Friday, August 18, 2017

決断する愛 第30日 愛は一致をもたらす

わたしはもう世にいなくなります。
彼らは世におりますが、
わたしはあなたのみものとにまいります。
聖なる父。
あなたがわたしにくださっているあなたの御名の中に、
彼らを保ってください。
それは私たちと同様に、
彼らが一つとなるためです。
ヨハネ 17:11
三位一体は、遥かかなたの遠い過去から未来へと続く歴史を通じても分かるように、一致の力を証明しています。
決して壊れ得ず、終わることのないもの。
この霊的現実は、皆さんと家と住所が一致しているのに似ているかもしれません。
このふたつは離せません。
仕事のスケジュールや、病院の通院、食料品店への買い物に行く予定など、日常は様々なことで彩られていますが、「ひとつ」という永遠のたて糸が、「あなたがた、ふたりの結婚」という名で、これらの日常経験を結び合わせ、生涯守られるべきものという目的を与えているのです。
「決断する愛」より
夕べ書いた記事の続きのような内容になってしまいそうだけど、昨年の今ごろ、オレンジの幼稚園を辞めた時、そのことに一番ほっとしたのは実は夫でした。
そして、今回、「何を思ったのか」、再び幼稚園に就職したことを、一番喜んでくれたのも、夫でした。
出勤初日に犬のじょえるのことで訴訟を起こされていることを、知り、でもその翌日、夫は、はなと共に、楽しい里帰りをしてしまうという、散々なスタートでした。
でも、その散々なスタートのおかげで、私は幼稚園との関係をはっきりと知ったし、夫にもそれを証することができました。
「何を思ったのか」が、御旨であることは、なかなかノンクリスチャンの夫には、分かりづらいことだろうなっと思っていたけど、あの問題のおかげで彼は、はっきりと、「なるほど」と思っています。
彼ははなとはなの誕生以来、はじめて、ふたりきりの閉じ込められた時間をすごし、そして、賢人は、よその釜の飯にあずかり、少々の冒険もし、少し変わって、帰ってきました。
どう変わったかと言うと、それはつまり、よりひとつになったという、その一言に尽きます。