Thursday, August 31, 2017

ジュニア・カンパニーと新しい仕事のこと

★考えなければならないことは、尽きることがありません。
はなが、自分で勝手に受けたジュニア・カンパニーのオーディションにパスしたことは前に書いたけど、コントラクトを読むと、かなり厳しい内容です。
本人にも、家族、っていうか私、にも。
えりさんに転送して読んでもらいました。
はなとふたりでじっくりと祈って、週末えりさんと内容をちゃんと確認して、それから、天の神さまに決めてもらいます。
★幼稚園の方は、たくさんの細かい決まりごとをクリアして、ようやく新学期の準備に心が向かっています。
クリアって、別に完璧な理解ではなく、「ああ、なるほど、ここはこうですね、ああですね。はい、はい。」と心が将来を楽しみに流れてゆけるようになりました。
だから、今日は、とろん・とろん、ではなく、わりと普通。ほっ。

Wednesday, August 30, 2017

とろん・とろん

★なんだか、長い1週間、やっと水曜日です。
子どもがいないと、やたら、時間が過ぎない。
仕事も進まない。
あ~でもない、こ~でもないと考えてばかりいました。
子どもがうじゃうじゃいる中ではぱっぱぱっぱと判断できることが、なんだか、とろんとろんとスローモーションです。
でも、明日は、ちょっとがんばらなくてはいけません。
ひとりで、とろんとろんは、ちょっとやばい。
子どもには厳しいのに、自分は間に合わない、変な人になっちゃいそ。
★でも、いろんな意味であらためて、天の神さまに感謝している。
新しい職場環境の教材の充実ぶりには、目を見張るものがありありっです。
この充実に、喉から手な、LA の日本語幼稚園、学校、塾、補習校がわんさかあることと思う。
コピー、手作り、という手間をかける間に、別な手法をあみ出すという逃げ道を探すうち、どんどん、英語的な日本語教育になってゆくのが、私の知っている、教材の増やし方の傾向です。
私もそれで、慣れていた。
このことの重みに神さまに感謝しながら、この素晴らしい働きを、もっともっと天国に向けて、充実してゆく方法を考えていたら、本当に、とろんとろん、とろんとろん。

Tuesday, August 29, 2017

「アーメン」とお願いします

★来週からはじまる新学期を目前にした、準備週間第2日目。
予定していた、ハンドブックの改正と、日誌のテンプレートの手直し作業は、無事に終わったけれど、問題は明日。
明日の、おそらく年に一度の全体ミーティングで、これを手渡し、シェアリングする際、どんな質問が飛び出すのかを思うと、ちょっと気が重い。
御霊の同席、主のご臨在、キリストのとりなしを、思わず今から祈る、いつになく、小心な私です。
いつでもどこでも、ふてぶてしいほどに、周りをイライラさせるほどに、マイペースな私だけど、今回は、キリストのブランドがかかっているので、そうもできず、受け入れらることを、切に願うわけです。
私ではなく、キリストのペースの支配を祈っています。
★とはいえ、福音が、ある人たちにとっては素晴らしい救いの吉報であるにも関わらず、ある人たちにとっては、耳をふさぎたくなる胡散臭い話、あるいは聞きたたくない困った話であることを思い、あまり、自分自身がかもし出す雰囲気に個人的な重荷を感じないようにと言い聞かせています。
それは、感じる人の責任である場合が、ほとんどだもの。
ただ普通にクリスチャンとして真剣に生きているだけ、仕事しているだけなのだから。
ノンクリスチャンに対して、何かを発信する、発信し続けるという、決心の中で、一番、まずいのは、「このヒトむり」とあきらめることと思う。
だから、いかなる拒絶も個人的には取らず、キリストへの拒絶として、発信をとめないこと。
良いと信じる、その業を、とめないこと。
アーメンですか?
ここ、大声で、「アーメン」とお願いします。

決断する愛 第40日 愛は契約

あなたの行かれる所へ私も行き、
あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、
あなたの神は私の神です。
ルツ 1:16
これからは自分たちの結婚を単なる契約(Contract )としてではなく、誓約(Covenant )と捉えて、行動されるよう、チャレンジしたといと思います。
契約は我が身を守るもので、有限の責任や義務が伴います。
そこでは、一定の期限が設けられ、その期限内に、到達可能な特定の案件が実現し、計画を達成することが文書化されます。
誓約は、相手の益のために、無制限の責任を負う約束をするものです。
期限は一切設けられていません。
「死がふたりを分かつまで」です。
夫婦の愛は、あまりに聖なる宝であるため、別のものを求め、交換されるべきものではありません。
それは、非常に強力なきずなです。
もし、壊そうとすれば、多くの厳しい結果を招かずには終わりません。
今、新たに、あなたの愛を結び直そうではありませんか。
ふたりで共に生きる人生は、あなたの目の前にあります。
それをしっかりと握り、絶対に手放すことはすまいと決断してください。
「決断する愛」より
無事に、40日間のデボーションが終ります。
難しいのは、これを信じて理解することではなく、行うこと、愛することです。
でも、幸い、私たちの結婚は、なんとか生きる方向に向かって歩み始めているから、それを、もっと、より生き生きと、というチャレンジです。
最初の学びの頃は、そうではありませんでした。
「あきらめる(離婚する)前に、これをやってみたら?」と言って、えりさんが勧めてくれて、その足で、本屋さんに走りました。
英語と格闘しながら、死にかけた結婚を見直し始めた頃、全てが、途方もなく大きなチャレンジだった。
英語と日本語とで3回読んで、やっと、本気で実践する勇気がわいてきているところです。

Monday, August 28, 2017

ハードとソフト、そしてでかいネズミ役

★はっぴー・まんでー。とってもとっても良い日、楽しい月曜日でした。
明るくて、新しくて、広々とした、気もちの良い園舎で、半日子どもにまみれ、残りの半日は狭くてコジーなオフィスで、聖書を開いて、コンピューターの前でじっくりと神さまの御心を思いながら、仕事をしました。
ハンドブック、保育の手引きの改正です。
まるで、デボーションのように、ひとりで、静かに、じっくりと。
★実は、昨日の「くるみ割り人形」のオーディションに、密かなどんでん返し。
今日、ジュニア・カンパニーのオーディションに、学校の帰りに、ひとりで行ったはな。
パスしたらしく、ポイント・シューズにも昇格し、Big Mice という役をいただいてきました。
「じゃ、エンジェルは?」と聞くと、「それは、あいりちゃんと一緒だから、やりたい」とのこと。
そうなんだ。
じゃ、パーティー・シーンの女の子と、天使と、そして、Big Mice ね。
忙しい秋になりそうです、
Big Mice は、その名のごとく、でかいネズミなんだけど、私、実は、この役のダンス、というか、動き、演技がすごく好き。
地味だけど、いえ、地味だから、とっても難しいと思う。
がんばってほしい。

