Wednesday, May 28, 2014

わが子のため真実な祈り

連休の明けた火曜日の朝から、ずっと、ずっと、ずう~と賢人のことを祈っていました。
朝ごはんを作りならがら、シャワーの間、朝の通勤のクルマの中、帰りのクルマの中、ベッドで・・・。
そして、祈るたびに泣いていた。
だから、つまり、たぶん、ひとりになるといつも泣いていた。
無事に卵は孵り、あっというまにこんなに大きくなった雛
でもきっと、心配はいっぱい
親業の何が苦しいって、子どもの悲しみも痛みも全部もらって、全部引き受けてあげたいのに、大きくなったわが子は自分の悲しみを勝手に1人で悲しみ、自分の痛みを勝手に1人で痛むという、超・あたりまえな現実を受けいれざるおえないその瞬間にあると思います。
アーメンでしょ?。
それは自分がティーン・エイジャーだった頃を思い出せば、一目瞭然の太古の昔からの事実なのでしょう。
それでも、親たちは、わが子が小さな赤ちゃんだった頃と同じ気もちで祈るのです。
どんな悔い改めももいとわず、どうぞ私の咎をあの子に負わせないでって、四方八方を思い巡らし、闇雲に祈るのです。
そして、最後に、あの子を特別に特別に祝福してくださいという祈りにたどり着き、やっと眠りにつくのです。
だって、親だもん。しかたない。