神は、罪を知らない方を、
私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって神の義となるためです。
2コリント 5:21
「悲しめるクリスチャンよ、なぜ泣いているのか。
あなたは自らの腐敗を嘆くのか。
しかし、あなたの完全な主を仰ぎ、あなたが主にあって完全であることをおぼえよ。
生来の罪と堕落を悲しむ者よ、あなたの罪は決してあなたを罪しないことを覚えよ。
あなたは罪の身を嘆くが、すべての汚れを除かれて御前に立つ時と同じように、今神に受け入れられている。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
今朝もまた、スポルジョンの示す章の中から、神さまからの特別な贈り物を見つけた。それは、4節。
『確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。
それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからではなく、かえって天から住まいを着たいからです。』
このみことばの意味や価値を初めて知りました。
そして、昨日は、記事を書いた後、もうひとつ、とっても大きな気づきがありました。
それは毎朝、いただいている大分の教会の廣田牧師からのみことばの取次ぎを読んでいた時のことでした。
私はこのメッセージが届いた時に、すぐに1ペテロの3章を開きました。
そして、20節の「従わなかった霊たち」ということばを見て、本当に涙がこぼれそうになりました。
これは、お兄ちゃんのことだと思ったのです。
従わなかった霊、でも、祈られた霊です。
みことばに支えられ、養われる日々に心から感謝しています。
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