Friday, April 30, 2021

普通の耳

幸いなことよ、
すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。
あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、
幸福でしあわせであろう。
詩篇 128:1,2

父がこの家にいなくなったことに、すっかり慣れたのかもしれません。
今朝は起きたら、なんと日も高々と昇った7時でした。
雨が降っていたような気がします。
雨の音と聞きながら、「父は病院にいる。何かあれば、知らせてくれる。それまで、私は眠っていよう。その時は、又、主と共に乗り越えよう。」そう思いました。何度も。
でも、起きたら良いお天気でした。
父がこの家にいる頃、夜は全身が耳のようになっていたけれど、普通の耳に戻ったのかもしれません。
さあ、今日もきっと良い日です。
主がお造りになられる日だもの。
この日を喜び、楽しもう。


 

いなかっぺ・まきちゃん

今日も一生懸命がんばりました。
一生懸命に聖書を朗読しました。
一生懸命にお祈りしました。
父もがんばっています。
写真は今日の「つきそいしょく」
天ぷら蕎麦とほうれん草とにんじんのおひたし
父の昼食の介助をしてから食べたので、麺はすっかりのび、
汁も冷めてしまって残念でした
でも蕎麦なのにごはんがついてくるっていうセンスは大すき
いなかっぺな私はいなかっぺのこういうセンスがとても良く理解できるのです

Thursday, April 29, 2021

避け所とは・・・


あなたは、わざわいの日の、
私の身の避け所です。
エレミア 17:17

「神の最も愛したもう子たちは、十字架を負わねばならぬ。
あなたは霊的生活において強くなったので、神の成長した子供として円熟せる激しい経験に入らねばならぬ。
わざわいの時が私たちに、私たちの輝かしい希望の価値を示すのである。」
今朝のスポルジョンのことばです。
私は、今の自分の、この状況を「わざわい」と思ったことは一度もありません。
人類が、その造られた時から、くり返し、引き継いできた最も人間的な悲しみの中にいるだけだと思っている。
人は、生まれた時から、この悲しみに向かって生きているとさえ思うようになりました。
誰ひとり、例外なく。
でも、私は、確かに、今、霊的にとても研ぎ澄まされていると思う。
人のやさしさや親切や愛にとても敏感です。
それは、神さまの憐れみに敏感だと言えるかもしれない。
そして、どんなことの中にも、神さまの愛が見つかることを知りました。
「どんなこと」の中にもです。
私は、今、自分の人生を生きるのに必死なので、とにかく得られる助けの全てを受け入れて生きています。
「助けてください」と思う時、どんな人との間にも神さまの愛が流れることを知りました。
「どんな人」との間にもです。
私は、私に親切でない人を見たことがないのです。
この5ヶ月もの間・・・。

不思議に満ちた聖書の音読


 今日はローマ人への手紙を10章ぐらい読みました。
毎日、続けて、こんなにたくさんみことばを音読するのは、聖書を読むようになって以来はじめてです。
それは、どんな感じかと言うと、とても不思議な感じです。
5章以上続けて自分の声を聞いていると、パウロ(記事の筆者)と自分の区別がつかなくなり、読んでいる自分と聞いている自分の区別もつかなくなります。
すごく不思議な体験で、何度も涙ぐみました。
でも、泣くと先が読めなくなるので、ぐっとこらえて、どんどん読み進めました。
聖書は霊で読む特殊な書物なので、私は、父が寝ていようが、いびきをかいていようが、かまわず、たんたんとどんどん読みます。
みことばを読む自分の声と、みことばの意味を感じる自分の心が、それぞれ、声は心に、心は声に感謝しあうみたいな、不思議な感じも体験しました。
そして、聖書の朗読は、不思議とおなかがすく作業です。
まるで、賛美のよう。
歌った後もいつもおなかがすくのだけど、まるで、それ。
声を出すというのは、歩いたり、走ったり、泳いだりする以上におなかのすく仕事なのでしょうか。
それも不思議です。

Wednesday, April 28, 2021

今日のランチ〜お弁当

今朝は、雨降りでお散歩もできず、たいした家事もなかったので、
母と一緒にお弁当を作りました
青菜おにぎり、ソーセージ、オムレツとサルサ
ブロッコリーとマヨネーズ
ぶなしめじのバター醤油炒め
父がおもゆとスープとゼリーのランチを食べるのを手伝った後、
母とふたりでこのお弁当を開いて食べていたら、
父が「ごはん」と、目を閉じたまま私たちのランチをご所望に・・・
ほんの少しだけど、オムレツを食べてくれました
ふしぎです

