Sunday, November 30, 2014

4連休・第4日

とても良い日曜日でした。
私はこの半年、毎週、日曜日にそう思うのです。
ここは、私が救われた教会にとてもよく似ている。
その教会はもう今はないけれど、そこにいた人がいる。
私のために祈ってくれた人。
旬子先生、ゆりかんさん、恵子さん。
そして、もうすぐそんな愛する人たちと一緒にクリスマスを迎えます。
ここが会場で~す 教会じゃないよ
教会のコミュニティーセンター
ここは会場のトイレで~す 
あまりのかわいさに、ねえここで写真撮って!だって
両脇が天使ガブリエル
間の小さな人たちは、かわいいかわいい小天使たち
最後はみんなで合唱です
そして、そんな、かれこれ13年も前、賢人が羊飼いの役で出た生誕劇に、今年はなが出ます。
天使ガブリエルの役で。
音楽も台詞もあの頃のまま。
自主保育グループYou&I・ 友愛でやったあの頃のまま。
ひまわり幼稚園でもやったあの頃のまま。
神さまの粋な演出、粋な筋書き、粋なご計画に、感動を通りこして、ドキドキがなりやみません。
このおしばいを、はなと一緒にできるとは、思ってみなかった。
そして、私は、今度はピアニストではなく、なんと物語の語り手なのです。
ピアノごしにではなく、このお話しに参加するは初めて。
とてもとても新鮮なこの冬最大のイベントです。

天使・ガブリエルズの準備

主よ。
あなたは、私たちのために平和を備えておられます。
私たちのなすすべてのわざも、
あなたが私たちのためにしてくださるのですから。
イザヤ26:12
おはよう。
のんびりのんびり、すごした連休もいよいよ、最終日です。
はじめてのおでかけ(!)日曜礼拝に行ってきます。
この休みの間、はなは毎日、生誕劇のせりふの練習をがんばりました。
まだ、ちゃんと覚えてはいないけど、なんとなくは言えるようになりました。
今日は強力な相棒、もうひとりのガブリエル、かりんちゃんと始めて合せてみます。
もうひとりのガブリエルだけじゃなくて、金曜日の聖書クラスのマリヤや博士やローマ兵とも初めて一緒に練習です。
楽しそう~。(ってわが子はまだちゃんと覚えていないのに、のんきな私)
様子を写真に撮ってくるね。
では、よい日、聖日、主の日となりますように。


Saturday, November 29, 2014

4連休・第3日

連休3日め、お休みに入って毎日のんびりのんびりだけど、今日ものんびりのんびりです。
腕の焼けどのじんじんはおさまり、シャワーで熱いお湯にさえあてなければ、忘れていられるようにまで回復。
すばらしい!神さまのお造りになった、ほっといても勝手に直ろうとする私の皮膚。
今日は、カウチのカバーを全部はずしてお洗濯。
はずす前に、特に汚れている腕をのせる部分に洗剤をのせて、ブラシでゴシゴシこすりました。
洗濯機が働いてくれている間、私も何かせねばとアンティークの扇風機をおそるおそる分解して、おそうじしました。
アルミ色だった扇風機が、ステンレス色に輝くのを大満足で眺めてからカウチのカバーをお庭に干しました。
そのついでに、庭の植物の枯れた葉をせっせと摘んで、落ち葉をせっせと集め、ついに、ほとんど半日、庭ですごしてしまいました。
そうそう、賢人とお買い物に行ったんだった。
月曜日が締め切りのプロジェクトのための絵の具を買ったついでに、一緒におひるごはんを食べました。
ちょこっとだけど、腕をくんで歩きもしました。
賢人は、ついで買ってもらう、イヤ・フォンのために身を売り、私に腕を預けてくれたのです。
午後は、冷蔵庫の中を整理整頓しながらおそうじしました。
夫が買ってきてはどんどんとたまってゆく、わけのわからない調味料やよその国(日本式じゃないって意味ね)の漬物をにおいをかぎながら、整理整頓。
今夜の夕食は、焼肉丼。
賢人と買ってきた、持ち帰りです。
のんびりだけど、なにがどうしたってわけじゃないけど、でもとても充実した幸せな休日でした。



