Sunday, April 14, 2013

悪断⑦~過去を捨てるⅡ「赦しを信じ、恵みを受け入れる」

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪にさだめようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、
よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ローマ8:33,34
「あなたの過去に対する法的な罪の宣告はもう存在しない。神の赦しが完全だからである。同じ過ちを二度告白する必要はない。いったん告白したら、たとえ罪悪感が起こってきても、二度と告白しないと断固として決意すべきである。」
「サタンは信者に同じ罪を再告白させて喜んでいる。」
「その結果、愛も喜びも平安も失せる。あなたはみじめな気持ちで、『赦しの確信なし』と札のつけられた棚に座っている。その棚には霊的に無力になった聖徒たちが、すでに大勢のっている。」
「罪悪感があるときでも神の赦しを感謝すること」
「可能なかぎり、あらゆる人間関係の回復を経験する」
「神の恵みを受け入れる」
「神の恵みはあなたのどんな罪よりも大きい。」
「神があなたの過去を忘れてくださるのなら、あなたにも忘れられるはずである。」
「いったん過去が赦されたら、もうその束縛から解き放たれる。あなたは今、分岐点に立っている。罪が赦されたあなたは、敗北という滑りやすい坂道に戻ることも、神の土地に足を踏み入れて、神の側にしっかり立つこともできる。
愛する天の神さま、
あなたの赦しを感謝します。
この世界のルールでの償いも、
あなたのご支配の中では喜びと変えられることでしょう
アーメン
昨日、スピード違反でチケットをもらってしまいました。
この本に取り組んでいる最中でなかったら、きっとドロのように落ち込み、砂のように悲しくなっていたことでしょう。
それはきっと、私をもっともっと深刻な事態から守ってくださるためのサインであると知っていても、私は、微笑まないおまわりさんに「免許書と登録書と保険を見せなさい」と言われるだけで、最悪な気分になるのです。
ところが、昨日は違いました。
一瞬、そうなりかけたけど、でも心が勝手に感謝してくれたのです。
「スピードを出しすぎて死ななくてよかった。誰かを死なせなくてよかった。チケットでよかった。ありがとう、神さま、アーメン」と。
神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
ローマ8:28