金曜日です。
私的に、霊的に、とても充実した1週間でした。
大人の人とあまり交わることもなく、祈りながら静かに淡々と、でもこってりと濃厚かつ幸せに子どもたちに塗れておりました。
朝の、デボーションのシェアリングがものすごい読まれ率でびっくりです。
これは一体どういうことなのでしょう。
何がどうして、こんなに開かれるのかよくわかんないけれど、『読まれている=書く意味ある』と信じ、最後まで、やり遂げようと思います。
穏やかなやさしさに包まれて、時間がゆっくりと流れてゆきます。
やはり、あの土曜日の日本語学校は私にとって、ものすごいチャレンジだったのだと、辞めて、あらためて思い知らせています。
今、私が働く幼稚園で叩き込まれた精神は、ひとつの独特の確立した教育理念なのだと知りました。
これを、信じて行う限り、それ以上のことをやっているところに行かないと私は、ものすごいフラストレーションと闘うことになってしまうのだと思います。
ましてや、掛け持ちなどはやはり正気の沙汰ではなかったのかもしれません。
足りなかったのは『時間』ではなく、『愛』でした。
そして、供給源は無限なのに、そこから汲むことができなかったのは、やっぱり、私の忍耐の不足、最も至らないところです。