神の平和

私たちには強い町がある。
神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。
城門をあけて、誠実を守る正しい民をはいらせよ。
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。
その人があなたに信頼しているからです。
イザヤ26:1~3
私がノンクリスチャンの人に知ってほしいって一番強く思うのは、心に神さまの平和が満ちているってどんな感じなのか。
それは、充分なお金とか、自分達の安全な家とか、健康な家族とか、安心できる人間関係とか、やりがいのある仕事とか、そんな良いものの中にずっといても、あまりよくわからなくて、例えば、時間がない時の渋滞の中だったり、ぎくしゃくした人間関係の真っ只中だったり、思わぬ、出費に途方に暮れそうになっている時だったり。
そんな時、かたわらで、同じ問題を私以上に真剣に受けとめていてくださっている大きな存在を認め、よりかかったとき、ああ、だいじょうぶって思う。
そして、そのああ、だいじょうぶって思える気持ちは、どんなものよりも良いもの。
それは、たぶん、よりかかってみないとわからない、とてつもない安堵。
爆発寸前のヘリコプターから、半信半疑で飛び降りたら、ちゃんとパラシュートがひらいた的な安堵。(たぶんね)
私は、全く伝道熱心なクリスチャンじゃないし、ちまちまと書くことで、イエスさまの衣から垂れている糸にしがみつくような人生をなんとか文章にしようとしている、ちっぽけな信仰者だけど、今、それを知ってほしいと、心から願うノンクリスチャンがそばにいます。
イエスさまの強くてやさしい大きな手が彼女を包み、そしてイエスさまご自身が彼女の道となってくださいと祈りました。



Friday, November 28, 2014

4連休・第2日

☆今日は、はなとふたりでお花の苗を買ってきて、さみしかったフロント・ヤードのあちこちのポットに植えました。
いちごやローズマリーやミントなんていうお花じゃないものも買ってみました。
なにしろ、この季節なので、限られたお花しかないでしょ。
みずみずしい命にあふれる、丈夫そうなハーブたちに応援をお願いして、我が家のフロント・ヤードもちょっぴりかわいく模様替えです。
☆そして、なんと悲しいことに、アイロンで焼けどをしてしまいました。
腕の内側の、焼けどするにはもってこいの白くて薄い皮膚の上に。
i podで知的で難解な独特な語り口調の牧師のエキサイティングなメッセージに聞き入っていて、ちょっと固まって考えていたその瞬間、置いたアイロンのとんがった三角のところに、たたんだYシャツを持った腕をくっつけちゃった。
ジンジン傷むこれ、消えるのかな?やれやれ・・・。
☆今夜は、読み物がいろいろあってうれしい私。
この連休のために積んでおいた、あらゆるジャンルのあらゆる雑誌。
庭、料理、デコ、アート、聖書、随筆集、幼児教育、エトセトラ。
左に積んだ雑誌をぱらぱらとめくっては右に落とし、それを3回ほどくり返して、眠るのかこの連休前夜からの楽しい習慣。
それでもまだまだある雑誌の山。うしししし。







私の仕事、私だけの仕事

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が実を結ぶ。
その上に、主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
はかりごとと能力の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。
イザヤ11:1,2
おはよう。
夕べは、昨日の朝寝坊がたたり、夜中に目が覚め、なかなか寝付けず、考え事をしてしまったり、お水を飲んだり、トイレに行ったり・・・。
だから、今朝は、あ~寝た寝たという満足感が得られず、ちょっと変な気分。
やっぱり、朝寝坊は私の身体には合っていないのね。
はなのために祈ることは私の大切な勤め
過ぎたるは及ばざるがごとしっていうけど本当だわ。
なんでも、足らないぐらいがちょうどいいのかもしれません。
それで、今朝は普通に起きて、普通に聖書を読み、普通のお祈りをしました。
夜中に起きて考えていたことは、ほとんどが、『心配ごと』だったので、そのことを祈りました。
それははなのこと。
犬のじょえるを連れてお散歩に行くと、お花をお土産に摘んで帰ってくるはな。
バスルームにおいてある、私のコンディショナーを自分の乾いた髪につけて、実験をするはな。
バックパックに、私が決して買ったことのないからいチップスの空き袋を入れて帰ってくるはな。
その都度、私はかなり厳しく「それは泥棒さんと同じ」と教えてきたけど、いろんな形で時々、こういう心配の種を見つけてしまいます。
今朝は、そんなはなのために、何をどう祈ればよいのか教えてくださいって祈りました。
この前の日曜日に、牧師が彼個人の祈りを祈った時に、「どうか僕を、ますます砕き・・・」という言葉が私を突き刺しました。
私ははなを砕いてくださいといか、不必要な部分は切り落としてくださいなんて、到底祈ることはできません。
はながそのことで私以外の誰かをひどく悲しませて、私以外の人からそのことを叱られるとか、罰っせられるなんて、考えただけでも苦しくなってしまいます。
でも例え、そんなことがはなの身に起きてもも、それは、若枝が実を結ぶためなのだと、信じる勇気がほしいです。



