Saturday, May 31, 2014

大切なものはわずかです

ラップトップと読みものと音楽ってかなり幸せなトリオ
先週にひきつづき、爽やかなお天気の週末です。
いかがおすごしですか?
私は、とってものんびりとすごしています。
先週末、初めてのお買い物だったインターネットで注文した本が水曜日に届き、それを大切に大切に読み進めています。
『大草原の小さな家』の著者のローラ・インガルスの小さなエッセイといくつかです。
100年の時を越えて、贈られてきた彼女を言葉のひとつひとつを大切に読みながら、彼女と自分、母と私、私とはなを重ねています。
そして、この古い港町の坂の途中の小さな家を、大草原の小さな家のように、愛を原材料とした小さな天国にしたいと心から思います。
それが、妻であり、母であり、主婦である私の究極の夢です。
インターネットで本を買ったはじめての本
お店の人とメールでやりとりして、受け取ってお金を払いました
自然に普通に楽しいお買い物と思いました




わが子をいつまでも愛する祈り・2章~学びと働きのために

何をするにも、人に対してではなく、
主に対してするように、心からしなさい。
コロサイ12:22
ストーミー・オマーティアンの『わが子をいつまでも愛する祈り』の2章は「わが子の仕事と経済的な自立のために」というタイトルです。
だから、この章は、彼の学校での学びとそして、社会奉仕、教会奉仕を思って、自分のことばで祈りました。
賢人は、私に似て、考えることに人一倍時間がかかり、手の仕事が遅く、決して要領が良いとはいえない子です。
でも、彼の体はとても健康で、スタミナがあり、ねばり強く、弱音をはかない強さがあります。
だから、人を相手に体を使って働く奉仕を与えられたら、きっと上手に楽しくやれ、大人になるための良い練習になるのではないかと、勝手に考えています。
卒業するまでに40時間の社会奉仕活動を修めなければなりません。
昨年、神さまの導きと憐みによって敬老ホームで4時間ピアノを弾かせてもらいました。
私に言わせばできすぎた奇跡です。(すっかり大人の私だって、そんな素敵なボランティアがあったらやってみたい!)
今年、なんとか残りの36時間を、再び、神さまの導きと憐みによって、良い仕事が与えられることを祈っています。
主よ、どうかわが子を、いつもあなたのご栄光をみるために一生懸命でいられる子にしてください。
あなたの聖霊を注ぎ、あなたが備えておられる道の真ん中を自信をもって、与えられた課題に取り組むことができますように。
自分の肉体と思考と魂と霊とをあなたに明け渡す力を、彼に与えてください。
そして、あなたが望む通りに、のびのびと、自由に学び、働き、そこから、他のどこからも得ることのできない、あなたから直接いただく、喜びと平安という大きな報酬を得ることができますように。
イエスさまのお名前によってお祈りします。
アーメン


Friday, May 30, 2014

100×ハレルヤ

ショッキングな出来事から始まったにも関わらず、かなりハッピーエンドな一週間でした。
そう、全ては益って、本当に心からアーメンです。
空に向ってアーメンを100回叫びたいほど。
悲しい出来事のおかげで、私はいつも神さまをすぐ近くに感じ、そしてとりとめもなく祈り続けていました。
それは、なんだか苦しいようでうれしいような時間。
大切な人を励ましたくて、そのことばを求めたら与えられました。
ことばは彼に届き、彼も心を開いて聞いてくれました。
私は、彼の頭と背中を小さな子のように胸に抱きしめたいのに、それができないので、ただただ、彼の頭をごしごしとしごきなから泣いた・・・。
幼稚園での週に一度のミーティングで、この出来事をシェアしました。
親の悲しみと、世界の悲しみには大きなギャップがあると思う。
でも親の悲しみを真摯に受けとめ、子の必要に答えることが幼稚園の役目。
幼稚園で起きた出来事に対する親の悲しみは全面的に受けとめ、さまざまな問題を通して子どもたちがそれぞれの心を強くやさしく育てられてゆくことをまっすぐに伝えることが私たちの仕事と園長に教えられました。
そう、大丈夫。
まだまだ練習。
いろんなことがある人生の、その始まりの始まりに、安全に守られた環境の中で本物そっくりな練習をする場所が幼稚園。
そして私は、私の大切な人も大丈夫と思えたのです。
まだ16歳と363日だもの。
いいえ、30歳になっても、40歳になっても大丈夫。
毎日が練習。
またもや、ノンクリスチャンの彼女に教えられ、でも彼女を通して教えてくださった神さまに心から感謝している。
ハレルヤ!

















わが子をいつまでも愛する祈り・第1章~目的意識のために

主があなたの願いどおりにしてくださいますように。
あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。
詩篇20:4
はなは、それこそ、ベビーベッドの柵につかまり立ちした頃から、確固たる人生の目的を持っているような子でした。
そして、今日にいたるまで、彼女は自分の人生の夢について語り続けます。
アップデートされた日には、一目散にそれを私に報告にくるような子です。
かたや、賢人は、それを話したがりません。
小さな頃から、ずっとそうです。
でも、私は、彼が彼の内には燃えるような、人生への情熱が育てられていると信じています。
私たちの周囲には、神から得るよりもはるかに多くの情報をすばやく得られる方法があたりまえのように大きな市民権を得ているけれど、私は、いつも、情報の元を疑う子であってほしいと彼に願ってきたので、あの子は、とてものんびりと、それについて考えてみる子になったのだと思います。
まずは、神さまに祈る子でいてほしい。
賢人はあの遠足のために祈ってくれた祈りのサポーターの1人でした。
彼に、たくさんのイルカとくじらの親子に会えた話をしてお礼を言うと、「うん、しってる」と答えてくれました。
へんな日本語なのではなく、彼もまた、イルカの群れとくじらの親子の訪問を祈りの中で事前に知っていた人のひとりだったのです。

どうか、賢人にあなたが造ってくださった人生の意義を知る力をください。
彼の心の目がはっきりと見えるようになるために、知恵と啓示の霊をお与えください。
あの子があなたの御声をはっきりと聞くことができるように、どうか彼の気を散らせてしまう周囲のさまざまな音から彼を守ってください。
彼が経験してきた全てのこと、そしてこれから経験するさまざまなことが、たとえ、それが楽しいものではなかったことも、つらく、悲しいものであったとしても、全てがあなたに近づくための導きとなりますように。
彼にどんなつらいことも克服して、夢に向って歩みをとめない、大きな目的意識を与えてください。
あの子の人生で一番大切なことを、主よ、どうかあなたがそれを彼に見せ、彼にそこに向うための、確かな理由を握らせてください。
主イエスの御名によって祈ります。
アーメン


Thursday, May 29, 2014

ティーンのママたちへの賛歌

おつかれさま~。
火曜日から始まった短い一週間はあっというまに木曜日。
4年前に買って、何度も何度もくり返し読んだストーミー・オマーティアンの『わが子をいつまでも愛す祈り』でデボーションをはじめました。
8章ぽっきりの小さな本だけど、きっとすばらしいシェアリングになりそうな気がしてわくわくしています。
子どもを守る30の祈りを祈り続けてきた親たちと、それでも、自分の祈りは足りないかったのではないかと自問しながら、自責の念に縛られそうになるティーンの親たちと一緒に祈りたいと思うのです。
きっと私たちは、みんな、もうすぐ、50代。
自由に、しなやかに、新しい人生のステージへとすすもうではありませんか。
親業という死ぬまで続くミッションを自分の一部のように、子どもの問題を、自分の問題と同じように、冷静に自然にさらりと祈れる親となろうではありませんか。







