Sunday, July 31, 2016

夏休みの子の母の夏休み

地元のデイ・キャンプを合計全5週、
山でのバイブル・キャンプを丸1週間終えたはな
今週から2週間が正真正銘の何もないひま~な夏休み
で、初日、さっそくおでかけしてきました
ビーチの近くのお庭を探検
つぎはぎだらけの小屋はまるで我が家
おやつに立ち寄ったハワイアンのカフェ
これは、シャツやくつをはかないことのリクワイヤなのだろうか
さてさて、私も、
ランチぬきで作業続行な強行プロジェクトは
もう終りにしなければなりません
普通に
夏休みの子どものお母さん業
という夏休みを楽しみましょう・・・

ヨシュア記23章

あなたがたのひとりで
千人を追うことができる。
あなたがたの神、
主ご自身が、
あなたがたに約束したとおり、
あなたがたのために戦われたからである。
あなたがたは、
十分に気をつけて、
あなたがたの神、主を愛しなさい。
ヨシュア記23章10,11
年を重ねて老人になったヨシュアが、イスラエルの民のリーダー達を前に語った言葉のひとつです。
春ぐらいから、幼稚園での仕事を休むことをずっと考えていました。
どのくらい休むということも決まらないまま、ともかく休む必要があるって、なんだかちょっとせっぱつまった気もちでした。
そして、卒園式、お別れ親睦会を、最後に幼稚園には行っていません。
社会人になって以来のわがままで自分勝手な夏だと思います。
これを千人の敵となぞらえるつもりはないけれど、でも、これほど祝福の大きな夏もかつてなかった。
6月の真ん中、休みの1日めからお兄ちゃんへの ipad のプレゼント作りに始まり、生まれて初めてのひとり旅、生まれ育った家族との静かでやさしい4人ぐらし、思わぬ父と母の救い、帰国して昨年の増築の仕上げと修理。
どれをとっても、願ったこと以上の祝福が与えられました。
だから、私も今朝、ヨシュアの「十分に気をつけて、あなたの神、主を愛しなさい」のことばを、イスラエルのリーダーたちと共に心に刻みます。

Saturday, July 30, 2016

私の灯台

長い間読んでくれている人は覚えているかもしれないけど、ミニチュアの灯台に住むのが
夢だって、書いたことがあります。
書きながら、所詮は儚い、叶わない夢だと思っていました。
でもね、今日、キッチンに立って、ここは灯台のようだと思いました。
家の真ん中にあって、家中で一番高い場所にあります。
ここにいれば、誰がどこで何をしているのか、なあ~んとなくわかります。
逆に言えば、小さな家だからどこにいても、振り返るとこの灯台の
ようなキッチンが見えるか、聞こえるか、匂うか、ともかく感じることができます。
不思議な形で灯台に住む夢がかないました。
大工さんたちは一旦ひきあげましたが、でも、やっぱり我が家はまだまだ進行形です。

思い出は焚き火のにおい

はなは昨日のお昼すぎに無事に帰ってきました。
お昼に、タコスを一個食べて、夕方暗くなるまで、眠り続けていました。
私は、庭でのの作業あとを片付けてながら、起きた時にそばにいてあげようとい思って、
何度も見に行ったけど、カブトムシの幼虫のようにまるまって、こんこんと眠り続けていました。
7時ぐらいにやっと起きて、夕ごはんのかた焼きそばをほんの少しだけ食べて、再び眠り、まだ眠っています。
仕方ないから、スーツケースを開いて、洗濯物を出して、洗い始めました。
はなの旅の思い出がつまったかばんを私が開けるのって、悪いかなって思いながら。
そしたら、たいへん。
ざらっと砂まみれの水着やタオル、葉っぱや小枝にまみれた洗濯物。
なんだか焚き火の匂いもします・・・。

ヨシュア記17章

山地もあなたのものとしなければならない。
それが森であっても、切り開いて、
その終わる所まで、
あなたのものとしなければならない。
ヨシュア記17:18
14章、15章、16章、17章、イスラエルの軍隊が主と共に勝ち取った、っていうか、主が勝たせたイスラエル民族の土地の分割です。
ことばで読んでも、あまりよくわからないので、地図を開いてみました。
ヨルダン川を渡らなかったモーセは、やさしく穏やかな人だったから、あの凄まじい殺戮に彼の神経はまいってしまっていたかもしれないから、川の手前で召されてよかったと思う。
40と5年、モーセがエジプトから民を率いて、ヨシュアが主と共に戦って、イスラエルは約束の地を自分のものとしました。

