Saturday, December 16, 2017

朝ごとに 12・16

すべての、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ 11:28
律法は恐怖の時代のもので、むちのように人々を追い立てた。
しかし福音は、愛の帯をもって人々を引き寄せる。
イエスは良い牧者であり、羊たちに「来なさい」と命じて、先立たれる。
主はいつも「来なさい」という穏やかなことばをもって羊たちを導かれる。
律法は神と人の間の隔たりを示すが、福音はその恐ろしい裂け目に橋を渡して罪人を招き寄せる。
主は常にあなたに先立って行き、あなたの道を整え、妨害物を取り除かれる。
そしてあなたは生涯を通して「わたしのところに来なさい」という主の力強い御声を聞く。
死の厳粛な瞬間において、あなたを天国に案内する主の妙なるみことばは、「来なさい。わたしの父に祝福された人たち」である。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
毎朝、プールで、仕事のことを祈りはじめると、口からこぼれるのは、「あなたの奇しい業に感謝します」ということばです。
なぜか、仕事に関しては、いつもこんな風に祈り始める私。
あの往復3時間の遠距離通勤の6年が、もしなかったら、私は、今、絶対に、ここに、このキリストの幼稚園には来ていないと思う。
たとえ、主が強引にひっぱってくれたとしても、今ほどは楽しめなかったと思う。
いえ、もしかしたら、楽しむどころか、感謝の気もちや、福音を伝える喜びや誇りさえ、持つことが難しかったかもしれません。
そして、今、逆に、主の導きでなかったら、あの6年はありえないと思うのです。
よく、人は、希望があれば耐えられると言うけれど、耐えるっていうか確かに楽しかったのだから、不思議です。
主のご用意くださった、将来を何も知らずに、です。
昨日、全ての仕事を終えて、ひっそりと静まった礼拝堂に再び入って、主に心から感謝しました。