わが子をいつまでも愛する祈り・序章

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、
神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
Ⅰヨハネ5:14、15
ストーミー・オマーティアンの『わが子をいつまでも愛する祈り』を読み返しながら、賢人のために祈ってみることにしました。
大きくなった子どもたちのために私と一緒に祈りませんか?
Ⅰサムエルに登場するハンナ(はなの名前は彼女に由来しています)のように「この子のために、私は祈ったのです。主は私の願いをかなえてくださいました。」と共に宣言しませんか?
ストーミーは、この本の序章で、私たちに、「自分を責めることをやめなさい」と強く勧めています。
すべて告白し、主の御前にきよい心が持てたなら、その先感じるかもしれない自責の念は、すべてあなたの魂の敵から来るものであると彼女は書いています。
私はそれを信じることにしました。
信じることが、小さな子の親の仕事と、大きくなった子の親の仕事の違いだと思ったからです。
わが子を神の御手にゆだね、みこころに従って、彼の人生を、主ご自身の大きなやさしくあたたかなな御手で守り、変え、導いてくださるようにと祈り続けます。


どうか私に、大きくなったわが子のために、どうとりなせばよいのか教えてください。
あなたはあの子が直面するどんな問題よりも大きな存在です。
そのあなたが、私に愛と力を注いでくださっていること、それゆえに私の祈りに力があることを感謝します。
不完全な親である、自分を赦せるように、どうぞ、助けてください。
私は、彼のために祈ってきました。
主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。
すべての賛美と栄光は、主よ、あなたのものです。
アーメン
今日も良い日でありますように


Wednesday, May 28, 2014

わが子のため真実な祈り

連休の明けた火曜日の朝から、ずっと、ずっと、ずう~と賢人のことを祈っていました。
朝ごはんを作りならがら、シャワーの間、朝の通勤のクルマの中、帰りのクルマの中、ベッドで・・・。
そして、祈るたびに泣いていた。
だから、つまり、たぶん、ひとりになるといつも泣いていた。
無事に卵は孵り、あっというまにこんなに大きくなった雛
でもきっと、心配はいっぱい
親業の何が苦しいって、子どもの悲しみも痛みも全部もらって、全部引き受けてあげたいのに、大きくなったわが子は自分の悲しみを勝手に1人で悲しみ、自分の痛みを勝手に1人で痛むという、超・あたりまえな現実を受けいれざるおえないその瞬間にあると思います。
アーメンでしょ?。
それは自分がティーン・エイジャーだった頃を思い出せば、一目瞭然の太古の昔からの事実なのでしょう。
それでも、親たちは、わが子が小さな赤ちゃんだった頃と同じ気もちで祈るのです。
どんな悔い改めももいとわず、どうぞ私の咎をあの子に負わせないでって、四方八方を思い巡らし、闇雲に祈るのです。
そして、最後に、あの子を特別に特別に祝福してくださいという祈りにたどり着き、やっと眠りにつくのです。
だって、親だもん。しかたない。


Monday, May 26, 2014

ちまちまっとシアワセ

5月の風ってとっても爽やか。
そんな風が時々、カーテンをふくらませながらさらっとかけぬけてゆく、窓辺のダイニングテーーブルで書類を作ったり送ったり、メールを読んだり書いたり、インターネットで聖書のメッセージを探したり、ダウンロードしたり、本を探したり、買ったり。
時々冷蔵庫を開けて、アイスクリームを食べたり、お茶を飲んだりしながら、ちまちまっとした幸せで一杯な休日をすごしています。

ちまちまっとした幸せは、例えば、これは絶対に間違いなくいいって思える本を見つけて、お支払いは本が届いてからってわかった瞬間だったり、いろんな方法がありすぎるダウンロードで、いつもやる自分のやり方でスムーズにほしいメッセージが取り込めた瞬間だったり。
ちまちまちまっと幸せ。しあわせ。シアワセ。
座っていることに疲れたらじょえるを連れて、ふらっと外を歩いたりしつつ。
そして、最後のお楽しみは熱いお風呂です。







青い色えんぴつの祈り


主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。
民数記6:24,25,26
レビ記の26章の最後のところを心にとめながら、読み進み、民数記の大すきな祈りに、青い色えんぴつで線が引いてあったので、ここに、大切に書き取りました。
大すきな祈りです。
お誕生日カードに書いたり、結婚のお祝いのカードに書いたり、お別れのカードに書いたり。
クリスチャンスクールで働いていた頃は、七五三の千歳飴の袋にもこのことばを書きました。
そして、昨日の礼拝の祝祷でも、この祈りが祈られ、私は、初めて誰かにこの祈りを祈られたことに気づいて、涙が出そうになりました。
本当にうれしかった。
民数記の26章の最後に話を戻します。
42章にこうあるのです。
「わたしはヤコブとわたしの契約を思い起こそう。
またイサクと私の契約を、またアブラハムとのわたしの契約も思い起こそう。」
私がどれほどの失敗をくり返そうとも、なおも私が主に憐れまれているのは、そういうわけなのです。アーメン



Sunday, May 25, 2014

静かな静かな日曜日

どんな聖日、主の日をおすごしですか?
私はただ主を礼拝し、気持ちのよい初夏の風にふかれながら、とてもゆったり、のんびりすごしています。
黙って、静かに、ただ主の前に憩うことのできる幸いを感謝しました。
夕方、ラップトップを開いて、新しい仕事の準備をしていたら、父からスカイプでの呼びかけがあり、お返事しました。
お兄ちゃん夫婦が遊びに来てくれていているとのこと。
とても幸せそうな笑顔で、日常のあれこれを話してきかせてくれました。
父と母が集う教会の牧師が、時々、農家にもらった野菜のおすそわけを携えて、我が家を訪問してくれるそうです。
お兄ちゃんたちの訪問といい、私が祈っている以上の父と母の幸せに、神さまに感謝のことばもありません。
お兄ちゃんの連れ合いのケイコさんの笑顔はいつもながら、ぴかぴかと輝いていて、私は、自分のぼさぼさぶりがちょっと恥ずかしくもあり、そんなお嫁さんと一緒にすごしている父と母の幸せをこのうえなく喜んでいます。
時々父のラップトップの後ろを通過するだけのお兄ちゃんもとても元気そう。
いろんなことがあったこの数ヶ月のことをふり返りながら、神さまのことを想っています。
神さまは、いつも私のそばにいて、私を守り、私の祈りにこたえてくださっています。
くじけそうになった時に思い出すこと。
それはあのイルカの群れ。
確かに神は生きて働いておられ、私の祈りに熱心に答えてくださろうとしておられる。
全てをごらんになっておられ、私を見つめ、私の挫折も悲しみも淋しさも全てを共に味わってくださっておられる。
私以上に、私の気持ちを味わっておられる。
アーメン