雨の朝

主よ、あなたが決めておられるように、
私を生かしてください。
詩篇 119:149

夕べからずっと降り続いている雨。
今朝もまだ降っています。
昨日もお散歩できなかったけれど、今日も、この様子では無理ね。
でも、病室で静かに賛美のピアノ曲を流しながら、聖書を朗読するにはうってつけかもしれません。
母が父の病室ですごすのに慣れてきたので、今日はお昼を病室で一緒に食べた後もしばらく、病院ですごしてみようかと思います。
父と母のふたりっきりの時間も少しづつ作ってゆきたいです。
今日も良い日でありますように。
☆写真は夫とはながドライブしたラグナ・ビーチ 

幸せな夜


病院から戻って、いつものようにシャワーをして、いつものように冷蔵庫を開けて、いつものようにビールを片手にお部屋に戻ろうとしていたら、ぴんぽ〜ん。
な・な・なんとあゆちゃんが遊びに来てくれた。
電話に出ない私を心配して。
今の今まで、ここにあゆちゃんがいて、おしゃべりしていたのです。
それもこれもみんなばばこうきくんのおかげ。
でも、あゆちゃんは私に会ったことをしばらく誰にも秘密にするらしい。
ふふ、あゆちゃんらしい。
そんでもって、コロナでもあることだし、小出しに集まりを招集しようなんて言っていた。
私は、天から降ってきたみたいなこの楽しい会話をただ静かに楽しみました。
明日きえても、悲しくない楽しみ。
明日あれば、ますますうれしい楽しみ。
そこが、私の私たるゆえんよね〜って、あゆちゃん。
ふふ、そうなの?
自分ではよくわからないけど。
でも、とっても幸せな夜でした。

Tuesday, April 27, 2021

今日のランチ〜つきそいしょく2

ぱっと見て、あ、しっぱい
献立見て決めれば良かったと後悔・・・
でも、母はとってもおいしそうに、うれしそうにオレンジ以外全部食べました
そして、私もパンとポーク以外は全部食べました
一番、えっ、と思ったこのかぼちゃのサラダが実は一番おいしかった

おたすけ隊は神さま


どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。
あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。
詩篇 119:49

「神のみことばによってあなたの信仰を満たせ。
あなたの恐怖、欠乏がいかに大きくとも、あなたの父なる神の約束手形を携えて信仰の銀行へ行き、かく言え。
『どうかあなたのしもべに言われたみことばを思い出してください。
あなたは私にそれを望まれました』と。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
ここ、数週間ほど、父の携帯電話を私が携帯しています。
だから、「携帯番号を教えてください」と言われると、父の番号を知らせます。
でも、誰もかけてきません。
と思いきや、さっそくあゆさんから夕べ、電話があったようです。
でも、私は、父の電話の使い方よくわからず、どうやって、テキストをバックすればよいのか、あれこれいじっているうちにメッセージがどこかに行ってしまいました。
ひらがなを順番に探して入力するしかないようなのだけど、一文字打つのに10秒ぐらいかかかり、しかも間違えてばかりで、そのうち消してしまったようなのです・・・。
今朝、母に「おはよう」と言おうと居間をのぞいた時にテレビが言っていた。
「スマホが苦手な高齢者のための大学生のボランティア『おたすけ隊』が高齢者のワクチン予約を手伝いました」
私にも賢人やはなという『おたすけ隊』がいたんだよな〜、でもあの子たち、もっと、わかんないだろうな〜、この全て日本語の電話・・・。

大なる遺産


朝、父の病室に入るたびに、父が小さく弱っていくようで、ドアを開くのに、主の力が必要になってきました。
今日はヨハネの福音書を10章以上朗読したと思います。
読みながら、涙がこぼれそうになりました。
イエスさまったら、最後の最後まで、たがいに愛しあいなさいって、一つでありなさい、ってそればっか。
これから十字架にかかるというのに・・・。
だいじょうぶ、イエスさま、私、今、一生懸命に、たがいに愛しあっています。
父とも、母とも、夫とも、賢人とも、はなとも、LA の教会の家族とも、大分の教会の家族とも、行く先々で出会う人々とも。
朝の散歩の中での祈りで、主に感謝したこと。
夫とはなの関係。
それはまるで、父と私のようだと思い、この大いなる遺産に感謝した。
父と私がはなに残した遺産。
私と夫は13歳も歳が離れていて、しかもはなは私にとっても高齢のリスクあり出産だったから、父親である夫と娘の関係はさらに特別に甘いものがあるのでしょう。
娘に愛される父親ほど、幸せなものはないのかもしれません。
自分で言うのも、なんだけど、父はどこに行っても、背後にいる私を、周囲の人に、羨ましがられている。
たったの5ヶ月だけど、でも一番おいしい5ヶ月だと思う。
それはまるでこれまでの親不孝の一切が帳消しになったような、おいしさ・・・。
☆写真は夫とはながでかけた、ハリウッドの映画で使った衣装の古着店

