Sunday, December 31, 2017

2017年今年のサマリー

どんな1年でしたか。
1年前の1月1日の私には、今日12月31日の私は想像もできなかったけれど、それは、本当に
良い未来でした。
自分で計画することも、自分で描くことも、自分で思うすることすらできなかった、神さまの造られた素晴らしい未来でした。
●この1年で、泳ぐことが、私の人生の一部となりました。
毎日の水泳と、お休みの日のお散歩やハイキングで、いつも気もちが、ニュートラルでいられるようになりました。
泳ぐことでリセットされ、自然の中を歩くことでリフレッシュし、新しいチャレンジに向かってゆく、好奇心がむくむくと涌いてくるのです。
●そして、教会につながり、教会に植えられ、教会で生きていく、ということがどういうことなのかも少しづつだけど、知ることができた年でした。
前半の半年は教会のペイドのスタッフとして働く経験をし、そして、後半は、その教会に支えられて幼稚園に復帰してゆきました。
後半の半年は涙の流れない賛美はないぐらい、毎回、毎回、心ふるわせながら賛美しました。
●主が送ってくださった幼稚園に私は心から感謝しています。
また、その幼稚園を心から大切に思っています。
多くの問題を抱えた前途多難な幼稚園だけど、でも、主はそこを愛され、建て直そうとされ、私を送ってくださいました。
私は、そう信じています。
●今年12月、「おはようスポルジョン」の読者さんが、洗礼を受けられました。
そのお知らせをいただき、本当に、書いてきてよかったと思いました。
7年めの奇跡です。
こんな私の、こんな拙い、こんな小さな文章を、心にとめ、そして、そこに励ましを得てくださるとは、主の御業以外の何物でもありません。
この勢いで、来年は、読者の代表、読者の初穂ともいえる父と母にも、洗礼を受けてほしいです。
●さて、最後になりましたが、水泳をはじめて痩せました。
腕のたるみもさわらなければわからない程度に小さくなりました。
膝のしわも、持ち上がって、わかりにくくなりました。
腿はパンパン、背中はムキムキ。
ストレスは、朝の水に入るその瞬間と、冷水シャワーと、はっきり言えるほど、日常のストレスから解放されました。
これこそ、今年の一番の私の変化かもしれません。
あしからず。

朝ごとに 12・31

さて、祭りの終りの大いなる日に、
イエスは立って、大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、
わたしのものとに来て飲みなさい。」
わたしを信じる者は、
聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネ 7:37
主イエスは全き忍耐を保ち、祭りの終りの日に至るまでユダヤ人の心に訴えられた。
同じようにこの1年の最後の日においても、主は私たちの心に訴えられ、私たちに恵みを与えようとして待っておられるのである。
主は単に声を大にされたというのではなく、優しく語りかけられたのである。
主は私たちに和解を訴えておられる。
このような呼びかけに対し、心を動かさないででいられるだろうか。
備えは十二分になされている。
人がたましいの渇きをいやすのに必要なものはすべて備えられている。
渇きは激しい。
しかし、イエスはそれを取り去ることができる。
それが、貪欲、野心、快楽、知識、安楽などの渇きであろうと、渇いている者はすべて招かれているのである。
主イエスが招かれているのは、人のうちに美徳があるからではない。
主は自由に、だれかれの区別なく招かれるのである。
イエスは希望の泉である。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
どんな渇きであっても、とスポルジョンは言う。
本当にそうだろうか。
そうだと思う。
それが、きっかけなのだと思う。

