Tuesday, April 30, 2013

よい日でありますように

おはよう。
もう6時をまわっちゃたけど、でも、一言だけ。
どうか、今日も良い日でありますように。
毎日、いろんなことがあるし、楽しいことばかりじゃないかもしれないけど、でも、神さまはいつもいっしょ。
雲の上にはいつもおひさまがあるみたいに。
『おはようスポルジョン』はみんなの灯台ですってメールをもらいました。
うれしくて、うれしくて涙でそれ以上よめなかった。
大きくなったり、小さくなったり、喜んだり、悲しんだり、動き回るわがままな灯台です。
こんなわがままな私なのに、読んでくれる人がいる。
だから、元気を出して、この造られた1日に飛び出してゆきます。
今朝はデボーションできなかったけど、ギブアップじゃないから心配しないでね。
まき

Monday, April 29, 2013

悪断22~意志を従わせる

私の心が苦しみ、
私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。
しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
詩篇73:21~23
「見えないものは見えるものより価値がある。」
「しかしこの事実と、あなたの価値観、あなたの目標とはどうかかわってくるのだろうか。」
「良い目標を立てるのは容易なことではないし、それを守り通すことはさらにむずかしい。あなたが神の御旨を行おうと努めるときには神の助けが必要だし、その助けは与えられる。それでもなお、葛藤が起こるのはまさにこの点、あなたの意志と神の御旨に関してである。」
「あなたの自分本意な意志と神のご意志との戦いは激しい。あなたは自分の運命を自分で支配したい、自分の問題は自分で片づけたいという欲求を持っている。」
「ふつう私たちは人間は意志を強くしなければならないと考える。しかし逆説的に言うと、自分の力が弱くなったときにあなたは強くなる。あなたの意志を神に従わせるとき、ようやく神の要求なさることを行う手だてを発見する。自分自身を神にささげるときに、あなたは神の力を受ける。あなたが力尽きたときにこそ神はあなたを支えるために来てくださる。」
「全能の神と競いたいという誘惑は、いつもあなたにつきまとう。」
「神の要求に反抗し、自分の気が向かないことからうまく逃れようとするとき、あなたの意志は必死になって生き延びようと戦っているのである。」
「しかし神に〝はい〟と言うとき、神の御旨を行う能力をあなたは発見する。力は服従によって得られるのである。」
全能でもあるにも関わらず、私の従う決断を、
ずっとずっとずっと待っていてくださった神さま、
そして今も待っていてくださる神さま、
あなたの御手が今、ここにあることを信じます。
アーメン
私は自分の感情に仕え、感情のためにがんばってしまったけど、でも、小さな頃からがんばったことなんてほとんどなかったから、だから、がんばってよかったと思う。
がんばってみて、はじめて、自分がわかった。神さまのそばににじり寄ることができた。
神の近くにいることが、しあわせなのです。
私は、神なる主を私の避け所とし、
あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。
詩篇73:21~23
Day0:ああ、だめな私。今朝は本当にいやな気分。ばかげた実験だった。本当においしくないかどうか試したのだ。これは本当に無意味でばかげた実験です。あの瞬間、私は悪魔の誘いに乗ったのです。誘惑は神さまに「はい」というチャンスだったのに、サタンに「はい」と言いました。でもあきらめません。出口は必ずあるから、そう信じている。カウンターを0に直しました。ゲームじゃないけど、でもその方が楽しくチャレンジできるので・・・。ははは、本気なのよ、これでも。でも笑いながら読んでね。そして、いつか何かを変えたいと思ったときに、私のこの失敗を思い出してください。

Sunday, April 28, 2013

日曜日のBrainsorming

夫は仕事、賢人はえりかちゃん&つぐるくんと共にどこかへ、はなは近所のお友だちとLA Zoo。
私は、のんびりと音楽を聞きながらとても日曜日な日曜の午後でした。
土曜日に素敵な音楽とそれを聴くスピーカーを買ったの!
みことばカードを作って、ひとりでお昼ごはんを食べて、雑誌を眺めて、本を読んで、お昼ねして、起きてメールをチェックして・・・。
ハイキングに行こう、どこがいいかなとか、ピアノを練習しよう、何を弾こうとか、お庭にミニチュァの灯台を作るにはどうすればいいだろうとか、いろんなことを考えながら、考えていることをメモにとって、ずいぶん長いこと座っていたりもしました。
ハイキングの仲間を探していてやっとひとり見つけました。
クリスチャンのコ・ワーカーの先生です。
再来週、5月12日に、どこかの山に登ることになりました。
とっても楽しみです。
ピアノは聖歌を順番に初見でぱっぱと弾いていくことしました。
あんまり楽しくなさそうだけど、弾きながら、本当にやりたいことを見つけようって思う。
サン・ペドロには、灯台ちっくな家、家の一部を螺旋階段で高く突き立たせた家がいくつかあります。
それはそれは、ユニークなおうちです。
私の夢を先に実現させている人がいるのです。
今度写真に撮ってくるね。




あの日のこと

今朝、悪断21を書いていて、日本語学校を辞めたときの気持ちについてそろそろ書けるかなっと思えたので、どんな文章になるのかわからないけど書き始めることにしました。
一番つらかったのは、賢人とはながそこを大すきだったことでした。
今でも、耳の中にある声があります。
「行きたかったな、遠足。」
大きくなった賢人を3歳ぐらいに戻したいと何度も何度も夢みてきた私。
戻してもらえるなら、1日1000ドル払って10日ほど共にすごし、残りの人生は借金の返済でもいいとさえ思っていました。
絶対に適えられないと思っていたのに、それは、その夢が適えれた日でした。
あの子の声はまるで3歳で、そして私を木っ端微塵に打ち砕きました。
私たちは、レストランの駐車場にいて、私は、涙が目からあふれて、声を出すこともできず、本当に悲しかった。
親として、今まで何度も何度も失敗をくり返してきたくせに、そんな一言に完全に打ちのめされて、私ほど愚かな親は、じゃなくて、人間は私の周りにはいないと思いました。
私の判断は間違っていたのか。
間違っていました。
私は、神さまを信じていませんでした。
私もエリの前で神に仕えたサムエルやサウルで前に神に仕えたダビデのようになれたかもしれない。
いいえ、賢人とはなが愛した日本語学校は、本当に素晴らしい学校だった。
確かに週日、往復2時間半の遠距離通勤プラス、土曜日の日本語学校、準備に週5時間はタフを通り越したクレイジーさでした。
でも、それは私が望んで決めた決断で、神さまは、しっかりと私をサポートしてくださっていた。
辞めた原因は、私のプライドが学校の前で神さまに従えなかったことです。
私は、私の感情、私の欲望、私の夢に仕えるあまり、疲れ果て、そして燃え尽きてしまいました。
がんばればがんばるほど、気分が悪くなっていきました。
アーウィン・ラッツァーが言うとうり、感情に従えば、従うほど、気分は悪くなり、その悪い気分を一時的にでもいいから麻痺させて、翌日に備え休むために、ビールを手に楽しいふりをしていたわけです。
ローマの8:28は真実です。
私は、働いて、働いて、自分がどこに向って何をしようとしているのかさえ、わからなくなるほどに働いていた頃も、その挙句に感情を爆発させた時も、自分を知って心から自分を嘆いたときも、主はすべて、本当にすべてそれを益としてくださっていました。
私は、将来おそらく、もう一度、何のバックグランドもない子どもに外国語としての日本語を教えるというチャレンジを与えられると思います。
神さまと私は、私にそれができることを知ってしまったのです。
誰もやらないやり方でそれをする時が、もう一度必ずやってくると、そうなぜかはっきりと思うのです。
そして、感情の爆発によって、私は自分の限界、神さまの無限を思い知りました。
疑いようもなく、私は高慢な愚か者で、「何でそんなことがわからないの?」と思っていた人々に赦され、憐れまれて生きのびることができました。
あの失敗によって、私は自分を変える決心ができたのです。
神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ8:28



悪断21~意志とは

私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
Ⅱコリント4:18
「意志を訓練することができるだろうか。できる。」
「意志とはなにか。決断を下す機能のことである。」
「情緒はあなたの感じることを表現する。頭脳はあなたが知っていることを語る。だが意志はあなたが欲することを告げる。」
「あなたの意志が心の指示に従うか、それとも体の好む方に従うかを決めるのは何だろう。それはあなたの願望と、それを満たそうとする決意にかかっている。」
「慰め主である聖霊は、あなたが誘惑に会ったり決断をくださねばならないときには、すぐに助けられるようにと見守ってくださる。」
「あなたの意志を神の目的と調和させるためには、人生にしっかりした目標が必要である。」
「永遠の価値を持つものだけがこの世限りの一時的な価値に意味を与え得る。時間は永遠のしもべでなければならない。」
「あなたの目標は、人生やあなた自身についての大切な信念を基礎にして定められる。自分が究極的に何に専心するかを定めたうえで、その枠内で短期間の目標を形造ってゆく。」
アーウィン・ラッツァー
私をあなたに与えてくださった、神さま、
私を受けとってくださったイエスさま、
そして、今、共にいてくださる聖霊さま、
あなたの尊い目的の成就のために、
私の人生にもっともっと強く大きく関わってください。
そうでなければ、私は、どこで何をしてよいのかわからなくなってしまいますから。
アーメン
私の夢は灯台で暮らすこと。
そこで海や船を眺めながら、仕事や家庭や教会でのできごとを通して、人や生き物、街や自然の中に現れてくださった主の御栄光を証すること。書くこと。
その夢が御心であるのか、よくわかりません。
でも、神さまはいままで、私のやりたいことを、やりたいようにさせてくださり、間違ったときも、そうでなかったときも、同じように助けてくださいました。
日本語学校を辞めて、自信が粉々になり、泥のように落ち込み、もうだめかもって思ったけど、あそこを辞めたからこそ、私は自分の本性を知り、もう一度変る決心ができました。
そうでなかったら、これだけやっているのだからいいでしょっと開き直って缶ビールを片手に素敵なジャズを聴きながら、神さま以外の何かにうっとりと時間を泥棒させ続けていたと思う。
くる日もくる日も。

わたしが天から下って来たのは、
自分のこころを行うためではなく、
わたしを遣わした方のみこころを行うためなのです。
ヨハネ6:38
Day7:ついに1週間。修養会や茅野のミショントリップみたいな仕事は別として、プライベートな時間に1週間もビールを飲まないでいたのは、たぶん、大人になってはじめてです。

