Thursday, February 18, 2021

コロナのおかげなことふたつ


わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れ、
次のことをしよう。
わたしは、羊の群れのように人をふやそう。
エゼキエル 36:37

「祈りはいつくしみの先駆者である。
あなたが十字架の血によって初めて平和を得た時は、あなたは多く祈ってあなたの疑惑を取り去り、苦悩から救ってくださるように神に嘆願した時であった。
あなたの確信は祈りの結果である。
いつであろうと、あなたが非常に大きな喜びを経験した時には、それが必ず祈りの結果であったことに気づくであろう。
祈りはいつでも祝福の端緒である。
祝福の影として祝福の前に来るものである。
祈りは祝福と結び合って、私たちにその価値を示してくれる。
祈りは私たちの受ける祝福をダイヤモンドよりも尊いものとする。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
この頃、朝のお散歩の中での祈りでくり返し感謝することがふたつあります。
ひとつははなの成績が良くなったこと。
もうひとつは夫との結婚が祝福されていること。
共に、半ば、機械的になるまで、プールで泳ぎながら祈った祈りです。
はなのことは、「どうぞ、学びの熱意にあなたの火を灯し、消えないようにお守りください。この世界の不思議や悲しみや問題を真剣に考える子にならせてください。そして、あなたに灯された火をどうか燃やす子にならせてください。」と祈っていました。
CにまみれてどさくさまぎれにFもあったからです。
進級のたびにいつも周りの友だちに助けられ、出すものをひねり出し、また、友に丸ごといただき、なんとかならせていました。
結婚のことは、ひたすら、癒しと回復を祈りました。
私は彼と話をするのにとても努力が必要なほど家庭の中で1人で生きていたからです。
主はコロナを用いてその両方の祈りに大きく報いてくれました。
はなはオンライン授業が合っていたようで、数学以外は今全部A。
そして、夫とは毎日のようにテキストメッセージか電話で会話しています。
共にCOVID -19のおかげです。
私が新しい日本語の「コロナ禍」ということばをどうしても使う気になれないのはそういう理由なのです。

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