それでも、イエスは、どんな訴えに対しても
一言もお答えにならなかった。
マタイ 27:7
「この驚くべき沈黙は、彼の自己犠牲を示すものではなかろうか。
忍耐強い沈黙は争いを好むこの世への最上の答えではないか。
静かな忍耐は、ある問題に対してはいかなる雄弁にもまさる決定的な回答となる。
一座の者が口をそろえて神をけがす時、その罪の火中にたきぎを投じないのが私たちの義務である。
この朝彼をお迎えしようではないか。
主よ、私たちと共にあり、沈黙せる私たちの心の中にいまして、あなたの愛の御声を聞かせたまえ。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。毎朝、とても個人的に受けとめてしまう彼のメッセージだけど、今朝のは、特にそうです。
色々なことを、思い出しながら、考えながら読みました。
1年前の今ごろ、私は、まだ、その激しい戦いと葛藤の中にいました。
そして、大きな傷を負いました。
その、真っ只中にいる時、私は、もしかしたら、これは、取り返しのつかないことになるのかもしれない、私は、一生立ち直ることのできない傷を負いながら、1ミリも動けず、一言もコトバを発せずにいるのではないか、という恐怖に縛られていたことを思い出します。
黙ることもしゃべることも許されず、何をしてもしなくても、私は批判と非難の的でした。
彼女は、私ではなく、イエスキリストを罵倒し、また無視していたのだと今朝、信じようと思う。
そうすることで、終わらせたい。
何度も何度も終わらせているけど、思いが戻ってくるたびに終わらせなければならないから。
だって、そのおかげで、私は、ここにこうして、今しかできない、私にしかできない、尊い仕事を主に任せていただいているのだから。
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