Saturday, February 27, 2021

寄留者だけど、幸せです

それはあなたが私の避け所である主を、
いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
詩篇 91:9

「荒野におけるイスラエル人はたえず変化にさらされていた。
雲の柱が立ちどまるごとに天幕がひろげられた。
しかし、翌朝、太陽が上らないうちにラッパが鳴り、契約の箱が前進始め、燃えている雲の柱に導かれて山の狭い道を通り、丘を超え、あるいは無人の荒野を旅するのであった。
それでも彼らは神を彼らの家とし、雲の柱をそのむな木と思い、夜になって燃えるその柱を家庭の灯火と思っていた。
世にあって私は寄留者である。
しかし神に安住している。
地にある私はさすらい人である。
しかし私は神のうちに静かな住居を持っている。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
半年前の私には、このメッセージがきっと、理屈でしかわからなかったと思う。
でも、今は身を持ってわかる。
家を離れて、こんなに長い時間、こんな遠くにいることが、時々、全て夢のようと思うことさえあります。
そうだったら、帰る願いから解放されるのにって。
アメリカに行ったことも、結婚したことも、子どもをふたりほど産んだことも、幼稚園で働いていたことも、教会へ通っていたことも、毎朝プールで泳いでいたことも、全部夢だったら、そこに帰らなくちゃって、思いから解放されるのにって。
でも、心の底では知っている。
帰る場所があるから、家があるから、だから、送られた場所で力一杯に生きてゆける。
ここは、本当に良い所です。
あたたかくて、ゆとりがあって、静かで、平和です。
お散歩するにうってつけのきれいな小道がたくさんあります。
図書館のおかげでいつも良い読み物がそばにあり、そして、山のおいしい水を毎日飲んで暮らしています。
神さまのご臨済の充満した家で、今日も、私は、愛し、愛されるという娘の務めに励みます。

終わり良ければ全て良し


あれやこれやでてんやわんやだった1日が、今、よくやく暮れようとしています。
終わり良ければ全て良し。
感謝の満たされて、神さまのお造りになる新しい夜のはじまりの中で静かに癒されています。
まずは、朝のお散歩中の父の急の外出。
お散歩から帰るなり、玄関に脱がれた父のスリッパを見て、「今日は、気分がいいのね、ガレージでお仕事かしら」と思いきや、お出かけ用の靴がない!車の鍵もない!
あわてまくる不信仰な私。
昨日、出先の病院で、携帯電話が使えなくなっていることに気づいたから、もしかしたら、電話屋さんかも、と電話番号を調べていたら、あちらからかかってきました。
お店の人が、親切に修理か買い替えかについてメリットやデメリット、費用や手間について説明してくれるのだけど、私は父のことが気が気ではなく、早く帰ってきて欲しかったのだけど、父の声を落ち着いた聞いたら少し安心して、電話のことを決めることができました。
父が随分前に買った電話会社のオリジナルみたいな簡単に使えるスマートフォンを復活させることで、話は落ち着き、無事に戻って来てくれました。
月曜日の朝に、私が電話のスイッチに行きます。ふう。
それから、散々催促をされ続けていた街のデパートのメンバーシップの窓口に行ってきました。
これがすごかった。
会員の母の委任状を手書きで作り、代理人の私はパスポートを身分の証明に、メンバーシップを無事にキャンセル。
なんと、受け取ることも、もちろん使うこともしていなかった3年分の積み立て商品券を利息を放棄することで、キャッシュ41万円で受け取ってきました。
さすがに疲れた。
窓口の人も、やっと来てくれたとばかりに、しゃかしゃかと事を運びまくっていた。
ふう。
そして、母は、呑気にこの大金を「あなたが持っていて、必要な時にもらうわ」って、その必要な時はいつなのよ、と心の中でつぶやいた。
ほんと、つかれたわ。
★写真はサンペドロの港。
夫が送ってくれました。
入港できないコンテナ船が港の外でたくさん待っています。
日本の郵便局も船便しか送れなくなっているけど、航空会社の暇さとのあまりの格差。
どうにしかして埋めてあげられないものなのかなと思わず、色々考えてしまった。

明るくがんばる健気でたくましい被造物たち

道端のコンクリートの間に見えた小さなスミレ
硬いコンクリートとアスファルトの隙間から咲いている
スミレさんたちもすごいけど、
あなたたちを咲かせた神さまはすごいわ〜
がんばろうね、お互い

Friday, February 26, 2021

魚のおなかの中に灯る光を求めて

私は、感謝の声をあげて、
あなたにいけにえをささげ、
私の誓いを果たしましょう。
救いは主のものです。
ヨナ 2:9

「救いは神のみわざである。
もし私が祈り深いなら、それは神が私を祈り深くされたのである。
もし私が調和のある生活をしているなら、それは神がその御手で私を支えておられるからである。
私の善いものはすべて主からきたものである。
私をきよめたのは私自身ではなく、神の御霊が私をきよめられたからである。
私は世的なものから離れているか。
私は私のためにおもんばかられる神のこらしめによって世から離されている。
私に欠けているものは、すべて神の中にある。
しかし私の中にあるものは罪のわざわいだけである。
私の助けは天の丘より来るのであり、イエスなしに私は何もすることができない。
ヨナが海底で学んだことを、今朝は私の密室において学びたい。
それは『救いは主にある』ということである。」
どこにもはけ口のない重い夜がようやく明けました。
今朝のスポルジョンのメッセージ、心から、いえ、心いっぱいに、100パーセントの思いを込めて、アーメンと言います。
明るい朝を毎日私に創ってくださる天の神さま、ありがとう。
スポルジョン先生の言うように、私の内にあるものは罪とわざわいだけです。
でも、私に欠けているものは全てあなたの内にあります。
そして、それは全て私のものでもあります。
天の父なる神よ、健康で明るく、前向きにがんばるあなたの愛する人を、今日、私に見せてください。
末期的で、認知が難しく、混乱と悲しみに満ち、ヒステリックな花粉の舞う敵の世界にあなたの光を、どうか、今日、私にも見せてください。