Saturday, December 30, 2017

はなのチャレンジ、私のチャレンジ

★はなが大晦日前日の今日、最後の乳歯を抜歯しました。
かわいそうなことに秋から3本目の抜歯です。
下から永久歯がおかしな方向にがんばって、伸びてきていることが、レントゲン写真で発見されたので、仕方ありません。
そして、来年1月早々からブレスを準備することになりました。
ふう~、ここまでくれば一安心、ひと段落です。
あとは、本人が、これから神さまからいただく最後の3本の歯をブレスに助けられながら大切にするだけです。
人の身体はひとまずその管理者である個人の生き方が反映されてしまう、歩く証であると私は思う。
クリスチャンの身体は、病気であっても、健康であっても、主を褒めたたえる生き方を表現すべき器と思う。
そして、もしも健康なら病気の人に負けない証をする責任があると思うのです。
はなのためにも、賢人のためにも、この頃、よくそんな祈りをしています。
★前の職場に勤めた6年って、やっぱりどう考えても、神さまの守りのカプセルの中の6年だったと思う。
普通に、常識的に考えて、とってもやばかったと、終わって、一年半たって、しみじみ、そう思う。
眩暈のことを書きながら、それを、本当に感謝しました。
アドレナリン分泌しっぱなしの週5日、年10ヶ月、丸6年だったから、走り通せたわけだけど、今、新しい職場で、そのギャップの中で、自分の積んだ標準が押し下げられるような心配に襲われます。
主は、きっと何か別な天国的なチャレンジを私にくださっていると思うのだけど、それが、今はまだ、よく見えません。
見えるものは、聞こえるものも、私とは、私のできることとは関係のなさそうなものばかり。
それを、心配せずに、わくわくと、主の見せてくださるものを受け取るために、やっぱり私は、新しい年も、聖書を読むこと、泳ぐこと、泳ぎなから祈ることから一日をはじめようと思います。
3枚目の写真は、この冬休み、短くわかりやすい英語でいつも私の側で私を慰め、励ましてくれた、SPROUTS のレジで買った雑誌。
秋にLunch に誘ってくれていた人からは、結局なんの連絡もありませんでした。
でも、大丈夫、元気に職場に帰ってゆける。

いってきました Dahlicious Creamery

行ってきました
かわいいなまえで話題のアイスクリーム屋さん
話題なわりにちっちゃなお店
作るところも2こだけ フル回転
はなはすもあをしょもう
マシュマロはバーナーで焦がしていた
 本日、めでたく最後のベイビートゥースとさよならしたはな
これから、ブレスをはじめます
かわいい名前のロール
次は何を食べるか相談して帰りました





たかが幕屋、されど幕屋

幕屋(テント:地上の身体)について、もうひとつ。
なんとかかんとかハイドロ・セラピーという何かの病気の治療や予防に効果があるという健康法があるそうです。(おバカな文章と感じつつ、さっさと先に進みます)
不活発なリンパ液を刺激して、人のもつ自然の治癒力を高めるとか、そんな健康法です。
それを、この1月から、1年ぐらいやっています。
なんとかかんとかハイドロ・セラピーという名前を知ったのはこの2ヶ月ぐらいなのだけど、それまでも、スチームサウナの後は、なんとなく冷水を浴びていました。
理由は簡単。
お湯が出るまでの水と時間がもったいないから。
身体が熱の塊となっているのでこんな寒がりの私でも、なんとか耐えられるのです。
それが、リンパ液と関連していると知ってからは、シャワーの温度を右(水)のまま、30秒以上を数えて、(お湯の方)左に温度を上げるようにしています。
たぶん、このおかげと思える嬉しい心の変化がみっつ。
①状況によって感じ方が変わることを知り、人のことを悪く思わなくなった
②水を浴びる勇気があるのだから、大抵のことは耐えられると考えられるようになった
③リンパ液というのが、今私の中からネガティブな思いを押し出しているという幻想に随分励まされ、すぐそばまで来ていたかもしれない、もしかしたら、すでに身体に入り込んできていたかもしれない、風邪バイキンに勝てるようになった
たかが幕屋、されど幕屋、丈夫にこしたことなし。
水にがんばって耐えた身体に、このボディークリームを薄くすりこむのが、楽しい日課。
バニラの甘い香りが、忘れかけた女の子ごごろを呼びさましてくれる・・・。