Saturday, April 27, 2013

悪断⑳~感情・キリストの模範

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
へブル12:2
「感情は率直に扱われるべきもので、無視することはできない。」
「キリストはご自分の感情を認められた。」
「私たちは主にならって率直に自分の感じたことを認めるべきである。苦い思い、憂うつ、嫌悪、情欲などを認めることが、感情に対処することを学ぶ第一歩である。」
「自分の感情について事実を認め、自分の気持ちを神に告げる」
「キリストは友人の援護を求められた。」
「私としは、情緒面の多くは、心を合わせたとりなしの祈りによって解決されると信じている。」
「キリストは、父の愛と同意はご自分の感情面での苦しみに左右されないことを知っておられた。」
「父と御子の関係は、苦悶の重圧に左右されなかった。」
「信者としても私たちは気分でクリスチャン生活を送るのではなく、信仰によって生きるのである。」
「神との歩みは、朝起きるときの気分に左右されない。」
「キリストは服従には祝福が伴うことを知っておられた。」
「情緒面での平安と落着きは、神の御旨を行った後にくる。」
「感情は行動から発するものでその逆ではない。」
「何かに適した感情というものは行動から生まれるのであって、行動に先行することはない。」
「キリストは十字架上に死にたい気分ではおられなかった。」
「しかし主は死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であられ、それに耐えられた。」
「服従の後に喜びがあることを知っておられたからである。私たちは、よくこの順序を取りちがえてきた。神に従うにはそれに適した気持になっていなければならない、と考えるのである。しかし服従がなければ喜びはあり得ない。」
「気持ちに関係なく、すべてのことを神に感謝すること。」
「信仰は自分の気分に縛られる必要がない。」
「感情の助けを借りずに信仰によって歩むとき、神を崇めることになる。やがて、感情は、頭で納得した真理に歩調を合わせ始める。」
アーウィン・ラッツァー
ハレルヤ!信仰の創始者であり、完成者である神さま、
私の人生に大きな変化をくださろうとしている神さま、
あなたのいのちのかんむりに続く道を、無事に歩み通すことができるように、
どうか、すべての災い、すべての悪の試みから私と、私の友だちを守ってください。
アーメン
今朝、目が覚めたその時、何かが終わって、何かが始まっていると思った。
今まで何度も何度も夢みてきた自分がゆっくりと目覚めたので、夢かなって思ったけど、今日はちゃんと昨日の続きの現実の今日だった。
何度も夢をみた。
そして何度も夢から覚めた。
そして、だんだん夢をみるのがいやになり、もう、このまんまで許してもらおうかとあきらめかけていたこと。
缶ビールと縁を切ること。

死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
黙示1:10
Day6:本当に飲みたい気持ちそのものが、すっかりと、陰も形もなく、どこかに消えているのです。ここで苦しい私の葛藤をいろいろ書いて、憐れんで、祈ってもらって、そして、解放されようと思っていたのに。そして、違う偶像に同じような葛藤を持っている人に熱く、証をしようと思っていたのに。アーウィン・ラッツァーの書いていることと矛盾するのだけど、本当に、どこにもないのです。夕べ、夫が私の目の前に冷たいバドワイザーを置いてくれた時に、おいしくないことを自分に証明しようかと一瞬、思ったけど、それは無意味だと思ってやめた。やめてよかったと今朝、起きて心から思った。この1週間、ずっと、今日か今日かと葛藤が戻ってくるのを待っていたけど、ついに現われなかったのです。心の中には、まだ小さな疑いがあるから、用心しようと思うけど、でも、終わった気がするのです・・・。

Friday, April 26, 2013

おやすみなさい

やったあー!金曜日だー!
今週は、本当によくがんばったから、とってもうれしい。
朝のデボーションはもちろん、仕事も、はなの宿題とピアノも毎日ちゃんとみてあげることができた。
毎日のお弁当も内容はともかく、とにかく作り通したし、みことばカードもせっせと作り続けた。
前半は原因不明の微熱で、食欲もなく、ふらふらしていたけど、水曜日のおにぎりから食欲も戻り、やろうとしていた全ての仕事を無事に終え、うれしい週末です。
今週末は、のんびりしよう。
明日のバレエのレッスンも休もう。
お買い物も、夫にお願いしよう。
洗いっぱなしの顔とパジャマで、家の中でだらだらしよう。
ベッドも直さず出たり入ったりしよう。
家族でてきとうなものを食べて暮らそう。
声を出さずにだまってじっとしていよう。
そして、眠り続けよう。




悪断⑲~感情

主ご自身がこう言われるのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
へブル13:5
「感情そのものは決して悪ではない。」
「だが感情は行動するうえでは完全に信頼できる指針ではない。」
「意志が、感情の流れに制御作用を果たすべきである。」
「自分をよく知り、自制し、表面的なものであれ深い所にあるものであれ自分の感情のすべてをキリストとみことばに従わせることによって、多くの情緒的問題は回避できる」
「あなた自身の中には指針とするに足りるものは何もない。」
「あなたの罪との葛藤の多くは肉欲、言い換えれば肉体の感覚に支配されていることに原因がある。」
「神の命令に従うことができないと思っている人の多くは、実は従いたくないのである。」
「聖書の中で言っている愛は感情ではない。」
「赦しも感情ではない。」
「神の臨在の確信は感じによってではなく、信仰による。」
「神と共に歩むのに、平穏な情感を絶えず経験していなくてもよい」
「感情は変化する。」
「感情に従えば従うほど、気分は悪くなる。感情を満足させるどころか、実際には感情をいら立たせてしまうのである。」
「サタンは良いことをしようというあなたの意図などは、全然恐れていない。あなたが神に服従したときだけ、サタンはとり乱すのである。」
アーウィン・ラッツァー
私に丈夫な身体と、感じる心と、考える力をくださった神さま、
感謝します。
でもそれを全部あわせても私は足りません。
私にはあなたの導きが必要です。
あなたこそが、私の人生の調和の原則です。
アーメン
今朝の、アーウィン・ラッツァーの教えに心が痛みます。
それは、まさに私自身、私個人宛のメッセージです。
私は、感情が服を着て歩いているような生き物なのです。
昨日も、端末から目もあげず、座ったまま1ミリも動こうとしない事務の人に、「じゃあ、あなたが私の代わりにここにいて。私があなたの代わりに走って探してくるから。」と口から出そうになるのを必死にこらえた。(っていうか、それを探していた人があきらめて行ってしまったのです。これは主による守りだったと今思う)
さらに恐ろしいことに、言えばよかったと5分ぐらいずっと思い続けていた・・・。
あなたがたに光がある間に、
光の子どもとなるために、
光を信じなさい。
ヨハネ12:36
Day5:まだ、誘惑はきていないと思っていたら、本当はノックアウトされていたりして・・・。別な誘惑に・・・。こわい。

Thursday, April 25, 2013

サン・ペドロの古いダンス教室のこと

今日は、本当ははなと私のダンスのレッスンの日だけど、さすがに今日はパスして、夫にはなだけを連れて行ってもらいました。
夫が写真を撮ってきれくれました。
はなのクラスは本日小さなおさらい会。
The Beatlesの"I Want To Hold Your Hand"をひとりで踊ったそうです。
発表と発表の間にグルービーな生ギターの演奏などあり、なかなかサン・ペドロちっくな楽しい会だったそうです。
写真は直前のリハーサル風景。


悪断⑱~心の一新Ⅱ

キリストは御子であられるのに、
お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、
彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり・・
へブル5:9
「戦略は朝起きたその瞬間から始まる。目がさめてから起き上がるまでの、あの短い間が決定的に重要なのである。」
「神が与えてくださった休息を感謝しよう。それからこの新しい1日を主にゆだねよう。あなたの心、機会、時間を意識的に主にささげよう。」
「その日直面すると思われる特定の誘惑に対して心の備えをするためにしばらく時間を費やす。」
「その1日に関して神の約束を自分のものとしなさい。」
「神の助けによって、自分はこの世よりも神を選ぶ決心をします、と主に告げなさい。」
「どう反応すべきか誘惑がきてから決めたのでは、間に合わない。どのような状況に遭遇するとしても、神の約束に頼ることを前もって選択しておくのである。」
「私たちは誰でも、見えない境界線を飛び越えて心が禁じられた領域に入ったときには、自分でそれとわかる。越えた瞬間、聖霊の望んでおられる純潔を犯していることを感じ取る。それが『イエスの名によって私はこの思いを退ける』と言うべき瞬間である。そしてその誘惑のために覚えておいた聖書の箇所を引用しなさい。経験を重ねれば、聖霊に対する感性が育っていくだろう。」
「同じ誘惑にたびたび会っても落胆してはいけない。もし罪深い思考形式を長い間持ち続けてきたとすれば、その想像力という要塞は簡単に倒れないだろう。さらに、自分自身だけでなく、サタンの力とも対決しているかもしれない。」
「サタンの攻撃に対する最も大切な絶縁体は、罪を告白し罪を捨てるという人格の正しさである。この原則を一貫して適用し続ければ、サタンとその勢力は弱められ、やがては逃走するであろう。
聖なる聖なる聖なる神さま、
あなたの愛を感謝します。
どうか私のことを、あなたに愛される者にふさわしく、
聖めてください。
聖め続けてください。
あなたに従います。
アーメン
見えない境界線を越えて、はっと思い、誰もみていないうちに、さっと境界線のこっちに戻ってくることってよくある。
それで、満足していたけど、その都度、「ごめんさい、神さまって」言おう。
よく、間違った叱り方をしたときに、そうなるので、ついでに子どもにもあやまってしまおう。
それがサタンとの絶縁体と、よお~く覚えておこう。

もし子があなたがたを自由にするなら、
あなたがたはほんとうに自由なのです。
ヨハネ8:36
Day4:週のはじめに、重大な決心をし、公表までしたのに、体調がおかしく、誘惑はまだやってきていません。その間にせっせ、せっせとみことばカード製造中です。油断大敵火事親父、だっけ?