Friday, July 29, 2016

山からの贈物・はなの笑顔~最終便

 すごくいい笑顔
また一歩、イエスさまに近づいた笑顔


もうじき完成

金曜日ですね。
おつかれさまでした。
私も今週は、息つく間もないほどに、がちゃがちゃと慌しい1週間でした。
新品のピカピカのシンクで
朝っぱらからパテをこねるわたし
うちの修理もいったん、今日で区切りをつけて、(なにしろ100年の家なので直すところはきりなくある、まあ小さいのが幸いだけど)また、来月のどこかで、フロントヤードを白いくて低い垣根で囲ってもらうために来てもらいます。
これが、この夏の、日本行きにつぐ、ビッグイベント、そして一応完成って考えています。
賢人が生後8ヶ月でこの家に来ました。
もう19歳です。
あの子がこの家にいる間に、完成させなきゃって思って、この2年はちょっとがんばりました。
フェンスができたら、家の前で4人で記念撮影しよ。
今日は、はなも帰ってきます。

Thursday, July 28, 2016

山からの贈物・はなの笑顔③

男の子たちと遊んでいるの?
めずらしい~

ヨシュア記13章

レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。
主がかれらに約束されたとおりに
イスラエルの神、
主が彼らの相続地である。
ヨシュア記13:33
12章、ヨシュア率いるイスラエルの軍隊によって、滅ぼされた王たちの表です。
パレスチナはこれで大体、征服したってことでしょうか。
13章、まだ少し残っていると、主はヨシュアを励まします。
いくつか原住民の群れのようです。
このあたりの原住民のことをカナン人って呼ぶみたいだけど、神さまはイスラエル人に徹底して、申命記あたりから、この人たちを追い出せ、滅ぼせ、追い出せ、滅ぼせと励まし続けている気がしてなりません。
歴史や聖書の研究家たちはカナン人の宗教がどれほど狂気めいていたかをいろいろ証明しています。
神さまがイスラエル人に守らせたかったことは、純血であることの前に、純粋な信仰であったのかもしれません。

Wednesday, July 27, 2016

今夜は何を食べるのやら

「カウンタートップを交換してください」
なんて簡単に頼んで
好きなの買ってきたのはいいけど、
実はけっこう大変なプロジェクトだった・・・
 中身を全部出し、そこいらじゅうに山と積み
今日のランチはサブウェイです
 ここの壁がくずれかけていたので、ついでに直してもらい
今日はキッチンはつかえませんとのこと・・・
うっ

海からの贈物・アンのことば⑨

●一つの関係が持続するのが、結婚というものではないだろうか。
それは勿論そうなのであるが、しかしそれが何もただ一つの形、或いは状態、例えば日の出貝の状態で続く必要はない。
日の出貝の他にも、私の机の上に並べる貝がある。
●それは牡蠣で、どれもがその生活を続けて行く必要から生じた独自の形をしている。
●いかにもごたごたしている感じであらぬ方向に拡がり、いろいろなものが付着していて、これは中が空になったのが波に打ち上げられたのであるが、生きている間は私たちの生活と同様に、岩にしっかり根を降ろしている。
牡蠣は確かに、結婚して何年かになる夫婦生活を表すのに適した貝のようである。
それは生きて行くための戦いそのものを思わせて、牡蠣は岩の上にその位置を占めるために奮闘し、その場所にしっくり嵌って、容易なことではそこから引き離すことはできない
★私たちの結婚も、この家も、牡蠣のようかもしれません。
つぎはぎだらけかもしれないけど、生きごこち、住みごこち、それほど悪くない。
っていうか、すごくいい。
私は、どこに行っても、ここに帰ってくるとすごく落ち着きます。
家族と一緒ならともかく、どんなにきれいでも、素敵でも、ホテルなんて、できたら泊りたくない。