決断する愛 第39日 愛は持ちこたえる

愛は決して絶えることがありません。
Ⅰコリント 13:8
決断する愛の挑戦の中で、これは究極的なものです。
絶望的に思え、脅かされても、愛は継続します。
挑まれ試されても、愛は前進し続けます。
ひどい扱いを受け、拒絶されても、愛は決してあきらめません。
愛は決して絶えることがないのです。
決して変わることのない神のことば。
いかなる試みや状況をもってしても、神とその愛に賞味期限を設けることなどできません。
ですから、同じ原料からなるあなたの愛も、同じく、決して変わることのない性質を帯びているです。
「決断する愛」より
えりさんに手伝ってもらいながら、英語で一章を1週間かけて読み、そして、もう一度、今度は一章を1週間かけて、チャレンジし、最後に、ついに日本語版に出会い、1日1章、40日かけておさらいした、The Love Dare、「決断する愛」も、残り、後1章をあますのみとなりました。
何度読んでもチャレンジだらけの、愛の書物でした。
私は、何も変われていない気もするし、でも、愛の持つ本質には触れられたという気もする。
一生をかけて、生き続ける「神の愛への憧れ」なのだと思います。
昨夜、久しぶりに、父と母と、スカイプでおしゃべりしました。
おかげさまで、ふたり共、顔色も良く、朗らかな笑顔で、本当に安心しました。
神の愛への憧れ、憧れながら生きることは、父や母の年齢になってもなお続けく人の課題なのだと思います。



Sunday, August 27, 2017

夏への感謝と秋への期待

★礼拝が終わった後は、家に帰ってゆっくりするのが7月からの新しい習慣。
タフでハードな1週間に備えて、静かに空になり、その空に力をためこむとても大切な時間なのに、今日はてんやわんやの大騒ぎ。
まず、はなが、絶対に無理と言うのを聞かず、教会の午後のイベント、ランチとボーリングに参加したいと言い出し、でも、車がないから、賢人をサウスベイの教会から呼び出し、再び彼を教会に送り、そして、イベントに中途のピックアップをし、バレエ「くるみ割り人形」のオーディションに遅刻ですべり込み、なんとか、入らせてもらって、無事、役をいただいて帰ってきました。
★ふう~。
今年もふたつ。
3度目のエンジェルとパーティー・シーンの今度は女の子役。
はなは大満足。
私は、もうエンジェルは卒業させてもらいたかったけれど、まあいいわ。
お友だちのあいりちゃんも一緒だから、すごく喜んで、リハーサルを楽しみにしている。
上へ上へという気もちに欠け、とにかく楽しみたいというのはある意味(聖書的に)、とても良いことかもしれません。
逆のタイプの子どもを沈める方が、はなみたいな子を、盛りたてるよりよっぽど難しいことは、職業柄よく知っているけど、でも、まあ、親というものは、いろいろわがままなものであります。はい・・・。
★「くるみ割り人形」のオーディションが、この数年の、私の夏とのお別れの合図。
楽しかった夏に感謝して、前を向いて、新しい扉を開く季節のはじまりです。
はなは、今日、水曜日の中学生の集会と6年生の女の子のスモールグループ、DCにサインナップしたいと、私に頼んできました。
上へ上へは、なくとも、天国天国の気もちは、ちゃんと成長しているようです。

決断する愛 第38日 愛は夢をかなえる

主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
詩篇 37:3,4
ご主人や奥さんが、大好きなことは何でしょう。
あなたはこの質問をどのくらい頻繁に自問していますか?
時には愛は、贅沢に気前よくなる必要があります。
けちけちした考えは捨てるのです。
時には、細かいことは脇にやり、ただ相手の願いを最優先にして、相手に祝福を注ぎ出すことが必要なのです。
神は、あなたの必要を満たしてくださったではありませんか。
神はあなたを取り戻したいと望んでくださいました。
神があなたに愛を注ごうとされたのは、あなたが天使のように聖くあったからではありません。
神があなたの模範です。
神こそが、その愛を示しているお方です。
それを模倣するように、あなたの心の中にある愛を設計された方です。
「決断する愛」より
彼が好きなこと、別に特に高価なことではないし、特別に労の必要なことではない。
それは、本当に素朴で自然なニーズだと思う。
でも、私はかなりの頻度において、それを無視してきたことを認めます。
彼は、仕事の後、おいしい酒の肴をつまみながら、ゆっくりと日本のテレビ番組を観ながら、他愛のない話をしながら、一日の終りを閉じたいのだけど、妻は、妻は、・・・・
寝てる。
即行寝てる。
いつも寝てる。
子どもよりも早く寝てる。
彼にとって、妻はいつも寝てる人。
・・・・。
この問題は彼にとって、そして問題を作り出しているとされている私にとっても、大きい・・・。
とほほ

Saturday, August 26, 2017

親子で寒天ゼリー作り

★はなは、「今日は涼しすぎるから、じょえるとビーチではなく、ママとハイクしたい」と言ってくれたけれど、車を中途半端な時間に賢人に渡さなければならないシェアの日だったので、はなと女ふたり、家でのんびりお料理などしてすごしました。
近場のトレイル・コースで、行ったことのないところはもうない、はなと私。
攻めるとしたら、もう、歩く時間よりも、スタートとゴールへのドライブの時間の方が長くなりそうなハリウッドの裏手やサンタモニカの北側、マリブやパサデナにわずかに残っているだけなのです。
帰りの時間を気にしなくてもよい土曜日に行きましょう、あきらめました。
★さて、お料理。
まず、春雨サラタ。
特別なのは、炒り卵をいれること。
それから、ベリーの寒天。
賢人が長野からお土産に買って帰ってくれた寒天をつかって、いちごとラズベリー、それからブルーベリーも入れて作りました。
最近、幼稚園でゼリー作りに少々の手違いがあり失敗したばかりなので、親の敵のように真剣に作りました。
私にとって、寒天はお袋の味、故郷の味。
母がよく、おやつに、牛乳とレモンシロップと寒天で杏仁豆腐を作ってくれていたのです。
知ってる?
昭和の寒天は粉末ではなく棒状です。
それをちぎって水に戻して、煮溶かして、使っていました。
時々舌に硬い寒天がさわる、そのテクスチャーも今では懐かしい思い出。
それから、イカと海老と魚の白身を塩とオリーブオイルにつける作業に軽く1時間は費やしました。(魚屋でバイトした経験のある賢人に手伝ってもらったにも関わらず・・・)
来週は、勝手に突然・じゃぱ弁週間なので、その準備です。
この2ヶ月、ソーセージとかスパムとかの添加物てんこ盛り食品に頼らずにお弁当作りをしてきたので、このままなんとかのりきりたい、勝手に突然・じゃぱ弁週間です。

