ですから、すべての他人をさばく人よ。
あなたに弁解の余地はありません。
あなたは、他人をさばくことによって、
自分自身を罪に定めています。
さばくあなたが、
それと同じことを行っているからです。
ローマ 2:1
皆、他人に対しては、その責任を果たす必要があると簡単に同意できるのですが、自分がその責任を果たすとなると、難しく、顔を曇らせがちです。
私たちは自分のものの見方は正しいと考えがちです。
愛はいい訳をしません。
愛は、自分の過ちや間違いを正直に、喜んで認め、自分から訂正するという責任を負っています。
あなたは自分が犯した間違いについて責任を取っているでしょうか。
愛は、カミと伴侶と自分との間に、傷や汚れのない関係を持ちたいと熱心に求めるものです。
今こそ、あなた自身が謙遜になって、自分がやってしまった間違いを正し、与えた傷の償いと修復を試みるべき時です。
それは愛の行為です。
「決断する愛より」
幼稚園では、毎日、クラスごとの帰りの会で、子どもたちと一緒に祈ります。
この時に、私が祈ることは、ほとんどが、悔い改めです。
「神さま、今日も良い日をありがとう。
お料理や、氷作り、とっても楽しかったです。
でも、お友だちにどうぞ、とか、いいよとか、ごめんねとか、ありがとうとか、本当はもっと、一杯言いたかったです。
お料理や氷作りや、遊ぶことに、一生懸命すぎて、それができなかったこと、どうか神さま、赦してください。
お料理や氷作りや、遊ぶことに、一生懸命すぎて、それができなかったこと、どうか神さま、赦してください。
月曜はきっと、もっと、ゆったりと、ゆっくりとお友だちを一杯愛せますように。アーメン」
貯めると大変な「ごめんなさい」、最近は、よく、テキストにステッカーを貼って謝ります。