本当の幸せ


もし、あなたがわたしのおきてに従って歩み、
わたしの命令を守り、それを行なうなら、
わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、
地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、
あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取り入れ時まで続き、
ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。
レビ記26:3~5
レビ記の続きです。
このみことばを心にとめて、書き取っていて気づきました。
麦打ちはぶどうの取り入れまで続き、ぶどうの取り入れは種蒔きまで続く。
恵みの日ってきっとそんな日。そんな日々。
時々、山のような仕事を前にして決して終わることのない気がして途方に暮れてしまうことがあります。
でも、実はそれこそが、神さまからの恵みと気づきます
5節はこう続きます。
あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、
安らかにあなたがたの地に住む。
わたしはまたその地に平和を与える。
あなたがたは誰にも悩まされずに寝る。
レビ記26:5,6
アーメン。







Saturday, May 24, 2014

朝寝坊の反省と対策

貴重な連休の初日を朝寝坊で迎え、あっというまに夕方です。
たまにはそんな日もいいかな。
でも、本当は時間が、〈神さまに次ぐ〉、私の大きな味方なのでちょっとしょんぼり。
とてものんびり屋で、話すのも、食べるのも、考えるのも、歩くのも、走るのも、人一倍時間がかかります。
時間を有効に使うことでしか、遅れをとりもどせない、っていうか、人並みに生きることのできない私。
そこであみだされた裏技が早起きと祈りなのに、9時じゃね。
どおしようもないわ、ジッサイ・・・。
夏は、すぐそこまで来ています。
大切な夏を大切にすごせるように計画しなくてはって思って、インターネットで、日本語の本を探しました。
初めてです。
インターネットで本探しなんて。
なにしろ、重度の活字中毒者の私は、まず日本語の印刷物の匂いに飢えるため、本を実際に触れ、ページをパラパラとめくって匂いを確認したうえで、こここここれ、くくくくださいって、震えながら買いたいのに、本屋のウェッブサイトでは匂いがわかんない。
でも、朝寝坊の反省をこめて、ちょっと試してみることにしました。
うまくいけば、素晴らしい時間とガソリンの節約になります。
読むべき本をゲットすれば、後はやりたいこと、やるべきことをリストにして組み立て、会いたい人、その人と一緒にやりたいことをリストにして、連絡をとります。
そう。
もうすぐ夏。
今年は、賢人とはなを連れて、日本的夏の風物詩、夏祭り作りに参加しようとも思っています。







お買い物競争・よ~いドン!


賢人を海に落として、お買い物に走りました
制限時間1時間半
仕事着のジーンズに穴があきそうなので、
ここ数年履き続けている、間違いのないお店にダッシュ
いぇい、セールだ!
でも、ここってセールじゃなかったことがない気がする
自分のサイズのジーンズぱっぱと探し、
それからぱっと目についた、パーカーをつかんでレジに直行
ジーンズはいろんな色があって迷いそうになったけど、
うすい色を履ける若さはとうの昔に過ぎ去っらことを思い起こしでふりきります
あと5ドル買えば、ビーチタオルがついてくるというので、
12ドルのボディミストをつかんでレジに戻ると、
これは1個買ったらもう1個無料なの言われ、ふたつめははなに選ばせてあげた
私はかわいい系、はなはセクシー系の香りをゲット
はなもポシェットにお金を持ってきていたので、キャンディのお店で幸せなお買い物
いつも宿題を手伝ってくれる賢人にも自分と同じように買ってあげていました
最後にフードコートで、
いつも気になっていた丸い鉄板で焼いてもらう焼きそばを買って帰りました
私たちは、初めてなので勝手がよくわからず、とりあえず好きな野菜を選ぶと、
最後にこんなに麺をてんこ盛りにされびっくり仰天
これをこれから焼いてもらうのだけど、焼いてもカサは対して減らず、
2人分をおうちに持って帰って3人で食べても、食べきれなかった・・・

連休初日

シンジラレナイ!
犬のじょえるに足の裏をぺろぺろと舐められ、えっ?と思って時計を見ると9時!
こんなに一杯寝たのはとても久しぶり。
一杯寝るといつもそうなるのだけど、宇宙旅行から帰還した飛行士の気分で、むくんだ顔でぼお~っとなっています。
はなは自分でベーグルをトースターに入れて、チョコレートをぬって食べ、賢人はすっかり海に行く準備を整え、運転手の私が起きるのを待っていた。
とりあえず、行ってきます。
また、後とゆっくり書くね。
ではでは、良い日をおすごしください。

Friday, May 23, 2014

金曜日・どっかの幸せなおっちゃんな気分

ああ~やれやれ、ってどこかのおっちゃんみたいだけど、今夜の私はどこかのおっちゃんみたいに幸せです。
無事に一週間を終え、〈月曜日は欠勤しちゃたけど〉やれることは全てやった的幸せな安堵、やれやれです。
準備が足りないところも、予定外に難しかったところも、全て主の憐みによってカバーされ、結果的にいろんな読み違いが功を奏し、感謝以外の何ものでもありません。
はなはすっかりと元気です。
毎日、ちょこっとの野菜と果物だけで「もういい」って言っていたけど、今朝はお餅を2個も朝ごはんに食べて、夕ご飯には天ぷらそばを中ぐらいのおわんで平らげ、いつもの調子がもどってきました。
私も、1日であっけなくおなかの痛みから解放され、今日はとても元気でした。
帰りのクルマの中で、なぜかとても唐突に英語とピアノをがんばろうー!って思ったの。
これはとても良い徴候。
私は気持ちが安定して、プレッシャーが少ない時に、無償に英語の勉強とピアノの練習に気もちが向くのです。





Thursday, May 22, 2014

いたいのいたいのどんでけ

ただいま。
すっかり、遅くなっちゃったけど、無事帰宅。
今日もいろんなことがありました。
どうやら、はなのストマックフルーがうつってしまったようで10回ぐらいトイレに行った気がするけど、でも仕事はちゃんとどうにかなりました。
元気だけがとりえの私だから、こんなことで誰にも迷惑をかけるわけにはいかないと、最後の最後までがんばったけど、ちょっと限界っぽい痛みが波のようにやってきています。
ああ、おうちに帰りたい。
痛い痛いって大声で言えるあの家の2階の自分の部屋のベッドにもぐりこんで、ちょっとの間、いろいろ忘れて休みたい。



レビ記を読みながら

あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。
わたしが聖であるから。
レビ記11:44
心の中に、ある心配ごとがあって、それが、時々、ぴょこんと顔を出します。
いつもは忘れているのに、誰かに無視されていると感じる時や、嫌われてしまったのかもしれないと感じる時、そういえば・・・って思うことがあるのです。
出エジプト記に、主は憐み深く、情け深い神、怒るにおそく、恵みとまことに富み、とありました。
全くアーメンと思うので、私の心配は取り越し苦労と思いたいです。
もし、例えば、今となってはどうすることもできない私の失敗、私の能力では気づくことのできなかった私の間違いが、誰かを傷つけていたとしても、(きっと山のようにあるはず)ごめんなさいと言うチャンスの扉が開かないなら、扉の前で悲しく思い続けるのはやめたいと思う。
自信はないけれど。
レビ記の時代に生きていなくてよかったって、しみじみ思う。
聖い神と交わるために定められたたくさんの約束ごとは、私にはきっと守れないばかりではなく、聖くない自分を見つめ続ける挫折感と共に、一生をかけるチャレンジ、重荷となった気がします。
聖められるって、自分を忘れること、聖められるって、夢中で前を向いて生きることにもかかわらず。
幸い、イエス・キリストの十字架の後に生きる私には、彼という血と、彼という贖いで、自分の汚れを見つめ続ける必要はないってことに、とても感謝をしています。
でも、時々、見つめてしまうの。
そして、目がそこにはりついてしまうのです。
こまった。こまった。