ヨシュア記10章

「日よ。ギブオンの上で動くな。
月よ。アヤロンの谷で。
民がその敵に復讐するまで、
日は動かず、月はとどまった。
ヨシュア記10:12,13
7章の後半で、アカンによって、聖絶のものの一部をこっそり隠していたことを告白され、彼と彼の持ち物の全てが焼かれました。
8章で、ヨシュアは、イスラエル全会衆に向かって600年前にアブラハムが祭壇を築いたそこで、モーセの書いた律法のことばを読み聞かせました。
そして太陽をとめた戦いです。
旅行に連れて行ってあげる、どこでもいいよ、って言われたら、このあたりに来てみたいな。
モアブの草原からヨルダン川を見てみたい。
エリコの廃墟を見てみたい。
ヨシュアが律法をよみあげた、谷に座ってみたい。

Tuesday, July 26, 2016

山からの贈物・はなの笑顔②




海からの贈物・アンのことば⑧

●珍しいもので、それを私にいきなりくれた人がいるのである。
この島に住んでいる人たちは皆そうで、浜辺で会った知らない人が笑顔になり、近寄って来て、何の理由もなしに貝をくれると、また向こうに行ってしまう。
日の出貝
●しかしこの完璧な融合はなんと早く、そしてまだ誰にも避けられない形で犯されることだろう。
相手と初めのうち結ばれていた関係は変わってて、世間との接触でもっと複雑な、もっと厄介なものになる。
●男も、女も、生きて行くうちに生活が次第に複雑になるに従って、相手との関係が初めての頃とは違ったのを感じ、もとの形に戻れないのはどうしたことかと思う。
●キリストの言葉通り、生命を得るには、まずこれを失わなければならない。
女は何か創造的な活動を始めて自分を忘れることで、一番確実に自分を再び見い出すことになる。
そうすることで女は再び力を得て、問題の後ろの半分、というのは相手とのものと純粋な関係を取戻すことについて対策を立てるには、力が必要である。
自分というものは再び見出したものでなければ、人との関係をもとに戻すことはできない。
★今朝、ヨシュア記を読んでいて、とっくに赦したはずの小さな胸を痛みを思い出しました。
もう昔のことだからっと、気を取り直して、『海からの贈物』を開きました。
「つめた貝」という名の章だったからつめた貝のイメージを探そうとしたけど、あまりいいものが出てきません。
たしか、前に持っていた『海からの贈物』には挿絵がありました。
40代の真ん中に、50歳のお友だちにあげた本です。
そして、もう一度、今度は何度も何度もくり返して赦してきた赦しと共に、彼女のことを思い出しました。
英語ではsunrise shell っていうそうです。
1枚でもかわいい貝。
1枚の方がかわいい貝。



ヨシュア記7章

立て。身をきよめよ。
そして言え。
あなたがたは、
あすのために身をきよめなさい。
イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。
「イスラエルよ。
あなたのうちに、聖絶のものがある。
あなたがたのうちから除き去るまで、
敵の前に立つことはできない。
ヨシュア記7:13
6章で角笛によってエリコの城壁を崩し、約束していた、遊女のラハブさん家族をそこから助け出し、町の全てを聖絶されていたのにもかかわらず、ユダ部族のアカンという人がそこから、いくらかをこっそり、自分のために隠しました。
誰もがあう誘惑だし、誰もに負ける可能性のある罪のひとつです。
神がおられる。
神は見ておられるし、聞いておられる。
このことを忘れそうになった時に、神に愛されていればいるほど、それは、きちんと正されると思う。
神に見放されている人が好き放題やって、見逃されているのを見たことがあると思います。
それは、きっとその人自身が聖絶の対象なのでしょう。
だから、私たちはその人の心を欲しがり、無理矢理正そうとする必要もないのだと思います。

Monday, July 25, 2016

秘密の買い物

昨日、「めずらしく夫とでかけました」、なんて書いていたのに、今日も夫と一緒です。
今日はお買い物。
ついにマットレスを買い替えました。
すっごくうれしい。
すっごくいい気分。
きゅきゅって変な音がし始めていたし、真ん中がへこんでいるのが気になりはじめていたから。
はながいない間にささっと買ってささっと交換。
さもないと、ママたちのベッドでねる~のよい理由にされちゃて、寝相の悪い彼女の犠牲的な夜がまた始まっては大変・・・。

