Sunday, September 30, 2018

絶対に礼拝する男の教会巡りその1

とても良い日曜日だった。
心に響くメッセージだった。
今日で何回めだろう、この頃、ずっと連続で奏楽の奉仕をしています。
先週も、今週も、選曲にたくさんの感謝をいただきました。
正直言うと、5分ぐらいで選んでいるけど、でも、神さまが選んでくださったと、自分でも思っています。
いつも、メッセージを聞きながら、だっから、今日はこの曲なのね〜って、無責任に感謝する私なのです。
私の霊が勝手に私の礼拝を礼拝している感じの数週間だけど、でも、とても満ち足りています。
そして、賢人も無事に礼拝を守れたようです。
3時からの礼拝で、これから教会でご飯を食べるって言っていた。
晩御飯!
あんたも食べるんだ・・・。
そりゃすごい。
始めての場所で。
今日、教会で牧師を囲んで10時半ぐらいにお祈りしてもらったから、そのおかげね。
ハレルヤ!
★写真は今度の証人尋問のためのドレス探しに行ったけど、ど〜にもこ〜にも、好きじゃなくて似合わないはな、結局買わずに帰ってきてしまいました。



詩編 18章

この神こそ、私に力を帯びさせて
私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のようにし、
私を高い所に立たせてくださる。
戦いのために私の手を鍛え、
私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
詩編 18:32~34
ハレルヤ、聖なる安息の日曜日をおめでとう。神さま、ありがとう。
朝の冷たい空気が、本当に秋が来ていることを教えてくれます。
くるみ割り人形で兵士をやります
リハーサルが始まりました
ずっと半信半疑でした。
あまりにも濃い夏だったから、薄まるのに時間がかかり、このままずっと夏なんじゃないの、私だけ・・・、なんて。
熱くておいしいコーヒーを両手で包むように持って飲んでいます。
公開通読はタイトルが変わるたびにわくわくしながらページをめくっています。
特別に好きというわけではなかったけど、今朝も、今が、詩編でよかった、としみじみ思いました。
「この神こそ、私に力を帯びさせ、」とはダビデのことばだけど、私も僭越ながらそう思う、そう思うことを許してもらいたい。
力ある主の名による祈りに、力があるないなんて変だけど、でも、この頃、私の祈りには、主による特別な力がある気がしてなりません。
祈りっぱなしの私のために、祈った内容を何も知らずに一生懸命に実行する人がいます。
しばらく祈らなかった人から、最近どうも不調と言われてドッキリしたり。
認めるのイヤだけど、プレッシャーは祈るための私の原動力だと思う。
だから、いつも新しいチャレンジやプレッシャーの中にいるのね、私。
★伊藤ベンくんかと思ったらベニートくん、ルームメイトの彼と、そして、スティーブンと、その他何人かで、昨日は焼肉を食べに行ったそうです。




Saturday, September 29, 2018

詩編 16章

測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、
私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
詩編 16:6~9
まさに、今朝の私の心を最もなぐさめ、励ます、主のみことばです。
去年の夏、新しい職場へと主によって導かれ、1年が過ぎました。
たったの1年だけど、ものすごくいろんなことがありました。

●出勤初日、とても満たされた気分で、家に戻ると、賢人が、私のこれまでの人生の最悪のニュースを握り、ひとりで悲しみながら待っていました。
「じょえるのことで、父さん、スーされたみたい」
その翌日から、訴えられた超本人の夫ははなを連れて、日本旅行に旅立ち、日本から送られてくる楽しそうな写真の数々を呪いながら、あじゃなくて、それに励まされながら、その対処と並行するように新しい職場の新しい仕事へと突入してゆきました。
●主によって弁護士とつながり、やれやれと思いきや、今度は、日本にミッショントリップに行った賢人が帰りの飛行機に乗り遅れ、いくらかのペナルティと共に一週間、滞在の延期をするか、オリジナルプライスで航空チケットを買って翌日帰ってくるかの選択に迫られ、泣きそうになりながら祈りました。
この時は、教会のみなさんの祈りが聞かれ、そのどちらでもない、第3の選択が天から降りてきて、ペナルティも払わず、新しいチケットも買わず、次の日の同じ便に乗せてもらえました。
ちなみに翌日の飛行機の席をなんとか工面してくれたのはその航空会社のアメリカ側のオフィスでした。
にも関わらず、あの子の日本への愛になんの傷もつかず、それどころがますます、日本を好きになっている。
●無事に帰ってきて、やれやれと息を着く間もなく、幼稚園が物々しい雰囲気に呑み込まれ、渦に巻かれるように、それでも、その中心の最も風の少ない所を、みんなで心を一つにして歩いてきた。
●そして最後に、賢人の寮への申し込みが完了していない事件発覚、2度めの申し込みが受理され、ウェイティングリストにのせてもらって、やれやれと思いきや、今度は主によって、エイドを一旦取り去られ、再び与えられ。
この9月、無事にUCIへと進みました。
ふう〜。
それでも私は、「測り綱は、私の好む所に落ちた」と言います。
「私のたましいは楽しんでいる」と言います。
私の身もまた安らかに住まおうと。
アーメン