Wednesday, April 24, 2013

絵本週間

仕事が終わって、コ・ワーカーと話をしながら、幼稚園のごはんと海苔と鰹節でおにぎりを作って食べさせてもらいました。
なんだかとっても元気になった気がします。
ちょっとでも、体調が悪かったりすると、家族っていいな、友だちっていいなって思う。
ママは本日休業ですと言い残して、ベッドに入るとみんなが順番に顔を見に来てくれて、「どうしたの?」と聞きます。
普段あまりにも元気なので、ケガでもしたのかと思うようです。
微熱が続いていて、なかなか下がりませんが、何かに集中していると、特にどうということはないので普通にしています。
今週はそんなわけで、夜、さっさとベッドに入るので、絵本をたくさん読んでいます。
字が大きいし、すぐ読めるし、幸せな気持ちになれるし。
へんだな~、風邪かな~。なんだろう・・・。
これを普通の風邪とはどうしも思えないのです。
私の人生は主によって、どこまでも、このうえなくシンプルでやさしく愛に満ちたものに変えられているように思うわけです。

悪断⑰~心の一新

幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、
あざける者の座につかなかったその人。
まことにその人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は何をしても栄える。
詩篇1:2
「単に拒絶するだけでは誰も悪を負かすことはできない。悪の後に善を置き換えることによってだけできるのである。罪深い習慣は、それに代わるべき正しい習慣を持たなければ破ることができない。」
「数字の8を考えなさい。それが目に浮かんだら意志の力を働かせて今すぐ8という数字を考えることと中止する。できるだろうか。もちろんできない。年頭から去らせようと努力するとかえって、それに注意を集中させてしまう。」
「罪に打ち勝とうとするときと何と似ていることか。」
「確かに、その思いを制御することはできる。だが、考えないように努力することによってではない。やみくもに悪を拒むのは、それをもっと強力にしてしまうことになる。」
「ではどうすれば自由になれるか。もう一度実験に戻って、8という数のことを考えよう。単なる拒絶によっては、考えるのをやめられないが、いとも簡単に頭から追い出すことができる方法がある。まず1000という数字を考える。それを5で割る。この新しい情報に集中するれば、8という数について考えなくなる。」
「びんから空気を抜く最上の方法は何か。」
「そのびんに水を満たせばよいのだ。」
「罪の力を追い払うためには、みことばを思考形式に取り入れる必要がある。」
「自分の思考生活に戦いを宣することは、毎朝攻撃開始のために時間を設けることを意味する。」
「暗記して、その日の間にすぐ用いられるようにしておこう。あるいは小さなカードに清書しておいて、即座に見られるようにしておくことである。その聖句は、あなたの心の要塞を破壊し、新しい建物を築くために神が用いられるものとなる。」
私をあなたにむけて、おつくりくださっ私の造り主さま、
私はあなたにデザインされた、あなたを礼拝する者です。
毎朝、こんなふうにあなたの前に静まる時間をありがとうございます。
今日も、あなたのことばを宝物のように大切に胸に抱いていってきます。
アーメン
日曜日から始めたみことばカード作り、やっと5枚できました。 
手書きなので、字の大きさや形が気に入らないとやり直したりして、すごく時間がかかるけど、時間のたつのも忘れて、ぐぐぐっと集中してちまちま作業をすすめています。
ものすごい早朝に、ひとりでなにやってんの?って感じだけど、ちょっと1枚写真に撮ってみるね。





あなたに罪を犯さないため、
私は、あなたのことばを
心にたくわえました。
詩篇119:11
 



Day3;体調がやっぱりヘンで、首から肩にかけて、ずっとぞくぞくと寒いの。だからとてもじゃないけど、ビールなんて飲みたい気分になれない。これはやっぱり主の体質改造計画でなないかと思うのだ。だって、ビールが飲めない以外、なんの支障もないの。毎朝、書き続けているし、仕事も行っているし、子どもたちのピアノや宿題もみているし、ごはんも作っているし・・・。

Tuesday, April 23, 2013

悪断⑯~聖霊の力Ⅱ

あなたがたはこのように主イエス・キリストを受け入れたのですから、
彼にあって歩みなさい。
キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、
あふれるばかり感謝しなさい。
コロサイ2:6
「御霊のうちに歩むことととつみ深い習癖を破ることは直接に関連している。」
「御霊の支配が罪の支配にとって代わってくださるのである。実に御霊の力はあなたの罪をすべて集めた力よりも大きい。」
「まず、罪を告白することから始めて、神の赦しを受けよう。」
「次に聖霊があなたに力を注ごうとしておられることを思い起こそう。」
「聖霊は支配者となる確かな目的をもって住み込まれたのである。」
「御霊の満たしは、特別な感情を経験することによってではなく、信仰によって受けるものである。」
「賛美しつつ生きる」
「人生の困難についてあえて神に賛美をささげるとき、私たちは初めてその困難を神の視点から見られるようになる。」
「感謝は、赦しと同様に感情ではない。神のみことばに基づいた、神への知的な反応である。服従しようというあなたの決心が感謝なのである。
「自分の罪を取り上げ、すでにその罪に勝ったことを神に感謝するのである。」

アーウィン・ラッツァー
愛する天の神さま、
私がキリストのうちにることを感謝します。
私があなたによって守っていただいていることを感謝します。
主にあって、すでに私が罪に勝利していることを感謝します。
この自由を感謝します。
アーメン
昨日、朝からなんだかか、ちょっとおかしくて、仕事が終わって家にもどり、ただ着替えて顔を洗い、ベッドに入ってさっきまで眠っていました。
たくさん寝たので、頭はすっきりしている気がするけど、体がだるくて力が出ないかんじです。
今の幼稚園に変わって3年め、元気だけがとりえの私のはじめての身体の不調です。
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、
知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とりより、
感謝にあふれて心から神に向って歌いなさい。
コロサイ3:16
Day2:昨日は何もできずに寝てしまったので、もちろんなんの葛藤もありませんでした。もしかして、この不調は聖霊さまが私の最新の決心を喜びすぎて、祝福のあまり身体の造り変えが起きているのかも・・・なんちゃって。(でもホントにそうな気がする)


Monday, April 22, 2013

悪断⑮~聖霊の力

もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
あなたがたは肉の中にではなく、
御霊の中にあるのです。
ローマ8:9
「イエス・キリストの十字架上の死は、あなたの赦しの基盤である。主があなたの受けるべき罰を身に負ってくださったので、あなたは無条件で罪の赦しを受けられる。それと同じように、聖霊が与えられる基盤となっているのはキリストの昇天と栄化である。あなたは赦しを請い求めなくてもよいし、御霊を切望して苦しむ必要もない。いのちの水もまた価なしに与えられるものであり、信仰によって受けるものである。」
「聖霊は霊的に完成した人に与えられるのではなく、霊的に成長できるように与えられるているのである。」
「この順序が大きなちがいを生む。」
「私たちは、御霊のうちを歩む条件をしばしば複雑にしすぎている。」
「私たちは聖人である必要はない。ただ渇いた罪人であればよい。」
アーウィン・ラッツァー
主よ、キリストと、
聖なる霊を感謝します。
私のうちで命の泉となってあふれてください。
あなたのご栄光のために。
アーメン
自分をだめなクリスチャンだと、思い続けるのは、神さまにとても失礼なことかもしれないと思う。
だめな人間だけど、だめなクリスチャンだと思うのはそろそろやめよう。
聖霊を宿した身体らしく生きることを考えてみよう。
ううん、それも違う。
聖霊を宿した身体として生きることが考えてみよう。
わたしが与える水を飲む者はだれでも、決してて渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:10
Day1:いきなりなにが1日めかっていうと〝ビールを飲まない〟の1日めです。さあ、そろそろ、ていうかついに、ここまできたよ・・・。


Sunday, April 21, 2013

不良クリスチャンの習慣いろいろ②

1997年の春、大人のテレビを見るのをやめた。
きっぱりと。
あれから16年になるんだ・・・。
1997年の春に何かおきたかっていうと、私は妊娠7ヶ月で、そして奇妙な殺人事件の犯人が捕まった。
それはサカキバラセイトという名前の男の子だった。
犯人が男の子と聞いて、テレビのリモートをピッと押して消した。
私のおなかの中にも男の子がいたから、それ以上何も聞きたくないって思った。
それで、ニューズのないラジオをつけて、ずっと音楽を聴いていた。
以来16年ずっと大人のテレビを見ていない。
賢人が小さい頃、一緒によく見たのはセサミ・ストリートと機関車トーマスとドラえもん。
そして今また、再び、テレビを見ている。
はなと一緒にちびまるこちゃん。

不良クリスチャンの習慣いろいろ

おはよう。
日曜日です。
おなかがすいて、目が覚めました。
でも、食べると祈れなくなるので、(私はおなかが満足すると天国のことが、どうでもよくなってしまうのだけど、それは、本当に悲しいことなので、朝は食べない習慣なのです)がんばって、悪断⑬を書いて、お米を研いで炊飯器にセットして、今、牛乳を温めて飲んでいます。
夕べ、一人でビールを飲みながら考えたこと。
ひとり暮らしに憧れていて、夫は私より13歳も年上なので、最後はちょっぴり一人暮らしができるかもって楽しみにしているけれど、これはかなり罪深い思考のパターンだったかもしれない。
普通、夫婦って「私が先に逝くので、みとってね」ってお互いに思うのが一般的だけど、それはわがままだとずっと思ってきた。
でも、「ちょっとだけ、ひとりにさせてね」っていうのはもっとわがままかもしれないと思う。
大体テレビも一人で見られない私、電子辞書の電池が切れても交換できない私(でもクルマのバッテリーをジャンピングケーブルで動かすことはできるけどね)がはたして、ひとりで暮らせるのだろうかと思う。
ごはんを食べる前にお祈りするのは、おなかが一杯になって一時的に天国のことを忘れてもいいためなのだろうか・・・、そんなことは決してないと思うけど、でも実はそうな気もする。
私は幼稚園でも、家庭でも、ごはんを食べる前に祈る習慣がないので、ちょっと試しにやってみようかな。
地上の常識って、時として、とても恥ずかしくて誰も言わなかったりするけど、でも、実はみんなそう思っていたりすることが時々あると思う(まどろこしい文章だ)。




悪断⑭~十字架に生きる自由Ⅲ

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、
罪のからだが滅びて、
私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
私たちは知っています。
ローマ6:6
「あなたは法的には罪深い欲に対してすでに死んでいることをはっきりと悟るべきである。」
「神はそれをすでに達成したと宣言なさっている。あなたの敗北や過ちで、神が言われたことが変わることはない。」
「毎日の生活に信仰が必要なことを認めるべきである。自分がキリストのものである、という事実は経験的に証明できるものではない。」
「自分のいきざまを見れば、罪に死に神に生きるという概念を、とうてい裏づけられない。しかしいったん、私たちと罪の結びつきはすでに破られたということを聖霊の助けによって理解したら、神が私たちを欺かれたのではないことがわかってくる。十字架上で完成された御業に注意を向け、私たちの特権を主張するとき、古い自己は神の権威に降伏するのである。」
「罪からの解放は決して自動的なものではない。一歩一歩勝ち取らねばならない。」
「神の前に静まり、みことばを読み、神の示してくださった真理に従うことに代わるものはない。」
アーウィン・ラッツァー
十字架を私にくださった神さま、
十字架をくださろうと、私を選んでくださった神さま、
毎日、いいえ、1日に何度も、いいえ、
いつも、そのことを忘れずにいることができますように。
アーメン
昨日、Michael'sで、暗誦聖句カード作りの素材をいろいろ買ってきました。
神さまのことを思いながら、覚えられるようにと祈りながら、楽しく作業をしていきます。
キリストが十字架で勝ち取られた勝利を喜びながら・・・、
私たちは、この望みによって救われているのです。
目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
ローマ8:24