今日のランチ〜セブンイレブン その2

ミニ冷し中華っというのを買ってみたのだだけれど、
どれどれ、どうやって食べるのかな
おお〜2段になっていて、自分でのせかえるのですね
のせました
上手です
おいしそう!
そこにたれとカラシをかけて
いっただきま〜す
納豆巻きは食べられなかった
ミニ、だけど、なかなかのボリュームでございます

Monday, April 26, 2021

ばばこうきくんとあゆさん


地はその産物を出しました。
神、私たちの神が、
私たちを祝福してくださいますように。
詩篇 67:6

「神の富を自由に用いないのは私たちの責任である。
あなたはすばらしい友をもち、主はあなたを招かれる。
ゆえに、日々要するものを主から引き出せ。
助けを得んために行くべき神を持つかぎり、あなたは決して欠乏を感ぜず、決して恐れや失望に陥ることはない。
あなたの宝庫へ行き必要なものを持ち出せ。
神をあなたのすべてとすることを学べ。
神のみもとに馳せ行き、必要の一切を訴えよ。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
昨日、病院で「つきそいしょく」のランチを食べた後、デイケアから送られてくる母を出迎えようと大急ぎで一時帰宅しました。
母が帰ってくる少し前、庭先から、「まきちゃ〜ん、まきちゃ〜ん」と聞こえます。
でもお庭にはもちろん誰もいません。
近所にも「まきちゃん」がいるんだなっと思って、かまわず、病室に持って行くあれこれを揃えていると、再び、「まきちゃ〜ん」。
庭に出てみると、なんとお隣のおじちゃんとおばちゃんが私を呼んでいます。
「まきちゃん、ばばこうきくんよ、覚えている?」
そして、境の木々の向こうの塀越しに見えたのは、なつかしい小中学校時代の同級生の姿。
ばばこうきくん。
誰にでも同じように親切で、ゆっくりと大切なことだけを話す子だった。
「おばちゃんになったね」って言われた。
でもとってもうれしかった。
そして、夜、ひとりで、ビールを飲みながらぼんやりとしていたら、その頃、一番仲良しだった女の子から電話がかかってきた。
とってもとってもうれしかった・・・。
スポルジョンは主に願えと言うけれど、この頃の主は、私の願う前から、私の必要を満たしてくれる。

ひとりじゃないよ


今日は、母が週に2度、月曜日と金曜日に通っているデイケアの日だったので、母を送り出した後、ひとりで病院に行きました。
毎朝えりさんから届く、「今日のマナ」を父と聞き、それから、父の側に座って、しばらく、聖書を朗読しました。
今日はヨハネの福音書を5章ほど読みました。
本当はもっと読みたいのだけど、なにしろ手厚い看護で、ひっきりなしに、色々しに来てくれるので、休み休み読みました。
血液検査後の医師との面談もあり、悪いニュースはそれほどなく、ほっとしています。
丁寧な説明と今後の目標などについての報告に、心から感謝しています。
印象的だったのは、「入院があの日で本当によかった」という言葉。
それは、私が一番、感謝していることでした。
24部屋しかなく、そのうち、母と私が同時に入れる広いお部屋は12室しかないのに、良く入れたと思っていた。
でも、神さまは、何でもできるお方・・・。
ひとりで大変でしたね、って、みんなに言われます。
医師にも看護師さんたちにも。
でも、ひとりじゃなかったのよね。
神さまがいてくれたんだ。
今も。これからも。ずっと、ずっと。

Sunday, April 25, 2021

来週月曜日のランチ〜焼き立てパン

今日、パンの移動販売がありました
「つきそいしょく」を予約していたので、残念だけど買えなかった
で、来週の月曜日のランチは焼き立てパンに決まり!
インスタント・スープを持ってこよう


 

今日のランチ〜Three Cheeses Pizza

Three Cheeses Pizza
な〜んちゃって
これは賢人のランチ
私のはこれ
The つきそいしょく
チキンライスもスープも普通においしかったけど
私にはサラダがとってもおいしかった
特にブロッコリーの部分!