Thursday, November 27, 2014

4連休・第1日

4連休の初日は、もったいないほどにのんびりとすごしました。
まず、念願だった朝寝坊を実行し、そして、ベッドの上でぱらぱらと雑誌を読むことに、ほとんど半日を費やしました。
そんな一見、全くやる気のなさそうな休日の午前だけど、大変な収穫がありました。
根田祥一という人の書いた、イースト・メノナイト大学の先生の先生、ハワード・ゼアという人の話をまとめた記事を読んで、ものすごく納得し、謎が解け、ぱきっとわかることがあったのです。
トピックは赦し。
以下根田祥一の文章です。
必要なのは、失われた正義(公正さ)が取り戻されること。
回復のためには、犯罪によって秩序が失われたところに、もういちど秩序を築く必要がある。
その答えを得るために、被害者は加害者に会おうとします。
多くの場合、答えを持っているのは加害者だけだからです。
この文章の中の被害者とは強姦殺人で亡くなった女性の当時幼児だった女性と彼女のおばあちゃん(つまり亡くなった女性の母親)で、ふたりはハワード・ゼアという法曹界のカウンセラーのようなことをしている人に導かれて、完全な赦しを経験したという記事でした。
意思決定として赦した後、加害者に会って、神が働かれ、完全に赦せたというのがこの記事のサマリーです。
私が、はっとしたのは、必要なのは失われた正義が取り戻されることというフレーズ。
とてもメイク・センスする。
これは、弁償とか償いとか謝罪がもらえるって意味じゃなくて、「もちろん赦さなくっちゃいけない、でも私はとても傷ついている」という本心に神さまにふれてもらうってことと思うのよね。
そして、これは私の解釈なのだけど、赦したい気持ち、癒されて新しく人生をやり直したいという前向きな気持ちが、神のおとりあつかいを受ける鍵なのではっと思いました。
それを知るのはすごく、意味深いこと。
だから、泣いている子に、謝れずにいる泣かせた子に代わって、「ごめんね、すごく、いやだよね。まきせんせいがかわりに謝るから、だから、ごめんねが言えるまで、もう少し待ってあげて。」って言ってその子どもを抱きしめて、じっとただ背中をさすっていると、たいていの子が気持ちを落ち着かせてくれます。
そればかりでなく、たいてい、それを見てた、泣かせた子も、もじもじしながらやってきて、ちゃんとごめんねって言ってくれるのだけど、それはそういうわけだったのねって思いました。

神さま、ありがとう

今年、とても感謝に思うこと
家族の健康、特に丈夫な夫
壊れそうでこ壊れない私たちの結婚
主によって与えられたと確信できる新しい教会
いろいろあるとは思うけど、黙ってがんばる夫の仕事
賢人とはなの学校生活、お勉強、友だちと先生
職場の仲間と仕事、子どもたちとチャレンジ
教会での仕事、祈りとピアノ
新しい家族の犬のじょえる
それから、新しい車
全て、神さまのもの
神さまが私に託してくださった、大切な財産
神さま、あなたが私に与えてくださる素晴らしいものから、
さらに多くの実を結ばせてください
新しいシビックは快調です
あなたが行きなさいというところに、
あなたの愛を運ぶ仕事を
もっともっと
私に、与えてください
アーメン

Wednesday, November 26, 2014

すごい忘れもの

この前の日曜日のこと。
教会で一緒にランチの食卓を囲んだ、小さな3人の子の子育てをしながら、フルタイムで働くママが、「いつも何かを忘れている気がするのよねって」っと言います。
「あるある」って言いながら、どんなことだっけって、ちょっと、遠い過去のような気がしていました。
私は、九つも年を離して子育てをしている、ぶきっちょな親だから、ちょっと考えてしまったのだけど、今日突然、はっ!っと思い出した。
子どもをクルマの後ろに乗せたつもりで、ドライブしてて、降ろそうとした瞬間、乗せ忘れたことに気づくという、すごい忘れもの。
ひさしぶりにやっちゃった。
はなはその失敗を大笑いしてくれ、ことなきを得たけど、14年前に同じ失敗をした時には、涙涙で、親子で抱き合ったんだよね。
ははは、ひとごとじゃないよ。
お気をつけあそばせ~。