トシちゃんと車いす


 
今日、初めて、父が、車椅子に座りました。
私は、生まれて初めて、車椅子を押しました。
押しながら涙がこぼれるれそうになるのを、ぐっとこらえました。
レントゲンを撮って、採血して、検尿して、最後のたどり着いた待合室のテレビの中で、細川たかしがものすごくがんばって踊っていました。
でも、座って、よ〜くみたら田原俊彦だった。
(よ〜く見ても実は細川たかしだったけど会話でわかった)
診察室に入って、肺に転移していた癌が大きくなっている写真を見たら、こらえていた涙がぽろんと落ちた。
 

Thursday, February 25, 2021

ゴミノイローゼへの道


すごい朝寝坊。
夕べ、夜中に雨音で目覚めて、ゴミのことが心配で心配で頭がギンギンに冴えてしまい、色々検索してしまいました。
でも、答えは得られず、もんもん・・・。
今朝は「古紙と布類」というカテゴリーの収集日なのでした。
でも、収集場はただの囲いがあるだけなので、濡れないようにしなければならないけれど、プラスッチバッグなどに入れても良いものかどうかとずっと悩んでいるうちにうつらうつら。
目が覚めたらなんと7時!
これは大変。
パジャマじゃ行けない。
明るすぎ。
でも、行った。
おばちゃんだから大丈夫。(本当はすごく嫌だった、あたりまえだけど・・・)
大分市のゴミの出し方の決まりは、とっても細かいので、もしかしたらだめかもしれないけれど、大きな透明のプラスチックバックに入れました。
次回の「古紙と古布」の日は約2週間後だし、その日に晴れるとも限らないので、その都度、最善をトライしようと、車でゴミ収集所に向かったけれど、1番のり?
いつもより2時間も遅くに行ったのに。
それともやっぱりダメなのかもっとがっくりしかけたけど少しだけ待ちました。
来た来た!よかった!
彼もバッグに入れてきた。
一言、聞いたら、そっけなく、「濡れなければいいでしょ」と。
ふう〜。
ゴミノイローゼになる前に、全てを把握したいものです。
★写真は母のビーズコレクションの中から、はながビデオを見ながら選んだもの
今、日本とアメリカの間では、国際郵便はなんと船便だけです
でも、送ります
1ヶ月後もここにいると思うから
がんばっているのは私だけじゃない
そのことを思うと、はなのために何かできることがあるのがとってもうれしいのです

戻ってきたテレビふりーらいふ


今日もとっても寒い1日でした。
でも、相変わらず良いお天気で、今日は1時間近く歩きました。
サンペドロに帰っても、きっと歩き続けると思います。
Yがリオープンしたら泳ぎたいから歩いたり泳いだり忙しいわね。
とはいえ、全然、まだまだ帰れるめどはたちません。
自分の将来のことは全て神さまに委ねて、毎日、目の前のことに対処する日々です。
それでも、英語のクラスやそこから与えられた教材の予習、復習のおかげで、ほんの少しだけど自分の人生を自分でコントロールしている満足は得られています。
英語だけど、話すことで、この世界とつながっていられるし、それでいて、現実を忘れて集中できる時間があることにとても感謝しています。
自分のお部屋ですごす時間が増えた分、テレビを見る時間が少なくなりました。
居間にいても、テレビがついていないことも多いこの頃です。
きっと私の影響ね。
私が、くだらないことを言っているテレビの中の人に我慢することなく、ピッとリモコンで消して、その後、毒のあることばを吐くので、父も母も「そっか、消せばよいのだ」と気づいてくれたのかもしれません。
(ちょっと前かもしれないけれど、オリンピック委員会長さんの発言が問題になっていた時に、辞めると言っている彼に、これでもかこれでもかと、ねちねちと非難を集めて報道する様子に、「これはいじめね、子どもにも大人にも良くないから消します」と言って、テレビを毎回消していたのです)