 

天国への小道を歩きながら


主イエスは渡される夜、
パンを取り、感謝をささげた後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。
わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
1コリント 11:23,24

「たえず私たちの記憶に止めておかねばならない方が一時の訪問客になっておられる。
あなたの目をしっかりと十字架に向けるべき時に、この世の事業があなたの注意を奪い去っている。
この世のたえざる混雑のため、またたえずこの世の物ごとに注意をひかれるため、魂がキリストから取り去られている。
私たちは天の忘れな草を心に結びつけ、ほかのことを忘れようとも、愛する主をしっかりととらえているようにしようではないか。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
先のことを思うと、不安で胸が押しつぶされてしまいそうになります。
誰もが経験する人生の一大イベントへの心の準備は、なかなか「これでよし」とは思うことができません。
でも、ひとつだけ、言えることがあります。
それは、必ず、耐えられるという確信です。
たとえ、ここにお兄ちゃんがいなくても、母が認知症でも、夫がいなくても、賢人がいなくても、はなもいなくても、神はおられる。
私が神を忘れて、悲しんだとしても、神は決して、私を忘れない。
☆写真は病院のお庭です
木々の間に、小道が続きます
天国への小道のように平和で美しい小道です

明日のランチ〜付添食

「つきそいしょく」って、一体どんなでしょう
献立を見ても、全くイメージがわきません
百聞は一見にしかずと思い、思いきって申し込んでみました
月曜日と金曜日の母のデイケアの日
そして水曜日は母にもこのつきそいしょくを体験してもらいます
たのしみ〜

 

春服を買いました

12月に来たので、春服は1枚もなく、セーターももう限界な陽気
それで春服を買いに近所のJEON(と書いてイオンと読むと思う)に走りました
ドレス:6800円
安いけど、ちゃんと作ってあるのよ、
ほら、くるみボタンがかわいいでしょ
シャツ:1880円
パンツ:1880円
安いけど、こちらはボタンをつけた赤い糸に一目惚れ
スカーフ:1000円
マスク:580円
JEONって、私にとってアメリカのTARGETのよう
とりあえず、なんでも揃う田舎のちっちゃな百貨店


 

今日のランチ〜セブンイレブン

今日は父の病室でご飯を食べてみようと、
行きがけにランチをゲット
じゃじゃあ〜ん!セブンイレブン!
楽しかった・・・楽しすぎた・・・
たくさん並んだお弁当の中から、迷いに迷って、母はのり弁、私はエビのドリア
おやつに小さな3つのスコーンとインスタントコーヒー、そしてチョコレートも買ってみた
全てセブンイレブン・ブランド
おそるべき魅力的かつ洗練されたべしセブンイレブン
大ファンになっちゃったかも
 

Saturday, April 24, 2021

夢の中に住んでいるのかもしれない今日

ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。
雅歌 2:11,12

「主は私に『でてきなさい』と言われる。
私を一歩づつ、利己主義、野卑、俗悪、罪の中から導き出される。
あなたのもとへ来ることは、さすらいから家庭へ、荒海から陸地へ着くことであり、また長い労働の後の休息であり、私の欲求のゴール、願望の絶頂にたどりつくことである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
父が入院して3日がすぎました。
初日は忙しかったものの、その後は、手厚い看護の中で感謝に満ちた時間を過ごしています。
聖書のことばと祈り、そして賛美歌が私を支えてくれています。

同じ国、同じ街、同じ家に暮らす、病に伏し、年老いた親をみつめるとはどういう感じなのでしょう。
平行して日常が流れ続けることは、自分が作った家族の支えが得られるということだけど、そこには夫への負担や子どもたちの持って帰ってくる問題や仕事、その他の諸々のすべき細かなことをいつも抱えて歩くことなのかもしれません。
神さまは、そうでない道を私にくださいました。
いつかサンペドロの我が家に帰った日、私は、ここでの生活をまるで、「夢の中の出来事のようだった」と思うのかもしれません。
そんな気がします。

自分時間と場所を探し中

病院の中に電話室というのがあったので、
ここでオンラインの英語のクラスを受けてみた
残念だけど、全然つかえない・・・
ドアがないし、廊下で話す声がじゃましてそれでなくても難しい英語が聞き取れない
ラップトップ抱えて、隣の固定電話の部屋(公衆電話部屋)に移動
ドアもあるし、閉めちゃえば、マスクもはずせて、大きな声で笑えて話せるのでここがいい!
(父のお部屋でも電話は使っても良いのだけど、
看護婦さんの出入りが激しく、お風呂タイム以外はちょっと難しい・・・)