山からの贈物・はなの笑顔




夏休み・今日のお昼ごはん④

先週の終りから、家の修理のためにワーカーに来てもらっています。
彼らと私たち家族の関係は普通の家主とハンディマンとはちょっと違っていて、家にいられる時はお昼ごはんはいつも一緒に食べます。
今日は、授業のない賢人と2人でミートソースのスパゲティを作りました。
ミートソースに野菜をいっぱいいれるの
私流
私が玉ねぎ、人参、ピーマン、マッシュルームを刻んで、賢人がそれを隣で、順々に炒めてくれました。
あの子の重たい口が開くのはこんな時。
週末にバイトを休めないのがつらくなってきたとぽろりとこぼしました。
教会の仲間たちと、礼拝の後遊べなくなって、なんだか遠くに感じるし、ティファニーが、ノース・カリフォルニアからバイオラに帰ってきても、なかなかデートできる時間が合わないこと、などが理由。
父がろくな道具もないのに作ってくれたフェンス
大切に修理してまだまだもたせます
クルマを買うことを考える?そしたら、少しの時間があれば、会いたい人に会いにいけるし、学校からバイトも直行できるから楽じゃない?って言ったら、クルマを持つなんて責任はまだ持てない、だって。
私だったら、「うんうんうんうんうんうん、かってかってかってかってかって、ありがと~!」と勝手に握手して全額払ってもらえるほどの感謝を先に述べてしまうけどね。
賢人って、こういうとこ、ちょっと変わってる。

海からの贈物・アンのことば⑦

●我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。
ある種の力は、我々が一人でいる時だけにしか涌いて来ないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。
●問題は、どうすれば活動している最中でも魂の静寂を得られるかということなのである。
なぜなら、涸れつつあるのは女の精神であり、機械的な手段のほうは決して不足していないからであって、そういう手段の点では、女はこの何十年かの間に多くのものを獲得した。
●私たちは桶一杯の水で植木に水をやるのではなくて、野原一つに水を撒こうと考え、委員会や各種の運動に訳もなしに飛び込んで行く。
★いかがでしょうか。
60年も前に書かれた文章です。
現代を生きる私たちの抱える問題はもっと複雑で、私たちの魂はもっともっと渇いているかもしれません。
でも、ひとつ、ひとつだけ、そんなに悪くないことと言えば、GPSの発明です。
昨日もおっちゃんたちが話していたけど、昔、トーマスガイドしかなかった時代、私たちは、どこに行くのも、あのぶあつい地図と一緒でした。
私なんか、あれが正しく読めずにひとりではどこにも行けなかった。
それが、今では、GPSに全てを委ね、祈っていられるのですから。
それで1日70マイル、1時間以上もひとりでいろんなことを考える時間を与えられているのですから。

ヨシュア記5章

彼らがその地の産物を食べた翌日から、
マナの降ることはやみ、
イスラエル人には、
もうマナはなかった。
それで、彼らは
その年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。
ヨシュア記5:12
ヨシュアの率いる軍隊(ここからなんだか、ものものしい軍隊っぽくなるイスラエルの民たち)は、契約の箱をかついで無事に乾いたヨルダンを渡りました。
そして、マナはもう降らなくなりました。
地の産物を食べるようになったとあります。
たったの一言ですまされているけど、実はこれは、もう少し複雑で大変な気もちの切り替えであったことだったと思います。
私の空想の世界では、朝、しばらく探してみて、「終わったんだね」夫婦や親子、家族で口々にしみじみ、マナの終りを実感しちゃったりするわけです。
マナしかない時は、フレッシュな地の産物が食べたいものだと思ったと思うけど、いざマナが降り終わると、マナに似たものを作る主婦とか、料理研究家とかも現れて、高く売れたりなんかして、なんてね。



Sunday, July 24, 2016

おっちゃん達の今は笑い話

教会ではなを、キャンプに送り出した後、めずらしく夫とでかけました。
古いお友だちのお家です。
今の話しはもちろん、昔話にも花が咲いて、楽しそうでした。
飲酒運転でつかまって、留置所に入れられて、たった一度だけ許された電話に出てくれて、朝の4時なのに迎えにに来てくれたことあったよね、ありがとう、とか。
新車のピックアップトラック買ちゃって、給料800ドルしかもらっていないのに、ローンと保険とガソリンで700ドルが消えて、食べるものも買えなかった時、牛丼買ってきてくれたよね、涙出たよ、とか。
新車、維持するのギブアップしたとき、あの古いゼット譲ってもらって助かった、とか。
まあ、そんな話を飲みながらしゃべっているのを、笑いながら聞いていました。
苦しかったことも、今はみんな笑えるって感じ。
いいよね、そんな風に同じ思い出もっているおじさん同士ってさ。