Wednesday, February 24, 2021

The Life as Prayer


主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。
詩篇 121:8

先週末、図書館から借りて来た本の中に「祈るように生きる」という本があります。
(あまり時間がなかったのに、この時に借りた本はどれもこれも、適当にささっと選んだ絵本までも、とても素晴らしかった。神さまが、私のための、私が手に取るようにと用意してくれていたとしか思えない・・・)
生活のあらゆる場面の中での祈り方の実際的なアイディア集です。
その中の「呼吸する」という章の中での文章が、いえ、お祈りの感性があまりにも素晴らしいので紹介します。
イマジネーションを働かせながら祈ります。
神が創ってくださった空気の中には、神の愛が満ちあふれています。
その空気を、肺の中にいっぱいに吸い込みましょう。
吸い込まれた空気は、血液に力を与えてゆきます。
それと一緒に、神の愛もわたしたちの体のすみずみにゆきわたり、細胞の一つ一つを愛の力で満たしてゆくのです。神の愛が体のすみずみまでゆきわたることによって追い出された、わたしたちの心の中にある悪いもの。
不安や恐れ、怒りなどもその空気と一緒に吐き出してしまいましょう。
どうですか?今すぐやってみたくなるお祈りでしょ。
息を吸う時は“主 イエス・キリスト”と思い、息を吐く時は“あわれんでください”というのもありました。
「食べる」という章にはこんなことが書いていました。
わたしたちの飢えを満たしてくれるのは、ただ愛だけです。
植物にせよ動物にせよ、すべての食べ物は神の愛によって育てられ、神の命を宿しているからです。
神に感謝して食事をするとき、私たちは小麦やお米、卵や肉に宿った神の愛を見に受け、神の命に養われます。
ふ〜む。
「着る」では、服を着る時には、“あなたの謙遜さの衣でわたしを包んでください”、靴を履く時には、“イエスよ、あなたが行かれるところに、何があってもついて行きます” という祈りが紹介されていました。
中でも私が一番感動したのは、「掃除する」。
両手を開いて右の親指から10の言葉で祈ります。
右手親指から、I will,/I want,/ with God's blessing./ be/ holy.
左手親指から、You/ did/ it/ to/ me.
さあ、今日は、この祈りをひとつでも自分の心からの願いとして祈れれば良いな。
この両手の10のことばの祈りを祈りながら、父と母に仕えることができますように。

吊り橋発見

この頃、午後もちょっとだけ外に出るようになりました
午後は車です
パターンができてきました
1、里でお買い物
2、街の図書館
3、下調べをしてGPSでドライブ
4、山にお水くみ
5、ぶらりとドライブ
特に順番を決めているわけではないけれど、今日は5番の日
で、家から車で15分ぐらいのところにこんな吊り橋を見つけてびっくり仰天


すごいでしょ、きれいでしょ、良い所に住んでいるのよね〜、、、わたし

 

普通のお昼寝が戻ってきた日


とても気もちの良い1日だった。
相変わらず寒かったけれど、風はなく、良く晴れて。
雨も雪も大すきだから、一つの季節の中でも色々なお天気を味わえる日本は五感の刺激に満ちた国です。
だからかな。
神さまはとても近くに感じるの。
自然の中のさまざまなきれいなものの中に神さまの業を見つけ、神さまの臨済を実感します。
今日は、あまりの気もちの良さに英語のクラスと自習の後に、カウチでチョコレートを食べながら読書中、つい眠ってしまいました。
起きた時の、変な時差ぼけみたいな感じもなく、とても良いお昼寝だった。
お昼寝はとっても久しぶり。
最後に、うたた寝をした時の起きた時の感じがあまりにも嫌だったので、身体に合わないのだと思って、避けていたのでした。
その嫌な感じは、言葉で説明しづらいのだけど、眠っている間に抱えていることを全て忘れていたみたいな感じで、起きた瞬間の現実がとても重かった。
でも、今日は、うっ、なんだか寒いと思って目覚め、窓を閉め、ひざかけをかけ、もう一度本を取り、読み始め、普通だったのです。
★写真は朝のお散歩中に見た花畑。
2,3日前まではただの緑の草原だったので、祈り中にも関わらず、息を飲んでしまいました。

Tuesday, February 23, 2021

新しい種


わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、
季節にかなって雨を降らせる。
それは祝福の雨となる。
エゼキエル 34:26

「『わたしは雨を降らす』と言いえるものが神のほかにあるだろうか。
雲に向かって語り、雨を降らすことを命ずることができるのはただおひとりである。
豊かな恵みよ。私たちは謙遜であるため、祈りに深くあるため、また聖潔であるために、豊かな恵みを必要としている。
熱心であるために、生涯救いより離れることがないために、豊かな恵みが必要である。
しおれた草木であるあなたは、今日、上を見上げ、あなたの葉と花を開いて天よりの慈雨を受けねばならぬ。」
今朝のスポルジョンのメッセージので、はっとさせられたこと。
私たちは、謙遜であったから恵みをいただけたわけではなく、謙遜であるために恵みが必要なこと。
私たちは、祈り深くあれば恵みをもらえるわけではなく、祈り深くあるための恵が必要なこと。
聖潔であるから、熱心だから、救いより離れなかったから、豊かな恵みをいただけるのではなく、聖潔であるための、熱心であるための、生涯救いより離れることがないために、豊かな恵みが必要なのだということ。
そして、スポルジョンは「あなたは葉と花を開いて天より慈雨を受けねばならぬ」と言います。
ならぬ、と。
そうなのです。
雨は必要なのです。
なくてはならないのです。
神さまに種をもらいました。
「人の支え」という名の種です。
この恵みの種を蒔こう。
畑はもう十分に柔らかい。
私の心は主によってかきまぜられたから。
今の私には、人の支えが必要だから、だから、盛大に刈り取るために、今、蒔こう。
盛大に蒔こう。
そして、次なる主の恵みである雨を待とう。

