Thursday, February 11, 2021

満杯の天秤


もし私たちが苦しみに会うなら、
それはあなたがたの慰めと救いのためです。
もし私たちが慰めを受けるなら、
それもあなたがたの慰めのためで、
その慰めは、
私たちが受けている苦難と耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
2コリント 1:6

「摂理の支配者が一対のはかりを持っておられる。
一方の皿には神の民の試みが、他の皿には慰めが入れられている。
試みの皿がほとんど空になった時、慰めの皿も同様に空となり、試みの皿が満ちている時には慰めの皿も重くなる。
神が私たちの心に来られ、それが一杯であるのを見られると、私たちの慰めを砕いて空にされ、恵みを入れる余地を造られる。
人は謙遜になればなるほど多くの慰めを受ける。
悩める信者よ、来れ。
あなたの重荷のためにいらだってはならない。
なぜならそれは深いあわれみの来る先ぶれだからである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
朝一番に、大量の古紙と布のゴミを収集場に持って行きながら(3往復!)、「神さま、悲しみの日に、どうかそれに耐え抜く力をお与えください」と祈りました。
ゴミをすっかり運び終えて、まだ暗い家の中に入った瞬間に、ひとりぼっちじゃないことに気づきました。
母がいるのです。
母には母の悲しみがあるのです。
母はそういうことは、とってもはっきりと理解して悲しむのです。きっと。
母と手と手を取って心から悲しもうと思いました。
それから、これは昨日のこと。
その時は深く考えなかったけれど、朝のお散歩中に夫から電話があったのです。
探し物でした。
私は、歩きながら「はいはい、それはね、」と教えてあげて、後はそのことにはこだわらずに、ポテトサラダを作ったら、はなが馬ように食べたとか、そんな話しを聞いて笑いながら電話を終えました。
でも、今朝、思い出したのです。
彼の探し物はパスポートでした。
今は何の役にも立たなさそうなUSパスポートです。
でも、もしかしたら、世界は少しづつ癒され、私たちはもっと自由に会えるようになれるのかもしれないなって。
父の介護保険がどんな形でもいいから、適用されればいいな。

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