バックパックから始まる改革

★土曜日だけど、昨日までに終わらせていなければならなかった、賛美の選曲という大切な仕事をやり残していたので、なんだか、よく眠れず、今日はいつも以上に早起きです。
肝心の聖書箇所が送られてこず、やきもきしていたら、なんと、メキシコに行っていて、連絡を取れないかったことが判明。
それで、「礼拝」というテーマで自分で選んで、奉仕者への連絡も済ませ、これで、一応、1週間の仕事、全て終了です。やれやれ。
★はなは、中学生になって、すこ~しだけ、しっかりしてきた気がします。
相変わらず、部屋はぐちゃぐちゃだし、やることやらずに、くつろいでばかりいるけど、この前、出勤前に、部屋のすぐ外に準備していた、バック・パックの中をそっと覗いたら、あらびっくり。
汚くない。(この超消極的なほめ言葉・・・)
フォルダーには各教科ごと、大切な刷り物がきちんとポケットに収まり、ノートも、きれいな文字で取っている様子。
デオドラントや日焼け止めも、ひとつの小さなパウチに収められている。
ゴミや干からびた食べかすや腐ったもの、じゃばら状の期限切れの宿題も、拾ったであろう素敵なもの(枯れたお花やきれいな石)などは、一切なし。
彼女の心と頭の中で、何か、変革が起きているのかもしれません。
その改革がバックパックの中から起きていると信じる親バカ一号の私は、それが、机の上と下、本棚、ベッドの上と下、タンス、お部屋全体、そして時間の管理、生き方へと広まっていくことを期待して祈り始ています。

決断する愛 第37日 愛はひとつになって祈る

まことに、
あなたがたにもう一度告げます。
もし、あなたがたのうちふたりが、
どんなことでも、
地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、
それをかなえてくださいます。
ふたりでも3人でも、
わたしの名において集まる所には、
わたしはその中にいるからです。
マタイ 18:19,20
夫婦間にどうしても一致できない問題や、行き詰まりが生じたときには、口論を中断し非難や中傷を止め、ふたりで神に向かい助けを求める緊急の祈りを捧げることができます。
信じられないほど大変で
信じられないほと良い旅だったそうな
それは、そうでしょーよ
祈っていたんだから
ずっとずっと
祈りが反射的に出る、自然な行動となるべきです。
いつかきっと、ふたりが共有してきたこのひとつの「共にする祈り」によって、自分たちが以前とはまるで変えられてきた事実に、深い感謝の念を抱くことでしょう。
何の変哲もない月曜日から大きな決断が必要な特別な日に至るまで、すべてが変わります。
「決断する愛」より
喉から手が出るほど欲しい、夫との祈りです。
この章を日本語で読んでなおさらそう思います。
私が、夫の前で祈る時、そこには、賢人かはなが必ずいます。
それでも、ないよりはいいと思ってきました。
でも、賢人がいなくても、はなもいなくても、「じゃあ、祈るね」と言ってみる勇気が与えられるようにと、祈ってみようかな。

Friday, August 25, 2017

Happy Friday 

★Happy Friday。
おつかれさま。
さぞやいろいろあったことでしょう。
お察しいたします。
いろいろあるのが、私たちの主がくださる1週間だもの。
それが、神さまの愛というものです。
でも、本当にごくろうさまでした。
私も自分にそう言います。
★はなが、バレエと水泳を同時にプロモート。
共に、苦節な月日の末にです。
いえ~い!って、言いたいところだけれど、水泳の方は、秋はお休みしてもらうことにしました。
この日曜日に「くるみ割り人形」のオーディションがあります。
役が決まって、リハーサルの曜日が決まらないことには、他のアクティビティのことは、あまり、考えたくないのが今の気もち。
はなには、泳ぐことは、一生をかけた楽しみにできるから慌てなくても大丈夫よと説得。
でも、踊るのは、この数年がピークでしょ、きっと。
どの役をもらったろしても、「くるみ割り人形」のリハーサルと本番は、私の秋から冬にかけたのメイン関心事項なのです。
★今日で幼稚園のサマー・スクールが終わりました。
8週間、いろんな人に手伝ってもらいながら、なんとか走り通すことができました。
まさに、走り通したという実感です。
何をしたのか、何ができたのか、正直よくわかりません。
いろんな声が雨あられと降る中、とにかく、信じた方向に向かって、無我夢中で走り通しました。
立ち止まったら最後、自分の選択を疑いそうな気もちに、何度もも襲われながら。
古巣の、ただ、子どもの利益だけを追求していれば、それでよかったシンプルさを懐かしんで涙ぐんだこともありました。(マジで)
でも、神さまの私の人生の後半へ祝福は、ここにあるって信じ、そんな思いは振り切って、とにかく走り通しました。
そしてこれからも走るつもり。(まあ、今夜の気もちね、先のことは誰にもわかりません)

Thursday, August 24, 2017

いちじくからいただくものの深さと広さと大きさと

★終りよければ、全て良し。
今日も、と~ても良い日だった。
いろんなことがあった気がするけど、でも、最後にとってもうれしい再会に恵まれ、思わぬお土産もいただき、しかも、それが大好物で、とっても幸せ。
神さまって、本当に素晴らしい。
神さまてて、本当に良いお方。
★ピアノのレッスンが終わると、のんびり時間をかけて、教室を掃除するのが木曜日の習慣です。
ためておいた、ページが破れたり、背表紙が壊れた絵本を直す日でもあるのだけれど、今週は、図書の本の入れ替えもできないほどのてんてこ舞いで、修復の必要な本の、子どもたちからの届けが1冊もなく、おもちゃやお昼寝マットの消毒が乾く時間を園庭でおしゃべりしたり、子ども達と全力疾走の競走をしたりしてすごしていたのです。
そしたら、かつて、私が、とってもとっても、もう言葉には言い表せないほどにお世話になった人がふらっと、園舎に現れ、びっくり仰天。
うれしくて、泣きそうになっちゃった。
言いたいことは、山のようにあったけど、ただ、ただ「ありがとう」って、それを伝えるだけで精一杯だった。
★私が本当に難しいところにいた頃、仕事人生で、おそらく、一番難しいところを通っていたのが、その頃だったと思う。
当時の長の代理と私の間に立って、私が引き起こしたとされた問題の数々を、カバーしてくれたのが彼女でした。
しかも、私には、なにも見せず、聞かせず。
★私、いつもメンターに渇いているって、書いたけれど、あの頃、私、すごく厳しい立場にいたけれど、でも彼女というメンターに守られて、実は、本当に幸せだった。
荒野にいながら、でも、後にも先にも、あの頃ほど、霊的に信頼できるメンターに支えられている安心感の中で働いていたことがなかったって、今になって、ようやくわかる。
また、会える?って聞いたら、「遊ぶのに忙しいけど、でも、うん。きっと。」って言ってくれた。
★人生って、すごくいい。
お土産はいちじくです。
私の好きな果物は、ただみっつ
日本の桃、はっさく、そしていちじく。