旅立ち

元気に出発しました
ウィンター・キャンプで一緒だったレイラちゃんと感動の再会
れいら?
やっぱり!
日本語話す子だった
本人たちはまだ気づいていません
夏に会おうと約束して、
ずっと連絡をとりあっていたのでした
やった~
テントも同じ!
はなちゃん、れいらちゃん
いってらっしゃい

別れの記念撮影

いい子でね
ママもね
淋しくなったら、お祈りしてね
ママもね
じゃあね
うん

海からのの贈物・アンのことば⑥

●女の本能はすべてが女に、自分を与えることを強いる。
時間も、気力も、創造力も、女の場合はすべて機会さえあれば、一つでも漏る箇所があれば、そういう方向に流れ去る。
●女は喉を乾かしているもののために絶えず自分というものを幾らかずつこぼしていて、縁まで一杯に満たされるだけの時間も、余裕もあたえられることが殆どない。
●私たちは飢えていて、何に飢えているか解らないから、その空白をいつも手が届く所にあるいろいろな気を紛らわす手段で埋めようとしている。
●女は満たされることが必要である。
しかしそれには、どうすればいいのか。
一人になること、とつめた貝が答える。
★日本では父と母、そしてお兄ちゃんという、生まれ育ったもともとの私の家族と4人の暮らしを再び体験することができました。
普通の人生にはあまり起きない、めずらしい11日間だったと思う。
そして、今、私がつくった家族の4人の暮らしがそろそろ終わるかもしれない、1年、もしかしたら2年が始まります。
でもね、もう恐くありません。
家族は家族だから。
私が、この夏、日本で4人の暮らしを体験したように、この家族も、生きてさえいれば、元気でさえいれば、いつか、またそんな日が戻ってくるかもしれない。
だから、大切にしたいのは、今という時。
ひとりになることへの憧れはどんどん小さくなりつつあります。
これを、『老化』というのかもしれません。

ヨシュア記3章

全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、
ヨルダン川の水の中にとどまると、
ヨルダン川の水は、
上から流れ下って来る水をせきとめられ、
せきをなして立つようになる。
ヨシュア記3;13
ヨシュアはヨルダンの手前で、川を渡る準備を整えます。
祈って、そして作戦を練る、立てる。
なんでもそうだけど、ここが一番重要なところなのよね。
例え、主の導きであることが確信できていたとしても、それでも人間の精一杯でそこにぶつかってゆく。

Saturday, July 23, 2016

2016 MAKUAKA VILLAGE BIBLE CAMP

思い出はいっぱいつまった
去年のビデオ
早々と荷造りも終え、
準備おっけーです

『海からの贈物』と『素顔のLA』の影響力

えりさんのブログ『素顔のロスアンゼルス』を見て、いてもたってもいられなくなり、はなを連れてトレダー・ジョーズに走りました。
もちろんシャンプーとコンディショナーを買いに。
明日から1週間、はなは山のバイブルキャンプに出発します。
それで、「ああ、ママは、これを食べながら、はなの帰りを淋しくまとう・・・」っと言いながら、普段買わないものもいろいろ買っちゃた。
この頃、賢人はバイトで忙しく、夜ははなとふたりきりだったから、ほんとにひとりぼっちです・・・。
なんちゃって!たのしも!

