神の御霊に導かれる人は、だれでも神のこどもです。
ローマ8:14
「習慣という鎖は、ごく軽くて、かけても感じないほどだが、やがて断ち切れねほどに強力になる。罪は抵抗できないものには思えない。しかし逃れようとするとときにはもう手遅れになっている。」「行いを改めようという約束は無駄であるばかりか、行動を変えるのにむしろ害があることを知るようになった。」
「その約束を守れるように助けてくださいと神に祈るときでさえ、まだ自分の弱さを十分に悟ってはいない。また、そうした決意は、注意を間違った方に向けさせる。自分の内面を見つめて、ほんとうに決意を貫くだけの強さがあるだろうか考えこむ(たいてい疑う)ことに時間を費やしてしまう。私たちはずっと間違った方向を見ているのである。」
「神の約束に注意を向けることを選択することである。自分の約束はもうたくさんだから、神の約束に頼ると主に告げなさい。」
「もしあなたが約束をするのなら、みことばを熟考する約束をしなさい。〝否〟と言える意志の力があるかどうかはもう気にしない。あなたは聖書のことばに集中するようになり、そのこと自体が役に立つ。」
「私たちは善きにつけ悪しきにつけ一番よく考えることを行動に移す傾向があるからである。やめようと考えても行ってしまうのも、そのせいである。しかし、屈服せずにいられるだろうかと心配する圧力から解放されたとき、心は聖書のことばを吸収し、キリストに焦点を合わせることができるようになる。」
「言い換えれば、罪深い行動を繰り返したい衝動から解放されるのは、聖霊の働きによるのである。」
「神に〝はい〟と言っているかぎりは誘惑に〝否〟といい続けるられるのである。」
聖霊さま、
どうか私をみことばの深みに導いてください。
みことばの中にいらしゃるあなたの中に私が入ってゆくことができますように。
アーメン
今朝は、今日までこのデボーションの中で集めてきたみことばを集めて、持ち歩けるようにする作業をはじめようと思います。
毎朝、2個づつ選んできたの結構な量になってしまうけど、気長にこつこつとすすめてゆきます。
金曜日だね。
昨日とおとといのBrainstormの中で、私は山歩きが大すきだったことを思いだしました。
神さまのことばを証明する大自然の中で、神さまを賛美しながら歩くことが大すきだったのです。
みことばを心に蓄えて、また山歩きしたいな・・・。
あなたがたを、つまずかないように守ることができ、
大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることができる方に、
すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、
私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、
また世々限りなくありますように。
アーメン
ユダ24、25