ビタミンE のこと

ビタミンE の記事への思わぬ反響に、補足の文章です。
私の眩暈は、ほとんどいつも朝でした。
それなのに、朝シャワーを浴びる習慣があり、朝ごはんを食べる習慣がなかったため、朝は本当に頻繁にぐらぐらと揺れていました。
人間って、ほんっとありがたく造られていると思うけど、ネガティブなことを、さっさと忘れるのね。
でも、よく考えたら、朝の通勤中に「えっ?地震?カンベンして~、ここ橋の上なんだけど」とか思ったこともあったし、一度は「タイヤが変?」と思って、フリーウェイなのに、車を停めたこともあったのでした。
すっかり忘れていたけど、私、いわゆる「眩暈もち」、いや、たぶんそんなコトバはないと思うけど、そういうヒトであったわけです。
それをどうやって対処してたかと言うと、まず、立っていたら座る、座っていたら横になる、ともかく、頭を低くします。
そうするとすぐに落ち着くので、落ち着いたらお水を飲みます。
でも、去年の10月にビタミンEを勧められて、本当にきれいさっぱり、この眩暈と縁が切れていたのでした。
お医者さんは、私に眩暈があることを知りません。
あまりにも普通に眩暈と共存していたし、意識していなかったので、言っていないと思うのです。
その時に、一緒に買ったのが、Trader Joe's のこのマルチビタミンです。
他のものは何も試してみたことがありません。
もしかしたら、何でもいいのかもしれない。
昨日、買ったばかりなのに、レシートが見あたらず、お値段はよくわかんないけど、私が、何も考えずに買える値段だから、そんなに高くないはずです。
ただ、難点は、タブレットが大きいこと。
飲んだ直後の3秒ぐらい胸が痛いもん。
暇だったら、半分に切ってもいいと思う。
包丁できこきこ。
Eの方は、ソフトジェルなので柔らかくて小さくて飲みやすいです。
たかが幕屋、されど幕屋。
快適にこしたことなし。

朝ごとに 12・30

事の終りは、その初めにまさり、
忍耐はうぬぼれにまさる。
伝道者の書 7:8
主に似た者となることを覚えて心を案んぜよ。
あなたが目を覚ますその時には、主のようになっていることを見いだして満ち足りるであろう。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
今年は、父と母に、クリスマス・カードとは別に、年賀状も書きました。
夏まで、会えないので、ここから、少しでも、なんとか励ましになることをしたいと思って。
その両方に書いたこと。
変化を恐れず、神さまがぐださる日々を楽しんでほしい。
伝道者の書の7章の1節にはこうあります。
「良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。」
両親はありがたいことに、ふたりとも、とても元気です。
母は、1年前のお誕生日に運転免許書を陸運局に返したそうですが、父はまだ近場を運転しているし、犬のお散歩までしています。
それ以上にすごいことは、病気のお兄ちゃんの世話を焼いていること。
でも、ふたり、共に80代です。
いろいろと身体や心に変化があることと思う。
生まれたての人に毎日毎日大きな変化があるように、80代にも90代にもそれが激しくやってくるものなのかもしれません。
若干3分の2の私が言うのも、なんなんだけど、全てはテンポラリーだから。
幕屋だし。
本当の身体にどんどん近づいていると信じて、幕屋暮らしを楽しんでほしいです。

Friday, December 29, 2017

2018年の抱負:英語を上達させる(毎年同じ)

行ちゃった
憧れの The Gorve
ファンシーすぎるマカロンのお店で、
ひとつだけ買う、超・お上りさんの私たち
お誕生日に贈られたマグ・カップを発見
ええ~、私このお店、いつもとても憧れていたの~
(お値段、全然憧れたくたくなったけど・・・)
どこに行っても、結局本屋さんで、しばらくくつろぐ私たち
買ちゃった↓
がんばろ・・・、英語