 

五感・フル活動


今日は予定通り、父の側に座り、小さく賛美のピアノを流しながら、聖書を朗読しました。
ひさしぶりの朗読、仕事を辞めて以来です。
自分の声を聞きながら読むのは本当に楽しい!(実は私、朗読のプロです)
今日は創世記の最初の部分の創生の話と、出エジプトの十戒、そして詩篇の91篇を読みました。
明日は、どこを読もうかな。
選ぶのも読むのもとても楽しみです。
聖書を読んだ後、父の夜の平安と守りのための祈りを祈って、帰路に着きました。

とても良い1日でした。
母と一緒に食べたラーメン、とってもおいしかった。
痩せて、すっかりかぼそくなってしまった母も、よほどおいしかったのかな、とんこつラーメンをみごとに完食。
お汁も、大事そうにれんげですくって最後まで飲んでいました。
私たち、これから、一緒においしいものたくさん食べなくてはいけません。
イエスさまの愛を、五感を通して、たっぷりと受け取って欲しいです。
☆写真はラウンジの奥まったところにある、ストーブのエリア
今年の冬、このストーブに火が灯る頃には、私はきっとここにはいないだろうなっと思うとちょっと悲しかった

今日のランチ〜野菜ラーメン!

実家に帰ってきて以来、はじめての外食
ラーメンにしました
野菜ラーメン!
完食しました
おいしかった〜
2、3日、何にも食べなくてもよさそうなほどの満足と満腹
パンツのウエストがはち切れそうです

Friday, April 23, 2021

がっつん・The 啓示


これらすべてのことのゆえに、
私たちは堅い盟約を結び、
それらを書き記した。
ネヘミア 9:38

「困難から救われて私たちの喜びの芽が吹き出した時に、再び十字架のもとへ行き私たちの献身を新たにしようではないか。
私たちを雪よりも白くすることのできる血を仰ぎ、再び自らを主にささげようではないか。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
夕べ、病院から戻って、お風呂に熱いお湯をはり、その中にゆっくりとつかって、祈ったこと。
父の病院生活の中で、父がやっておくべきこと、父が生き生きと、地上で与えられた最後の日まで、全力で生き抜くために、父ができることを教えてください、と祈りました。
でも、その祈りは、あまりにも傲慢であったと今朝思う。
あなたは一体何者で何故にそのようなことを願うのかと主の啓示が天からがつんと落ちてきた。
あたりまえのことだけど、私は、私以外の人の人生を、例えそれが父であったとしても、私の力で豊にすることなど到底できないのです。
それで、私へのふたつの課題を主に示されました。
みことばの朗読。そして、食事ごとの祈り。
私はただ、自分の人生を、今まで通り、真剣に、精一杯、力一杯行き抜けばよい、そうすれば、「父の幸せ」という今の私にとって、第一のニーズは、必ず満たされる。アーメン。

 

飛行機に乗っている夢をみた気がする・・・


父の入院2日目。
今日は、午前中は図書館に行って本を返し、あらたに借り、その帰りに病院へ。
父がお昼ごはんを食べるのを見届け、母の帰宅時間にあわせて、一旦家に戻り、簡単に食事をして、午後も再び病院へ。
のんびりと静かな時間をすごしました。
今日は、父がお風呂に入れてもらえる日だったので、私は、父がベッドごとお風呂にでかけている間、この畳スペースに横になり、読みかけの本をお腹に置いて、うたた寝をしてしまうほど、リラックスしてしまいました。
飛行機に乗っている夢をみたような気がします。
なんて、寝心地の良い飛行機なのだろうと思いながら、うつらうつら・・・。
リラックスできる一番の理由は、電話がないことだと思う。
病院や介護サービスのお店や会社、銀行、保険会社、その他さまざまなセールス、
これが結構負担になっていたのかもしれません。
私の携帯している電話の番号は父のと、それから自分のインターネットフォンの2つだけど、ここにかけてくる人は誰もいないので、本当に静かです。
病院内には素敵なラウンジやパティオ、家族用のキッチン、談話室など、たくさんのリラックススペースがあるようだけど、今の私はこの畳で十分。
そのうち、少しづつ、探検してみようと思います。