祝福野菜スープ②

昨日、ささやかな野菜スープでの、アフター・キンダークラスでの小さな宴会の後片づけをしながら、今年の一番の私の祝福は、このパートナーの先生かもしれないって思いました。
彼女のおかげで、私は、心に思い描くところから始まる、小さな種のようなアイディアを、さわることができ、見ることもでき、聴くことができ、それから、味わうことさえできる現実にすることができるようになりました。
昨年度、ひとりできりもりしていた時にはあきらめてしまったことも、全部やってみよう。
そしてよかったものだけを集めて、次に続く人、願わくは彼女自身に託したい、いえ、お返ししたい・・・。
昨日の、祝福野菜スープに込められていたのは、子どもたちとそのご家族のきりんぐみへの愛情にほかならないのだけど、でもそれをひっぱって、私に見せてくれたのは、彼女かもしれないと思ってみています まる


Tuesday, November 25, 2014

祝福野菜スープ

片付けを終えて、園舎を出るとどっぷりと日は暮れ、
代わりに駐車場の木がかわいくなっていました
アフター・キンダーのクラスで、持ち寄り野菜を使って、スープを作り、みんなで感謝しあいながらおいしく食べました。
なんの打ち合わせもなく、ただ、野菜を一品持ってきてくださいとだけ、伝えただけななのに、重なりすぎる素材もなく、足らなく感じる素材もなく、完璧においしいスープとなりました。
セロリ、トマト、キャベツ、ズッキーニ、えのき、しめじ、まいたけ、にんじん、玉ねぎ、インゲン、そして鶏肉、完全な祝福スープが出来上がりました。
お食事の前に、まさか一般の幼稚園でお祈りはできないけれど、感謝の発表をしました。
ご家族をお迎えして40人が椅子をまるく並べて座った中で、15人の子どもたちが、ありがとう宣言をしてくれました。
印象的だったのは、このクラスに連れてきれくれるママやパパへの感謝、このクラスで一緒に遊んでくれるお友だちへの感謝の言葉が、連なっていたこと。
私は涙を必死にこらえて、心の中で神さまに精一杯の感謝をささげました。
特大なべに幼稚園からの、まるごと一羽の鶏肉を煮るところから始まった祝福スープ作りは1日がかり、でも40人に余すとこなく食べ尽くされ、ハレルヤ。
今夜の私は、感謝と感動で一杯です。

いい匂いでふわふわなもの

これ、なあ~んだ?
 私にもよくわかりません
マミー&ミーの小さなお友だちが遊んでいました
とっても、いい匂いで、ふわふわやわらかいもの
なんだろうね~

Monday, November 24, 2014

美しい人

はなは右の奥
このかわいい先生に、私はひとめぼれ
形もきれいだけど、顔もちょっと冷たくてきれい
とにかく美しい・・・
きれいなおねえさんたちのクラスを
憧れのまなざしで見つめるはな

ランタンの子

ランタンを作った時に採集した種を撒いたら、芽がでました
命ってすごい・・・

世にも美しいねんど

 これな~んだ
じゃじゃん・かたくりこねんど~!


いつもハッピーでいてね

昨日は、やさしくて、あたたかくって、おいしくって、そしてのんびりとしたとても良い日曜日でした。
朝、早くからの練習ではじまる奏楽の奉仕があっても、そして、礼拝後のクリスマスキャンドルサービスでの生誕劇の練習があっても、私はのんびり、のんびりと、私の日曜日、主の日、聖日を満喫します。
これはきっと、賜物ね、のんきという名の。
忙しい、忙しいと、嘆きながら走り周っているお気の毒な人に、同情しながらも思うの。
忙しさとは、事実以上にその主観で決定されるものでしょ。
だいじょうぶ、この季節の忙しさは楽しむためのものがほとんだと思うよ。
だから、楽しめていなかったら、それはもしかしたら、虚像の偶像に振り回されているかもって、考えてみようよ。
私も、そうするからさ。

Sunday, November 23, 2014

#1000 揺れない場所

私たちのうち、
だれが焼き尽くす火に耐えられよう。
私たちのうち、
だれがとこをしえに燃える炉に耐えられよう。
正義を行う者、
強奪による利得を退ける者、
耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、
目を閉じて悪いことを見ない者、
このような人は、高いところに住み、
そのとりでは岩の上の要塞である。
彼のパンは与えられ、その水は確保される
イザヤ33:14~16

