Monday, December 25, 2017

朝ごとに 12・25

見よ。
処女がみごもっている。
そして男の子を産み。
その名を「インマヌエル」と名づける。
イザヤ 7;14
今日ベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝する博士たちと共に、ユダヤ人の王としてお生まれになった方にお会いしようではないか。
それは私たちが信仰によって主にあって富を求め、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる」と歌うことができるためである。」
インマヌエル ― 神は私たちの性格の中に、悲哀の中に、生涯の事業の中に、受けなければならない刑罰の中に、また私たちの墓の中に共におられ、現在も共におられる。
否、私たちは、復活に、昇天に、勝利に、そして輝かしい臨在において主と共にいるのである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
昨日のイブ礼拝で、シニアパスターのバイロンと共にヨハネの1章を開きました。
1章の4と5節、「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
「この方」とは最初にあった「ことば」のことです。
そして14節、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
その箇所を開いた、その時、心から「ああ、アーメン」と思って泣きたくなった。
そして、今朝、スポルジョンの説教を日本語で読んで、決心します。
私も今日、ベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝する博士たちと共に、ユダヤの王としてお生まれになった方に、お会いしよう。
おめでとうクリスマス。
ありがとうクリスマス。
あなたと私のためにお生まれになった救い主、主イエス・キリスト。