真っ直ぐに、正直に


今日は、とても良い日だった。
朝、心の整理整頓をしようと、てくてく歩きながら、心の中にある不安や心配、もやもやとした苦い思いまで、聖霊さまと調和していないかもしれない一切を洗いざらい神さまに聞いてもらいました。
その中のひとつにはなのことがありました。
はなに会えないことが、本当に淋しいと正直に打ち明けたのです。
私は今、誰もが迎えるように、自分の親の心配をする年になりました。
そのことには100パーセントの納得しています。
ここにこうして、帰ってこれたことにも親子3人に静かで平和な日々にも毎日感謝しています。
でも、はなはいろんないきさつから、賢人の誕生から9年もかかって受けた子だから、まだ、たったの15歳なのです。
そんな子とこんなに長い時間、こんなに遠くに離れ、とっても淋しいです、と神さまに正直に言いました。
すると、神さまは、そんな私の一番敏感なところにやさしく触れてくださり、今日は、はなと時間を忘れてゆっくりと電話でおしゃべりすることができました。
そして、そのことで、すごく元気になった。
はなは私の娘。
会えなくても私の娘。
私はどこにいてもあの子の母。
何をしていてもあの子の母。
そう思えた。
私のことだから、また、すぐ、ぐらぐらすると思うけど、
その時は、今日みたいに、神さまに打ち明けよう。
真っ直ぐに、正直に。

今日の自由時間

今日も自由時間は気分転換ドライブ
きれいな景色を眺めて
駄菓子などもながめて
写真に撮って夫に送ったりして
とても良い息抜き
リフレッシュとなりました

Monday, February 22, 2021

心の整理整頓


主ご自身がこう言われるのです。
「わたしは決してあなたを離れず、
またあなたを捨てない。」
ヘブル 13:5

「神がだれか1人の聖徒に語られたことは、すべてのものに語られたのである。
主にある友よ。神がアブラハムに語られたか、モーセに語られたかは問題ではない。
神は約束を受けた者の末流であるあなたにそれを与えられた。
生ける水の川の流れの中で、あなたの飲んでならない水はひとつもない。
大胆に信ぜよ。
なぜなら、主が「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われたからである。
今朝のスポルジョンのメッセージ、みことばはちょっと前にも出てきたヘブルの13:5だけど、違う角度からの「神の約束」のメッセージでした。

昨日の朝の散歩では、ぐちゃぐちゃの心を整理すべく、役割ごとに、自分の気もちを、ひとつ、ひとつ神さまにお話ししました。
神さまは、ただ、黙って聞いておられました。
今日も、整理の続きをしようと思います。
今日は、もっと具体的に話せるかもしれない。
もっと具体的に願えるかもしれない。
神さまが、私に、目指すべきゴールを見せてくれるまで祈り続けよう。

コーヒーがとてもおいしくて幸せです。
下の居間から、大きなテレビの音が漏れてきて幸せです。
カーテンの向こうに明るくなってきました。
明るくなっても、明るくなくても、幸せです。

忘れんぼさんへのマナー

この前、図書館で借りた本の中に傑作な文章をみつけ、声に出して笑いました。
笑ったり、泣いたり、忙しい日々です。
「何度も何度もおなじことを言うときは、ゲームだと思って、少しづつ反応を変えてみよう。
そうすれば、退屈せずにすむ。
いや、大切な人を締め殺さずにすむ。
あるいは、あなたが何度も何度も同じことを言わなくてはいけないときは、おまじないの言葉だと思おう。
繰り返すことで、心地よい効果をもたらすのだ、と。」
「同じことを聞かれる準備をしよう。
それから、心にとめておこう。
この世にバカな質問なんてない。
あるのは、バカな答えだけなんだ。」
「そのひとがなにを経験しているか理解したいなら、想像してみよう。
毎日知らない家に連れていかれて、見ず知らずの人たちに囲まれているって。」
★お兄ちゃんの置き土産のものすごい量の音楽コレクションを少しづつ車の中で聞いているのだけど、今日聞いた沖縄民謡の中でに「泣きなさい、笑いなさい」という歌詞があって、うんうんとうなずきながらしみじみ聴き入った私。

Sunday, February 21, 2021

私の悲しみについて


どうしても書きたいことがあります。
自分のために。
今朝、みことばとメッセージをもらって、そう思った。
自分のために書いておこうって。
私自身のことです。
母がなんでもかんでも食べ物(プチトマトでさえ)を三等分するのにイライラしていた時期のことです。
母には週に6日お弁当が届きます。
最初の入院の時に、父が手配して、とても良かったので、退院後は毎日ふたつのお弁当を届けてもらっていました。
でも、このお弁当とてもボリュームがあって残ってしまうのです。
それで、お昼はひとつを半分こ。
晩ご飯もひとつを半分こにしていました。
今思えば、それはとても良いことだったのです。
つまり、私が帰ってくるまでは・・・。
でも、私は、お昼と晩に同じお弁当を食べるのはかわいそうと思って、ひとつをキャンセルしたのです。
しかも、食べる人の数は1人増えてしまっています。
母の混乱は仕方のないことなのでした。
私は、まだいろんなことがちゃんと飲み込めていなかったし、毎日、たまごかけごはんでも食べていたいからそれで良いと思ってそうしたのです。
以来、母はそのひとつのお弁当をどうしても三等分にしてしまうようになりました。
私はもうすっかりすっかり疲れてしまい、その日、母の目の前にお皿をふたつだし、指を日本立てて、大きな声で「ふたつ!」と言ってしまいました。
ため息をつきながら、少し離れようと思い、一旦部屋に戻り、お水を飲んで戻ってくると、母はそのふたつを父と私の椅子の前におき、朝、私がふかしたさつまいもを自分の前に置いているのです。
書きながら、涙がこぼれてきます。
でも書かなきゃ。
悲しかった。
本当に悲しかった。
自分が情けなかった。
ちっぽけな自分が悲しかった。
母はアルツハイマーを発症し認知症の診断をもらいました。
それは、どういうことかと言うと、神さまの御栄光が現れたということなのです。
神さまは、母をお造りになりました。
母はやがて家族を愛する妻となり母となりました。
そして大病を患う息子を看取り大きな悲しみの中で病気になりました。
それは素晴らしい神さまの作品が、私の目にあらわになるためでした。
人の脳のことはよくわかりません。
でも、神さまはすごいということはわかりました。
痛いほど。悲しいほど。
そして、自分がどれほど自分中心でちっぽけかということも、よくわかって、それで、私は悲しいのです。