難しいことや、チャレンジはいつも目の前に一杯だけど、こんな神のことばが私のエネルギーや、好奇心や、チャレンジ精神や、忍耐の源です。
どこに立たされても、何をさせられても、臨在さえあれば、そこは主に囲われた牧場、そこは主の建てた岩の上の要塞。
(ここでの1000個めの記事になります。 これ。 全部読んでくれている人、ありがとう。 初めて読む人もありがとう。)

Saturday, November 22, 2014

早起き・サタデー

おはよう。
土曜日だけど、目覚ましをセットして(3時に!)起きました。
別に出かけるわけでもなんでもないのだけどさ。
今週はずっと4時前に起きることができたので、これを習慣にしたいなっと思って。
再びサマー・タイムがはじまったら、起床時間を4時に戻せば、西海岸の時計と関係なく、1年中私は私の時間で寝起きできるしねっと、思ったりもして。
さて、今日は、すでに明日のピアノの楽譜の準備も終わったので、後は、かりんちゃんとはなの生誕劇の練習用フラッシュカードを作って、そこらへんをぱぱっと片付け、それからみんなが起きてきたら、
いつものようにガラガラ・ガーガー盛大にお洗濯とそうじです。
午前中の早い時間に終わりそうなので、がんばって、お昼前に、作った教材を使ってはなと台詞の練習をすませ、私もピアノを練習して、そしたら、午後はのんびり好きなことをしてすごします。
先週は、はなとじょえるとだんごになってテレビを見て楽しかったけど、今日は何をしようかな。
では、良い日をおすごしください。


Friday, November 21, 2014

めぐる、めぐる 季節はめぐる

めぐる、めぐる。季節はめぐる。
大好きな秋が終わり、もう目の前に、もっと大好きな冬がやってきています。
そして、クリスマスとお正月が終わると、一瞬さみしくなるけど、でもやがて、もっともっともっと大好きな春を待ちわびるようになる私。
でも、実のところ、一番好きなのは夏なのよね。
めぐる、めぐる。季節は’めぐる。
一緒にすごす子どもたちが、違うから、いつも新鮮、いつもドキドキ。
うちの子たちも去年と違うステージにいるから、毎年新鮮、毎年ドキドキ。
いつも古い何かを放り投げて、新しい何かをつかむから、万年初心者気分、ハラハラ・ドキドキ。
めぐる、めぐる。季節はめぐる。


Thursday, November 20, 2014

新たなる挑戦


ああ~、おわった、おわった・・・。
私たちの秋の一大イベントが、今日、楽しく、うれしく、にぎやかに、そして感動的に、終わってしまいました。
来週は、持ち寄り野菜でスープを作って、愛する人々のご労をやさしくねぎらい、そして感謝祭の休暇を迎えます。
でもすでに、私の心も頭も冬の発表会での絵本作りと朗読の披露、それからきらきら星演奏のことで一杯。
かりんちゃんとはなの天使ガブリエルの台詞の暗記にも本気で取り組まねばと、気をひきめします。
まずは、イメージと言葉の大型フラッシュカード作りからはじめよう。
飼い葉おけとか、くるむとか、いと高きとか、天とか地とか、栄光とか平和とか、その他いろいろ。
はっ、はっ、はっ、私はこう見えても日本語初級教育の賜物の人なのだ。(自称ね)
第三日曜日のクリスマスの礼拝でピアノを弾くことにもなったので、それも、がんばって良いものにしたい。
何年も教会でピアノを弾いているけど、クリスマスに弾くのはもしかしたら、初めてかもしれません。
うん、きっと。
さて、さて、さらにチャレンジてんこ盛りの私です。