Saturday, April 20, 2013

ひとりの夜

静かな土曜日の夕方です。
誰もいないし、遊びに来てくれる人もいないので、夫がAlpine Villageで買ってきてくれたソーセージを焼いて食べながらひとりでビールを飲んでいます。
こんな夜は一人でのんびりDVDでも見たいところだけど、テレビが年末に新しくなって以来、リモートの使い方がよくわからず、夫が教えてくれた4桁のTVジャパン以外どこに行くとができません。(夫は賢人とはなはを連れてハンティントン・ビーチの夫の友人宅のパーティに行っています。そしてひとりでDVDでも見ようと思ったのはテレビが変って以来初めてなのです・・・。)
だから、ウォーキングシューズをはいて、暗くなる前に近所を歩いてきます。
てくてく・てくてく。
そして、お風呂にはいりましょう。
バスタブにあつ~いお湯を一杯ためて。
追記:写真の女性は私をダンスに誘ってくれた人。
とってもとってもきれいな人だから、写真を撮って、ここに紹介したかったのに、絶対に撮らせてくれなかった。
るり(彼女の子)もがんこならママもがんこ。
がんこできれいな素敵な親子。
上のお兄ちゃんは13歳、下の妹が5歳。
うちと同じ年齢差だけど、間にもうひとり男の子がいる分、やっぱり、腹のすわった余裕がみえる肝っ玉ママ。
でも、素敵なのはスーパー・シャイなその『ダメダメ』。

冷蔵庫の中の奇跡

おはよう!
うれしい、土曜日、今日はやることが一杯です。
まず、家の中をさっと片付けて、洗濯物などもぱっぱとたたんで引き出しにしまって、掃除機もざっとかけて出かけます。
まず、ダンス。
そして、クラフトのお店に行って、悪断のみことばカード用の素材を買います。
昨日、仕事の帰りに文房具屋さん(Office Depo)によりました。
あたりまえだけど、あたりまえのIndexカードしかなくて、一応買ったけど、でもこれじゃあねっと思う。
素敵なカード集を作りたいの。
思い通りの素材が手にはったら、今まで作ってきたカード集も全部、それぞれのテーマに沿ってアップデートさせたい。
時間をかけてこつこつと。
時間はある。
たっぷりある。
当面の全ての土曜日と、毎日の朝を自分の回復のために使うことにしてあるのです。
手芸屋さんの次は、園芸屋さん、Home Depoでお花の苗をいくつか買います。
お花といえば!
昨日のこと。
仕事を終えてくたくたに疲れた体で、夫が焼いてくれたお魚と共に食べる野菜が何かないかと、冷蔵庫の野菜の引き出しをひっぱって、一番下から見慣れない野菜を取り出して、びっくり。
それは確かに私が買ったチャイニーズ・ブロッコリー。
なんと白いかわいいお花を一杯に咲かせているのです。
冷蔵庫の野菜の引き出しの中で・・・。
「ああ、もう」っと思い、でもあまりのかわいさ、不思議さに「神さま、いのちって素敵!」と思い、コーヒーのマグカップに挿して写真を撮りました。
今思えば、あの「ああ、もう」はアダムのうちの、「神さま、いのちって素敵!」はキリストのうちの思いだったのだ。
創世記の最初の6章を毎日毎日繰り広げていた私。
さて、ではよい週末をね。
 

悪断⑬~十字架に生きる自由Ⅱ

このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだものであり、
神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと思いなさい。
ローマ6:11
すべての罪深い習慣には共通の根源があることを知っていただろうか。」
「肉欲は憎しみの思いは、社会的影響という点では姦淫や殺人と同じではない。この意味では、全ての罪は同一ではない。しかし別の観点からすれば、すべての罪は同一の根源から発しているのだから、根本的には同じだということになる。」
「すべての罪が私たちの堕落した反抗的な罪の性質から生まれているからである。」
「次の聖句を注意深く読み、あなたの持っている罪の習慣について書いているのを見なさい。〝肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、そねみ、憤り、党派心、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです〟これらの行動はすべて同一の種、肉から芽生えている。」
「肉は種々の罪をならすいろいろな枝を持った木である。」
「だからこそ神は独善を忌み嫌われる。そこにはいつも比較する心がかかわっているからである。」
「あなたの罪深い行動は他の誰の罪とも原則的にはちがわない。」
「〝アダムのうち〟にあるというのは罪に悩まされていて、文字通りに自分ではどうすれこともできないであることを意味する。鳥に自然に羽根が生えてくるように、自然に罪を犯してしまう。しかしキリストの死のゆえに、信者は〝アダムのうち〟にあったのを〝キリストのうち〟に移される。神は過去の絆を断ち切ってくださり、霊的な意味でキリストがあなたの新しい祖先となってくださる。」
「奴隷の家庭から王の家の養子になったとすれば、新しい人間関係を継ぐことになる。」
「神秘的、理論的な方法ではなく、法的関係を変えることによってである。」
「神は私たちのできなかったことを成してくださった。私たちに新しい性質と、聖霊みずからの臨在と力とを与えて、古い性質に〝否〟と言えるようにしてくださった。」
アーウィン・ラッツァー
私の新しい身元ひきうけ人でいてくださる神さま、
愛というとてつもなく大きな力で私を私を敵の手から勝ち取ってくださった神さま、
感謝します。
あなたは勝利してくださり、私をもらい受けてくださり、
そして私に、新しい身分で、新しい人生を生きるためのガイドとして、
聖霊さまをおいてくださいました。
聖書もあります。
だからきっと大丈夫。
あなたを愛します。
アーメン
はながおなかにいた頃、キリスト教とは『宗教』ではなく、『関係』なのだと、教えてくれた牧師の話を思い出しました。(スライド・ショーに出てくる刺青オトコ、そのヒトです)
罪というものを考えてみてはじめて、ああ、そういう話だったのかと思う。
なんの契約も、義務もないサタンに負かされっぱなしの私は、なんて情けない人間なのだろうと思っていたけど、鳥に羽根が生えるように、人は罪を犯す性質があったのだと知ると、「やっぱり」と思える。
古い契約は確かに存在したのだ。
ここで膝をうつ私を、「!」となっているクリスチャンがたくさんいることを承知であえて書くけど、私はそのことがわかっていなかった・・・というか知らなかった。
創世記の最初の6章ってそういう話だったんだ。
 だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
Ⅱコリント5:17

Friday, April 19, 2013

悪断⑫~十字架に生きる自由Ⅰ

神の御霊に導かれる人は、だれでも神のこどもです。
ローマ8:14
「習慣という鎖は、ごく軽くて、かけても感じないほどだが、やがて断ち切れねほどに強力になる。罪は抵抗できないものには思えない。しかし逃れようとするとときにはもう手遅れになっている。」
「行いを改めようという約束は無駄であるばかりか、行動を変えるのにむしろ害があることを知るようになった。」
「その約束を守れるように助けてくださいと神に祈るときでさえ、まだ自分の弱さを十分に悟ってはいない。また、そうした決意は、注意を間違った方に向けさせる。自分の内面を見つめて、ほんとうに決意を貫くだけの強さがあるだろうか考えこむ(たいてい疑う)ことに時間を費やしてしまう。私たちはずっと間違った方向を見ているのである。」
「神の約束に注意を向けることを選択することである。自分の約束はもうたくさんだから、神の約束に頼ると主に告げなさい。」
「もしあなたが約束をするのなら、みことばを熟考する約束をしなさい。〝否〟と言える意志の力があるかどうかはもう気にしない。あなたは聖書のことばに集中するようになり、そのこと自体が役に立つ。」
「私たちは善きにつけ悪しきにつけ一番よく考えることを行動に移す傾向があるからである。やめようと考えても行ってしまうのも、そのせいである。しかし、屈服せずにいられるだろうかと心配する圧力から解放されたとき、心は聖書のことばを吸収し、キリストに焦点を合わせることができるようになる。」
「言い換えれば、罪深い行動を繰り返したい衝動から解放されるのは、聖霊の働きによるのである。」
「神に〝はい〟と言っているかぎりは誘惑に〝否〟といい続けるられるのである。」

聖霊さま、
どうか私をみことばの深みに導いてください。
みことばの中にいらしゃるあなたの中に私が入ってゆくことができますように。
アーメン
今朝は、今日までこのデボーションの中で集めてきたみことばを集めて、持ち歩けるようにする作業をはじめようと思います。
毎朝、2個づつ選んできたの結構な量になってしまうけど、気長にこつこつとすすめてゆきます。
金曜日だね。
昨日とおとといのBrainstormの中で、私は山歩きが大すきだったことを思いだしました。
神さまのことばを証明する大自然の中で、神さまを賛美しながら歩くことが大すきだったのです。
みことばを心に蓄えて、また山歩きしたいな・・・。
あなたがたを、つまずかないように守ることができ、
大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることができる方に、
すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、
私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、
また世々限りなくありますように。
アーメン
ユダ24、25