決断する愛 第36日 愛とは神のことば

あなたのみことばは、私のともしび、
私の道の光です。
詩篇 119:105
聖書と共に過ごす。
聖書のことばにとどまり続ける。
聖書のことばに生きる。
決して変わることのない神のことばという岩の上に建てられるなら、その家は、どんな破壊からも守られることが保証されています。
「決断する愛」より
アーメン!
「決断する愛」3回目の The Love Dare もあと残すところ、4日分となりました。
私の夏ももうすぐ、終わりです。
そろそろ、新しい季節の準備をしなければなりません。

Wednesday, August 23, 2017

飛ぶ日々

★「毎日が飛ぶように過ぎてゆく」だなんて誰かが言うのを聞いたりしたら、そんな無責任な言い方ないでしょと思わず心の中につっこむクセして、今の私の心境、まさに、「毎日が飛ぶように過ぎてゆく」です。
しっかり踏みしめているつもりなのに、でも、本当に飛ぶようです。
★毎日、いろんなことがあるけれど、それほど悪くない日々。(この世的にひかえめに言ってね)
天国的にはすばらしい日々です。
本当にいろいろあるの。
今までの保育の環境と、ゴールや目的、優先事項にかなりの違いがあり、(天とか地とかのレベルではない方針でね)そこに自分を慣らすの必死、失敗だらけ。
でも神さまのバック・アップを感じない日、瞬間はどこにありません。
全てが、主のご計画の中、主の微笑の中で、新しい環境の中に自分の場所を探しています。
★子どもたちと、毎日お祈りしています。
そして、祈った全てが、かなり、わかりやすく成就している。
これが、とてもとてもうれしい。
子どもたちは、「すご~い」って感動。
失くしものは次々に出てくるし、泣き虫は笑い上戸に変身するし。
それが、本当にうれしい。
いろいろある、その全ては、最後は神さまの御栄光。
ハレルヤ!

決断する愛 第35日 愛は隠し事をもたない

密議をこらさなければ、計画を破れ、
多くの助言者によって、成功する。
箴言 15:22
誰もが、賢明な助言を、その生涯を通して必要としています。
賢明な助言を得ることは、長い困難の多い旅で詳しい地図と専属の案内人を携えているようなものです。
賢明な助言の有無は、ひとつの関係でうまく行き続けるか、それとも、次から次へ離婚を繰り返していくかの別れ目となり得ます。
どうすれば良いメンターが見つけられるでしょう。
あなたが、自分の結婚もそうありたいと願うような結婚を送っている人々を探せばよいのです。
「決断する愛より」
いつも、心のどこかで、メンターに渇いています。
年老いた父と母の元に、お兄ちゃんが病気になって帰ってきてからは、なおさらそうです。
頼れる霊的な相談相手に渇きながらも、(渇かされながらも)、神さまは、今は、直接、私の旅路、私たちの結婚の旅路を直接ガイドしてくださっています。
昨日、1000メートルを泳いで、はあはあと言いながら、湯気の中のジャグジに身体を沈めて、思わず、こう祈りました。
「キリストの衣にふさわしく変えられることは、もう願いません。
私には無理だからです。
ただ、キリストの衣で私を包んでください。
私の、罪を、私の汚れを、私の弱さを。
アーメン」
1000を泳ぐ中で願うことは、いつも、私を空っぽにしてくださいと、ただそれだけです。
すると、ジャグジか、スチームサウナの中あたりで、ぽつんと、聖霊が私のために祈りをくださるのです。
今日も良い日でありますように。

Tuesday, August 22, 2017

一期一会な夏の終わりに

★ピアノのレッスンがまるごとキャンセルになったので、のんびりと片付けて、のんびりと園庭でトマトを摘ませてもらい、うさぎにあいさつして、帰路に着きました。
秘密のルートでみょうがをもらったので、今夜はそうめん。
魚フライと。
今、夫が、ありがたそうに、美しく切ってきます。
彼の野菜の切り方って、食材に対する愛を感じるほどの美しさ。
★夏に出会う子どもたちって、どうして、こうも愛おしいのだろう。
一期一会と言うけれど、まさにその気もちで、出会い、そして、もうすぐお別れ。
伝え切れなかった思いを抱えた私を、置き去りに、みんな次の人生のステージへと、旅立ちます。
ただただ、ありがとうと思う。
神さまに。
そして、送ってくれたお父さんとお母さんに。
それから、愛しい人たちに。
私、キリストを、伝えられたかな。
わからない。
でも、キリストの愛で愛そうって、がんばった。

ぷち・ぱにっく・モーニング

ちゃんと4時に起きたのに、本当は金曜日にやる家の事務をしていたら、もう行く時間。
火曜日はキッチンのストーブやトースターやマイクロウェーブなどをきれいにする日なのに、それもできず。
お金が足りないことがわかって、トランスファーしたり、電話で支払ったりしておりました。
すごく苦手です。
夫も苦手です。
それで、いつも責任のなすり合い。
でも、なんとかなりました。
働きゃいいってもんじゃないのよね。
ちゃんと管理しなくては。
お金。
ふう~。
ゆりかさんがくれた写真
ひさしぶりのはなとの写真

では、良い日をね。
私もそうします。
行ってらっしゃい。行ってきます。
今日も読んでくれてありがとう。

Monday, August 21, 2017

超・習慣と書いて中毒と読むのか問題

★幼稚園の仕事に戻って、一日も休んでいないこと。
それは、毎朝の Y での1000メートル。
この超・習慣は、いったいなんだろう。
超・習慣と書いて、中毒と読むのかもしれません。
早朝の1000メートルの水泳で心と身体が、ほど良くハイになり、午後から少しづつ緊張がほぐれ、4時ぐらいにくたっと落ち着き、夕方にはほどよくおなかもすいて、食べて幸せ、寝て幸せ。
この流れの中にいったん入ったら、そう簡単には出るに出れない。
まるでゴキブリほいほいです。
右:はなのお弁当 左:おやつ
泳ぐことを生活の一部にしようと、いろんな時間帯に泳いで実験していた頃、夕方に泳いで、身体と頭がギンギンの冴えて、どうしようもなく眠れない夜をすごしたこともありました。
運動って、疲れるためにではなく、疲れないためにすることを知って、人生変わっちゃった。
★泳ぐことはすんなりと生活の一部となったけど、体重の問題が残ってしまいました。
どこかで、減ることが止まるとは思うけど、それがどこなのか、まだわかりません。
105が理想だったけど、頭で考える理想と身体の反応には、誤差があるようなので、今は、何も変えず、静かに様子を見ています。(ていうか、とにかく今の調子で泳ぎ続けたい、ただそれだけ)
私にとって、食べる習慣を変えるのは、すごく難しい。
20年以上朝は食べないことにしているし、10年以上1日2リットルを飲んできたし。
そうすると昼か夜だけど、昼は忙しいし、夜は眠くなるし。