Wednesday, November 19, 2014

あの頃の私たち

ただいま~。
6時半に園舎を出たのに、家に着いたのはなんと8時半。
楽しみにしていたピアノのコンサートを聴きに行くつもりが、目的地にたどり着かず、もらった住所が間違っていたみたいて、迷子になり、あきらめて帰ってきました。
まあ、こんなこともあるよね。
おかげで、運転しながら夫が買ってくれた電話のクルマ用のチャージャーを、パッケージをひき破って使ってみる機会となり、電話の電池の残りを心配しないでGPSを使えるようになりました。
あの頃の私たち
はなもちっちゃいけど、私も若かった気がする
長い1日だったけど、今日もとても良い日だった。
はなが4歳の11月のこの日、彼女の担任の先生に、「はなちゃんのママ、さっさと、座ってください!」って言われて、私は、仕方なく仕事を中断して、行事に気もそぞろで参加しました。
そして、15分ほど、仕事忘れて、とてもとても、感動をしたのです。
私も、今日、担当している子のママであるコ・ワーカーに、「クリちゃんママ、お願い、テーブルクロスのかかったとこにどこでもいいから座って!」って強い口調で言ってしまって、はっとそのことをすべて、そっくり、思い出しました。
そして再び、彼女の感動が、私は、自分のことのようにうれしかった・・・。




Tuesday, November 18, 2014

3さいたちとおしょくじ、5さいたちとおしごと

素的な1日でした。
小さな子たちのクラスも大きな子たちのクラスも、すっごく濃密で充実していました。
充実ってまさに、こんなことをいうのよね、って思うほど。
実は新学期が始まって以来、初めて、クラスのみんなでそろってお弁当を食べました。
今まで一緒に食べたことがない子たちの真ん中で、おかずのことや、好きな食べ物の話をしながら、楽しくおいしくお食事をしました。
私は、いつもこうやって子どもたちと親しくなってきたので、気心が知れるまでに時間のかかった子たちと、ようやく、食事のテーブルを共にできて、とってもうれしくって、楽しかった。
一緒にごはんを食べるってとても大切だなって、あらためて思う。
時々、こんな風に偶然に見せかけた贈りもののような日をくださる神さまに、心からありがとうって思った。
そして、大きな子たちのクラスも、超エキサイト!
まあ、こっちはなぜか毎度のことなのだけどね。
ホント、お得なアフターキンダーの仕事です。
みんな初めての英語環境で緊張し、だんまり、猫をかぶり、がんばりぬいてやってくるから、もう、来るだけでへろへろと楽しそう。
何を提供しても喜んでくれる。
今日はおみせやさんごっこで盛大にもりあがりました。

カタリナ遠足のこと

まことに主は強い御手をもって私を捕え、私にこう仰せられた。
この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。
「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反とよぶな。
万軍の主、この方を、聖なる方とし、
この方をあなたがたの恐れ、
この方をあなたがたのおののきとせよ。
イザヤ8:12、13
おはよう。
別に決めていたわけではないけれど、今週は早起き週間です。
このまま、この4時前起きが習慣になっちゃえばいいな。
今日は、賢人はUSCのお船に乗ってカタリナに遠足に行きます。
費用は8ドル。
5年生で行って以来です。
その時はカタリナ・エクスプレスで、しかも泊まりだったのに、費用は確か0ドルだった。
ドラマミンという、酔い止めのお薬を買って持たせました。
乗る1時間前に飲むようにと言ってあるけど、忘れなければいいなと祈るのみです。
帰りはもっと心配。
飲むタイミングを逃すと意味のないお薬なので。
港には夫が送って行ってくれることになりました。
近いけど、ものすごく辺鄙なところで、番地のある住所を持っていてさえ、GPSがちゃんと導いてくれるかわからないほど、広く、そして複雑なロングビーチの港。
死ぬほどプレッシャーを感じていたのです。
船が見えていてさえ、そこに行きたいのに、間に海があったりする複雑さ。
心からほっとしています。
さて、今日もきっと良い日ですね。
お祈りしています。

Monday, November 17, 2014

だいじょうぶ、神さまがともにおられるから~最終回

新しい教室でのレッスンの初日、はなはとてもがんばりました。
そして、私も、ああだいじょうぶ、彼女は充分にやってゆけると思いました。
顔がちっちゃくって、首がながくって、小柄なアメリカ人離れした体型の、かわいい白人の20代(たぶんね)の先生が、きびきびと、でも、優雅に、次々とめまぐるしくいろんな動きを子どもたちに見せ、子どもたちは真剣にそれを真似しようとがんばっていました。
ピアノもそうだけど、やっぱり、弾いて聴かせてあげられる先生、演って見せてあげられる先生が、小さい子の良い先生の条件だと思う。
かりんちゃんとはなは、天使ガブリエルの役です
そして女の子たちにとっては、先生が、痩せて鍛えられたきれいな身体で、かわいいということはとても大きな、がんんばるポイントな気がします。
キリストの生誕劇の練習は、始めて初めてわかったけど、言葉を知らなさすぎて、全部が本人にとって意味不明という、おそろしい現実に直面しています。
意味がわかった方が覚えやすいと思い「いとたかきところのいとって糸じゃなくてね、・・・」とひとつひとつ教えています。
どうなることやら・・・、でもきっとだいじょうぶ、神さまがともにおられるから。
アーメンでしょ。