海からの贈り物・アンの言葉⑤

●我々は結局は、皆孤独なのである。
●自分の家族や友達から離れて、1週間でも、1日でも、1時間でも一人でいる練習をすることは、今日では容易なことではない。
●私にはなくてはならない肢体が一つ切り取られるのに似た感じがする。
しかしそれが終わってしまえば、一人でいるということがいかに貴重なものであるということがわかってくる。
つめた貝
●失ったものは回復され、それまで他の人たちに自分の一部を取られていた時よりも、もっと健康な自分にさえなっている。
●私は波の音の律動や、背中や足の皮膚にじかに差す日光や、髪に掛かる波の飛沫にさらされているのを快く感じながら、浜辺の端まで歩いて行った。
●聖書の詩篇に出て来る、「私の杯は溢れる」という言葉には特殊な意味があって、私は急に恐くなり、自分を満たしているものがこぼれないためにも、誰もこないように、と祈る。
★痛いほどに共感してしまう文章です。
この夏の日本行きに、『単身』以外の選択肢はありませんでした。
ひとりで行くか、行かないかの選択です。
なぜだかわかりません。
多くの人におどろかれました。
多くの人が「はなちゃん、どうするの?」っと私に聞きました。
でもこの夏、はなを連れて日本に行くことは、スキューバを背負ってスカイダイビングをするぐらいちぐはぐなことに思えたのです。
パラシュートを背負って、スキューバをするというかね。
恥ずかしかったから、1度も書かなかったけど、実は生まれて初めてのひとり旅でした。
飛行機に乗るのも、飛行機を乗り換えるのも、ひとりは初めてだった。
すごくこわかった。
でも、ひとりで行ってよかったって心から思う。
心を分けずにすごすことができたから。
心をひとつまるごと、自分が生まれ育った家族に捧げて帰ってくることができたから。

ヨシュア記2章

ラハブは言った。
「おことばどおりにいたしましょう」
ヨシュア記2:21
ラハブさん、賢い女性です。
イスラエル人がエジプトから出てきた時のことを知っていて、ただ主を恐れる信仰によって、ヨルダン川を渡ってきたヨシュア率いるイスラエルの民の先発隊を匿います。
彼女の職業は遊女とあります。
時々何かの要のような役割を果たす、聖書の中の遊女たち。
ラハブさんのおかげで先発隊は捕らえられることなく、後にやってくる仲間に励ましの報告をすることができました。
おくればせながら、この頃思うことは、男とは女の『励まし』を食べて生きる生き物なのかもしれません。
そして、幸せそうな女たちは、みんなこれが、とても上手だと思います。


Friday, July 22, 2016

海からの贈り物・アンのことば④

●浜辺の生活で第一に覚えることは、不必要なものを捨てるということである。
●それは先ず身のも回りのことから始まって、不思議なことに、それが他のことにも広がって行く。
最初に着物で、勿論、浜辺で日光を浴びていれば着物の数は少なくてすむが、それは別として着物をそう何枚も持っていなくてもいいことに、ここに来て急に気づく。
●必要なものはほんの少ししかない。
そして私はこの貝殻に過ぎない私の家に、私が本当に何も隠さずに話せる友達だけを呼ぶことにする。
私は交際上の偽善ということも捨て始めているのである。
●私はこの貝殻に似た家が好きで、これは私の家族がいるところまで持って帰っていつまでもこのなかに住みたいと思う。
しかしそれはできない相談で、この家に夫と5人の子供と、それは日常生活に必要な器具や家具はとても入らない。
私はこの小さなほら貝しか持って返れなくて、私はこれをコネティカットの家の机の上に置き、簡易な生活の理想を忘れずにいて、私がここの浜辺で始めたことを続けるための励みにしようと思う。

ヨシュア記1章

この律法の書を、
あなたは口から離さず、
昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
そのうちにしるされているすべてのことを
守り行うためである。
ヨシュア記1:8
今朝からヨシュア記です。
これで日本旅行かぶれ状態から、一歩前進できればよいのだけど、どうでしょう。
この20年の中で、最も重症なホームシックにかかっております・・・。
ははは50歳にして。
悲しいかな、いえ、喜ぶべきことに、女という生き物は生まれた日から一生、親の娘であり、親になれば一生、子の親、アーメンでしょ。

Thursday, July 21, 2016

海からの贈り物・アンのことば③

●ほら貝の簡素な美しさは私に、一つの答は、そして或いは問題を解決するための第一歩は、自分の生活を簡易にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てることなのだということを教えてくれる。
●私にとっての解決は、この世を完全に捨てることにも、完全に受け入れることにもなくて、その中間のどこかで釣り合いを取り、或いは、この両極端の間を往復する一つの律動を見付けなければないらいのである。
●ここの浜辺でならば、それができる。
★昨日、プールサイドのパラソルの陰で、子どもたちを眺めながら、簡素が好きという人とおしゃべりしていました。
簡素が好きって、人はよく言うし、多くはいらないって言う人も一杯いる。
でも、本当にそう思っていて、信じていて、そうやって生きている人にはなかなか出会うことがありません。
でも、その人は本当に簡素が好きそうでした。