決断する愛 第34日 愛は神のみこころかなることを大いに喜ぶ

(愛は)不正を喜ばずに真理を喜びます。
Ⅰコリント 13:6
朝、聖書を閉じた瞬間から出会う、ほとんどすべての事柄が、あなたを誘惑し、その真理から引き離していきます。
しかし、神のことばこそ、現実の生活の本質を示す究極的表現だた理解するとき、私たちの「現実生活」が劇的に変化します。
神がどのようなものとなるべく、いのちを創造されたかを映し出す原則となります。
神の計画と教えの数々は、真の祝福に繋がる唯一の道です。
そして人々が主に従順でありつつ、それらに従って行く姿を見ることは、私たちの内側から喜びが湧き出すきっかけとなるべきです。
ハワイアン・フェアで見たドレス
キリストの名をまとうことを考えていて
このドレスを思い出した
あなたは伴侶にとって、人生で最も影響を与えられる人物のひとりなのです。
その影響力を、彼らが神をほめたたえるために用いてきたでしょうか。
それとも、神の名を汚させるために、用いてきたでしょう。
「決断する愛」より
この文章について深く考えてみるなら、神の名をほめたたえるのも、汚すのも、クリスチャンであるということになります。
ノン・クリスチャンが何をしようが、しなかろうが、それは、主の名、クリスチャン・ブランドとは、無関係なのですから。
これは、よく肝に銘じておかなければならない、真理のひとつかもしれません。
私たちが、いえ、私が、真理を喜ばない時、真理をおもしろくなく思い、無視する時、私は主の名を汚そうとしている。
汚れるか、汚れないかは、別として。
アーメン

Sunday, August 20, 2017

おいしいSunday くるくるアイスの作り方編

私が決めて、はながオーダー
いちごとグラハムクラッカー
すばらしく、すばらしく、おいしかった

おいしいSunday はなの写真編


おいしいSunday

ノックダウン寸前の迫力のメッセージに
へろへろしながら、とりあえず、
昼ごはんに行きました
私、ちゃんぽん
はな、しょうゆラーメン
そして、おとなりのくるくるアイスクリーム
うううう、うますぎ
涙でそ・・・

決断する愛 第33日 愛は互いを完成させる

ふたりはひとりよりもまさっている。
ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どうちらかが倒れるとき、
ひとりがその仲間を起こす。
伝道者 5:9
神は、ひとりの男性とひとりの女性―それぞれ似たところのある、しかし互いに補い合い、調和し合ってうまく機能するようデザインされたふたり―から、人類を創造されました。
私たちの持つ相違点は、よく誤解や衝突の原因ともなりますが、それらは神によって創られたものであって、私たちが相手のそのような面を尊敬し合うなら、絶えず祝福となり得るものでもあるのです。
自分だけで全て判断しようとしないでください。
夫婦ふたりに影響がある事柄に対して意見を述べる、夫や妻の権利を軽視しないようにしましょう。
愛があるなら理解できます。
「決断する愛」より
夫は、誰かを、例えば、私や子どもたちを、自分のコントロールできる範囲内に収めておきたというタイプの人ではありません。
まったく。ぜんぜん。ちっとも。
そして、私も、どちらかというと、っていうか、かなりそうです。
血液型、彼B、私B と言えば、わかってもらえるでしょうか。
まあ、つまりそんな感じの夫婦です。
はなとの日本行きは自分で決めて
自分で日程決めて、自分でチケット買って
発作のように全て一人でやった夫
そいうとこがすごくB
相手も自由、私も自由、という主義は力や愛が等しい時は、確かにらくだけど、でも、結婚生活って、決してそうではないので、そんな時は、かなり慌てます。きまずいこともあります。
例えば、仕事が多い少ない、収入が多い少ない、時間がたくさんあるないで、簡単に愛や力が変動してしまう、悲しい人間同士なので、そういう時は、力ある方に、「ねっ、お願い、悪いけど、決めちゃってといてよ、ちゃっちゃとさ、あるでしょ、時間(あるいはお金)」となるわけです。(あくまでも、そっちな私たち)
はなの中学校なんてお互いにどうぞどうぞと言ってるうちに賢人が決めてしまいました。
そうだ、はなの名前も賢人がつけたんだった。
もらってきた猫じゃあるまいし、って、思うかもしれないけど、夫も私も大賛成したのです。
でも、それは、それで、賢人の人格に暗い影を落しているかもと、違う問題を心配している、彼と私ではありますが・・・。

Saturday, August 19, 2017

恵みのハワイの休日

午前中は、のんびりと家族に朝ごはんを作り、超・てきとーな掃除をすませ、行ってきました。
ドッグ・ビーチ。
高菜むすびと、サラダ、サラミ&チーズ、ぶどうのお弁当を、バスケットに放り込み朝、たまたまテキストで「おはよう」をくれたゆりかさんを道連れに。
賢人のおみやげの和菓子をどれどれと
開くゆりかさん
今日は、じょえるもエンジョイしてくれた。
はなも、よ~く遊びました。
ボードで遊び、じょえると泳ぎ、そして、最後は穴掘りプロジェクトに没頭。
あまりのソーシャル・スキルの低さに、
はなに砂に埋められ遊ばれるじょええる
ゆりかさんと私は、いろんな犬と飼い主をウォッチしながら、いろいろコメントしまくり、笑い合う。
サラミを食べようとするたび、いろんな犬が、私たちのパラソルの下に突進してきて、お弁当箱はじゃりじゃりになっちゃたけど、水でささっと流して、食べたりなどもして。
終りに、同じビーチで派手にくりひろげていたハワイ・フェアをのぞぎ、ディナーも買って帰ちゃった。
すごい行列だったし、地元のファーマーズ・マーケット
にも出店していたので、ここでゲット

ウクレレに貼るステッカーを選び中

はなとふたりきりだったら、読書などして、それはそれで、リフレッシュできたと思うけど、ゆりかさんが一緒だったので、最近感じたこと、考えたこと、そして、やってみたことについてゆっくり、思いつくままにシェアできて、思わぬ、充実した、休日となりました。