Thursday, April 22, 2021

真正直とは


私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。
ローマ 8:27

「あなたの罪をキリストの十字架に持ち来たれ。
罪と戦う唯一の武器はイエスの横腹をさいた槍である。
キリストに頼まず難行苦行しても益はない。
あなたの祈り、悔い改め、そして涙、これらすべてをよせ集めてもキリストなくしては何にもならぬ。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
夕べは、ひさしぶりに自分のお部屋で眠りました。
2時ぐらいだったかな。
母が階段を上がってくる音がして、びっくりして飛び起きましたが、ただ、私が、いることを見て安心したかったようです。
夜中に励しいアドレナリンの分泌と共に起きると、しばらく、安堵で寝付けなくなっています。
それで、例によって読書灯の下で夜中の読書に励みました。
例のアンゼルム・グリューン、真正直について。
「わたしたちは純粋で調和のとれている人に偽りのなさ真正直さを感じます。
そのような人には打算がなく、自分自身の中にある真実に従って生きています。
陰謀や駆け引きといった策略から自由であり、自分自身の内面と行動が一致して生きているのです。
人の評価を気にせず、ありのままの姿で振る舞っています。
嘘偽りない真正直な人は自由です。
なぜなら、真理だけがわたしたちを自由にするからです。」
すっかりと爽やか、それでいて、むくむくと力のわく文章です。
今日も私が、キリスト以外の全てから自由でいることができますように。
アーメン

入院初日


入院初日なので、検査や説明、話し合い、ペーパーワーク、色々と忙しかったけれど、ひとつひとつがとても丁寧にやさしく進められ、父も母と私も全く無理なく、新しい生活へと心を整えるできたと思います。
山の中の森にひっそりとたたずむホスピスは、とても小さく、病院というよりは旅館のよう。
でも、そのケアは私が見たどの病院よりも病院らしかった。
父を、ひとかたまりの人間として父を、まるごとみようという視点が、病気になってからの父を見つめる私の視点にとても似ていて、それは、一体どういうことなのかなっと考えてみています。
膀胱癌の父も肺癌の父も糖尿病の父も難聴の父も高齢の父も私にはひとりの父なのだけど、娘として、ひとりの父の部分部分で一生懸命に最善を選んできました。
でも、ここにきて、父はようやくひとかたまりの肉体の父として全体を扱われ、私も耳をひとつにお話を聞くことができた感じです。
痛みなく、それでいて意識を研ぎ澄ませていられる時間が少しでも長く保たれれば、人生そのものは縮んだとしても、(これはあちこあちの数値が悪かったとしてもと同義語だけど)良いとさえ、思っていたのに、ここに来て、急に、いや、問題は多少の点滴と輸血でかなり改善されるかもしれませんねという感じなのです。
積極的治療をやめることで、やっと本当に必要だった治療が始まったのかもしれないなっと思うのです。

Wednesday, April 21, 2021

無事に入院しました

予定どおり、介護タクシーで病院に到着
廣田牧師とめぐちゃん、
そして今日は賛美チームの祥子さんも見送りにかけつけてくれました
ここで、再び、先生に祈っていただき、笑顔で別れました
こんなお部屋です
明るくて広くて静かで、お庭が見えて
トイレやテラスがあるので、
私はさっそく自分のためのブランケットやクッション持って行くつもり
私の旅、新たなるステージを迎え、まだしばらく続きます

Tuesday, April 20, 2021

入院前日の誘惑


入院の報告をすると、さっそく牧師夫妻、それからめぐちゃんがお見舞いをかねた、束の間のお別れにかけつけてくれました。
賛美歌を歌ってお祈りしてくれました。
私は用意しておいたクッキーとカードを渡して、父の感謝の気もちを伝えました。
両隣のご近所さんにも、お礼とお別れがしたいけれど、ノンクリスチャンなので、ちょっと気をつかいます。
明日の朝、クッキーとカードを持って、「これからホスピスに入院します」と言おうかな。
そうすれば、ピンときて、タクシーの見送りに出てきてくれるかもしれません。
明日は、父と一緒に母に介護タクシーに乗ってもらい、私は、後ろを自分の運転でついてゆこうと思います。
介護タクシーには片道で帰ってもらい、病院で少しゆっくりして、私の運転で帰ります。
お部屋にはバスルームも小さなキッチンもついているし、家族のお食事も予約すれば用意してもらえるようなので、私は、母を病院に置き去りにして、じゅんこちゃんと、別府の杉の井ホテルあたりにお部屋をとって、夜景の見えるバーとかでぱーっといきたいところだけど、本心がどうであれ、それはあまりにも軽薄な親不孝を絵に描いたような構図なので、やめときます・・・。 