申命記34章

そして主は彼に仰せられた。
「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、
『あなたの子孫に与えよう。』
と言って誓った地はこれである。
わたしはこれをあなたの目に見せたが、
あなたはそこへ渡って行くことはできない。」
申命記34:4
神の人、モーセは結局、エジプトから40年、約束の地を見ることはできても、足を踏み入れることなく、召されました。
体は主によって葬られ、偶像礼拝の種となりそうなお墓も残さず、神に返されたモーセ。
歌を謳い、ヤコブのように、部族ごとに名指しで祝福の預言を残して死んだ神の人。
偉大すぎて、理解するにはとっかかりのなさすぎたモーセだけど、今は好きになりました。
モーセもモーセの旅も律法の書も。
モーセはしゃべるのはあんまり好きじゃないって言ったけど、書くのはきっと大すきだったのね。
私も書くのは大すき。
読むのも好き。
ありがとうモーセ。
ごくろうさま、モーセ。

Wednesday, July 20, 2016

泳げるようになりました③

そして、私も、新しいお友だちを作ることができました。
10年かけて、書き続けている証を、一気に連射してきちゃった。

泳げるようになりました②

はなにスイミングのレッスンを取らせてあげなくちゃ、ホントに、マジやばい、って思いながら半年が過ぎ、夏がきてしまいました。
泳げる泳げないで、ふたつのコースに分けられちゃうのがアメリカの夏のエレメンタリー・クラスのアクティビティで、彼女はいつも幼稚コース・・・。
すっごく楽しい、くるくるのすべり台のゴールは6フィート、7フィートとかもっとだから仕方ない。
泳げなければおぼれちゃう。
賢人には小さな頃にレッスンを取らせてあげたのに、はなは放置。
賢人には夫がつきっきりり自転車を練習したのに、はなは放置。
賢人には私がひらがらも漢字も教えたのに、はなは日本語文盲。
これは、ひどいって、自分でも思って、夏休み前に、じゃママが教えるよって約束したのです。
それを神さまはばっちり聞いてきて、そして、同じ教会の姉妹の聖霊を促し、昨日と今日に至りました。
結論から言って、あの子はひとりで勝手に浮く術を会得いたしました。
泳ぎでもなんでもなく、ただ、楽しく浮いていられる人になりました。
それで、よし。
それが、大切。
それが、はじまり。
自転車だって、いつの間にか乗れるようになっていたはな。
さすがなはな。
来週はいよいよアルパインのバイブル・キャンプ。
くるくるのすべり台に乗せてもらるかな~。

泳げるようになりました

苦節10年、
あじゃなくて2日
でも泳げない人生は10年
晴れて泳げるようになりました
9フィートの深さにバレリーナみたいにダイブ!

Tuesday, July 19, 2016

大洗濯とちょうちん&プレイデート

★毎日毎日、ものすごい量の洗濯物にまみれているのだけど、不思議です。
週5日、平均40時間ぐらい働いている時、この洗濯物を、私はどうやってさばいていたのだろう。
あはは、さばききれずに、白っぽいものも色柄ものも、汚れのひどいものも、タオルでさえ、一緒に回すことが多々あったことを、正直に白状しなければね。
まあ、家事が丁寧になることは、心身共に、余裕ができてなかなかいい気分です。
心なしか、洗い上がりもきれいに感じられます。
★はなが、お部屋に風変わりな小さなちょうちんのような飾りをほしがり、買いました。
なるほど。
つけてみると、それはあまりちょうちんっぽくなくて、いい具合です。
へえ~、ママたちのベッド・ルームにもほしいな。
私だったら、これを、お部屋の角に、縦にまっすぐ飾りたい。
★今日は、教会のお友だちに誘われて、彼女たちのおうちのプールで遊ばせてもらいました。
親の私たちも、子どもたちも、すごく楽しくすごし、明日もおじゃますることになりました。

