Sunday, April 21, 2013

悪断⑭~十字架に生きる自由Ⅲ

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、
罪のからだが滅びて、
私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
私たちは知っています。
ローマ6:6
「あなたは法的には罪深い欲に対してすでに死んでいることをはっきりと悟るべきである。」
「神はそれをすでに達成したと宣言なさっている。あなたの敗北や過ちで、神が言われたことが変わることはない。」
「毎日の生活に信仰が必要なことを認めるべきである。自分がキリストのものである、という事実は経験的に証明できるものではない。」
「自分のいきざまを見れば、罪に死に神に生きるという概念を、とうてい裏づけられない。しかしいったん、私たちと罪の結びつきはすでに破られたということを聖霊の助けによって理解したら、神が私たちを欺かれたのではないことがわかってくる。十字架上で完成された御業に注意を向け、私たちの特権を主張するとき、古い自己は神の権威に降伏するのである。」
「罪からの解放は決して自動的なものではない。一歩一歩勝ち取らねばならない。」
「神の前に静まり、みことばを読み、神の示してくださった真理に従うことに代わるものはない。」
アーウィン・ラッツァー
十字架を私にくださった神さま、
十字架をくださろうと、私を選んでくださった神さま、
毎日、いいえ、1日に何度も、いいえ、
いつも、そのことを忘れずにいることができますように。
アーメン
昨日、Michael'sで、暗誦聖句カード作りの素材をいろいろ買ってきました。
神さまのことを思いながら、覚えられるようにと祈りながら、楽しく作業をしていきます。
キリストが十字架で勝ち取られた勝利を喜びながら・・・、
私たちは、この望みによって救われているのです。
目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
ローマ8:24