だいじょうぶ、神さまがともにおられるから②

その日には、高ぶる者はかがめられ、
高慢な者は低くされ、
主おひとりだけが高められる。
偽りの神々は消えうせる。
イザヤ2:17,18
あまりのプレッシャーにいつもより1時間以上も早く起きちゃった。
今朝起きて、気づいたこと。
一番のプレッシャーは、実はキリスト生誕劇でのはなとかりんちゃんのことでした。
日本語日常会話もままならない二人が、はたして、「いとたかきところに」とか「みこことになかうひとびと」なんてことばを覚えられるのかしらん・・・。
でも、楽しもう。
いっしょにがんばろう。
そして、やることがどんなにたくさんあっても、生活を楽しむことを忘れずにいよう。
ごはんを作ること、食べること。
丁寧にシャンプーすること、熱いシャワーにうたれること。
祈ること、聖書を読むこと。
ああ、もうだめってところを、がんばるたびに新しいことが見えてくる。
いつもそう。
だから、今もきっとそう。
そして、私はそんな日々をちまちまと書き続けるのです。

Sunday, November 16, 2014

だいじょうぶ、神さまがともにおられるから

どんな日曜日でしたか。
私は、ほのぼのと幸せで、ほんわかとうれしいことで一杯の日曜日でした。
どんなふうに?って聞かれてもちょっと説明できないけどね。
この新しい一週間は、どきどきするほど、いろんなことがてんこ盛り。
想像できないほどです。
月曜日、新しい教室での初めてのはなのダンスレッスン。
火曜日、賢人がカタリナ島に遠足に行くのでロング・ビーチの港への早朝の送り。
水曜日、なぜかどうしても見逃したくないと強く感じる日本から来ているクリスチャンのピアニストのコンサート。
神さまが、聴きに行きなさいと私をうながしている気がしてならないので、まだ迷っているけどきっと行く気がするのです。
木曜日、忘れそうでこわい、帰りのクルマの中で電話での日曜日の賛美の選曲と打ち合わせ。
そんな中で、幼稚園では秋の一大イベントレストランごっこと、アフターキンダークラスの秋の一大イベントお店屋さんごっこ、そして野菜スープでの感謝のおもてなしが、くりひろげられることになっています。
ああ、一体全体どうなることやら・・・とは思わない。
きっとうまくゆく。
どんなことになろうとも、それが神のご計画であり、天国の基準の最善。




逆らわず、叩かず、叫ばす

たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとい、紅のように赤くでも、羊の毛のようになる。
イザヤ1:18
おはよう。
昨日とうってかわって、日ざしがキラキラ明るい朝って思ったら、あら、大変、こんな時間。
すっかり朝寝坊です。
昨日のコンサート、本当に素的だった。
私も、私の賛美を作ってゆこう、ささげてゆこうって思った。
逆らわず、叩かず、叫ばず、素朴に、自然に、明快に、伸びやかに、楽しくってやさしい賛美を作りたいって思った。
昨日歌ってくれた子どもたちの声のように。
イザヤのここを読むだび、私は祈る。
どうぞ、私の心をふたたび、雪のように白くしてください。
逆らうように、叩くように、叫ぶように弾いてきたピアノを、歌を、音楽を、今朝、あなたの十字架のもとに置きます。
どうぞ、新しい音楽を私に授けてください。
それが、どうか、あなたをほめたたえるだけの純粋なものでありますように。
私にやさしいイエスさまの愛で包んでください。
そうすれば、きっと、私の音楽も変わると思うのです。
アーメン





Saturday, November 15, 2014

一番好きな鹿

めぐちゃんを、自分の教会によべたらなって思う。
時々思っていたけど、今日、再び、とても強く思った。
私には証があるから、それを、ご両親の救いのために祈っている方々にめぐちゃんの声と共に奉げられたらって心から思う。
めぐちゃんのパパが主任牧師をする教会に通う父と母はたぶん、きっと、もうすぐクリスチャン。
親不孝なわがまま放題の娘の私の祈りだけど、ものすごい方法で応えるイエスさまの証しが私にはあるのです。
ふる~いビデオだけど、もう一度、聴いてほしいからここに再びアップします。
めぐちゃんの声、とても好き。
いっぱい聴いたけど、やっぱり私はこれが一番好き。
おそらく、彼女がアメリカで公に歌った最初の曲だと思う。
私が世界で一番好きな鹿、めぐちゃんの鹿