Wednesday, May 21, 2014

ことりの夫婦

幼稚園のお庭で、よくできたとりのお人形を発見
すご~くよくできているなって思って、すご~く近づいたら、
まばたきをした
本物だった!
妻と妻のかかえるたまごを守る夫のとりのようだった
それで、こどもたちと小さな声でそっと、
「がんばってね」って言ってみた




Tuesday, May 20, 2014

悲しいニュース、ブログを読んでお勉強したことを実践、人生を変える大発見

ただいま~。
予定外の休みを含む長い週末を明けて幼稚園に行ったら、予定外の悲しいニュースが待っていて、とてもがっくり。
人生って、キビシイ・・・。
苦労が水の泡的に落ち込みそうになるのを必死にこらえ、きっと何か別な形で報いられることを信じようとがんばってみています。
お昼休みにメールをチェックすると、トレシーから、教会をかえたことについて「どうしてどうして、なんでなんで、」のメールが、とうとうっていうか、ついにっていうか、届いていました。
最も恐れていたその難しい質問に答える日がきてしまい、私なりの精一杯でお返事しました。
正確に答えることではなく、トレーシーの不安や悲しみを受けとめる愛をこめた温かな言葉を、ユーモアをまじえつつ、全力で集結して、全霊を持って答えました。
そしたら、再びすぐにお返事がきて、「知りたいことはまさにそれだった。ありがとう。もうだいじょうぶ。」というお返事がきて、ああ、すごいと思う。
これは、素晴らしい法則です。
私は今まで、いつもいつも誰かに何かを聞かれたら、真剣に正確に答えることに心を注いできて、時にとても相手をがっかりさせ、私も傷ついてきたけれど、これはまさにその解決策。
質問者はただ謝罪がほしいだけだったり、共感がほしいだけだったり、気持ちを受けとめてほしいだけだったり、称賛がほしいだけだったりするのだ。
必ずしも、情報を得るためだけに人は質問しないのだという大発見。
複雑な人の心だけど、その可能性もあると知っていれば、こちらの言葉が変る。そして人生が変わる。







Monday, May 19, 2014

ブログを読んでお勉強

今日は、とても良い日でした。
はなとまる1日、ずっと側にいて、いろんな話をしました。
そして、はなが眠ってしまうと、私は、ある障害を持つ男の子のお父さんの書いた手記を熱心に、読みすすめます。
シンプルだけど、ぐさりと胸を突き刺す真実な文章を時々ノートに取ったりしつつ。
今日も、たくさんのメモをとりました。
質問には正確に答えることではなく、質問者の満足を優先するという意味の文章を大切に書き取ります。
私は、子どもにも、大人にも一生懸命に質問に答えて、相手にそっぽを向かれ、自分もがっかりする感じがすごく良くわかるので、なるほどって思いながら、その手法を学びます。
小さい子にはわりと簡単にできるのに、大きい子や大人にはなぜか難しいこの技術。
例えば、お弁当を作っていて、3歳のはなが「何をしているの?」と聞くとします、「あなたのお弁当よ」って答えます。
すると3歳の女の子は必ず、「なんで?」と聞くのです。
それで私は「はなちゃんが大すきだからよ。」って言うとします。
すると、必ずと言っていいほど、再び、「なんで?」となるので、「いいじゃん、大好きなはなのためのお弁当を作りたいの!」で話を終わらせることができたのに、相手が4歳、5歳、6歳、大人となるとそうはいかない。
夫に、「なんで、ここのサマー・キャンプはフィールドトリップがオプションなの?」って聞かれても、正確にその理由を考えて答えてはいけない。
「そうよね。みんな行きたいに決まっているんだから、連れてゆける人数をキャンプの定員にしてほしいよね。」がよい答えなのだとやっと気づきました。
その障害を持つ子は成長と共に大変な質問屋さんになってゆく、その子を育てながら、得たお父さんの大切な教訓を、私はありがたくシェアさせてもらいます。



はなの経過②

午後のはなです
キティちゃんのラムネを飲んで元気がもどってきました
ふざけたり

笑ったり

いつものかんじがもどってきました
明日は行けそうです
(テンプレートを一番最初のに戻しました。元気な写真が元気に見えるようにと願いをこめて)

ふしぎ・あーと

職業柄か、教室に入ると、必ず展示物をじっくり見たくなります
なんだろう?ほん?
錆びた針金だったり、たまごの殻だったり、
いろんな素材を今まで見せてもらったけど、これは傑作
古いペーパーバック
立体的にふくらませて、固定しているのは、なんとマスキングテープ
いいね~、私こういうの大すき、チープでキュートで、
一見どうでもよさそうで、それでいて計算しつくされているっぽくて、
でも、実際かなりいきあたりばったりなアート

はなの経過

月曜日、回復することを願っていたけれど、食欲は全くなく、取った水分もどんどん体から出てゆくようで力が出ません。
登校は無理かもしれないと半分はあきらめていたけど、一応連れて行ってみました。
今朝は月曜日の朝礼で、はなにアワードがもらえる予定なのです。
はなはそのことをずいぶん前からとても楽しみにしていたので、それだけでもがんばって受け取ってほしいと思って連れてゆきました。
その後、先生に事情を話して、宿題と今日のお勉強の中から持って帰ることのできるものを受け取って帰りました。
先生とお話しするのはなんと、新学期以来です。
でも、私は、ほとんど毎朝、はなのことを祈る時に彼女と彼女のクラスのことも祈ってきたので、あまり、ひさしぶりな感じはしません。
聖霊さまがいつも彼女を私に見せてくださってきたので、私は毎日安心してはなを彼女にたくし、自分の仕事に集中してきました。
帰ってから、少しだけお勉強をみてあげたけど、すぐに、横になって眠ってしまいました。
連れて帰ってよかった・・・。
私は、眠ったはなの向かい側の椅子に座って、いつ目が覚めても、私を見ることができるように、そこでラップトップをひらいて、仕事をすることにします。






Sunday, May 18, 2014

いい味・醤油味

いい味出していました
ぜひ、聴いてやってください
すごく醤油です
始まってすぐのとことで一瞬止まるのだけど
後でどうしたの?って聞くと
なんとくつがペダルにひっかかって、音を止められず、次の音が出せなかったそう
そんなアクシデントは聞いたことがないけど、
へえ~、そんなこともあるんだね