ビタミンE

つい2日前、Y で1000を泳いで、ジャグジーですごい水圧を背中に受けつつじわっと温まり、そして、スチームでたっぷりと汗を流して、冷水シャワーを浴びていて、くらっときました。
いつも通りの行動なのに、どうしてだろう、すごいひさしぶりの、眩暈だわ、と遠い意識の中で考えながら、ひっくりかえらないようにと、バーにつかまりました。
小学校の高学年ぐらいの頃から地味につきあっている眩暈なので対処には慣れています。
くらっはすぐに落ち着いたので、手早くシャンプーを済ませ、身体は適当に洗って、ささっとシャワーを止めました。
そして昨日、今日と3日連続のYでシャワー中のくらっ。
思えば、14ヶ月ぶりのくらっだった。
シャワーしながら、眩暈がしないことがないぐらい、眩暈とは、普通につきあってきた私だけど、去年の10月にお医者さんにビタミンE を取るように言われて、素直にとり始めてたら、すっかり眩暈が起きなくなっていたのでした。(って今頃気づく、鈍い私)
眩暈はあまりにも日常的で、特に悩んでもいなかったので、消えても気づかず、でも、再発して気づいた!
そうなのです。
切らすことなく、何も考えずに、ただ機械的に飲み続けていた、ビタミンE、この月曜日から切れてて、「金曜日に買お」とのん気に思っていたのでした。
すごいですね~。
ちゃんと働いていたんだわ、私の身体の中で、ゴールドに輝くビタミンEさま。
その因果関係はよくわかんないけど、マルチ・ビタミンというのも飲んでます。
朝E 夜マルチ。

朝ごとに 12・29

そこでサムエルは一つの石を取り、
それをミツパとシェンの間に置き、
それにエベン・エゼルと名をつけ、
「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
Ⅰサムエル 7;12
貧しい時、富める時、病気の時、健康の時、国内で、外国で、陸上、または海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
私もプールで、よく、サムエルのように言う。
Y のメンバーになってちょうど1年がたちます。
たしか去年の12月31日でした。
最初は、週に1,2回、はなと遊びなから、せいぜい300メートルぐらいを泳いで満足していました。
少しづつ、回数と距離が伸び、6月の最終週の今の幼稚園の出勤日から今日まで、週に5日5000メートルを泳ぐようになりました。
泳ぎながら、祈ってきたことをよく思い出します。
そして、それが、祈った以上の形となって、主から渡されていることを感謝します。
1年で三つの水着をダメにしました。
職員が、私を名前で呼びます。
さて、そろそろ行ってこなくっちゃ。

Thursday, December 28, 2017

朝ごとに 12・28

いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ 2:20
かつてあわれみに富む主が通られた時、倒れて死に瀕している私たちをご覧になって、まず第一に「生きなさい」と言われた。
なぜなら、いのちは霊の世界において絶対に欠くことのできないものの一つであって、いのちが与えられていなければ、人が神の国のもろもろの祝福にあずかることができないからである。
聖徒たちが生かされる瞬間に、恵みによって与えられるいのちは、キリストのいのちにほかならない。
それは幹から流れる樹液のように、枝である私たちに流れ込み、私たちのたましいとイエスとの間に生きた結合をもたらす。
たましいが明確に自己とキリストとの一致を見ることができる時、両者の脈は共にうち、同一の血液がそれぞれの血管を流れるのを感じる。
C.H. スポルジョン 「朝ごとに」より
いつもながら、堅く難解なスポルジョンの文章だけど、うれしいのは、この「同一の血液」という表現。
覚えている?
クリスマス前に、ショッピングモールを歩くという、絵に描いたようなこの世界の喧騒に送りこまれたのに、何も影響を受けない気がしたと書いたこと。
血液型違うから、輸血できないかのように、関わりがなく感じて、どう表現していいのか、わからないので、そう書いてみたのだけど・・・。
大すき、スポルジョン。
そうだそうだ、見た目はでは判断できないけど、とってもとっても良く似ているけど、なんか違う、なんか嘘臭い、ただの真似だ、と感じるのは、やっぱ、霊だったのよね。
私の新しい(もう半年たつけど)ボスは大の絵本嫌い。
お隣のクラスの先生は、聖書に書いていないことを書いている聖書物語を見つけるのがおとくい。
私、おもしろければ、なんでもごちゃごちゃにして読んじゃって、わりと平気。
「あはは、これ、もちろん嘘のお話だからね~」と軽いフォローで、次の絵本を無造作に開く。
主の霊はひとつと言うけれど、人の内でさまざまに働くのも、主の霊です。

