Friday, November 28, 2014

私の仕事、私だけの仕事

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が実を結ぶ。
その上に、主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
はかりごとと能力の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。
イザヤ11:1,2
おはよう。
夕べは、昨日の朝寝坊がたたり、夜中に目が覚め、なかなか寝付けず、考え事をしてしまったり、お水を飲んだり、トイレに行ったり・・・。
だから、今朝は、あ~寝た寝たという満足感が得られず、ちょっと変な気分。
やっぱり、朝寝坊は私の身体には合っていないのね。
はなのために祈ることは私の大切な勤め
過ぎたるは及ばざるがごとしっていうけど本当だわ。
なんでも、足らないぐらいがちょうどいいのかもしれません。
それで、今朝は普通に起きて、普通に聖書を読み、普通のお祈りをしました。
夜中に起きて考えていたことは、ほとんどが、『心配ごと』だったので、そのことを祈りました。
それははなのこと。
犬のじょえるを連れてお散歩に行くと、お花をお土産に摘んで帰ってくるはな。
バスルームにおいてある、私のコンディショナーを自分の乾いた髪につけて、実験をするはな。
バックパックに、私が決して買ったことのないからいチップスの空き袋を入れて帰ってくるはな。
その都度、私はかなり厳しく「それは泥棒さんと同じ」と教えてきたけど、いろんな形で時々、こういう心配の種を見つけてしまいます。
今朝は、そんなはなのために、何をどう祈ればよいのか教えてくださいって祈りました。
この前の日曜日に、牧師が彼個人の祈りを祈った時に、「どうか僕を、ますます砕き・・・」という言葉が私を突き刺しました。
私ははなを砕いてくださいといか、不必要な部分は切り落としてくださいなんて、到底祈ることはできません。
はながそのことで私以外の誰かをひどく悲しませて、私以外の人からそのことを叱られるとか、罰っせられるなんて、考えただけでも苦しくなってしまいます。
でも例え、そんなことがはなの身に起きてもも、それは、若枝が実を結ぶためなのだと、信じる勇気がほしいです。