信じれば奇跡は起こる

朝、お洗濯をしていたらめぐちゃんから電話があり、こちらに歌いにくるというので、
はなを連れていそいそと聴きに行ってきました
親子で共演
とても素的なコンサートでした

わるくない人生

おはよう!
あのね、朝、ベッドの中で「私には問題がひとつある、いえ、いっぱいある」って思ったのです。
まあ、誰だってみんなそうなんだろうけどさ、でもほら、山にして知らん顔している自分を唐突に自覚したってわけ。
それで、毎日、なんかいっこでも解決できたら、私は、もっと時間に余裕のあるハッピーな人にになれるのではないかなって思って、いきなりラップトップを開いて、あることを検索してみました。
写真のアップロードに関すること。
そしたら、まさに私の抱えていた問題のひとつに答えるブログがふたつめに開いた検索結果に出いていて、さっそくためしたら、ころっと解決したのです。
ああ、なんてこと。
まさに不具合という言葉がぴったりのよくわかんないエラーで、そして、こうやればだいじょうぶですよ、なんではわかんないけど、という解答に、心から、人生ってわるくないって思った。
実は今週の火曜日にクルマが新しくなりました。
新車で買って14年乗った2000年のホンダ・シビックをついに手放しました。
賢人に乗ってほしくてがんばっていたけど、夫が賢人のあまりのやる気のなさに、ついにぶちきれて、2014年のモデルと取り替えてきたのが、今週の火曜日です。
シートのすわり心地もアクセルとブレーキの間隔や高さも、まったく2000年のと同じで、何の違和感も無理もなく、とても快適です。
でも違いも一杯。
まず、オートマチックなので左足が常に自由。
もったいないな~、あんたもなんかやんなさいよと思ったりして。
左手でコーヒーを持つくせも当分ぬけそうにありません。

Friday, November 14, 2014

石への思い

はなが平べったい石を探していたのです
何日も何日も
 こんなものを造りたいって、言っていた気がする
でも、私にはなんのことかよくわからなかった
 そして、今日、ようやく彼女の造りたかったものが完成
これだったのね
私も作った 子どもの頃
石を見るとそこに何かを描きたくなるDNAがちゃんと継承されていた

綿毛のベッド

幼稚園の花壇に落ちていた綿毛のベッド
あまりの美しさにうっとりする私とNくん
みつめるそばから、ひとつひとつ、静かな風に誘われて飛んでゆく
ひとつの種に無数の羽 信じられないほどの美しさ
ここにも万の奇跡を見つける私

なぞのもこもこ

幼稚園のお庭の土のところに、無数のもこもこ発見
 あっ、ここも あっ、あそこも
なんだろうね
もこもこもこもこ不思議だね 
だれかのうんちかなあ?

万の朝、万の奇跡

朝のうちにあなたの種を蒔け。
夕方も手放してはいけない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。
伝道者の書11:6


おはよう。
夜の間に、身体がすっかり休まり、そして気もちも元気になれることを、毎朝、毎朝、思うのだけど、これは奇跡です。
神さまの地球の全てをお造りになった、その業の完璧さを今朝も心から感謝します。
1日が24時間で1週間が7日で、そして、私の身体は正常にその中で働いたり休んだり、悲しんだり喜んだり、疲れたり癒えたり。
誰もがそうなのかは、わからないけど、泥のように疲れてしまうと、再びリフレッシュされることが、にわかに想像できなくて、暗く落ち込みそうになってしまいます。
でも、神が完璧に造られたヒトの身体とは―少なくとも私は、そうなると自然に気もちがどんなであれ、眠ることを目標に、本人の意志に反して、どんどん意識がなくなり、悩みたくても眠りこけ、そして、明るい朝がくると、「えっ?なに?私?なんか悩んでた?だあ~いじょうぶ、なんとかなるって。」と奇跡の朝を向かえるわけです。
夕べ、夫が「明日は雨だよ」って言っていたので、賢人を学校までクルマで送ってゆく予定だけど、まだ、雨の音は聞こえてきません。
楽しみにしていたのに、雨。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、
すべてのわざをさばかれるからだ。
伝道者の書12:13,14