Sunday, February 14, 2021

私にあるもの


私たちの主であり救い主である
イエス・キリストの恵と知識において成長しなさい。
このキリストに、栄光が、
今も永遠の日に至るまでもありますように。
2ペテロ 3:18

今朝、スポルジョンが私に教える祈りはこうです。
「主よ、私を助けてあなたをあがめさせてください。
私は貧しいですが、足ることを知り、あなたをあがめ得ますように。
主よ私には時間があります。
この時間をあなたのために用い、あなたのために仕えることができますように。
私は多くはなし得ません。
しかし、私の時を永遠をあなたの倉にささげます。
私のすべてはあなたのものです。」
最近、時間について色々と考えてみる出来事がありました。
神さまにささげた時間は決してなくなることがなく、それどころか増やして返されるというのは、クリスチャンなら誰もが知っている黄金律というか、原則なわけだけど、それは、私の場合は「時間」であって、もしかしたら、他の誰かにとっては「愛」だったり、また別の誰かにとっては、「能力」だったり、「お金」だったりあるいは「力」だったりするのかもしれません。
「時間」というのはこれら全ての通行手形のようなもので、使い道は自由です。
そして、どのささげものも、もしかしたら他の全ての通行手形になるのではないかな・・・。
私には、ささげることのできない、もともとないものが色々あるからはっきりと証をすることはできないけれど。
もしかしたら、何もない人にも与えられる切り札が「時間」なのかもしれないね。
「ささげる」なんてなんだか、ぎょうぎょうしいけど、ただ、一緒にすごす。
神さまとふたりの時間をすごす。
全地全宇宙をお造りになり、全ての命の源であられ造り主である主、大自然を治め、コロナをも含む人類の歴史を治めておられる、今日という日を握っておられる神さまと一緒に歩き、おしゃべりする。
あやまる。文句を言う。交渉する。頼み込む。感謝する。いろいろ全部言っておく。
そして、今日の手形をもらう。
今日も良い日でありますように。

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