それで、彼のあばら骨を、
ひとりの女に造り上げ、
その女を人のところに連れてこられた。
すると人は言った。
「これこそ、今や、私の骨からの骨、
私の肉からの肉。
これを女と名づけよう。
これは男から取られたのだから。」
それゆえ、男はその父母を離れ、
妻と結び合い、
ふたりは一体となるのである。
創世記 3:24
この聖書のことばには、結婚とはどうあるべきか、神が意図された原点が青写真として描かれています。
まず別れることと、それからひとつに編み合わされること。
すでにある関係の構造を変えつつ、まったく新しい関係を建て上げることが描かれています。
全てを変えるのが、結婚です。
親から離れて、伴侶と一体となる。
あとは、愛の決断の歩みを重ねながら、一心同体を目指していくのです。
「決断する愛」より
夫の母も私の両親も、この件に関して、とても健康的です。
結婚の当初から、もちろん、今にいたるまで。
そうでなければ、そもそも、アメリカでの結婚生活のスタートを許さなかったと思う。
問題は、親としての私です。
はなに「子どもを自由に欲しいだけ生んでね。ママ、喜んでベビーシッターするから。」だの、賢人には、「日本文化に関心のある人との結婚が、最後はきっと幸せと思うよ」なんて、偉そうに、でもその実、自分の好みを刷り込んでいる私。
気をつけなくてはいけません。
彼らが結婚する年齢になっても働いていたいな。幼稚園で。
そして、旅行にも行きたいな。夫と。