はなの試練

今朝、起きてすぐ撮りました
この後、ずっと横になって、まだ横になっています
横になったまま、もちアイスをかじりました
はなが生まれて初めて、風邪をひきました。
これ、本当です。
あの子は信じられないほど丈夫で元気な子で、今まで、幼稚園も学校も一度たりとも、休んだがありません。
だから私もあの子の病気を理由に欠勤したことは、ただの一度のもありません。
いつも、いつもそのことを奇跡のように、神さまに感謝していました。
はなはお野菜と果物が大すきで、性格も明るく前向きで肯定的、体を動かすことが大好きだから、そんないかにも病気になりにくそうな三大要素をはなにくださった神さまに、初めて、はなの癒やしを祈っています。
発表会の帰りに、
賢人とふたりでマルカイお買い物をしました
昨日の午後から、何も受けつけず、背中をなでると背骨が大きく盛り上って感じられます。
今日は礼拝も休み、賢人のピアノの発表会も見に行かずにお留守番でした。
ソーダを子どもに与えない主義の私が始めてはなのリクエストに答えてお土産に買いました。
キティちゃんのラムネです。
1ドル48セントもしたけどこれが一番量が少なくてかわいかったの。
そしてはなは、私と同じで抹茶味好きなので、抹茶味のアイスクリーム。
がんばってほしい。
笑顔で踊って欲しい。
たまに宿題なくしてもいい、ピアノが嫌いでもいい。
ただただ、元気になってほしい。
病気の気持ちは、じゅうぶんわかったようです。
吐いた後、びっくりして何度も泣きました。
だから、神さま、どうかもう終わらせて

Saturday, May 17, 2014

十戒第四の戒め

わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、
主の名で、あなたの前に宣言しよう。
わたしは、恵もうと思う者を恵み、
あわれもうと思う者をあわれむ。
出エジプト33:19
暑い一週間にも、毎日ずっと幼稚園ですごした一週間にも普通に終わりがあり、土曜日がやってきました。
夫の助けもあり、毎日、家族でご飯を食べることができ、子どもたちのバレエもピアノも休ませずにすみました。
はなの宿題がなくなる騒ぎがあったけど、ちゃんと出てきて、昨日無事に提出することもできました。
今日は、なにがなんでも、この山になった家の仕事を片づけなければなりません。
洗濯、片付け、キッチンのストーブやバスタブやトイレの掃除、掃除機、モップ、庭の水撒き、支払い、サマーキャンプの申し込み、買い物、エトセトラ
出エジプト記の20章の十戒に、『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない』というのがあります。
これは、時計やカレンダーを見ながら、破らないようにと気をつけるべき律法などではなく、造られた私たちの体に刻まれた、主の美しい恵みと思う。
例えば、幼稚園で六日間すごして、今日が七日目であったなら、きっと私はヘトヘトで、主の前に憩う以外の何もできない気がするのです。
六日間は楽しく仕事ができるように造られた私たちの心と身体。
六日分の仕事しかお与えにならない、神さまの私たちへの超正確な人生のプラン。
今日も暑いのかな?
お買い物の最後に、今日は本屋さんに行く予定。
それから、抹茶スムージィーを飲みながら、買った本を開くのがお楽しみ。
この歩いて移動できる三角形を、私は心の中で『十戒第四の戒めのご褒美』と呼んでいます。

Friday, May 16, 2014

親の気もち・読者の気もち

☆プラダウィリー症候群について調べていて、ある父親の手記にたどり着きました。
10年間にもわたってほとんど毎日書かれている日記のはじめからを、大切に読み始めました。
誰かのブログの読者になるのは、実ははじめて。
特別な子どもを思う親の、特別な気もちを学んでいます。
でも、親はみんな、どの親も、特別な子の親。
特別な心配と特別な喜びを抱えて生きている。
☆生まれて初めて、人が書いたブログを熱心に読みながら、ブログって実は書き方、読み方によってはかなりすぐれたコミュニケーションの手段だと思う。
『おはようスポルジョン』をはじめから一気に、がが~と読んでいますってフィード・バックをもらっても、それがどういうことなのか、あまりピンとこなかったけれど、今は、わかる気がする。
欲しい情報が含まれているかもしれない一山の砂をバケツに入れて、シャベルでひとすくいづつ調べている気持ち。
よ~く目をこらして。
それは知りたい気もち、理解したい気持ち、ポジティブな好奇心がエネルギーになっている。



わが子・わが神

主は、私の力であり、ほめ歌である。
主は、私の救いとなられた。
この方こそ、わが神。
出エジプト15:2
夕べ書いた文章を読んで思ったこと。
どんなことでも気づいてすぐに変わるなら、遅すぎたなんてことにはならないのではないかな・・・。
夢中で生きていて、その時、わからなかったけど、今はわかるってことは、今が自分を変えるチャンスなのかもしれないなって。
賢人はもうすぐ17歳、はなは8歳。
家族がひとつ屋根の下で暮らす時間があとどれほど残されているかは、私にはわからない。
でも、神さまはご存知。
それで、充分。
1歳の賢人、2歳の賢人、3歳の賢人・・・会えない賢人を恋しく思い続けて、10年後に17歳の賢人を恋しくは思いたくない。
断固として。
今の賢人に必要なこと、もの、祈り、私にはもうよくわからない。
でも神さまはご存知。
それで充分。
だって、神さまこそが私の力だから。
神さまと共に、彼の世界最強の味方になりたい。


Thursday, May 15, 2014

めくるめく日々

めくるめく日々。
わが家の小さい子のこと、大きい子のこと、幼稚園の小さい子達のこと、大きい子達のこと。
家のこと、教会のこと。
夫のこと、両親のこと。
ピアノのこと、撮りたい写真のこと。
ほしい絵本のこと、読みたい本のこと。
『おはようスポルジョン』のこと。
毎日いろんなことを考えながら、夢みながら、祈りながら、賛美しながら、生きています。
保護者面談週、そうとは知られず、そっと自分の子育ての反省と失敗、そして夢をシェアしてます。
もっと、プレイ・デートすればよかった。
もっと、母国語での遊びこみを重視すればよかった。
もっと、話したくなる体験作りと、話したくなる関係作りに心をそそげばよかった。
もっと、魂に呼びかける、水や泥やその他の感触遊びを一緒に体験したかった。
その他いろいろ。
それでも当時は、私たちなりの精一杯の子育てをしてきたから、それはそれでいい。
こうして、若い親たちにシェアできれば、意味が生まれ、何倍もの利益となって、再びその実をシェアしてもらえるかもしれません。
めくるめく日々。
全ては神さまの恵み。

荒野について・・・

主があなたがたのために戦われる。
あなたがたは黙っていなければならない。
出エジプト14:14
聖書とは、なんて不思議な書物でしょう。
読むたびに新しい発見があり、決して古くならないどころか、どんどん読むべきことが増えてゆくかのよう。
今朝も、ほんのわずかな箇所から、たくさんの発見をしてしまい、書かずにはいられずラップトップを開いちゃった。
まず、13章の19節に〝モーセはヨセフの遺骸を携えてきた〟ってあるけど、これはあのヨセフなのかしら?
もしそうなら、紀元前1900年とかのヨセフと1500年とかのモーセの隔たりはすごいのに、どうやって?って思う。
それから14章の12節のモーセに対する民の文句に、〝エジプトで仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちにはよかった〟ってあるけど、今朝の私は、エジプトがそんなに悪いところではなかったっていう気持ちはもちろんよくわかるけど、荒野も、きっとそんなに悪くないよって思う。
私にとってエジプトとは働くところ、仕えるところ。
そこは、クリスチャンのクリスチャンとしての働きを祝福するために神ご自身がお造りになりよしとされた国。
そこで全力で祈れば、イルカもくじらも親子でママ友連れて呼ばれちゃうほど。
そして、荒野とは純粋に神と交わる場所。
どこよりも親密に神を知ることができる場所。
私は、ある時期、教会生活を通して2年ほどを荒野ですごしたからよくわかる。
奉仕もなく、交わりもなく、ただひたすらに黙って神さまに飢え、黙って神さまに渇き、黙って神さまを想った時期でした。
でも、それは神さまの私への個人的な訓練、プライベートレッスンというか、一対一の学びという贈り物であったと今思う。
かけがえのない2年だった。
一生の宝物となる気がします。


