝手な解釈もなし。
忠実であるということを、考えない犬のように思ったら大間違いだと出エジプト以降、主は畳みかけるように私を諭します。
写真は昨日の私のディナー。
ベッドでYouTube を見ながら一人で食べました。
子どもたちのは、夫がポークチョップを焼いてくれました。
はなが、外泊して、しかも朝帰りならず、昨日の夕方の5時にご帰還。
私、顔もみたくなくて、一言も口をきかなかった。
カンパニーの友だちの家にいました。
ただのプレイデートってことで、そこのお母さんがはなを迎えに来て、そして送ってくれるということになっていたのに、私は、歯ブラシも持って行っていない行き当たりばったりなそのやり方がどうしても好きになれなかった。
今朝、神さまの気もち、とってもよくわかる。
良い悪いではなくて、まずは忠実であるべき時というのが、あると思う。
私、たぶん、はながその日の夕方帰ってきてくれていたら、また日を改めて、お菓子やスリーピングバッグとか持たせて、実現させてあげた。きっと。
(夫は、彼女のお父さんが急に入院したのではなを側にいさせたかったと思うというようなことを言っていました)

Tuesday, June 19, 2018

ほっとどっぐす・あれこれ

ねばならないを手放すとこんなに自由な発想
だから、私、このひとがすき
ねばならない&絶対必要を手放すと
まず自分が変わる
そして世界も変わる

ヨシュア記 10章

「日よ。ギブオンの上で動くな。
月よ。アロンの谷で。」
民がその敵に復讐するまで、
日は動かず、月はとどまった。
ヨシュア記 10:12,13
神さまに、おしゃべりできるって、すごいことだと思う。
いつも、プールでそう思いながら祈っているけれど、別にプールで泳がなくてもお祈りはできるはず。
でも、気づくといつもプールで静まっている。
祈っている。
つまり、泳いでいない時は、常に何か、一生懸命にやっちゃている。
祈らずに。
一生懸命に食べたり、一生懸命に寝たりも含めて。
 泳いでいない時に神さまを思い出して、真剣に祈れるのは、ピンチの時だけです。
それではいけない。
悔い改めよう。
プールで。(?)

Monday, June 18, 2018

はっぴー・まんでー

★おつかれさま。
月曜日から、かなり使っています。
でも使い果してはないよ、大丈夫。
愛と力の貯蔵庫からもらい放題のクリスチャンだもの。
ばっちりチャージ中。
★本題、本業、本職を絞って、仕事を減らしたいと思いながら、ずるずると優柔不断な私。
音楽やピアノは天国に捧げきり、教会だけで無償でやるヒトになりたいと思いつつ、なかなかそれが難しい。
この夏も、少しやることにしました。
様子を見ながら、足したり引いたり、引いたり引いたりしながら、主の望むシェイプの自分を目指したいところ。
私って、本当に欲張りさんだわ。
★本題、本業、本職が、実は、自分でもそれほどよくわかっていない怖さもあって、この音楽という専門職をギュギュっと握っているのかもしれない。
でも少しづつ手放そう。
それは、きっと楽しい世界だから。




ふぉと・しゅーと

ピクチャー・デイとかフォト・デーってもう言わないの
ふぉと・しゅーとだって
いっちょまえに


ヨシュア記 7章

あなたがたは、
あすのために身をきよめなさい。
イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。
「イスラエルよ。
あなたのうちに、聖絶のものがある。
あなたがたがその聖絶のものを、
あなたがたのうちから除き去るまで、
敵の前に立つことはできない。」
ヨシュア記 7:13
この後のお話は、本当に恐ろしい主の、聖絶です。
聖絶できなかった人は、主ご自身が聖絶される。
昨日は例によって手巻き〜 私の担当は野菜の準備
食べたのも野菜巻き この頃かなり草食
走るのも泳ぐのも少し早くなった気がする
自分の中に悪を取り込めば、主ご自身が、その悪を取り込んだひとごと切り離される。
なぜ、恐ろしいかといえば、誰の上にも、いえ、私の上にも起こりうる誘惑と罪だからです。
もったいないという気もちもあったかもしれない。
何も、焼き捨てなくてもまだ使えるし、と。
でも、それは、恐らく敵を辱め、自分を辱め、そして神を辱める罪だと、私は考えてみています。
小さなモノでも大きなモノでも、安い物でも高価なものでも、簡単に手に入るものでも手に入れるのに苦労するものでも、それがどこから来たかということが、ポイントなのだと思う。
天か、地か。
神か、人か。