さあ、立ち去れ。
ここはいこいの場所ではない。
ミカ書 2:10
「私たちはだれでも、次の命令を聞く時が必ず来る。
『立ってあなたが住んでいた家庭、あなたが生業をいとなんでいた都、あなたの家族、あなたの友人を去れ。立ってあなたの最後の旅にのぼれ』と。
この旅について、私たちは何を知っているだろう。
私たちは死と呼ばれる黒い川のあることを知っている。
神は私たちとともにいることを約束し、私たちにその川を横切ることを命じておられる。
死の旅路は暗いかもしれない。
しかし私たちは、神がその暗い谷間においても私たちとともにおられるゆえ、わざわいを恐れる必要のないことを知って、臆することなく進むことができる。
私たちは、地上で知り合い、また愛しあったすべての人と別離するが、イエスのおられる私たちの父の家に向かうのである。
それは私たちが永遠に愛する神と共に、神の民の中で神の御前に住むための最後の引っ越しである。」昨日の私の記事へのお返事のような、スポルジョンの今朝のメッセージです。
かつてその旅から戻り、旅について話しをした人は誰もいない、ともありました。
童話『星の王子さま』の中で、キツネが王子さまにこう言います。
「きみがバラに費やした時間の分だけ、バラはきみととって大事なんだ」。
日野原重明も似たようなようなことを書いていたっけ。
愛は時間。愛は待つこと。愛って見つめること。愛は見守ること。
私は、自分の「大事」を本当に大事にするために、今を生きている。
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