海からの贈り物・アンのことば②

●私は簡単な生活を望み、やどかりのように何でもなく運んで行ける殻の中に住みたい。
しかしそれは私にはできないことで、私の生活は簡易であることを目指すのに向いていない。
●私が選んだ妻、及び母としても生活は凡そいろいろな面倒なことで満たされている。
●それは、女であるということが、丁度、車のように、中心から四方八方で向かってきる義務や関心をもつということだからである。
私たち、女の生活は必然的に円形をなしている。
私たちは夫とか、子供とか、友達とか、家とか、隣近所の人とか、全てを受け入れなけれならない。
ほら貝
私たちは蜘蛛の巣も同様で、どこから吹いて来る風にも、どこから来る呼び掛けにも敏感な状態で自分というものを拡げている。
そしてそれならば、そういう相反した方向に働く幾つもも力の作用にさらされて、平均を保っているということが私たちにはどんな困難なことだろうか。
またそれにも関わらず、それは私たちにとってどんなに大切なことだろうか。
★泣きたくなるほど、今の私の心の状態を表現した60歳年上の女性の60年も前の文章です。
私は、この気もちをどこかに持って行って、なんとかしたくて、大きな夏休みを取ったのかもしれません。
アンが50歳に書いた文章を、40代で何度か予習していたけど、でも50歳の私は、ちょっと違う感性でそれを読みは初めています。

申命記31章

強くあれ。
雄々しくあれ。
彼らを恐れてはならない。
おののいてはならない。
あなたの神、主ご自身が、
あなたとともに進まれるからだ。
主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
申命記31:6
モーセはこの章で、自分が主から聞いたことを後の代に引き継ぐように渡してしまいます。
ヨルダン川の手前で。
コピーも取らず・・・。
神のオリジナルのことばは、こうして、私のところにも届いたというわけなのでした。

Monday, July 18, 2016

夏休み・今日の晩ごはん⑨

今日はなんだか全体的に茶色だわね・・・
竹の子と鶏肉バター醤油
まぐろ(お刺身の残り)ハンバーグ
もろみきゅうり、昨日の残りのお味噌汁
ハンバーグにはしょうがとグリーンオニオンのみじん切りを一緒に練りこみました。
なかなか悪くない、って自分では思います。

夏休み・今日のお昼ごはん③

賢人がわざわざごはんを食べるためにだけ、
お昼に帰ってきました
リクエストのちゃんぽんです
無言で
すごい勢いで
はふはふ言いながらながら
9分ぐらいで食べちゃった・・・
合掌

海からの贈り物・アンのことば

1906年生まれのアン・リンドバークが50歳の時に書いた著書、『海かの贈り物』を日本で買いました。
2度めです。
最初のは、5年ぐらい前に何度もくり返し読んだのを、50歳のお友だちにあげました。
それで、今度は50歳の自分のために買いました。
小さな薄い文庫本です。
●浜辺は本を読んだり、ものを書いたりするのにいい場所ではない。
私は前からの経験でそのことを知っているはずだった。
●そして本は読まれず、鉛筆は折れて、紙は雲ひとつない空と同じ状況のままになっている。
読みもしなければ、書きもせず、ものを考えさえもしない。
●そして2週間めの或る朝、頭がようやく目覚めて、また働き始める。
●それは浜辺に砕ける波とともに漂ったり戯れたり、静かに巻き上がったりし始める。
●しかしそれをこっちから探そうとしてはならないし、ましてそれが欲しさに砂を掘り返すことは許されない。
●忍耐が第一であることおを海は我々に教える。

思い出のアルバム

申命記が好きになりました。
パウロとローマ人への手紙ほどじゃないけど、モーセと申命記にも、ちょっとだけ親近感を持てるようになった。(次に進む前に、34の章を最初から最後まで留まらずに、●書くことを考えずに、通して読んでみたいなんて思っているほど)
天国のことを思えば、小さなことってたくさんある。
私がこの夏日本で経験したことを思えば、小さなこと、っていうのもたくさんあります。
そういうものが大きくならないようにするために、何か努力が必要なのかもしれません。
ずっと日本にいるわけにはいかなかったし、ちょこちょこ行くわけにもいかないし。
同じ気もちに戻れるとも限らないし、同じ経験ができるとも限りません。
私にとって民数記は、この夏の日本旅行そのものです。
そして、申命記はその思い出のアルバム。
天国のことを思えば、小さなことってたくさんあります。
それを大きくするのはとても簡単。
小さなままにしておくために、私は律法の5書を大切に学び続けたい、っと思うのです。


Sunday, July 17, 2016

夏休み・今日の晩ごはん⑧

お刺身、きゅうりともろみマヨネーズ
えのきとオクラのお味噌汁
ふたりして
デザートのチョコレートアイスクリームをかけての完食!
ぱちぱちぱち