Thursday, April 18, 2013

悪断⑪~視野を広げるⅢ

あなたがわたしを呼び求めて歩き、
わたしに祈るなら、
わたしはあなたに聞こう。
もしあなたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、
わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。
エレミア29:12~14
「究極の目標は、勝利でなく神ご自身であることを悟る。」
「太陽を宇宙の中心に置いて考えれば、惑星の運動がずっと容易に解明できる。惑星の動きを解明するのに必要だった複雑な数式は、この新説によって簡単になった。神はあなたが、あなた自身のコペルニクス的回転をなしとげることを望んでおられる。」
「神があなたの人生の周辺部から中心部に移されて、人生を意義ある生きがいのあるものとなしたいと望んでおられる。創造主であると同時に贖い主でもある主権者に仕える生涯であってほしいと望んでおられる。それは美しく簡明な生涯となる。あなたの求めている罪に対する勝利は、神との結びつきから生まれる。神を知り、全身全霊をもって神を愛そうとするとき、あなたが探している自由を見出すのである。」
「聖書は、私たちが神を知ることができると約束している。」
「自分は神との交わりのために造られたことを理解するほどに、あなたはその目的達成のために時間を多く用いるようになる。」
「神の視野で見るというのは、楽観して、かつ信仰をもって祈ることを学ぶということである。」
「神はこの誘惑を、あなたの益になるようにもたらされた。」
「神は滅ぼすことを望んでおられるのではない。建てようと望んでおられる。」
「もしあなたが傷ついたとしたら、それは根底から神が癒してくださるためである。」
創造主であり、また贖い主の神さま
私に美しく簡明な生涯を生かせてください。
必要なものはただあなたです。
アーメン
昨日、紙の上に、考えていることを書く作業をしてみました。
夢、自分、家庭、仕事、教会というグループに分けて。
心の中にあった、言葉になる前の気持ちを目標として書き出しながら、同時に言葉になる前の漠然とした自分の中のいやな部分も書き出してゆきました。
この作業は、今日も続きます。

だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
ヨハネ7:37,38

Wednesday, April 17, 2013

私の中のカイン

私は、無理矢理に何かをさせられるのが大っきらい。
ちっちゃい頃からずっとそう。
身体を押されたり、手をひっぱられると私の本能のサイレン、「この人は間違っている!」の警報が鳴り響き、それを信じて、訳もわからず、でもとりあえず、反対方向に全力疾走してきました。
だから、いつも『選ぶ』課題が与えられる人生なのかもしれません。
聖餐式で、後ろから強く身体を押され、びっくりして振り返ると足の不自由な人を先に通したくて健康な誰かが私をどかせようとしてくれたことがあったけど、私はとっさに大声で、「お口で言って!」と言いそうになりました。(幼稚園じゃあるまいし・・・)
そう。
これを聖書では『憤り』(ガラテヤ5:20)と教えています。
私は、まず、(他にもいろいろあるけど)このことをなんとかしなくちゃいけないって思う。
昨日の朝のデボーション以来、ずっと考えていて、やっとひとつそのことをに気づきました。

悪断⑩~視野を広げるⅡ

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、
さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
ガラテヤ5:24
「生活を点検し、改革を要する分野を書きとめる。自分の根本的な態度を見定めるのに少し時間をかけてみよう。ほんとうに気になっているのは何だろう。本当に望んでいるのは何だろう。」
「内心の戦いついて熟考した後で、自分自身と問題を完全にささげる。」
「これは自分に問題を支配する権利、恨みを抱く権利があるとは考えずに、ゆだね切ることを意味する。自分の課題に取り組みよう神が要求なさると承知したうえで、ゆだねなさい。」
「神はあなたにできないことを要求なさらないと確信しなさい。何を求められたとしても、神はそれをなすべき力を与えてくださる。」
「橋が流されてしまっても、小川は、渡ることができるかもしれない。思いきって飛べば越えられる。神に自分をささげるときもこれと同じである。」
「橋が流れてしまったとき、いい加減なゆだね方だった生活に戻ることなどはもう考えずに、思い切って一気に飛び越えるのだ。」
「これから何回もささげ直さなければならないかもしれないが、そうだとしても、神が備えられた道を歩き続けられるように、神が共にいてくださることを信じて、できるかぎり明確に、具体的に、決定的に自分をささげよう。」
アーウィン・ラッツァー
私の全てをご存じでいてくださっている天の神さま、
私の中の戦いを全てを見せてください。
自分ではそれが何だかわかりません。
でも、きっと何かがあるはずです。
私はあなたの中に生きるように造られた者だから、
ここにどしても、満足することができません。
だからそれがわかるのです。
アーメン
アーウィン・ラッツァーのいう壊れた橋を経験するのは絶対にいやだ。
私は、ずっとずっとそう祈ってきた。
「我らを試みに合わせず」と、「わざわいから遠ざけて」と。
でも、神さまは、いい加減に気づきなさいと、橋を壊して私が跳ぶ決心ができるようになさるかもしれないと思う。
私は、何かが気になっているだろうか?
私の心は、何か、誰かによって乱されているだろうか?
渡りきらなくちゃ。橋が壊れる前に。
私は背中を押されたり、手をひっぱられたり、身体にふれられて、わけもわからず、無理矢理何かをさせられるがちっちゃい頃から大っきらいなのです。
しかし私には、
私たちの主イエス・キリストの十字架以外に
誇りにするものがあってはなりません。
ガラテヤ6:14

Tuesday, April 16, 2013

大すき!書くこと、弾くこと、踊ること

*やっぱりやってよかった・・・今朝のデボーション。
今日ついに日本の読者数がアメリカの読者数を上回りました。
何がどうして、そうなっているのかさっぱりわかりません。
でも、とにかく、読む人が増え続けているのだから、余計なことは考えず、ただひたすら書き続けよう。
*今日、ひさしぶりにピアノを真面目に弾きました。
賛美の奉仕を主に取られ、ちょっとの間落ち込んで弾いていなかったけど、弾かない我慢が今日、ついに限界に達し、解禁。
演目はバイエル74番。
でもとてもとても素敵なアレンジなの。
はなを助けようと思ってみつけた補助のための4の手だけど、いつしか夢中に・・・。
アレンジは、そう、あの方、三枝成章。
やっぱり大すき、ピアノ。
*賢人がピアノのレッスンをしてもらっている間に、さささっとサウスベイ・ギャラリアに行って、ダンスの練習用のパンツとスェーターを買ってきました。
今は、明けても暮れても、寝ても覚めてもダンスのことばかりを考えています。
ダンスって自分の身体や、身体の動きに気持ちが集中するでしょ、これはかなり、非現実的なというか霊的な活動だと思うのよね。

悪断⑨~視野を広げるⅠ

兄弟たち。
あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、
愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ5:13
「誘惑と罪とには大きなちがいがある。誘惑に従うのは罪だが、誘惑そのものは罪ではない。主でさえ誘惑をうけられた。」
「誘惑は罪ではなく、戦いへの合図である。」
「神は私たちの天性を変えて人間以下のものにしたりはなさらない。なんらかの形の誘惑は人間にはあるものである。」
「克服したり罪のことを考えるとき、まず神にこの誘惑と、誘惑があたえる機会を感謝する。」
「神の視野で見る第一段階は、誘惑を受けることを認めることである。そうして誘惑が与えてくれる機会を感謝することである。」
アーウィン・ラッツァー
愛する天の神さま、
私があなたのことを、そう呼ぶ資格のある者なのか、
今日、テストされたとき、
無事にあなたを愛していることを証明することができますように。
真に「愛する天の神さま」と、あなたをそう呼ぶことのできる者にしてください。
アーメン
今日は、絶対無理と思ったけど、とにかくやってみよう、世界のどこかで今朝の記事を待っている人がいると思ってはじめたらできました。
この学びは主によって導かれ、祝福されていると思う。
絶対に。
実は起きたら5時半だった。
4時にセットされている目覚ましをONしわすれ・・・。
そんでもって今朝はマミー&ミーのクッキングのためにキャベツ丸ごと1個をみじんぎりにしなくちゃいけない特別な日(キャベツ1個をみじんぎりにして幼稚園に持って行く朝は年に1回)。
だから、起きた瞬間、ああどうしようって思ったけど、毎朝続けないと、もしかしたら決心を変える人がいるかもとおもってやったらできた!しかもオン・タイム(6時前)に終わった!奇跡だ・・・。
ハレルヤ!
もし私たちが御霊によって生きるのなら、
御霊に導かれて、進もうではありませんか。
ガラテヤ5:25

Monday, April 15, 2013

悪断⑧~神の視野で見る

 私は言います。
御霊によって歩みなさい。
そうすれば決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。
この二つは互いに対立していて、
そのためにあなたがたは、自分がしたいと思うことをすることができないのです。
ガラテヤ5:16,17
「私たちは根本にある事実に対決せずに、すぐ特定の罪からの解放を求めてしまう。」
「罪深い習性は、ほとんどの場合未解決の葛藤の徴候である。症状を治そうとするよりも、奥底の原因を探し出すようにいつも努めなければならない。」
「私たちがしばしば避ける深い問題は、神への反抗である。」
「純粋な悔い改めというものは、容易ではない。」
「不完全な悔い改めは、結局敗北をくり返しながら落ちていく悪循環に帰する。」
「その罪と縁を切りたいという意志と、この問題に関しては神の裁定に従うという態度がなければならない。これを認めないなら、あなたの意図は自己中心である。どのように神にそむいたかは無視して、赦しがどのように自分の得になるかだけを知りたがっている。」
「罪から解放されるのだけが神のみこころではない。御子の姿にあなたを近づけようと望まれている。罪深い習癖から解放してくださるのは、その過程の一段階にすぎない。あなたの人生から汚点を洗い去ってくださるのは、神が望んでおられるような御霊に満たされた人物にあなたを変えるための準備なのである。」
「あなたの罪のために神の御子はいのちを捨てられた。」
「神はあなたの戦いを、徹底的な大掃除の機会として用い、あなたが生活の上での優先順位を考え直して神の恩寵に頼るように仕向けられる。」
「都合の良い奇跡などは起こらない。あなたは単に自分のためにだけでなく、神のためにも、霊的な自由を求めるべきである。そのときに初めて神の約束なさる勝利を見出すだろう。」
アーウィン・ラッツァー
偉大なる人類のカウンセラー、私の神さま、
私の心の奥深くを、どうかあなたの温かな光で照らし出して、調べてください。
そして、秘密のまよいがあるなら、それを私にはっきりと見せてください。
私は自由を手に入れるかわりに、それをあなたによってとりのぞかれることを祈ります。
アーメン
私は、神さまに反抗していたことを認めなければいけないと思う。
確かに、反抗心があった。
「それ、やりたい!」何かをピックしては従い、「あっ、それきらいかも」何かをピックしては反抗していたと思う。
でも、知らなかった。
それが反抗だなんて思ってもみなかった。
どんなことにも、どんなときも、誰に対しても、何に対しても、自分のコンディションに関わらず、神さまの視野で見ることを考えてみようと思う。
それは一体どんな感じなのだろう。
もしかしたら、霊的な冒険が、今、本当に始まろうとしているのかもしれない。
ずっと最後まで一緒にいてね。
そこに、何があるのかを一緒にみようね。
そしてハレルヤって言おうね。
義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるから。
マタイ5:7