Wednesday, December 27, 2017

ひとりぼっち・でも幸せ

おはよう。
いつになく、寒い LA の冬、温暖に慣れきってしまった私にはかなり厳しい冬だけど、でも、心はぽかぽかと温かです。
★クリスマス・イブの日、はながお友だちのママのお仕事のお話をしてくれました。
「おうちで帽子をカスタマイズするお仕事をしていて・・・」
話が一区切りついたところで、「はなはお友だちにママのことをどう話すの?」って聞いてみた。
「クリスチャン・プリスクールで先生やってる、前は、ジャパニーズ・プリスクールって言っていたけど」
それを聞いて、静かに大きな喜びが、心の底から滲んできました。
そうか、私は、日本語幼稚園の先生からキリスト教幼稚園の先生になれたんだ。
★毎朝、プールで愛する人たちのために祈っているのだけど、賢人のための祈りの中に、進路のことがあります。
夏のはじめにリノの教会でまいこちゃんと一緒に聞いたメッセージに、Desire +神の導き=Destination という式が頭からずっと離れないので、いつも、「映画が好きです。どうか、あなたの素晴らしさと真理を表現する映画の人とならせてください。あなたのビジョンとして、はっきりとあの子にそれを見せてください。そして、これが道だこれにすすめのお声をあの子にいつも聞かせ続けてください。」と祈っています。
昨日、Ⅰコリントの15章を開いて思いました。
24節「それから終りが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。」
こんな映画が観たいな、賢人に作ってほしいなって。
「炎のランナー」のようなノンクリスチャンを感動させるようなキリスト教映画がそろそろ再び生まれてもよい頃と思うのです。
★ついでのように、ぽろっと書くけど、はなのためには、「いつまでもはなと私の間にことばを与えてください」と祈っています。
具体的な心配は山のようにあるけれど、私とはなが、つまり、最も近いキリストを導く大人とはなの間に、わかりあえる言葉さえあれば、これから訪れるかもしれない難しい季節もなんとか乗り越えられると信じているのです。
おかげで、まだ、今はなんでも話してくれます。
私も、言葉遣いに気をつけるようにしています。
理不尽と思える欲求も要求もわがままも、とりあえず、話は座って落ち着いて最後まで聞き、すぐには、NO と言わないようにもしています。
★今日は、そんなはなとちょっと遠出のおでかけ。
これ、読んでいる人、「あなた、ほ~んと、友だち、いないのね、あはは」ってあきれていると思う。
ピンポンです。
実は昨日もはなとじゃなくて、一ヶ月ぐらい前から楽しみに祈ってきた、姉妹とのウォーキングだったのに、約束の1時間ぐらい前にキャンセルになってしまったのでした・・・。
全ては神さまの御旨、ご意向、ご計画、なんでもいいや、とにかく、今はこんな私です。

Tuesday, December 26, 2017

サンキュー・フォト

おじいちゃんとおばあちゃんからのクリスマスギフト
ポラロイドカメラ
どれだけうれしいのかを身体で表現
こ~んなにうれしいはなです!
ありがと~!!!!

いちおし・ふゆやすみ・びでお

なんとかシーンさん
なんだっけ・・・
エミリオ・エステベスのお父さんがマシュウ役
すごく良かった
ブランケットにくるまって、カウチと一体となって、
お茶を2杯、ケーキを一切れ、アイスクリームを1スクープと共に
すごくすごく幸せな冬やすみの午後でした
脇においた、クリスマス・カードのお返事セットは
あまり、片付かづかなかったかけれど

いちおし・くりすます・みゅーじっく


朝のウォーキング②

海の次は山
 登りつめたと思ったその先にこんなフィールド
?????
 信じられない光景です
はなが滑って転んだほどに険しいトレイル・コース
いえ、獣道だったのに・・・
んま、不思議はこの人生そのもの
お決まりの記念撮影ねしましょ

朝のウォーキング

いつも通りの時間に起きて、
プールで1000を泳いで、
はなを誘って朝のウォーキング
寒かった
泳ぐよりも寒い
 1時間ほど早足で歩き、それでも震える私
近くのカフェのストーブに身を寄せて温まるはなと私
はな「ふう~、次はどこ歩く?じぇい?」
まき「えっ?まだ歩くんですか?」

