昨日は、やさしくて、あたたかくって、おいしくって、そしてのんびりとしたとても良い日曜日でした。
朝、早くからの練習ではじまる奏楽の奉仕があっても、そして、礼拝後のクリスマスキャンドルサービスでの生誕劇の練習があっても、私はのんびり、のんびりと、私の日曜日、主の日、聖日を満喫します。
これはきっと、賜物ね、のんきという名の。
忙しい、忙しいと、嘆きながら走り周っているお気の毒な人に、同情しながらも思うの。
忙しさとは、事実以上にその主観で決定されるものでしょ。
だいじょうぶ、この季節の忙しさは楽しむためのものがほとんだと思うよ。
だから、楽しめていなかったら、それはもしかしたら、虚像の偶像に振り回されているかもって、考えてみようよ。
私も、そうするからさ。