Sunday, April 14, 2013

はずれたひと

夫は仕事、賢人はスケボー、はなはお友だちのお誕生日会、家の中は私ひとり。
静かな日曜日の午後です。
ひとりでぼんやりと礼拝のメッセージのことを考えていました。
礼拝の中で強風に向って舟をこぐイエスさまの弟子だちがおおいに笑われていたけれど、私は笑えなかった。
私は真剣に何かに取り組んでいて、誰かに笑われると、身体が火になったのではないかと思うほど恥ずかしくなって、そして悲しくなるので、ドキドキしながら座っていた。
賢人がスケボーを抱えて出かける前に、めずらしく、「ねえ、母さん」と言う。
カウチに座って話を聞いた。
Life is Beautiful という映画について。
宿題ならしい。
「観たことあるでしょ、この映画。テーマはなんだと思う?」というので、少し考えてから、「父親の愛」とこたえました。
すると、ヘルメットをかぶった真剣な顔で「じゃ中心メッセージは?」とめずらしくたたみかけてきます。
「一番大切なことは人生を生きるぬくこと。なにをおいても。そしてユーモア。」ときっぱりを言いました。
でも心の中で、私の感性には笑いのツボをはずす、なんだか、大きなずれがあるのかもねっと思った。
でもまあ、賢人も似たようなモンだからいいやっと、そこのことは口にしないでおいた。
この映画、実はとっても楽しいコメディーなのだ。
全然関係ないけど、私が勤める幼稚園には亀や金魚やとかげがいて、その生き物たちを一生懸命世話をしてくれている先生たちがいる。
それはとても真剣な大人な仕事。

おいしい日曜日

朝ごはんは、予定どうりトーストにバターと金柑ジャム
そしてランチははなとミツワで山頭火のちゃんぽんといくらごはんを半分こづつ
来週は、何を食べようね~相談しながら、帰りました
ディナーは、トリと野菜のスープです

悪断⑦~過去を捨てるⅡ「赦しを信じ、恵みを受け入れる」

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪にさだめようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、
よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ローマ8:33,34
「あなたの過去に対する法的な罪の宣告はもう存在しない。神の赦しが完全だからである。同じ過ちを二度告白する必要はない。いったん告白したら、たとえ罪悪感が起こってきても、二度と告白しないと断固として決意すべきである。」
「サタンは信者に同じ罪を再告白させて喜んでいる。」
「その結果、愛も喜びも平安も失せる。あなたはみじめな気持ちで、『赦しの確信なし』と札のつけられた棚に座っている。その棚には霊的に無力になった聖徒たちが、すでに大勢のっている。」
「罪悪感があるときでも神の赦しを感謝すること」
「可能なかぎり、あらゆる人間関係の回復を経験する」
「神の恵みを受け入れる」
「神の恵みはあなたのどんな罪よりも大きい。」
「神があなたの過去を忘れてくださるのなら、あなたにも忘れられるはずである。」
「いったん過去が赦されたら、もうその束縛から解き放たれる。あなたは今、分岐点に立っている。罪が赦されたあなたは、敗北という滑りやすい坂道に戻ることも、神の土地に足を踏み入れて、神の側にしっかり立つこともできる。
愛する天の神さま、
あなたの赦しを感謝します。
この世界のルールでの償いも、
あなたのご支配の中では喜びと変えられることでしょう
アーメン
昨日、スピード違反でチケットをもらってしまいました。
この本に取り組んでいる最中でなかったら、きっとドロのように落ち込み、砂のように悲しくなっていたことでしょう。
それはきっと、私をもっともっと深刻な事態から守ってくださるためのサインであると知っていても、私は、微笑まないおまわりさんに「免許書と登録書と保険を見せなさい」と言われるだけで、最悪な気分になるのです。
ところが、昨日は違いました。
一瞬、そうなりかけたけど、でも心が勝手に感謝してくれたのです。
「スピードを出しすぎて死ななくてよかった。誰かを死なせなくてよかった。チケットでよかった。ありがとう、神さま、アーメン」と。
神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
ローマ8:28


Saturday, April 13, 2013

主婦の土曜日②

トーレンスのバレエ教室の体験レッスンに行ってきました。
まさにバレリーナなお顔かたちのインストラクターが日本語で丁寧に教えてくれてとても楽しかったので、こちらも登録しちゃった。
サン・ペドロの木曜日の方は毎週行けるけど、こちらは、夫が休みでなおかつ彼がはなと遊んでくれる週だけのお楽しみということで、それほど、贅沢でもないでしょって、自分を納得させております。
「柔らかいいい身体ですね。本当に経験がないんですか?」とみえみえのお世辞にうきうきする私は日本語で褒めてもらうのが一番うれしい日本語人。
帰りに、トーレンスの日本語の本屋さんではなに絵本を買いました。
仕事を意識せずに絵本を選ぶのは、ちょっと慣れずにへんな感じだったけど、でも、いつしか夢中に。
4冊の絵本をはなのことだけを考えながらはなのためだけに買いました。
絵本を抱えて、日本人のパン屋さんでふわふわの食パンを買って帰路に着きました。
明日のあさごはん用です。
ずっと食べたかった、分厚いトーストにバターときんかんジャムと紅茶です。
今、豆を煮ています。
昨日から水につけておいたボール一杯のまあるく膨らんだ大豆をコトコトと。
『豆を煮る』っていい響きだね~、おとなの仕事だね~、優雅で真剣なおとなの楽しみだね~、そう、それもこれも土曜日休日のおかげっちゅうもんだわと、喉元過ぎれば熱さ忘れる幼稚な大人。
えっと大豆煮の話にもどります。
レシピは、とても洋風、その日によるけど、大体、ベーコン、アスパラガス、ニンジンです。
当たり前なんだけど、この国では洋風=安上がりなのです。
でも、計画的に作る時は、ベーコンの代りに油揚げを入れたり、野菜の代わりにひじきを入れたりこんにゃくを入れたりもします。
今日はベーコンとニンジンとこんにゃくです。
ああ、今日の私はとても主婦、仕事中毒じゃないまともな主婦、いぇい!




主婦の土曜日

おはよう。
やった~!土曜日です。
今日は今週の2度目のバレエレッスンをこっそり体験してきます。
こっそりというのは家族にです。
べつにこっそりと出かけなくてもいい気もするけど、なんとなくね。
ちょっと恥ずかしいでしょ、いい年して、ダンスに夢中なんて。
今日は、はなは夫と近所のブロック・パーティに行き、賢人は例によってスケボーです。
もう、少々のケガには驚かなくなりました。
サン・ペドロは坂の町で見通しが悪いため、賢い子たちは決して道路で遊びません。
それこそ、ブロック・パーティがさかんな理由です。
賢人いわく、『何人も死んでいるよ』だそうです。
本人たちが一番よくわかっているようなので、擦り傷、青あざで騒ぐのはもうやめました。
そして、私は新しいバレエ教室の体験入門。
なんだか普通の主婦みたい、ってずっと普通の主婦だったんだけど、仕事バカじゃないまともなって意味ね。
では、よい週末を~。

悪断⑥~過去を捨てるⅠ「赦しを受け入れる」

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
Ⅰヨハネ1:9
「自分がけがれた者だと感じる人は、神を信頼できずに苦しむ」
「神の御旨は、あなたがあらゆる形の罪悪感から自由になることである。」
「神は判断を誤ったからといってあなたを裁かれない」
「神はあなたのすべての感情、失望、失敗を予想しておられた。キリストの十字架上の死は私たちの過去、現在、未来のすべての罪のための犠牲を含んでいる。あなたが犯すすべての罪は、すでに償われている。キリストが2000年前に死なれたとき、あなたの罪はすべて未来のものであった。キリストの死にすでに含まれていた罪以外に、あなたが犯す罪はない。」
「考えられる最悪の罪を頭に描いてみなさい。キリストはその最悪の罪のためにも死なれた。」
「あなたが自力で罪の償いをする必要はまったくない。キリストの死は、あなたの罪を完全に償ったのである。神が赦してくださるとき、あなたの罪は完全にぬぐい去られ、神はそれを記憶されない。二度とその罪であなたを判断なさらない。」
「昨日告白した罪は再びあなたと神との間の障害にはならない。神の赦しを受け入れなかったり、キリストの犠牲の価値を疑ったりしないかぎりは。」
アーウィン・ラッツァー
私の罪のために十字架にかかることを選んでくださった神さま、
あなたの血が、私を完全に自由にしてくださったことを感謝します。
私は、選ぶことでその自由を手にいれます。
アーメン
今朝はたっぷりと朝寝坊しながら、夢うつつで何かが本当に変ってゆくような気もちになりました。
今週、通勤のクルマの中で毎朝、お祈りしたこと、それは、〝『おはようスポルジョン』を通して解放の御業を現してください〟という、ちょっと書くのも、読むのも恥ずかしくなっちゃうような仰々しい祈りです。
でも、御霊さまがそう祈らせてくださったので、私は喜んでそう祈り続けました。
幸いなことよ。
そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。
主が咎をお認めにならない人、
心に欺きのないその人は。
詩篇32:1,2

Friday, April 12, 2013

たりなかったのは愛

金曜日です。
私的に、霊的に、とても充実した1週間でした。
大人の人とあまり交わることもなく、祈りながら静かに淡々と、でもこってりと濃厚かつ幸せに子どもたちに塗れておりました。
朝の、デボーションのシェアリングがものすごい読まれ率でびっくりです。
これは一体どういうことなのでしょう。
何がどうして、こんなに開かれるのかよくわかんないけれど、『読まれている=書く意味ある』と信じ、最後まで、やり遂げようと思います。
穏やかなやさしさに包まれて、時間がゆっくりと流れてゆきます。
やはり、あの土曜日の日本語学校は私にとって、ものすごいチャレンジだったのだと、辞めて、あらためて思い知らせています。
今、私が働く幼稚園で叩き込まれた精神は、ひとつの独特の確立した教育理念なのだと知りました。
これを、信じて行う限り、それ以上のことをやっているところに行かないと私は、ものすごいフラストレーションと闘うことになってしまうのだと思います。
ましてや、掛け持ちなどはやはり正気の沙汰ではなかったのかもしれません。
足りなかったのは『時間』ではなく、『愛』でした。
そして、供給源は無限なのに、そこから汲むことができなかったのは、やっぱり、私の忍耐の不足、最も至らないところです。