では、今日もきっと良い日でありますように。


Wednesday, May 14, 2014

あつい日のおいのり②

暑い1日でしたね。
といっても、私は大変な寒がりなので、〝暑い〟と感じる貴重な日の、この体が温まった状態を、なんとか、次の暑い日まで保ち続けたいほどです。
ハイキングなんかして、山道を歩き続けないかぎり、自ら汗をかくことなんて、もうほとんどないほど冷たい私。
最近はお風呂でお湯につかっても、体が冷えすぎていて、温まる前に長湯に疲れてしまっていたから、こんなふうにおしつがましく強制的な暑い日が実はすき。
昨日の帰りに、いつもいるホームレス人が、いつもいる場所にいなくて、心配していたら、今日もいませんでした。
私は、毎日、その人のために祈っていたから、とても気になります。
普通の人にはとても暑い日だったし、外にいるには大変な日だったことでしょう。
月夜のさわやかな風が彼をやさしく癒してくださり、主の励ましが彼を包むようにと祈るばかりです。





あつい日のおいのり

あめの日も、
さむい日も、
あつい日も、
風の日も、
神さま、ぜんぶありがとう
どうぞ、きょうも、神さまがよいとおもうお天きにしてください
でも、1日じゅう、ずっとそとですごす人を、どうかまもってください
お水と、日かげと、すずしいかぜと、
そしてあなたの愛が、
すべてのばしょに、ありますように。
あーめん

Tuesday, May 13, 2014

怒り怒られ、励まし励まされ、愛し愛され大忙し

何がなんだかわかんないほどに、いろいろ一杯、あれこれてんこ盛りな5月、そしてももっともっとすごい6月がやってきます。
賢人は今週末の日曜日がピアノの発表会で、なんだか、いつになく、そわそわしています。
今まで、絶対に興味を示さなかった私が撮影した練習のビデオを見たりなどして。
私は、今週、そして再来週が保護者面談で連日6時まで幼稚園にいます。
まあ、それはどうってことないのだけど、お休みしようと思っていたはなのバレエのレッスンが、休めないことになって大慌て。
6月の発表会ではソロのシーンがあるから、そのポジションがほしいなら、絶対にお休みしないなでって先生に言われ、それを聞いていたはなに「やりたいやりたいやりたいやりたい!お願いやらせて!」って手を合わせて拝まれ、「は、は、はい・・・」って言っちゃったんだよね。
今思えば、はなの前でそれを言うって、先生の策略だわ。絶対。
私は、アフター・キンダーの子たちにハンドベルを持たせて、歌とベルとを一つにした音楽を作り中。
やるたびに、いろんなことを変更する私に、「ええ~!またちがうの?僕ファでせっかく慣れたのに!」って怒りだす子もいたりして、気もちもいろいろ、謝ったり、おだてたり、励ましたり、叱ったり、あっちにこっちに忙しい。
そんな中頼りになるのは夫のヘルプ。
明日のはなのバレエにレッスンも連れて行ってもらえることが、今、この文章を書きながらわかりました。
ほお~。

へブル人の助産婦のように・・・

わたしは主である。
あなたがたのいる家々の血は、
わなたがたのためにしるしとなる。
わたしはその血を見て、
あなたがたの所を通りこそう。
出エジプト記12:13
今週から出エジプト記を読み始めました。
今朝はまず、自分自身のために、神を恐れて、神の聖さのうちに保たれるようにと祈りました。
1章に出てくる、神に愛されたへブル人の助産婦のようでありたいと願いつつ。
善からはなれず、無価値で身を避けるべきことに、目ざとくありたい。
だから、神の最善以外のものは何もいらないと、祈りました。
おはようございます!
昨日は、とても気温の高い1日でした。
だから、今朝は起きて、お部屋の窓を開けて、冷たい朝の空気を取り込んでいます。
寒いからTシャツの上にパーカーを着て書いています。
こうやって、朝一番に窓を開き、冷たい空気でお部屋を満たして6時ぐらいに閉め、カーテンも開かずにおいて出かけると家の中がそれほど暑くならずにすむの。
やってみて。
午前中はこれで大体大丈夫だよ。
では、今日も良い日をおすごしください。





Sunday, May 11, 2014

Happy Mother's Day

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。
そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、
あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、
それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。
Ⅱテモテ1:5
左はかりんちゃんの学校のおともだち
偶然だけど、偶然じゃない
神さまの素敵な楽しいプラン!
ハッピー・マザズデイ!
母の日の礼拝はいかがでしたか?
偉大なるクリスチャンマミーたちの話を聞きました。
ジョン・ウェスレーのママは、祈る時間を確保するために、エプロンを頭にかけて、それを合図にしたそうです。
私は、クルマに閉じこもります。
自ら渋滞に巻き込まれて、祈ります。
神さまは、全ての母親たちに、ジョン・ウェスレーのママのエプロンを与えてくださっていると思う。
私には、長距離通勤だった。
子どものために祈る前に、親としての自分の祝福を祈り、親としての祝福を祈る前に、ひとりの人間として主の前に静まる時を求めることに、何の後ろめたさを覚える必要もなく、自分の小ささを情けなく思う必要もないと言われた気がして本当にうれしかった。





ベニヤミンになりそこなった私


ヨセフは彼らに言った。
「恐れることはありません。
どうして私が神の代わりでしょうか。
創世記50:19
未練たらしく、創世記の最後のあたりを、しつこくくり返し読んでいました。
そして、再出発をする決心を新たにしています。
創世記の最後の5章が大好きです。
年老いた愛する父の代わりに同じ母の子、弟ベニヤミンにどんなことをしてでも会おうとするヨセフの最後のせっぱつまった言葉や涙に、がんばったけど、がんばりぬいたけど、本当は淋しくて、苦しかった、ヨセフが見えてきます。
本当は淋しい時も、苦しい時もあったけど、でも、主がやりなさいって言うから、なんだかよくわからないけど、でもとにかくやったって感じが、私は大好き。
ここを読んでいて思い出した、C.S.ルイスがどこかに書いていた文章があります。
単純な悪から複雑というか、複合的な善をつくるのが神なのだというような意味の言葉だったと思う。
個人的な災い転じて、人類的な福となるというか。
人がどう行動しようとも、神はその目的を実現されることは確かということだけど、あなたはどう神に仕えるのかという、彼独特の皮肉を含んだ問いかけでした。
それは、ヨセフのように仕えるか、10人の兄たちのように仕えるかという意味だったのだなって、今朝、ここを読んでいて思いました。
正直に言うと、私は、ヨセフのようにでもなく、10人の兄たちのようにでもなく、ヨセフの弟のベニヤミンのように生きたい。
でも、どうも、私の人生はそうは問屋が下ろさないようです。
あなたがたは、私に悪を計りましたが、
神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。
それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
ですから、もう恐れることはありません。
創世記50:20,21