私の心のあるところ

おはよう。
どんな土曜日の朝を、お迎えでしょうか。
私、ものすごく集中してぐぐぐっと深く濃く眠った気がします。
本当に寝るのが好きなの。
ちょっと厚手のがさっとしたひんやりしたシーツとシーツの間に身体を挿みこんだ瞬間の幸せは、ことばにならないほど。
ただしみじみと神さまに感謝して、本を開きました。
幼稚園の図書から借りた本、Randy Alcone という人の書いた The Treasure Principle 、「宝の法則」。
はっとさせられる文章に満ちた、とても良い本でした。
いくつか抜粋します。
●健康と富を約束する福音は、キリストの御名をおとしめるものである。
米国では通用しても中国では通用しないとすれば、それは本当の福音ではない。
繁栄を正しい状態と考える神学は、完全な真理に基づいたものとは言えない。
●豊かにされるのは何のためだろう。
●ささげるため、与えるためなのだ。
しかも惜しみなく。
●なぜ神は、ある子どもには必要とされる以上のものを与え、ある子どもには必要に満たない分しかお与えにならないのだろう。
それは、神の子どもたちが互いに助け合うためである。
神は私たちに、持ちすぎることも、欠乏することも望んでおられない。
持ちすぎている者が足りない者に与えるとき、この二つの問題は解決する。
しかしそれをしないなら、二つの問題はそのままずっと残ってしまうことになる。
単純明快。なかなか、良いとは思いませんか?
私のお金の行き先に私の心があるなら、生きるために必要な分だけをおいしく食べ、楽しく着て、小さな家で安らかに眠り、後は奉げ、安心して天国を夢みていたいと思いました。
さて、今日は、午前中、家の中で、のんびりと家事をし、午後から、はなと例の楽しかったドッグ・ビーチに行ってみるつもり。
私は、パラソルの下で読書します。
奉げること、奉げる先、奉げる額について思いめぐらしつつ。

決断する愛 第31日 愛と結婚

それで、彼のあばら骨を、
ひとりの女に造り上げ、
その女を人のところに連れてこられた。
すると人は言った。
「これこそ、今や、私の骨からの骨、
私の肉からの肉。
これを女と名づけよう。
これは男から取られたのだから。」
それゆえ、男はその父母を離れ、
妻と結び合い、
ふたりは一体となるのである。
創世記 3:24
この聖書のことばには、結婚とはどうあるべきか、神が意図された原点が青写真として描かれています。
まず別れることと、それからひとつに編み合わされること。
すでにある関係の構造を変えつつ、まったく新しい関係を建て上げることが描かれています。
全てを変えるのが、結婚です。
親から離れて、伴侶と一体となる。
あとは、愛の決断の歩みを重ねながら、一心同体を目指していくのです。
「決断する愛」より
夫の母も私の両親も、この件に関して、とても健康的です。
結婚の当初から、もちろん、今にいたるまで。
そうでなければ、そもそも、アメリカでの結婚生活のスタートを許さなかったと思う。
問題は、親としての私です。
はなに「子どもを自由に欲しいだけ生んでね。ママ、喜んでベビーシッターするから。」だの、賢人には、「日本文化に関心のある人との結婚が、最後はきっと幸せと思うよ」なんて、偉そうに、でもその実、自分の好みを刷り込んでいる私。
気をつけなくてはいけません。
彼らが結婚する年齢になっても働いていたいな。幼稚園で。
そして、旅行にも行きたいな。夫と。

Friday, August 18, 2017

行ってみたいなよその国

すごいスピードで、過ぎてゆく時間。日々。
海にお舟を浮かばせて、行ってみたいなよその国
あっというまに金曜日です。
週末を待ちわびないポリシー、毎日を精一杯に楽しむというポリシーで、日々の生活は昨年度同様、かなり普通に幸せです。
つまり、洗濯と掃除と家の事務をためない努力中。
努力の甲斐あり、あっという間に週末に着陸しました。
庭の草花は枯れてなくて、亀や魚が汚い水の中で死んでいなくて、トイレットペーパーは切れていなくて、ピアノの蓋にモノが積まれていなくて、洗濯籠の洗濯物がほんの一日分、それが私の幸せの大まかな基準です。
それを下回ると、やたら週末を待ちわび、現状に対する不満がこぼれてきて、イライラし始めるという、悪の循環が始まるので、すごく気をつけているのです。

決断する愛 第30日 愛は一致をもたらす

わたしはもう世にいなくなります。
彼らは世におりますが、
わたしはあなたのみものとにまいります。
聖なる父。
あなたがわたしにくださっているあなたの御名の中に、
彼らを保ってください。
それは私たちと同様に、
彼らが一つとなるためです。
ヨハネ 17:11
三位一体は、遥かかなたの遠い過去から未来へと続く歴史を通じても分かるように、一致の力を証明しています。
決して壊れ得ず、終わることのないもの。
この霊的現実は、皆さんと家と住所が一致しているのに似ているかもしれません。
このふたつは離せません。
仕事のスケジュールや、病院の通院、食料品店への買い物に行く予定など、日常は様々なことで彩られていますが、「ひとつ」という永遠のたて糸が、「あなたがた、ふたりの結婚」という名で、これらの日常経験を結び合わせ、生涯守られるべきものという目的を与えているのです。
「決断する愛」より
夕べ書いた記事の続きのような内容になってしまいそうだけど、昨年の今ごろ、オレンジの幼稚園を辞めた時、そのことに一番ほっとしたのは実は夫でした。
そして、今回、「何を思ったのか」、再び幼稚園に就職したことを、一番喜んでくれたのも、夫でした。
出勤初日に犬のじょえるのことで訴訟を起こされていることを、知り、でもその翌日、夫は、はなと共に、楽しい里帰りをしてしまうという、散々なスタートでした。
でも、その散々なスタートのおかげで、私は幼稚園との関係をはっきりと知ったし、夫にもそれを証することができました。
「何を思ったのか」が、御旨であることは、なかなかノンクリスチャンの夫には、分かりづらいことだろうなっと思っていたけど、あの問題のおかげで彼は、はっきりと、「なるほど」と思っています。
彼ははなとはなの誕生以来、はじめて、ふたりきりの閉じ込められた時間をすごし、そして、賢人は、よその釜の飯にあずかり、少々の冒険もし、少し変わって、帰ってきました。
どう変わったかと言うと、それはつまり、よりひとつになったという、その一言に尽きます。

Thursday, August 17, 2017

主の夏

週末が待ちどおしくもない、週日、でも木曜日。
はやすぎてびっくりです。
夏の終わりが名残惜しくもない、8月の後半、でも秋も楽しみ。
終わったはずの新しい学年が始まることに、やっぱりびっくりです。
昨年のちょうど、今ごろ、前の幼稚園を辞めました。
その時は、きっともう二度と幼稚園で働くことはないだろうなって思っていた。
十分やったし、十分満足していた。
そして、ちょっぴり疲れたいた。
あの疲れは、どこに行ったのだろう。
とても不思議です。
辞めたことへの後悔もなく、放心して欝になるでもなく、幸せな人生の終わらぬ夏休みに入ったと信じて、満喫し、でも、いろいろあって、こういうことになり、そして、再び、がむしゃら。
選択を誤ろうが、誤りに気づかなかろうが、主の道は道、必ず成る。
結局、主の御心がだけが成るいという、素晴らしい夏を、満喫しております。