悪断⑤~過去を捨てる

私はだまっていたときには、一日中、うめいて、
私の骨々は疲れ果てました。
それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、
私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。
詩篇32:3,4
「自由な未来を経験するためには、まず過去に対処しなければならない。現在のあなたを悩ましている罪は過去にあなたの中に根を下ろしたものである。新しい出発をするまでは、罪深い習癖を打破することはできない。」
「サタンは、実に巧みにあなたの過去を武器にして未来までだめにする。彼の武器は間違った罪悪感である。罪は落胆という土壌で繁殖する。」
「人類の大誘惑者、サタンは二つのうそを用いて我々を誘う。罪を犯す前は、一度ぐらい犯しても問題ではない、ささいなことだ、簡単に立ち直れる、と教える。そして罪を犯してしまうと、もう望みはない、罪に身を任せてしまったのだから立ち直ろうろすることはない、と告げる。この考えはどちらも間違っている。一つの罪でも問題になる。また一つの罪は次々と罪を生む・・・・・しかし非常に深い意味で、あなたは新しく出発できる。」
「あなたの人生で、汚された道、乱された場は、赦しによって覆われる。あなたの罪は雪のように白くなる。
アーウィン・ラッツァー
決して、罪と交わることのできない、聖なる聖なる神さま、
それなのに罪人の私を愛してくださる神さま。
毎日、あなたに全てをお話し、聖めていただけることを感謝します。
あなたを遠くに感じ、重く、悲しい気もちのときには、
秘密が邪魔をしていることを思い出します。
思い出せるように助けてください。
アーメン
今週、週の初め、勤めていた日本語学校から、大きな書類の袋が届きました。
どうしても開けることができずに、そのまま、キャビネットの奥の方に突っ込んでしまいました。
夕べやっと、恐れを締め出す神の愛を思い出しながらがんばって開けてみました。
子どもたちからの手紙でした。
神さまには赦されたけど、この子たち、この子たちの親御さんたち、そして、先生方、学校にも赦されたいと心から思いました。
刈り取りです。
つらいけど、刈り取ります。
霊的な大仕事だけど、少しづつ、少しづつ、でも、最後の一人までうやむやにせずに、やってみようと思います。
「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くでも、雪のようにしろくなる。
たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
イザヤ1:18

Thursday, April 11, 2013

悪断④~条件Ⅲ「解放は可能だと信じる」

そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
ヨハネ8:32
「クリスチャンにとって、罪とサタンに勝つことは可能である。」
「あなたを完全に滅ぼすような罪は一つもない。神は逃れる方法を力強く備えてくださった。」
「この世の欲望、自分の罪の性質、サタンに対する根本的な抗争は、他の人たちが今までに直面してきたものと同じである。その誘惑にすでに誰かが直面して負けなかった。」     
アーウィン・ラッツァー
私をあなたの尊い御業のためにお造りになった神さま、
気づく限り、自分がこれまでに犯してしまった全ての罪をあげました。
今朝、私はこう言います。
この罪からの解放が可能であることを、神さま、感謝します。
アーメン
解放は、願う前にやってきたり、一瞬でやってきたり、祈って祈ってやっとやってきたり、祈っても祈ってもまだだったり、いろいろ。
私は洗礼式の直後に、本棚の、それまでとても大切にしていた本やCDを山のように捨てました。
何も願っていなかったのに、スティーブン・キングや森瑤子、姦淫や憂鬱や絶望や偶像を歌った音楽をごっそりと。(聖子ちゃんはまだとっててるけどね)
そして、その後、祈りながら、少しづつ、少しづつ、ひとつ、またひとつとさまざまなこの世の悪習慣から開放されました。
タバコもそのひとつです。
そして、今、この30年間の習慣を捨てようと、84回目(うその数字だけど、でもホントにそんなぐらい)のチャレンジです。
でも今までのチャレンジと違う点がたったひとつ、ひとりぼっちの挑戦じゃないってこと。
どうか最後まで一緒に歩いてください。
そして、ゴールで一緒にハレルヤと叫びましょう。

神にとって不可能なことは一つもありません。
ルカ1:37

Wednesday, April 10, 2013

悪断③~条件Ⅱ「全ては私の責任」

神へのいけにえは、砕かれたたましい。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたはそれをさげすまでません。
詩篇51:17
「あなたは自分の行為に全責任がある。」
「行動の責任が私たちにあるのなら、選択権も私たちにある。私たちは変ることができる。神に変えていただくように選択できる。」
「行動のパターンは状況によってではなく、むしろ状況に対するあなたの反応によって生まれてくる。」
「あなたが自分の罪の責任を取り、罪を認めるとき、希望への扉が開けてくる。罪を認めるとき、解放の可能性がある。」
「神はあなたを環境の犠牲者として創造されたのでも、遺伝子の奴隷として造られたのでもない。あなたは過去を乗り越えることができるし、境遇だろうが遺伝子だろうが何でも型に押し込まれる必要はない。   アーウィン・ラッツァー
神さま、そうです。
私の中にはいつもたくさん理由がありました。
淋しいから、苦しいから、他に何もないから・・・
今朝、その理由をあなたの十字架の元にすべて置くことにします。
いつのまにか、心の中にあたりまえのように住み着いていた、言い訳
あたりまえのようにかざしていた権利
神さま、どうか受けてください。
そして、神さま、
私にきよい心を造ってください。
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてくださいますように。
アーメン
昨日は、はなの顔をおもいきり叩きました。
叩いてもいい理由なんてどこにもなく、私に彼女を叩く権利などなく、私はただ、神さまにではなく、サタンに従ったでした。
神の、目に見えない本性、
すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時かたこのかた、
被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、
彼らに弁解の余地はないのです。
ローマ1:20




Tuesday, April 9, 2013

悪断②~条件Ⅰ「神は善と認める」

主は仰せられた。
「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、
主の名で、あなたの前に宣言しよう。
わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
出エジプト33:19
「まず最初に、神は善なる方であることを信じなければならない。」
「環境に対する不満や、神の命令に対する反抗は、神の善性を確信していないことから生じる。」
「あきらめたくないあの罪を直視しなさい。あなたの頑迷さの底には、神に対する疑いがはびこっている。神が自分に最善のことをなしてくださると信じないのは、自分のやり方が良い、と思っているからにほかならない。」
「サタンは一つの問題、一つの怒り、一つの拘束に目を向けさせようとする。そのときサタンは、神のやり方は最上ではなく、自分の勧めることが一番良いと、と思い込ませようとする。」
「罪深い習癖は、神が善であると信じないかぎり捨てられない。」
「もし神の善性を疑うなら、変えられることを拒み、かつ恐れるようになる。」
「神が善であるという事実を認めれば、二つの結果が生じる。1、だまされる心配など持たずに、無条件で神にすっかり従うことができる。2、この世のたまり水と、キリストが約束なさる新鮮な水とでは比較にならないことがわかって、変えられたいと心から求めるようになる。」   アーウィン・ラッツァー
すべてのよい贈り物と完全な賜物をくださる神さま、
どうか、今日、1日、あなたのくださろうとするものを、あまさず受け取ることができますように。
また、あなたと関係のないものに、「いいえ、いりません」ときっぱり言うことができますように。
いいえ、そうではなく、そんな誘惑の声にすら気づかずにいられるほどに、
あなたがくださる仕事に夢中にさせてください。
アーメン
私が闘う罪への誘惑はたくさんあります。
でも、昔はもっともっとたくさんありました。
神さまが私を変えてくださいました。
神さまがあきらめずにいてくださっているのだから、私もあきらめずに、もっと神さまの近くで生きる人になりたいのです。
幸いなことよ。
あなたが選び、近寄せられた人。
あなたの大庭に住むその人は。
私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。
詩篇65:4

Monday, April 8, 2013

悪習慣を断ち切る法~誘惑は忠実さのテスト

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。
もしだれでも世を愛しているなら、
その人のうちに御父を愛する愛はありません。
Ⅰヨハネ1:15 
「キリストは十字架上で勝利を得られた。
私たちはほんとうに自由になれる、と主は約束なさった。
私たちは罪から、魂のひだの中にしっかり隠れた罪からさえ、解放されえるのだ」
「神はむずかしい選択をさせることによって、私たちが神への愛を証明できるようになさった。
困難とは、私たちがこの世よりも神を選ぶ機会なのである。」
「誘惑に対して最初にとるべきことは、誘惑を忠実さを試すよい機会として見ることである。」
私たちはこの世の快楽と、神から与えられる楽しみと、どうちらを大切に思うのか。
身のまわりに起こる罪を犯す機会、内面のよこしまな性質、私たちを取り巻く悪魔の力、それらはこの問いに答える無数の機会を与えてくれる」     アーウィン・ラッツァー
今日私が遭遇する、全てのあなたに属さないもの、この世界の誘惑、
私を滅びへと導く、小さな選択に「いいえ、いりません」と言うことができるように助けてください
私は、私の知恵や意志の力では、決して選ぶことができません。
どうか助けてください。
アーメン
旅に出ます。
あ、じゃなくて、新しい人生をはじめます。
あ、ていうか、今朝からアーウィン・ラッツァーの本をじっくりと学びます。
ここに、毎朝それをシェアするので、よかったらどうぞ一緒に歩きましょう。
あじゃなくて、学びましょう。
 「神はあなたをその罪から解放することがおできになる。
あなたと神とで、その罪を追いつめ、引っぱり出して根絶することができる。
罪はあなたを支配することはない。
神が良いものを取り去るはずがないと確信してよい」   E.W.L


Sunday, April 7, 2013

私のスペース

 大切なものはほんの少しのはず
それでもこんなにたくさん・・・

ちいさなコンピューターと大切な本が数冊
見向きもされなくなった、かつての子どもたちの宝もの
にぎっていた手の大きさがわかるから、処分できなかった


Add money to an expired meter.