Saturday, May 10, 2014

いきなりミック

夕方、賢人はスケボーを抱えて、ふらっと出て行き、はなはお庭で犬のじょえると遊んでいたので、ひさしぶりにテレビでも見よう思ったのに、どうやってつけていいかわからず、悪戦苦闘。
ふたつのリモコンをめちゃくちゃにいじっていたら、ぱっと映った。
それはローリング・ストーンズの野外コンサート。
ミック・ジャガーの人間ばなれした色気に画面に目が釘つけになちゃった。
たぶん70歳ぐらいのはずだけど、体型が思春期前の少年のようにひょろりと美しく、動きも、ちっとも図々しくなくしなやかそのもの。
一体全体どうなっているだろう、このヒトって思いながら、画面を見つめていたら、はなが戻り、賢人が戻り、夫も戻ったのに、私はテレビを見ることをやめられなかった。
ミック・ジャガーって、私の親の世代だけど、あまりのかっこよさに、思わず、(月並みで使い古された言葉だけど、これ以外にない)元気と勇気をもらっちゃった。
すごいね。
使命を全うするって、ああいうヒトのことをいうのよね、きっと。
命を使っているけど、命が溢れている感じだもの、狂気さえ感じました。



仕事と幸せの関係

どんな週末をおすごしですか?
私は、いつになく真剣に、仕事と幸せの関係について、真面目に考えてみたりしつつ、真剣に焼きそばを作り、食べ、ゆりかさんと熱く電話で語り合い、そして、おうちの片づけと掃除を一生懸命してすごしました。
もちろん、結論なんてないのだけど、でも、今日この日、今この瞬間、自信を持って言えることは、神さまは、私たちにそれぞれ大切な仕事を備えていてくださっているということ。
それは人生のステージごとに、経験と能力と好み(!)に見合った、でもチャレンジと新しさに満ちた、素晴らしいものであるということ。
誰かの役に立つものであるということ。
喜びに満ちたものであるということ。
そして、それは人の幸せの重要な要素であるということ。
それは使命。


新しいテンプレート、自分ではとっても気に入っているのだけど、きれいな色の写真が映えないのです。
どうしたものだか。
モノクロじゃ表現できない、幸せな笑顔ってあるよね・・・。
ギャップを無視するか、モノクロで抑えるか、テンプレートを変えるか。
それが問題。









行方不明の夫・究極のやきそばと新しい仕事

☆起きたら、なぜか夫がいないので、朝一番に、賢人をビーチに送ってきました。
この頃、いつも黙って代わってくれていたので、とても久しぶり。
たまにはいいわ。
朝のビーチってとってもいい気持ち。
でもそういえば、夜寝る時も夫はいなかった気がする。
晩ごはんは二人で、賢人の友達のスティーブンの身長の話をしながら食べたんだけどね。
☆ビーチから戻るクルマの中、右に美しい海岸、左に素敵な家々の景色を眺めながら考えたこと。
究極の焼きそば。
そして、帰って、さっそく、心をぐぐっと集中させて作りました。
決め手は麺をちょこっとの油で手早くほぐすこととブルドック中農ソースとおたふくやきそばソース。
サーフィンの後のはらぺこ男とこの頃よく食べるはなと3人で、世界を忘れ、お互いの存在も忘れ、無口にもぐもぐと食べました。
ち~ん(←ここクリックね)で書いたことが、ようやく言葉になり、最初に知るべき人に伝わりすっきりさわやか。
仕事としてのディールも成立し、ばんばんざいです。
夏が待ちきれません。
すでに、頭の中で少しづつ、組み立てが勝手にはじまりつつあります。
やるからには、誠心誠意をこめ、全身全霊で取り組みたい。






Friday, May 9, 2014

Restart

テンプレートを新しくしたの。
気分を変えたくて。
どお?
すき?
気にいってくれた?
記事をアップすると、すぐに開いて読んでくれる人がいる。
私が知っている人かな、それとも知らない人かな。
わからない。
でもうれしい。
ありがとう。

だから、やっぱり書くことはやめられない。
ううん、文章の向こう側に誰のことも感じることができなくても、書くことはきっとやめらない。
何をやめたとしても。
神さまだけは、読んでくださる。
読み続けてくださる。
拙いクリスチャンの歩みを綴った、拙い文章だけど、これからも書き続けてゆくから、だから、どうそ読んでください。
読み続けてください。
愛をこめて、愛だけをこめて書き続ける決心を新たにしています。アーメン。

キキちゃんの気もち

今週はずっと書いては消し、書いては消ししていた気がします。
いくつの記事を書いて、いくつの記事を消したのかもよく覚えていません。
なんだか急に、書けなくなっちゃったみたい。
魔女の宅急便のキキちゃんが、飛べなくなった時の気もちがちょっぴりわかる気がするわ。
ちょっと気分を変える必要があるのかもね。
今日は金曜日。
のんびりすごすことにします。
良い週末をね。



Monday, May 5, 2014

はっぴー・こどものひ




顔をあげて

そして、あなたがたは真理を知り、
真理はあなたがたを自由にします。
ヨハネ8:32
今朝、目覚めてからしばらく、昨日の礼拝、メッセージ、聖餐式のことを考えていた。
主の前に小さくひれ伏し、顔をあげることもできない私、一週間のうちに何度もイエスを十字架につけた私は、同じように、顔をあげるのことのできない、自分の罪に傷つき、癒しを求める礼拝者達を得た。
それが、私に与えられた新しい場所。
聖餐式のパンをおいしいと思った。
主の食卓の前に立ち、それを口にしても、私は自分の罪によって、燃えてなくならないのはとても不思議。
真理はイエス・キリストとメッセージの中で教えられました。
私はそれを知っている。
正しく、考えたり、感じたり、話したり、動いたりできない私なのに、知ることだけはできた。
霊によって。
聖餐式のパンをかみしめながら、そう思った。

あなたと私の新しい一週間が、良い日々でありますように。
わからなくなったら、空ををみあげてください。
私もそうします。
あなたが見上げる空と私がみあげる空はつながっているから、ひとつの大きな空だから。

Sunday, May 4, 2014

おいしく、きれいに、心をこめて

たくさんの人が読んでくれたこと、本当にうれしいです。
心から、ありがとう。
くじらの親子とイルカに会えた遠足の日のこと、そしてその直後のハプニング、長年の夢と現実に示される仕事について、それからやっと見つけた大切なこと。
一生懸命に書きました。
だから、読んでもらえて本当にうれしい。とても、とても。
コンピュータを借りていて偶然見つけた写真
どこだろう、いつだろう
すごくいい顔だったから買ってに拝借
今日は予定通り、かりんちゃんをサンデー・スクールに連れてゆくことができました。
かりんちゃんをクラスに登録して感無量。
私を信頼してかりんちゃんを預けるくれる早苗ちゃんに感謝の気持ちで一杯です。
はいはい時代からの友だち、ストローラーを並べて歩いた仲だものね。
8年を経て、ようやく伝道へと導かれました。
そして、賢人は今日、今年初めてのなおくんのサーフィングループにジョイン。
大きなベテランの人たちと一緒だと、私も安心して、海に彼を預けることができます。
大人の新しい友だちが、彼に親しくあいさつをしながら、私のクルマまで一緒に送って来てくれました。
プエルトリコからの移民の2世で、カリフォルニアにはきたばかりだそうです。
6年生だった頃の賢人はとても証なんてできなかったけど、今はそうでもないみたい。
今だに最年少だけどね。
夕方、はなとお買い物に行きました。
今週は、お料理をがんばります。
おいしく、きれいに、心をこめて、愛をこめて。








