ふたりはひとりよりもまさっている。
ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どうちらかが倒れるとき、
ひとりがその仲間を起こす。
伝道者 5:9
神は、ひとりの男性とひとりの女性―それぞれ似たところのある、しかし互いに補い合い、調和し合ってうまく機能するようデザインされたふたり―から、人類を創造されました。
私たちの持つ相違点は、よく誤解や衝突の原因ともなりますが、それらは神によって創られたものであって、私たちが相手のそのような面を尊敬し合うなら、絶えず祝福となり得るものでもあるのです。
自分だけで全て判断しようとしないでください。
夫婦ふたりに影響がある事柄に対して意見を述べる、夫や妻の権利を軽視しないようにしましょう。
愛があるなら理解できます。
「決断する愛」より
夫は、誰かを、例えば、私や子どもたちを、自分のコントロールできる範囲内に収めておきたというタイプの人ではありません。
まったく。ぜんぜん。ちっとも。
そして、私も、どちらかというと、っていうか、かなりそうです。
血液型、彼B、私B と言えば、わかってもらえるでしょうか。
まあ、つまりそんな感じの夫婦です。
はなとの日本行きは自分で決めて 自分で日程決めて、自分でチケット買って 発作のように全て一人でやった夫 そいうとこがすごくB |
相手も自由、私も自由、という主義は力や愛が等しい時は、確かにらくだけど、でも、結婚生活って、決してそうではないので、そんな時は、かなり慌てます。きまずいこともあります。
例えば、仕事が多い少ない、収入が多い少ない、時間がたくさんあるないで、簡単に愛や力が変動してしまう、悲しい人間同士なので、そういう時は、力ある方に、「ねっ、お願い、悪いけど、決めちゃってといてよ、ちゃっちゃとさ、あるでしょ、時間(あるいはお金)」となるわけです。(あくまでも、そっちな私たち)
はなの中学校なんてお互いにどうぞどうぞと言ってるうちに賢人が決めてしまいました。
そうだ、はなの名前も賢人がつけたんだった。
もらってきた猫じゃあるまいし、って、思うかもしれないけど、夫も私も大賛成したのです。
でも、それは、それで、賢人の人格に暗い影を落しているかもと、違う問題を心配している、彼と私ではありますが・・・。