おだやかさについて


私は知っている。
私をあがなう方は生きておられる。
ヨブ 19:25

「もしキリストが私のものであることを少しでも疑っているならば、それは死の苦味を混ぜたぶどう酒のようだ。
しかしイエスが自分のために生きたもうことを知るならば、暗やみは暗やみでなくなり夜も昼のごとく輝く。」
今朝のスポルジョンのことばです。
夕べ、父がトイレに立った後、しばらく読書灯の下で本を読んですごしました。
そして、とても、納得のゆく、素晴らしい文章を見つけたので、シェアします。
以下、アンゼルム・グリューンという人の「おだやかさ」についての文。
「Milde (ミルデ、おだやかさ)は、Mahlen(マーレン、挽く、すり砕く)ということばからきています。
おだやかとは、「挽いて粉にする、細かい、繊細な、やさしい」ということです。
つまりおだやかさは自然なものではありません。
やさしさとは、細かく砕き、細やかな粉にするという過程を前提としています。
固い挽き臼で潰されて、やさしく、やわらなかなものになります。」
ああ、なるほどなあ、と思いました。
おだやかさが自然なものではないというのは大きな大きな励ましであり、報いでもあります。
☆写真は、昨日、父と一緒にみせてもらった病室の一角にあった畳スペース。
ここに、私や母がお布団を敷いて眠ることができるそうです。
2人が同時に泊まれる大きめのお部屋をお願いしました。
おだやかでやさしい父にふさわしいお部屋です。

介護タクシーで移動










 

神さまのエクスプレス・レーン


今日は、(今日もかな)朝からピリピリと母に冷たくあたってしまう私。
でも、祈りながら、神さまに向かって息つぎをしながら、無事に親子3人和やかな夕暮れを迎えることができました。
私のプレッシャーをダイレクトに受けてしまう母に、悲しくなるほど申し訳なく、自分を情けなく思う。
でも、いつも、どこかでイエスさまがすっと介入してくれて、母と私の間をとりもってくれるのです。

昨日の夕方、大学病院のソーシャル・ワーカーから電話があり、緩和ケアのホスピスから外来面談のスケジュールの打診があったとのことで、私は即答で承知し、その流れで、すぐに介護タクシーを予約。
今日、無事に面談を受けることができました。
結果は、GO 。
さすがです。イエスさま。
とても人気のホスピスでたくさんの人が何週間も何ヶ月も待っていると聞きました。
でも、イエスさまの道だったから、イエスさまの導きだったから、ドアはパタパタと開き続け、無事にあさってここに入ることになりました。
ホスピスは手続きがややこしく、すぐには入れないからと、憐れみの、テンポラリー入院のお招きをくれた我が家の近所のクリニックにも、ホスピスの方からこの結論を連絡をしてくださるとのこと。
大学病院へは、泌尿器の方の手当の応援が必要な時にはお願いするかもしれないので、連絡は継続的にとってゆくとのことでした。
私、LAを経ってからずっと感じていたことを、今日、はっきりと確信した。
私、神さまのエクスプレス・レーンで守られている。

夕方、主の食卓を囲んで、親子3人でこの恵に感謝の祈りを捧げました。

Monday, April 19, 2021

目は地に閉じられるとともに、天にて開かれる


これは、その死によって悪魔という、
死の力を持つ者を滅し、
一生涯死の恐怖につながれて、
奴隷となっていた人を解放してくださるためでした。
ヘブル 2:14

「神の子たちよ、死を支配する悪魔の力が滅ぼされるため、死はとげを失った。
ゆえに死を恐れてはならぬ。
あなたのあがない主の死の意味を悟り、確固たる信仰を保ち、死の訪れる時、強められるよう、聖霊なる神の恵を求めよ。
カルバリの十字架に近く住むならば、あなたは死を考えるのを喜びとし、深い楽しみをもってそれを迎えるだろう。
天で栄光を受けている魂と、地上で戦う聖徒たちの距離は遠く離れて見えるが実はそうではない。
私たちは故郷を遠く離れているのではなく、またたく間にそこに着くことができる。
死の瞬間と栄光に輝く永遠との間に、長い期間があると思うな。
目は地に閉じられるとともに、天にて開かれる。」
ひさしぶりに、C.H.スポルジョンの『朝ごとに』を開きました。
最後に読んだページは16日だったので、4日ぶりです。
4日は短いでしょうか。
私にはとても長く感じました。
「目は地に閉じられるとともに、天にて開かれる」名言です。
父は、死を恐れてはいないと思う。
ただ、毎日、残してゆく、母と私のことばかりを心配しています。
私は、父のこの心配をひとつ、ひとつ、無用なものであることを、イエスさまと一緒に証してゆきたいと思う。
それが、この「愛されるという仕事」のミッション。 