持っててね、大切な旗だから

私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ。
あなたの御名をほめ歌います。
詩篇9:1,2
火曜日の遠足の後に、「くじらの親子とイルカの群れが私たちのボートに会いにきてくれました。お祈りのおかげです。」と祈り会に報告したら、この聖書のことばが送られてきました。
宝物として大切に胸に刻みました。
『証し人になりたい』って思って、そう書いたことを神さまは喜んで読んでくださったのだなって、思いました。
今朝、もう一度、読んでみました。
気もちと、考えと、やりたいこと、やるべきことが、ちゃんと書けた日だったなのだとあらためて思います。
こんな私にも、そんなヒットの日があるのね。
それもこれも、みんな神さまのおかげ。
ここ数日、将来の夢や夢をかなえるための方法が頭の中でごちゃごちゃになって大変でした。
いろんな色の毛糸が絡まって、どこからどう、解こうかなって途方に暮れかけていました。
心が希望で膨らんでいるのはわかるけど、どうしようもなくあふれる高揚に、「でもなんで?でもなんのため?」と聖書的にちゃんとわかりたい気持ちがあふれる喜びを「まあ、まあ、落ち着いて」っておしとどめようとがんばっていた。
でも、今朝、『証し人になりたい』を読んで、私の祈りや、喜びや、満足は、全部それを、余すことなく語り告げること、主をほこり、御名をほめうたうためなのだと思えました。
そう、私は証し人になりたいのです。
週末、一週間の献立を立てて、お買い物をします。
献立のコンセプトは〝簡単〟
月曜日の仕事が始まったら、それを、食べたくても食べたくなくても、おいしく出来ても出来なくても、機械的にとにかく、夕方、5回、家族に出します。
でも、今日は、〝簡単〟じゃなくて、〝家族の笑顔〟というコンセプトで献立を立ててみようと思います。
私の願いや、祈りや、神さまの知恵の献立が、もし家族の笑顔として実を結べば、また、私はそれを書くでしょう。
福音を楽しく、わかりやすく、子どもたちに伝えるという大きなゴールを旗のように掲げていました。
大きな旗なので、それを雨の日も、風の日もまっすぐに立てているのは、大変でした。
片手で必死に旗を立てたまま、もう片方の手で一般の幼稚園で働き、家族にごはんを作り、教会でその仕事に召しだせるのを待っていたのかもしれません。
大切な旗は、神さまに持っていてもらうことにします。
そして、私は自由になった両手で、精一杯に祈りながら、力一杯の仕事をしよう。
やっと、ここまできたよ。
ありがとう、神さま。


Saturday, May 3, 2014

ち~ん!②

のんびりと、好きなことをしてすごしました。
お庭に水を撒き、好きな草花を摘んで、お部屋に飾り、ゆりかさんに電話をかけて、ち~ん!とひらめいたことを聞いてもらいました。
それから、掃除、洗濯、亀のチャイタの水槽をきれいに洗いながらも、ずっと、ち~ん!のことを考え続けています。
好きなことはたくさんあります。
読むこと、書くこと。
ピアノを弾くこと、歌うこと。
小さな子どもたちに教えること、一緒に遊ぶこと。
散歩と山登り。
詩をつくること、写真を撮ること、絵本を集めること。
庭仕事と家事、食べたいものを作ること。
そう、私は、実は家事が大好き。
自分で言うのもなんなのだけど、仕事の動作と、物や道具をコーディネイトするのが実はちょっと上手なんです。
使う場所や頻度を考えて、物の量やしまい場所やしまい方を考えることに、不思議な喜びを感じます。
これを賜物と呼べるかどうかは別として、この『好き』を仕事にいかすことを考えているのです。
これ、かなり、ち~ん!だと思うんだよね、うん、うん。

The Gift

朝、目が覚めたら夏の匂いがして、うれしくなって飛び起きて、本当かどうかお庭に裸足で出て行って確かめた。
うんうん、確かに夏の匂い。
大好きな匂い。
それから、コーヒーを作って、ラップトップを開いて、夕べ書いた記事を読んで、ちょっと直しました。
それでも、全然書き足りません。
私は、神さまから生まれた時にもらったものや、その後、好きでやり続けて得たものを、全部ちゃんと、誰かのために使っているかなって考えてみています。
人のために使えば使うほど、磨かれてゆくはずの賜物を、出し惜しみして、ダメにしてはいないかなって。
そして、誰のため、何のため、どんな目的のために使うことを望んで、神さまは私にこれをくださったのだろうって。







Friday, May 2, 2014

ちーん!

今週もいろんなことがありました。
長い一週間でした。
月曜日、週末からの、『幼稚園が遠足のためにチャーターしたお船にくじらが会いに来てくれますように』と祈ることに明け暮れながらスタート。
火曜日、祈った言葉、見せられた幻、夢みたイメージが、願った以上の現実となり、へろへろと、ほんのわずかなビデオを撮る他、何もできないほどに感動しまくりました。
水曜日、生きて働く主に酔い、夢をみているみたいに、ふわふわしながら、でも頭は、心や体の心地良い疲労感とはうらはらに、勝手にくるくると次のステージに向けてやるべきことを考え始めていました。
木曜日、よしっと、辞める意志を伝えようとしたその日、準備していた気もちをこっぱ微塵に打ち砕くような、決定的、徹底的に許しがたい、場面に出くわした。
あまりの無責任な教材や制作素材の取り扱いに意見をすると、耳を疑うエクスキューズが返ってきて絶句した。
そして私は、辞めることをとりあえず脇におしのけ、例によって、解決策について真剣に考えました。
運転しながら、一休さんのように、心を静め、無心に、こんこんと。
金曜日の朝、そう、今朝、ちーんとマイクロウェーブのタイマーがきれるかのように答えが出たのです。
すごくいい、考え。
さて、これをどう表現しよう、形にしよう、実行しよう・・・。
まずは、じっくり祈りたい。
うん、話はそこからだ。(ち~ん!②に続く)



Thursday, May 1, 2014

最悪・最低

最悪なものを見ちゃった。
ばっちり。
最低な気分。
要領のいい人って大きらい。
ちっちゃい頃から、ずっときらい。
どんどん嫌いになってゆく、要領いい人々。
そして、もうすっかり大人だから、すっかり大きらい。
要領のいい人って書いて偽善と読もう、これからは。
それは単に偽の善なのに、悪より悪い。
シンジラレナイ。
信じたい。
シンジラレナイ。
信じたい。
神さま、助けて、最悪です。