 

順番と役割


彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、
それはイスラエルの岩なる牧者による。
創世記 49:22~24

「全能の永遠の神が、御座から下ってその御手をその子に置き、その御腕をヨセフの腕にのばして彼を強められたのである。
これは『全能者』から来る約束の力である。
すべての力、すべての恵み、すべての祝福、すべてのいつくしみ、すべてのなぐさめ、その他私たちが持っているすべてのものは、約束によって水源から与えられるのである。
光と熱は太陽から来るように、すべての恵みは約束からくる。
主にある友よ。あなたの敵である射手があなたを激しく攻め、あなたを射、あなたを傷つけることがあっても、あなたの上にはなお力があふれている。
それゆえ、すべての栄光を、ヤコブの神に帰することを怠ってはならない。」
今朝のスポルジョンの目の覚めるように力強いメッセージに、とてつもなく大きな天の神さまの愛を感じます。
ぐちゃぐちゃに混乱した心を整理整頓しよう。
何も悲しいことはないはずなのに、こんなに悲しく乱れているのは、私の敵、神さまの敵が私を激しく攻めていることに気づかなくては。
順番です。
人の身体を含め、この世界にあるもので朽ちないものは霊以外に何もない。
役割です。
愛されている者の幸いはその役割をも含んでいて、それが幸いと呼ぶのだから。
 

なんちゃってサンタモニカマウンテン


先週のように、えりさんの送ってくれたメッセージを囲んで親子3人で礼拝をしました。
その後は特に何の家事も予定もいれていなかったので、気もちのむくままにのんびりとすごしました。
親子3人のお昼ご飯、英語の会話クラス、北向きドライブ。

この頃、神さまを、いつもすぐそばに感じる。
朝のデボーションの時だけじゃなくていつも。
いつもひとりぼっちだけど、いつも神さまが共にいる。

サンタモニカマウテンに登った時に観た景色に似ていた今日の北向きドライブ。
何を見ても、LA のどこかの面影を探す自分にあきれちゃう。

Saturday, February 20, 2021

砦の中で その2



 

砦の中で


主ご自身がこう言われるのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」
ヘブル 13:5

「人生の苦難と死の苦痛、内なる邪念と外なるわな、上より来る試みと、下より来る誘惑、
これらは私たちが『主は言われた』という砦の中にとじこもっているならば、言うに足りないほどの軽い悩みである。
しかし私たちが静かな喜びに満たされている時、また戦いに力を要する時、この『主は言われた』という御言葉は、私たちの日々の避け所でなければならない。
今朝のスポルジョンのメッセージです。
夕べ、借りてきた本を閉じて、さて、「寝ようかな」と電話で時間をチェックしようとしたら、夫から写真とテキストメッセージが来ていたので、それに返事をした瞬間、どうしようない、唐突で理不尽な痛みに襲われて、声を出して泣いた。(写真ははなが走ったヨットハーバーで、コメントは、ただそれを説明するものだったのだけど)
泣いたのは父の手術のキャンセルの理由の説明を受けたその夜以来。
2ヶ月ぶり。
泣くことが私の霊や身体や心に良いか悪いかを考える隙なく、ううううって声を出して泣いた。
約1分半。
そして、今朝、彼の返事、「わかるよ」を読んで、もう一度、泣いた。
こちらは30秒ぐらい。
今、もしかしたら、泣いてもいいよって誰かが言ったら、私は、ティシュボックスとゴミ箱を持ってきて、「はい、では」と泣き始めると思う。
大声をあげて。

新たなる発見


覚えている?
小さな子どもへの愛ってとってもやさしくて純粋で良いものでしょ?
愛している自分がすでに良いものを受けてしまっている名付けて「しょうがない愛」。
愛する対象の価値が、ただその存在というとってもシンプルで純粋な愛なのでした。
何が言いたいかって言うとね、私、その「しょうがない愛」を母に感じてしょうがないのです。
つい最近まで、本来あるべきと信じる自分の幻想にイライラしていて、そのイライラをどうにかしたくて神さまに一生懸命にありのままを愛せるようにとお祈りしたらそうなっちゃった。
本当に、純粋で、無垢で、何にもカバーしていない母。
神さまに造られっぱなしの自分をカバーしない母は、とてつもなく純粋でやさしいのです。
ふたつしかなかったら、それは必ず父と私。
私が、「私のはいいのよ」と言ってもその時は「はい」って言うけど、3分後には忘れて、私の椅子の前に置く母。
お金のこともそうです。
貸してくれたことはすっかり、さっぱり、くっきり忘れるのに、借りたら最後、10回ぐらい返そうとうする母。
いえ正確にはその3倍以上。
でも、もう、それを「うるさい」とは思わない。
神さまはすごいなって思うようになってきた。
人はみなどんどん自分中心に老いていくけど、そういう自分中心ってすごいかも。
そして、子が、そんな親に、純粋で無垢な神さまの作品を感じることができることも、これまたすごいかも。
どう思いますか?