朝ごとに 12・26

聖書に
「最初の人アダムは生きた者となった」
と書いてありますが、
最後のアダムは、
生かす御霊となりました。
Ⅰコリント 15:45
イエスは、選ばれた者たちのかしらである。
ちょうどアダムが、行いの律法の下にあって人類の契約の締結者であり、代表者であったために、すべての血肉の子孫は彼と個人的関係をもったように、恵みの律法の下において、すべての購われたたましいは、天から降られた主と一体である。
なぜなら、主は第二のアダムであり、新しい契約の下において選ばれた者たちの保証人、あるいは代理人だからである。
私たちは主にあって十字架につけられ、主と共に葬られた。
さらに驚くべきことに、私たちは主と共によみがえらされ、共に天の所に座らせられたのである。
こうして、教会は律法を成就し、「愛する御子によって受け入れられた」のである。
そして義であられる神は、満足して教会をご覧になるのである。
なぜなら、神は教会をイエスにあって見るのであり、契約のかしらであるイエスと別なものとは見られないからである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
とても難しいけど、おもしろいⅠコリントの15章です。
スポルジョンはこの説教を、1月1日から12月31日までのこの全ての説教を、教会の一部である、人間に向けて書いていることが、だんだんとわかってきました。
教会の部分である、人間であり、アダムの子孫であり、新しい契約において神にアダプトされた養子たちにむけて。
私の教会のワーシップ・リーダー(私は日本語ミニストリーのワーシップチームにいるので、彼と直接話したことは、一度もないけれど、私、とても彼に影響を受けている)が、「ヘイ、チャーチ」と私に、会衆に呼びかける、その言葉が私は、本当に好き。
今年の最後の4ヶ月は、スポルジョンの日本語の説教と、彼の賛美リードとに支えられ、なんとか、教会生活を続けることができたのかもしれません。

Monday, December 25, 2017

クリスマス・モーニング 2017 ②

ツリーの奥に隠れていて気づかなかった、
すごいピンクのバックから出てきたのは、
なんとラップトップ
父から娘に
 これもおじいちゃんとおばあちゃんから
 ラップトップにはそれほど興味を示さず、
ポラロイド・カメラを研究中のはな
 そしてこの方には、今年もレゴ
 これはおじいちゃんとおばあちゃんから、
6年ぶりに新調
高校の4年も魚屋でバイトしていた頃も、
ずっと手放さなかったあのバックパックと
ようやくさよならしてくれそう・・・
アイディアははな、
デザインを決めたのは私
お金を払ったのはおじいちゃんとおばあちゃん

クリスマス・モーニング 2017

サンタさん、今年も来ました
今年はなんとキャッシュ・・・
ネタ切れね、きっと
だって我が家に20年連続も通い続けている
ちょっとめずらしい家でしょ
もう、そろそろ、いんだけどね、私的には



おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!

朝ごとに 12・25

見よ。
処女がみごもっている。
そして男の子を産み。
その名を「インマヌエル」と名づける。
イザヤ 7;14
今日ベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝する博士たちと共に、ユダヤ人の王としてお生まれになった方にお会いしようではないか。
それは私たちが信仰によって主にあって富を求め、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる」と歌うことができるためである。」
インマヌエル ― 神は私たちの性格の中に、悲哀の中に、生涯の事業の中に、受けなければならない刑罰の中に、また私たちの墓の中に共におられ、現在も共におられる。
否、私たちは、復活に、昇天に、勝利に、そして輝かしい臨在において主と共にいるのである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
昨日のイブ礼拝で、シニアパスターのバイロンと共にヨハネの1章を開きました。
1章の4と5節、「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
「この方」とは最初にあった「ことば」のことです。
そして14節、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
その箇所を開いた、その時、心から「ああ、アーメン」と思って泣きたくなった。
そして、今朝、スポルジョンの説教を日本語で読んで、決心します。
私も今日、ベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝する博士たちと共に、ユダヤの王としてお生まれになった方に、お会いしよう。
おめでとうクリスマス。
ありがとうクリスマス。
あなたと私のためにお生まれになった救い主、主イエス・キリスト。