Wednesday, August 16, 2017

う~ん

★てんやわんやのてんてこまい、でも、充実した楽しい夏が続いています。
幼稚園に戻ってきて、本当に、よかった。
こんなに、まだまだ、やることがあったなんて・・・。
年齢で、自分を制限するのは、もしかしたら、不信仰なことなのかもしれまん。
まあ、年を、考えるのは、悪いことではないけれど、でも、だからといって、世間のイメージで自分を制限するのは、人生の楽しみを制限してしまうことに似ているかもしれません。
★体重が105前後で固定していると、少し前に書いたけれど、実はそうでもありませんでした。
やっぱり、泳ぎ続ける限り、体重は、ペースはさらにゆっくりになったけど、減り続けているようです。
105前後というのは、私にとっての長年のベストだから、これ以上、減らないようにちょっと考えています。
去年のちょうど今頃
同じ体重だけど、体型も顔もちょっと違う
誰も気づかないけど、自分ではわかる
えりさんに話したら、ごはんに代表される炭水化物を増やすべしとのこと。
炭水化物は大好きだけど、増やすタインミグが見つからない。
朝は絶対無理だし、昼も、食べることが仕事の一部だから、子どもたちのペースに合わせるとたくさんは無理。
そして、夜は、食べながら、必ず、眠くなるので、いつも、後片付けを賢人とはなに任せて、テーブルから、一番最初にいなくなる4歳児のような私。
で、泳ぐ量を減らすか、えりさんの提示するふたつめのオプション、プロテインを飲むか。
プロテイン、調べたら、結構な量なのです。
水1日2リットルを日課にしている私は、これが飲めなくなるが、ちと辛い・・・。
そして、トイレに、行く回数は、これ以上は、絶対に増やしたくない。
う~ん、どうしたものでしょう。

決断する愛 第29日 愛の動機

人のごきげんとりのような、
うわべだけの仕え方ではなく、
キリストのしもべとして、
心から神のみこころを行ない、
人にではなく、主に仕えるように、
善意をもって仕えなさい。
エペソ 6:6,7
ムードや感情は、あらゆる種類の移ろいやすい不安定な、愛の動機づけレベルでしかないのですすが、ひとつだけ、不変不動の動機づけが存在します。
神が、あなたの愛する根拠となったとき、あなたの愛する能力は確保されるのです。
なぜなら、愛は神から来るものだからです。
もし、あなたが、自分にできるかぎりの最善の愛を伴侶に与えよう、と決心しているなら、愛の最高の動機を押さえておく必要があります。
神を第一の焦点に絞った愛は、無限の高みへと到達していく力を持つのです。
「決断する愛」より
いつも、感謝を超えて、感動することは、毎朝、本当に、私がその日、その日、最も必要なことばが、神さまによって、与えられるということ。
 昨日の朝、新しい年度のスタートを目前に、教会での奉仕の、「私にできること」をスケジュール作成係りさんとチームのメンバーのみなさんに、E メールにまとめ、送りました。
仕事は、時々、どこかで、きちんとした事務的な取り決めや、境界線が必要だと思います。
祈りながら書いた、「私にできること」は、私にとって決して、少ない量ではありません。
それが、どう受け取られるかを心配することは、「人のごきげんとり」であり、聖霊と私が、祈って決めた、この内容で、最善を尽すことで、今、満場一致(私と私の霊と天の神さまとキリストと、そして親身に話を聞いてくれたえりさんとスケジュール作成係りさんとの)の平安に包まれいます。
ハレルヤ!


Tuesday, August 15, 2017

なんだこりゃ・てゅーすでー

★今日は、はなの新学期の初日。
なんとか、無事に終わったようです。
行きは歩き、帰りは、学校から徒歩で2、3分のBoys & Girls Club に寄り、夫がそこに迎えに行ってくれました。
明日からは、私が行きます。
バレエと水泳のレッスンは、Boys & Girls Club から自分で歩いて行くことになっているので、私の迎えは厳密には、バレエ・スクールとYMCA です。
でも、Y まで帰ってきたら、後は、1ブロックだから、自分で帰ってきてもらうこともあると思う。
そのことの手続きのための、書類にもサイン・アップしました。
いろいろ複雑な、スケジュールなので、忘れないようにしなければと心を引き締めます。
★夕べ、ひさしぶりに、えりさんと電話でおしゃべりしました。
すごくなぐさめられた。
とりあえず、気もちを受けとってくれる覚悟の聞き手に話を聞きとげてもらえば、私って、大体 OK なのかもしれない。
それが、うれしくて、しみじみ幸せ。
大人なのに、そんな高校生の頃のような’友だちが、いつも、どの年齢の時も、私の側にはいる。
神さまが備えてくださっている。
それほど、幸せなことって、他にないと思う。
★今日は、この新しい職場で、初めて、コ・ワーカーと正面からぶつかり合ってしまいました。
私は、なんとか、ただただ、子どもに向かって、仕事をしている、自分のビューを伝えようとしたけど、話の途中で、私への不信感が一杯になっているのにそのことに気づかずにいた自分の失敗に気づかされ、そのことへの対処をしようとがんばりました。
でも、すごく気もちいい。
不思議です。
これが、同労者へ愛だと、自分でも感じたし、私は、本当に、その人を信頼し、愛していると感じながら自信を持って話ができた。
主の奇しい業と導きに感謝しています。
追記:上の2枚の写真は昨日の活動、下のは、今日、帰ろうした時に見た私のシビック。
誰が何の理由でこんな風にしたのか不明。
でも、全然、なんにも、気にせず、無感動に、たんたんと写真を撮り、たんたんとはずし、たんたんと丸め、たんたんと乗って帰ってきたけど、今、この写真を見て思う。
なんだこりゃ?


Monday, August 14, 2017

決断する愛 第28日 愛は犠牲を払う

キリストは、私たちのために、
ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは、
兄弟のために、
いのちを捨てるべきです。
Ⅰヨハネ 3:16
人生は、厳しく辛いものとなり得ます。
けれど、私たちは大抵、「自分の」人生が辛くなり得ると考えています。
自分がひどい扱いを受けたり、迷惑をかけられたりすれば、すぐそれに気づきます。
自分たちが辛く嫌な立場に置かれると、私たちはすぐにその状況を察します。
しかし、結婚相手が辛い状況であることに気づくのは、彼らが文句を言い始めてから、ということが多々あるのです。
相手が感じてりう痛みやプレッシャーは、自分が苦しんでいるときと同じように真に迫って来ることはありません。
でも私たちは、自分が文句を言いたいときには、誰からも理解され、同情されることを期待します。
しかし、愛が働いているときには、このようなことは起りません。
愛は喜んで犠牲を払います。
「決断する愛」
昨日書いた記事の中のひとつの思いに対する、神さまのダイレクトな応答です。
耳も、心も、痛みます。
問題は優先順位にではなく、私にとっての重要さと周囲のそのことへの重要さの違いでもなく、愛の大きさでもなく、ただただ、そこに私の愛がない、私の愛が働いていないという、それに尽きるのでした・・・。