今日も大冒険


今日も大冒険。
借りていた本を全部返して、行ったことがなかったもっと大きな図書館に行ってきました。
もちろん、電話のGPSを使って。
でも、図書館の正面玄関で「ここがあなたの目的地です」と言われ、そうなんだけど・・・、と思いながら、一番近くにあった駐車場に車を停めました。
図書館の案内所で聞いたら、地下に駐車場があるらしので、今度はそこに停めます。
今日はたったの30分で200円なり。
まあ、LAよりはましだけどさ。
さて、図書館。
とっても広くて、とってもたくさん本があって、そして、どの本もとってもきれいでうれしかった。
閲覧権は前のところと共通で大分市の発行だから、すっと行ってすっと借りてすっと帰ってこられました。
前の所は大分駅の向こう側、そして今日行った所は大分駅のこっち側。
共に駅から歩けるぐらい近い。
この差は、どういうことかと言うと、今日の図書館はごちゃっとした所に入り込まずにすむ感じ。
そして、ちょっぴり近い。
ごちゃっとした所に入りこんで、ついでにデパートの地下とかにも寄っちゃいたい気分の時は前の所で、本、本、本、と頭の中が本で一杯の時は今日の所と使い分けられそうです。
本を一旦、車に運んで、すぐ近くのデパートの地下で、特産品やお惣菜やデザートやお土産を見るのも実際とても楽しいのよね。

Friday, February 19, 2021

放射冷却作用


気落ちした者を慰めてくださる神は、
テトスが来たことによって、
私たちをなぐさめてくださいました。
2コリント 7:6

だれが神のように慰めるだろうか。
友よ、あわれな憂いに沈む神の子供のもとに行き、美しい約束を告げ、その耳に慰めの言葉をささやけ。
彼の耳のきこえぬまむしのようであって、へび使いの声には耳をかさないだろう。
彼は毒草やにがよもぎを飲んでいるのである。
しかし神がその子供のところに来られ、その子供の顔をもたげたもうならば、嘆いていた目を希望に輝く。
かわいそうなクリスチャンよ、あなたは失望して座り込んでいる必要はない。
慰め主のところへ行き、彼に慰めを求めよ。
あなたが渇いている時には神のもとに行き、その喜びをあなたの心にそそぎ入れられるように求めよ。
地上の友のもとに行くな。

今朝のスポルジョンのメッセージ、いかがでしょうか。
私には、いろいろ、考えさせられる重たいメッセージです。
でも、今、ひとつだけ、言えることは、携帯Wifiを使って、手元の電話のGPSで行ってみたい場所に行く時、私は、ただ、目的地のことだけを考え、真っ直ぐに前を見据え、電話の声に集中しています。
それは、神さまが今の私にくださった、現実を真剣に生き抜くための慰めです。
英語のクラスもそうです。
予習して、クラスを受け、復習をします。
その間は、そのことだけを心配しています。
to かな、いや for だ、とかそんなことです。
それは LA では忙しい最中のもうひとつのやっかないなチャレンジだったのに、ここでは、今は、それが慰めなのです。

昨日にひき続き、今朝も、ものすごく寒い朝です。
でも、今朝はゴミの収集がなかったので楽チン(ゴミは真っ暗な朝いちのパジャマ姿のおつとめ)(いや、違う、ゴミの収集はあるのだけど、我が家にはプラスティックボトルのゴミがないんだ)。
どのくらい寒いかっていうと聖書を読むためにかけた眼鏡が冷たくて顔がびっくりし、そして、開いたラップトップは中がキンキンに冷えていて冷気を放つほど。
でも、そういう日のお昼間は暖かいのよね。
放射冷却作用。これも神さまの慰め。

春を待つ花かざり

母の庭に長年自生している水仙

バレンタインデーに母に贈ったパンジー

 

携帯Wifi もうしばらく返さない決心


日本に着いた日から、携帯Wifiをレンタルしています。
最初の2ヶ月で124.77ドルを払いました。
その後は1日199円で借り続けています。
でも、あまり使っていないから、もうそろそろ返しちゃおっかな〜と思い初めていました。
家にいる時は家のWifiがあるし、あんまり出かけないし、出かける時には父の電話を持って出るようにすれば良いかなっと考えていたのです。
でも、今日は、初めて、Wifiを借りていて良かったと思いました。
初めて、199円のもとをとった感じ。
湧水の里にひとりでお水を汲みに行ってきたのです。
電話のGPSに導かれて。
なつかしかった。
GPSの声。
彼女の声に導かれて、はなとあっちこっちドライブしたのを思い出しながら、スムーズに目的地に到着。
でも、思いのほか時間がかかってしまったので、母に電話しました。
「少し、遅くなるけど、待っていてね、一緒にごはんを作ろうね。」っと。
もちろん携帯Wifiに頼って。
私の電話はそれなしでは、通話できないのです。
それで、返す気もちがすっかりなくなりました。
GPSを使ってもっと、色んなところをドライブしてみたくなりました。
英語のオンラインクラスと気晴らしドライブがあれば、ここでの暮らしももう寂しくない。
少なくとも、家族に会えるまでのつなぎにはなってくれそう、と思うのです。

Thursday, February 18, 2021

コロナのおかげなことふたつ


わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れ、
次のことをしよう。
わたしは、羊の群れのように人をふやそう。
エゼキエル 36:37