あなたがたは、自分に関する限り、
すべての人と平和を保ちなさい。
ローマ12:28
 
愛と平和の神さま、どうか私があなたが作ってくださったこの家族と、
また、与えてくださった友だちと、職場の仲間たちと、教会のみなさんと、
よい関係を保ち続けることができますように。
どんな不和からも私を守り、遠ざけていてください。
今朝、私の心をあなたの愛で満たし、
家族一人、一人への、
友だち一人、一人への、
仲間の一人、一人への、
みなさん一人、一人への、
あふれ出る豊かな愛を与えてください。
特に夫との間に、生涯を通して親密で幸福な愛し合う関係、
あなたのみこころが全うされる関係を祈ります。
私と彼が互いに愛し合い、価値を認め合い、感謝し合って、
あなたが結んでくださった関係を大切に育て続けてゆくことができますように。
主の御名によって祈ります。
どうか私と彼が決して切れることのない、
太い綱のような、強く限りない愛とあわれみで結ばれ続けますように。
 
おはよう。
今朝はたっぷり朝寝坊。
この1週間、たくさんのお手紙を書きました。
読んでくださってありがとう。
今日は、この手紙を書いている私のオフィスの写真を撮影して、お届けします。
自分ではオフィスなんて思っているけど、単なる、ダイニング・エリアの片すみのコンピューターステーションです。
コンピューターがワイヤレスになって以来、ここで仕事をすることがあまりなくなっていました。
大きな広い、ダイニングテーブルや、ベッドに資料を広げまくり、作業をしていましたが、日本語学校を辞めてから、少しづつ、資料や集めていた素材、作りかけの教材を片付け、目にふれにくいこのステーションの中に収めてみました。
昨日のヤード・セールでもたくさんのものを処分して、必要最小限の道具と本と文房具を残してすっきりとさせました。
といっても、私のデスクは7歳ぐらいからずっと変らずお人形さんだらけです・・・。
昨日、みなさんにも、報告をし、今朝はすっきりとした気もちですっきりとしたこの場所に向って、このお手紙を書いています。
Today's One Good Deed :Add money to an exoirde meter.これはきっと通りすがりの誰かのメーターね。かわいいすぎる・・・このDeed.
 

 
 


Saturday, April 6, 2013

小さな信じる者

春休みも今日で終わりです。
とても素晴らしい休日でした。
プリンセスが下町で過ごした『ローマの休日』のように、
ものすごいギャップに自分をアジャストするような休日でした。
えっと。
日本語学校を辞めました。
志半ばで。
とても中途半端に。
でも、辞めました。
どうしても、従うことのできない学校の方針に『NO』と言って辞めてしまいました。
たくさんの人を傷つけました。
私も傷つきました。
神さまも悲しませました。
でも辞めました。
私とは、そのような者です。
でも、私は今だにクリスチャンです。
赦されて、望と希望と夢を食べながら、それを誰かに与えたいと願う小さな、信じる者です。

ヤードセール②

ヤードセールの売り上げを握って行ってきました
くるくるまわるお寿司屋さん
ああ、だいじょうぶ
家族がいて、友達がいて、やるべき仕事がある
楽しい息抜きも、ほらこんなに!


ヤードセール

レゴのやま、ひとやま
ふたやま
ギャロンのジップロック・バッグ1個1ドルで
あっというまに完売
ザ・サッカーシューズ 大・中・小
ブログを読んでかけつけてくれたゆりかさん
のんびりお茶を飲みながらお客さんを待ちます。
今夜はくるくる寿司にいくよ!
って今までの売り上げは・・えっと90ドル!すごい!

Smile at a stranger.

昨日、とても素敵な本を見つけて、即購入。
毎日、何か1個みつけて実行できそうな、『よいおこない集』
えっと、今日は1ページめの Smile at a stranger. を実行してみます。
さて、ヤードセールです。
準備はだいたいできました。
わくわくわく・・・・
どきどきどき・・・・
 

Friday, April 5, 2013

おやすみ

金曜日ですね。
おつかれさまでした。
どんな1週間でしたか?
私は、この1週間、あんまり大人の人としゃべらずに、ずっといろんな事を心の中で考えていました。
考えながら、せっせと家の中を片付けたり、街を歩きまわったりしていました。
気もちをちょっとだけ、誰かに説明してみようかなっと思って、トライしたけど、あまりうまくいきませんでした。
とてもひとりぼっちな気もちです。
でも、私のことをわかりたくて、私の言葉をじっと待ってくれる友だちがいる。
それは本当に幸せなことです。
おやすみなさい。
私を癒してくださる方がおつくりになる1つの夜。
この夜が私の大切な人たちをやさしく包み、安らかで静かな眠りを守ってくださいますように。
そして、夜が明ける頃、元気に新しい朝の中で、もう一度、あなたに向かって立ち上がることができますように。
アーメン

お店屋さんごっこをしよう!

木には望みがある。
たとい切られてもまた芽を出しその若枝は絶えることがない。
ヨブ記14:7
 
主よ、どうか私と夫があなたから共に歩むように与えられた日々、
愛情を伝え合い続けることができるように助けてください。
アーメン
 
おはよう。
今日は、うち中の不用品、でもゴミにできない大切なものを分けます。
なんと、明日、ヤード・セールをやってみることにしたのです。(ってまだ家族の誰もこのプロジェクトのことは知らないけどね)
売り上げで、明日は外食です。
チープなファースト・フードか素敵なイタリアンか、それとも豪華なお寿司、高価な焼肉になるか。
がんばるぞ~!

追記:昨夜、賢人はスケートボード・パークなることろから赤やら、黒やら、青やらのカラフルなあざだらけになって帰ってきました・・・。


Thursday, April 4, 2013

読書となめくじ

今日は、本をいっぱい読んで、私の大切なお花にくっつくなめくじと闘って、そして、ゆりかさんと電話でおしゃべりをして、そしてはなを迎えにに行って、バレエのクラスに行って、帰ってきました。
こうやって書いたらなんだかとてもたくさんのことをしたようだけど、とってものんびりとした1日でした。
今日は、なんだか静かねっと思ったら、夫が携帯電話の会社を変えて、新しい電話がまだ使えなかったからのよう・・・。
うちのお庭にはこの絵のような大きな木が2本もあって、テーブルもみっつ、よっつ、いいえいつつあります。
おうちは小さいけどお庭はとても広いのです。
そして、いろんな生き物が住んでいます。
もしかしたら、私たちがそれぞれ、学校や幼稚園や仕事に出ている間、うちの庭はあんがいこのテーブルのような様子なのかもっと思います。
賢人はこの春休み、毎日のようにお友だちと出かけています。
今日は、オレンジ・カウンティのスケートボード・パークに行っています。
どんなところだろう、スケートボード・パーク。
サンペドロのフリーウィイの下の練習場の方か安全っぽい気がするのだけど。
生傷の絶えない日々なので、はやく海に戻ってほしい気もします。
 
 

 
 

お庭で読書

昨日、LAダウン・タウンの大きな図書館を探検した帰りに、トーレンスで髪を切りました。
長くしようとしているから、形を整えるだけにしてもらっただけなのに、髪を切ると心がしゃきっとなるから不思議。
さて、今日は、朝からはなの髪をCrazyにしてあげるのに大忙しだったけど、後は夕方のダンスのレッスン(!)まで何もありません。
だから今日は読書の日。
本はすでに選んであります。
子どもへのまなざし・完/佐々木正美
じっくり読み返したいって思いながら、数ヶ月が経ってしまいました。
本を読む時間ぐらい、どこにでもあったはずなのに、気もちが落ち着かなかったのね、きっと。
この3冊のシリーズの最初の本に出会ったのは、九州は大分の駅裏の小さな古本屋の片隅。
それ以来、くりかえし、くりかえし読み続けています。
どこをどう開いて読んでみても、必ず、同じ気もちで本を閉じていることに気づきます。
大切なことはつながること、生きることはつながること。
人は人の中で人として育っていくのだという、とてもシンプルな真実。
逃げて、捨てて、はじめて気づいた大切な大切な聖書の教え。
読書にあきたら、麦藁帽子をかぶって音楽を聴きながら、庭をそうじします。
庭掃除にあきたら、また本を読んで・・・。
神さま、すてきな休日をありがとう。


The Crazy Hair Day!

 

Wednesday, April 3, 2013

静かな夜に

昨日、はなの学校の図書館で、私が手にしてながめていた本を彼女はしっかりと覚えていて、今日、なんとその本を借りて持って帰ってきてくれました。
題名は"COURAGE"
最初のページはこうです。
Courage is a spelling bee and your word is supercliousness.
そして最後のページはこう。
Courage is what we give to each other.
これをEncourageというのねっとしみじみと思った。
トレーシーは、あなたは本当に勇気のある人ねって言ってくれたけど、そうじゃない。
でも、私は、その言葉をありがたく、まっすぐに受け取りました。
その言葉を大切に胸に抱いて、今夜は眠ります。
おやすみなさい。
この夜が私たちを静かに、安らかに、そしてやさしく包んでくれますように。
 
 


トレーシーに報告

今日はLAダウン・タウンでトレーシーとランチ
まずは恒例のポートレート撮影
彼女が食べたチキン・サンドイッチ
レタスが何重にも重なっていてがしっがしっととてもおいしそうな音だった
またたくまに1時間が経ち、私は大切な報告をして、ハグして別れました
大切な報告の内容は、もう少ししたら『おはようスポルジョン』にも書くからもうちょっと待っていてね
図書館を目的にトレーシーのことを考えながら、ひとりでてくてく歩きはじめます
彼女は私の一番新しい友だちなのに、私のMenterさんになってくれていることを感謝しつつ
立派なLA図書館
外は古くて重々しいのに、中はとても洗練されていて軽い
そのギャップがとても都会的でおしゃれ、それはまるでビルのそびえる街のオアシスのよう
迷子になりそうな大きな図書館の中をぐるぐる探検
おっ、インターナショナル本発見、ちょびっとだけど日本語もあった! 
息をひそめてそっと村上春樹をぬいて、短編を1個だけ読みました
ああ、禁断のこの世界の喜び、村上ワールド・・・
帰りにギフトショップでみつけた素敵なお弁当箱
使い捨ての容器にそっくりの色と形なのに、めちゃめちゃデザインされていて丈夫そう
大きさ、深さ、まさに私の探していた究極の弁当箱!


大きくなった子の親としての自分のための祈り

 
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、
神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
Ⅰヨハネ5:14,15
賢人が今後直面するどのような問題よりも、偉大なる天の神さま、
あなたが愛と力を私に注いでくださっていることを、
だから、私の祈りには力があることを、
今朝、心をこめて感謝します。
大きくなった賢人を私や夫以上に愛してくださっている神さま、
どうか私が、だめな親だった自分を赦すことができるように助けてください。
大きくなった賢人のためになにをどうとりなしてあげることができるのか、教えてください。
賢人のために、私は毎朝、そしてあの子を思うたびにいつも祈りました。
主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。
すべての賛美と栄光は、主よあなたのものです。
アーメン
 
今日は、お友達に会いにLAダウンタウンに行ってきます。
去年の夏のミッション・トリップで出会ったトレーシーとお昼ごはんを一緒に食べます。
彼女はお休みじゃないから、ランチが終わったら、そのへんをひとりで冒険しようと思います。
今日も、カメラを持っていろんなものを撮ってくるね。
では、よい日でありますように。