Sunday, August 13, 2017

カー・ウォシュと「とりあえず、およご」そしてネイル

★合同礼拝で証をするという賢人を9時30分に、サウスベイの教会におとし、ガソリンを入れて、車をカー・ウォシュにも持って行きました。
思えば、ちゃんと人の手でふきあげてもらう、チップを払うカー・ウォシュはなんと1年ぶり。
収入が10分の1に、なった昨年度、最初に削ったのが、この、カー・ウォシュだった。
★礼拝では、人は荒野で感謝する時に神に出会うというメッセージをいただき、じょえるが訴えられた直後のことや、賢人が飛行機にのりそこなったことなどを思い出しながら、アーメン、アーメンと思って聞いていました。
でも、今、ちょっと落ち着いて、「ん?そお?」と思う。
じょえるのことで25000ドルの訴訟を起こされても、賢人が飛行機にのりそこなって、11万円のチケットを買わなくては、すぐにはあの子を返してはもらえないっとなっても、基本的には、「っま、神さまがなんとかしてくださるでしょう、とりあえず、およご。」と思えたから、それはちょっと荒野とは違う。
私の荒野は、よくわからないことで、「あたりまえでしょ」と言わんばなりに持っていかれる小さな労や手間、時間にあるのよね。
じょえるや賢人がくれた問題に比べれば、ちっちゃなちっちゃなことにも関わらず。
葛藤って、神さまとの不調和って、愛がないところですごく際立つ。
波立つ。
たぶん、いえきっと。
★それを、大急ぎで奉仕割り振り係さんにシェアした後、お買い物合戦に突入。
あれえええええ~と、両手を上げて鳴門の渦に巻かれる友蔵とまるこちゃんのみたいに。
ジーンズ3本、シャツ2枚、靴、お弁当箱2種類4個、日焼け止めクリーム、スイムレッスン用シャンプーとコンディショナー、スナック、お弁当の材料、えとせとら。
しめて、300ドルなり。
払えて、幸せ。
買ってあげられて幸せ。
★そして、ネイルにも行ってきた。
爪なんて、ピアノを弾くためにあるものだと信じているけど、はなにおつきあい。
足も、ぬってもらって、いい気もち。
★今日のメッセージを聞いて、教会での仕事を祈りながら小さく制限しようと、決心することができました。
一番、避けたいことは、喜んでいるふりの偽善的奉仕だから。

いくとこまでいくけど、まだまだいけそ

ひさしぶりに賛美の奉仕のない、今週末、アフター4、(幼稚園は 8 to 4 )を充実させようと、ちまちまと個人的な仕事の準備してすごす週末です。
幼稚園の仕事に戻ることが決まった時、またしても、ピアノの仕事に重荷に感じるようになってしまいました。
今度こそ、きっぱりと足を洗おうか、それとも続けようかと迷っている矢先、週に2日、幼稚園を教室に、レッスンをはじめることにもなり、ああ、もうこれは、きっと神さまの導きだ、行くところまで行ってしまおうと覚悟を決めました。
ところが、はじめてみると、そんなに大変じゃない。
それどころか、幼稚園の仕事のクール・ダウンみたいで、いい感じ。
朝の2時間をY でウォームアップして、幼稚園終わってピアノの前でクール・ダウンです。
オレンジの幼稚園時代は、それを往復の車の中でやっていたのだと思う。
小さな子どもにピアノを教えるのは、とても忍耐が必要です。
しかも、個人レッスンとなると、教える側の人格や忍耐が、わかりやすすぎるほど露出してしまうもの。
そこで、個人レッスンならでは、じゃれつき遊びや、手遊び、遊びうた、などをいろいろ研究中。
ついでに、グループレッスンでの音感ゲームなども開発中。
調子にのって、ちらしも新しくして、グループのメンバーを募集。

新学期前の緊張感

★基本的に、あまり考えこまないシンプルな人だけど、それでも、ちょっと難しい時期にさしかかってきたはな。
覚悟しなければ、と思って、一生懸命に口を手でふさいでいます。
彼女の怒りに、怒りで応酬しないように。
放っておくだけで、解決できることが、ほとんどなんだもん。
かっとなるけど、1時間ぐらいすると、「ママ、やっぱり、はな・・・」と言いながら、部屋から出てきます。
それを、2、3日前に、賢人に話したら、「僕、この頃、はなと話しやすくなったよ」と言います。
それで、めんどくさい話は、賢人にしてもらうことにしました。
夫は、日本旅行以来、シングル・パパのように、彼女に厳しいので・・・。
★賢人が日本旅行中は、車を独りじめにしていたけど、また、シェアの日々が戻ってきました。
去年1年間、毎日、学校にも送り迎えしてあげられたけど、今年は、バスで通うそうです。
買う相談をしてみたけど、きっぱり「いらない」と言われました。
保険やガソリンを払うと、貯金ができないし、そもそも、車を持つこと自体に大きな負担を感じるのだそうです。
そうなんだ・・・、いいけど。(実は、どさくさに紛れて、はなの送り迎えも押し付けようとしていたけど、シッパイ)
★火曜日から、いよいよはなの学校がはじまります。
ピカピカの中学生です。
ドレス・コードは小学校よりも厳しく、歩いて通学すると言い張っているので、靴や携帯用のサンスクリーンも必要です。
今日、礼拝の後、お買い物に行ってきます。

決断する愛 第27日 愛は励ます

私のたましいを守り、
私を救い出してください。
私が恥を見ないようにしてください。
詩篇 25:20
私たちは伴侶に自分の希望を全て満たし、相手が自分を幸せにしてくれることを期待します。
しかしこれは伴侶にとっては、満たすことが不可能な注文です。
非現実的な期待は失望を生み出します。
あなたの期待が高ければ高いほど、伴侶はますますあなたを落胆させ、イライラさせる原因となる可能性が高いのです。
私たちいは相手に期待しながら暮らすよりは、相手を励ましながら暮らすことを選んでいく必要があるのです。
愛は、彼らが自分らしくいられるような余地を与えてあげなさい、とあなたに教えます。
たとえばあなたが自分自身に高い要求を課し、目的に突進していく目的志向型であっても、愛は、その厳しいやり方を、そのまま伴侶に押し付けてはいけないと教えます。
あなたは夫婦生活が、ありのままの自分を自由に出せ、失敗しても励まされることで成長していける、平安に満ちた場となってほしいと思いませんか。
あなたの伴侶も望んでいます。
「決断する愛」より
私の結婚生活の中で、最もチャレンジな部分です。
いいえ、結婚生活だけではなく、子育てでも、仕事でも、教会生活でも、これが、気づくといつも目の前にある課題です。
私は、あまりにも自分の仕事、自分の人生に夢中で、周囲のニーズが見えないことがよくあるのです。
一番、ましなのが、子育て、そして、最近、結婚生活も、ずいぶん、これでも、改善されてきたと、自分では思っているのだけどね。
The Love Dare 2回も学んで、これで3回めだもん。