「祈りはいつくしみの先駆者である。
あなたが十字架の血によって初めて平和を得た時は、あなたは多く祈ってあなたの疑惑を取り去り、苦悩から救ってくださるように神に嘆願した時であった。
あなたの確信は祈りの結果である。
いつであろうと、あなたが非常に大きな喜びを経験した時には、それが必ず祈りの結果であったことに気づくであろう。
祈りはいつでも祝福の端緒である。
祝福の影として祝福の前に来るものである。
祈りは祝福と結び合って、私たちにその価値を示してくれる。
祈りは私たちの受ける祝福をダイヤモンドよりも尊いものとする。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
この頃、朝のお散歩の中での祈りでくり返し感謝することがふたつあります。
ひとつははなの成績が良くなったこと。
もうひとつは夫との結婚が祝福されていること。
共に、半ば、機械的になるまで、プールで泳ぎながら祈った祈りです。
はなのことは、「どうぞ、学びの熱意にあなたの火を灯し、消えないようにお守りください。この世界の不思議や悲しみや問題を真剣に考える子にならせてください。そして、あなたに灯された火をどうか燃やす子にならせてください。」と祈っていました。
CにまみれてどさくさまぎれにFもあったからです。
進級のたびにいつも周りの友だちに助けられ、出すものをひねり出し、また、友に丸ごといただき、なんとかならせていました。
結婚のことは、ひたすら、癒しと回復を祈りました。
私は彼と話をするのにとても努力が必要なほど家庭の中で1人で生きていたからです。
主はコロナを用いてその両方の祈りに大きく報いてくれました。
はなはオンライン授業が合っていたようで、数学以外は今全部A。
そして、夫とは毎日のようにテキストメッセージか電話で会話しています。
共にCOVID -19のおかげです。
私が新しい日本語の「コロナ禍」ということばをどうしても使う気になれないのはそういう理由なのです。

この頃のはな

はなからいくつかの写真が送られてきました。
神さまに守られて良い日々をすごしているようです。
あいりちゃんとのプレイデート(ハングアウトって言ってる)や父親との気晴らしドライブ、賢人とお買い物、家族のためのお料理、絵画の作品作り、幼稚園時代の先生からのバレンタインギフト、えとせとら。
神さまに心から感謝です。
★写真の中はなが着ているジャケットは、私がここから送ったお誕生日プレゼント

Wednesday, February 17, 2021

黒い敷物を受け入れるということ


私は神に言おう。
私を罪ある者となさらないように。
なぜ私と争われるのかを、知らせてください。
ヨブ 10:2

「しばしば愛は、ほたるのように、周囲が暗くならなければ輝きを示さない。
希望は星のようなものである。
繁栄の太陽が輝いている下では見ることができない。
しばしば患難は黒い敷物のようであり、神はその子供たちの徳の宝石をますます輝かせるため、その上に置かれるのである。
主にある友よ、なぜあなたが患難の中を通っているかおわかりであろう。
主はあなたの恵みを捜し出し、それを成長させておられるのではないか。
これこそ主があなたと争われる理由ではないか。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
前にスポルジョンのこのメッセージを読んだ時には、彼が言いたいことがよくわかっていなかった。
黒い敷物という患難の上に私たちを置き、輝きはじめるのを見つめて待つ、神さまのその趣味は、あまり好きじゃないないと思った。
でも、そうじゃないのよね。
輝いて一番うれしいのは、輝いている宝石自身であり、その影響を受けて輝く周囲の宝石なのです。
そしてそもそも、その黒い敷物は神さまのバックから取り出されたものではなかったのです。
ヨブ記の最初に出てくるもうひとりの重要なキャラクターのアイディアだった。
この前、図書館で借りた本で、日野原重明が書いた「愛とゆるし」という、数ある著書の中でも、教会の説教で用いた原稿をもとに作られた本の中に、私たちは死を抱えて生まれてきて、毎日、死に向かって生きているというような文章を見つけました。
あたりまえのことなのだけど、彼という人がそれを書くと、特別な意味を持って、私の心を打つのです。
それは、彼が世界に教えた生き方があまりにも「黒い敷物」を静かに肯定していたからなのだと思う。
それは、最初の人が初めてしまった自明の摂理。
でも、2番めの人がそれに勝利したという確信。
私は、黒い敷物の上で輝きたいです。
自分でも知らなかった自分の中の輝きを輝かせたいです。

Tuesday, February 16, 2021

神の庭


イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。
創世記 25:11

「生ける神の御前に生活することを学ぼうではないか。
この日も後の日も、『神はわれをみそならわしたまえり』と感じることができるよう祈ろうではないか。
今日も私たちは彼によって生き、動き、また存在しているのである。
最も親密な交わりのうちに住もうではないか。
栄光の主よ、私たちがあなたから離れることなく、生ける泉のかたわらに住むことを得させたまえ」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
今朝はゴミの収集がなかったので、好きなだけたっぷりと眠りとっても良い気分で目覚めました。
何も心配せずに眠れた夜に、思わず目覚めてすぐに感謝しました。
そして、今朝は、とても久しぶりに、大すきだったアメリカ産のブランドのコーヒーを飲んでいます。
やっぱりおいしい。
しみじみおいしい。しみじみ幸せ・・・。
LAのあのまずい水道水で作ればきっともっとおいしいのだと思うけど、今の私にはこれで十分です。
そして、昨日はアマゾンで本を買いました。
初めてだったので東京のいのとも(祈りの友)に手伝ってもらいながら。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに夕ごとに」の英語版です。
今朝のメッセージの「神はわれをみそならわしたまえり」の意味を英語で見てみることができると思うと楽しみすぎです。
夜はネットフリックスにローマの休日が上がっているのを発見し、大興奮で観ました。
すぐに消えてなくなりそうなので、今夜も観るつもり。
色々楽しみなことがあり、幸せです。
ここは、きっと神さまの御前・・・、神さまのお庭です。
今日もそこから一歩も出ずに真剣に生きることができますように。