うまいうまい、わかったわかった


たとえぐっすりと眠っていても、素早く目覚め、素早く逃げることのできる草食動物を思い、しばらく、肉や魚を避けてみることに。
昨日は、おこのみ焼きにポークが入っていたし、それがあまり良くなかったのかもしれません。
深くて長い眠りの必要な肉食獣が、緊急で叩き起こされて貧血を起こしている状態を想像してみています。
それで、今日のランチは蕎麦サラダとスープ。
サラダにおぼろ豆腐をのせてみました。
これいけた。うまい、うまい。

今日は、母がデイケアの日だったので、父がまたしても何か思い出してしまって気になっている保険の話をぼっそっとはじめ、そして、調べてみるとまたまた出てきました。生命保険、ふたつ。
これで、2人合わせて10は軽く超えた証券。
私も、今日は何も驚かず、それほど緊張もせず淡々と処理。
証券の名前や番号を控え、「はいはい、大丈夫、私、この保険の存在を知りました」。
少しづつわかってきたことなのだけど、生命保険って、平たく言うと、簡単に自ら受け取る人を指名でき、税金をかけずに残すことのできる遺産のことなのでした。
遺産というのは、多ければ多いほど、後に残された人たちの間でトラブルになる可能性が高くなるようです。
それを避けるための、残す人の責任がこの生命保険というわけ。
ここにきて、ようやく父の言いたいこと、私に頼みたいことがわかってきた私。
父がしたいことは解約とか整理とかではなく、ただ、ただ、母に代わって、私に知っておいて欲しいというそういるシンプルな願いなのでした。

Sunday, April 18, 2021

とろ〜りとろ〜り

今日も父が目覚めるまで、とろ〜りとろ〜り。
なかなか生活をきりっと立て直すことができないけれど、今は、このとろ〜りとろ〜りの中で、できることをちゃんとしてゆくしかありません。
昨夜は、寝ている時に、素早く立ち上がった時の立ちくらみとその後の倦怠感みたいなのがひどくて、用を終えた後、しばらく正座で上体を前に倒し、猫のように丸くなって祈りました。
どうすれば改善できるのかよくわかりません。
昼間はとても元気だし、思った時に、思ったことがぱっぱとできるのだけど・・・。
今朝も父の血糖値を測った後、針を変えて、自分のを測ってみました。
今朝は、すごく痛くてどっきり。
針の長さの設定が父の長いままになっていました。
私は、皮膚のすぐ下に血が脈々と流れているようで、短くても十分に、ぶちゅう〜と盛り上がるように出てきます。
父の時は、長い針で、ばちんとやった後、ぎゅうぎゅう押し出して、やっとのことで採取しています。
そうだ。今朝も朝風呂に入りました。
短いけれど、大切なリラックスタイムです。
そして体重測定、45.55キロ。
おいしいコーヒーも飲みました。
とろ〜りとろ〜りな中にも、少しづつでも、神さまとふたりきりになれる時間、みことばのことを考える時間を見つけてゆきたいです。
☆写真は夫から
どこって、書いていなかったけど、どこかわかる
どこに立って撮ったかすらわかっちゃう

 

自分立て直しプロジェクトの経過報告


堕落の1週間を経て、夜中に父の声や気配で目覚めた時の、立ちくらみや軽い吐き気を改善したくて、ちゃんと生きようと決心して3日め。
なかなかうまくゆきません。
今日も聖書は読めず、散歩もできず、でも、食事は「昼」だけは確保。
母がお好み焼きを焼いてくれました。
色々あって半分しか食べられれなかったけれど、体重がこれ以上落ちなけれなそれで良いと思う。
父の血糖値を測る機械で、何気なく自分のも測ってみました。
すごいです。
全然痛くない。
というよりも、何も感じない。
針は私の目に見えないほどに細く、スピードも多分1秒未満。
でも、父の100倍ぐらいの血が出てびっくり。
父はつまんで必死にしぼり出すのに、私のは勝手にぷりぷりと盛り上がり続ける。
血糖値は「標準」でした。
こうやって書くとなんだか、私って暇人よね・・・。
なんだろう。
この足りなさと渇きと不健康という自覚。