Monday, February 15, 2021

種まき

バレンタインデーに母に贈ったお花の苗が入っていたポットに種まき
パンジー
マリーゴールド
スィートピー
そして、こちらはハート模様の種のふうせんかずら

父と母が、お庭に出るのが楽しみになりますように

 

満ちたりることを学ぶこと


乏しいからこう言うのではありません。
私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
ピリピ  3:18

「むさぼり、不平、つぶやきなどは、地にいばらがあるように、人間が生まれながらに持っているものである。
私たちはあざみやいばらの種をまく必要はない。
それは土壌には固有のものであるから自然に生え出す。
しかし地に生ずる値うちあるものは、手をかけて育てなければならない。
麦を得ようとするならば地を耕して種をまき、花がほしければ花園を作って世話をしなければならぬ。
それは、私たちのうちに自然に生えることはない。
生まれ変わった新しい心の畑にのみそれは生えるのであって、神がまかれた恵みを受け、それを育てるためには特別の注意が必要である。
それは持前の力ではなく、訓練によって少しづつ得られる技術である。
私たちは経験によってそのことを知る。」
今朝のスポルジョンの私へのメッセージです。
満ちたりることを学びたいです。
できれば、パウロのような苦しみは苦しまずに。
昨日、国民健康保険税を郵便局に支払いに行きました。
年に5回、請求書が来るようです。
もし、コロナが鎮まり、渡航がもっと簡単になり、行ったり来たりができるようになったら、この支払いをミスしそうだなっと思い、郵便局で口座を開き、そこから自動引き落としできたたらっと窓口で聞いてみました。
この家から一番近い郵便局の窓口の人とはもう、簡単に話ができるようになりました。
年賀状を買ったり、国際郵便について尋ねたり、小為替を買ったりして、私はすっかり慣れているのです。
でも、国民健康保険証とお金だけでは口座が開けないことがわかりました。
写真付きIDと印鑑が必要なのです。
それで、大分市から届いていた国民コードのカードの申請書に、自動販売機の証明写真撮って、貼って、再び郵便局から出しました。
印鑑も自動販売機で作ろうとしましたが、これは証明写真ほどかんたんではなく、あきらめて帰ってきました。
自分の名前をタイプするのだけど、五十音にならんだひらがなのパネルの感度が悪く、どうしても、必要な文字でエラーが出てしまってうまくいかなかった。
でも、できなかったことよりも、できたことの方がたくさんあったと、今朝、スポルジョンのメッセージを読んで気づいた。
満ちたりる思いというのは探さなければならない隠された宝もののよう。
★写真付きIDについて
「運転免許書でもいいですよ」って言われた時に、「持っていないのです」と言った後、何食わぬ顔をして大きな窓ガラスごしに駐めた車に乗って帰るのはよくないなっと思った。
どうすればよいかなっと思って、少し考えた。
「カリフォルニアの陸運局が発行している国際運転許可書で運転しているのです」と言うのは、なんだかとても抵抗がある。
ちょっと遠くに駐めよう。
今日のメッセージから学んだはずだけど、日本の陸運局に本物を再発行をしてもらいたいと思ってしまう。
これはスポルジョンの言うとおり、私が根っからの欲張りである証拠です。

Sunday, February 14, 2021

私にあるもの


私たちの主であり救い主である
イエス・キリストの恵と知識において成長しなさい。
このキリストに、栄光が、
今も永遠の日に至るまでもありますように。
2ペテロ 3:18

今朝、スポルジョンが私に教える祈りはこうです。
「主よ、私を助けてあなたをあがめさせてください。
私は貧しいですが、足ることを知り、あなたをあがめ得ますように。
主よ私には時間があります。
この時間をあなたのために用い、あなたのために仕えることができますように。
私は多くはなし得ません。
しかし、私の時を永遠をあなたの倉にささげます。
私のすべてはあなたのものです。」
最近、時間について色々と考えてみる出来事がありました。
神さまにささげた時間は決してなくなることがなく、それどころか増やして返されるというのは、クリスチャンなら誰もが知っている黄金律というか、原則なわけだけど、それは、私の場合は「時間」であって、もしかしたら、他の誰かにとっては「愛」だったり、また別の誰かにとっては、「能力」だったり、「お金」だったりあるいは「力」だったりするのかもしれません。
「時間」というのはこれら全ての通行手形のようなもので、使い道は自由です。
そして、どのささげものも、もしかしたら他の全ての通行手形になるのではないかな・・・。
私には、ささげることのできない、もともとないものが色々あるからはっきりと証をすることはできないけれど。
もしかしたら、何もない人にも与えられる切り札が「時間」なのかもしれないね。
「ささげる」なんてなんだか、ぎょうぎょうしいけど、ただ、一緒にすごす。
神さまとふたりの時間をすごす。
全地全宇宙をお造りになり、全ての命の源であられ造り主である主、大自然を治め、コロナをも含む人類の歴史を治めておられる、今日という日を握っておられる神さまと一緒に歩き、おしゃべりする。
あやまる。文句を言う。交渉する。頼み込む。感謝する。いろいろ全部言っておく。
そして、今日の手形をもらう。
今日も良い日でありますように。

母のスケッチブック

これもアメリカに船便で送りたいものアイテムのひとつ
・・・ほんのひとつ







最後の2枚ははなが通っていた幼稚園のお庭