Friday, September 28, 2018

さよなら、プレッシャーの9月

★ようやく週末、今週は、とても長く感じられました。
コートで証人尋問を受けるという初体験もあったし、賢人のいない最初の週だったし、幼稚園でも、私なりに一生懸命に考えたいろんなアレンジが、ざっくりだけど固定され、ふう〜、やれやれです。
ひと月が過ぎ、やるべきことがやっと一巡り、来月から、もう少しリラックスできたらいいな。
★賢人からは一本の電話もありません。
スティーブンが、なんと同じ建物の下の横という超ちかネイバーだったらしく、私、驚くの通り越して笑ってしまった。
あんなに広い寮の敷地の果てしなくたくさんの建物が並ぶ中、同じ建物だったって、あんたたちって一体どういう縁かいな・・・。
あの子たち、日本でも、私の実家でも本当に静かに仲良しだった。
常にわいわいと盛り上がってきゃっきゃっとはしゃぐわけではないけど、いつも相手を受け入れ、気を使い、それでいて、しーんって静かに自分のことに集中している時も、二人ともとてもリラックスしていた。
彼が一緒にいるなら、きっとあの子は何も不足せず、助け合って、この週末も楽しいと思う。
★ご飯を作り過ぎて、いろいろ大量にあまっています。
包んでアーバインに持って行きたい気もちを必死に抑え、今日はその一部を温め直して食べることにします。
賢人がいない日のお料理の量がまだつかめない私です。




Wednesday, September 26, 2018

最新家族写真

お寿司屋さんの前で撮った家族写真
私、親になっても、自分の親の苦労がわからなかった
楽しいじゃん子育てって、ずっと思ってた
でも、今、親の淋しさ、すごくわかる
ちょびっとだけど、
親として、子として、成長したと思う


詩編 9章

私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ。
あなたの御名をほめ歌います。
私の敵は退くとき、つまづき、
あなたの前で、ついえ去ります。
あなたは私の正しい訴えを支持し、
義の審判者として王座に着かれるからです。
詩編 9:1~4
聖書の通読の箇所が、毎日、毎朝、どんぴしゃりにその日の必要であることこそ、奇しき主のみわざだと、主の御名をほめたたえずにはいられません。
昨日会った、相手側の弁護士に、何か、人柄の良さそうな、誠実そうな、実直そうな、そんな好ましい部分がひとかけらもなかったことさえ、主に感謝したい朝です。
大人になるって、物事はそんなに簡単ではないということがわかることだと思う。
概ね、どこのどんな揉め事の中にもあるのが、人間の考え方感じ方の違い、立場による物事の見え方の違い、人間の弱さと強さの複雑な絡まりです。
でも、これはとてもシンプル。
今回のこれに関して、私、はっきりと、「ああこの人たちは(訴訟人とその弁護士)、ただお金を巻き上げるネタを探し、その目的に向かって事実を捻じ曲げながら、人の血をヒルのように吸い上げながら生きるかわいそうな人たちだ。」と思えた。
その空虚を埋めるために、ヒルのように人の皮膚にへばりついても、結局満たされることはない。
キリストの十字架の血で贖われた私のプライドはこんな時こそ、奮い立つべきなのだと思う。
★写真は夫の尋問中にはなが電話で見せてくれたシェルターでのじょえる。
臆病者のじょえるは、最初、目も合わせなかったらしい。
でも、彼がこのケージで過ごしたのは、なんとわずか数時間。
送られた来たその日に、夫とはながすぐにアダプトの手続きをしたのでした。




Tuesday, September 25, 2018

私のアイデンティティ

証人尋問は何とか終わりました。
★はなの証言の時に、私は相手側の弁護士に退室すべきだと言われ、父親を残し、お部屋を出ました。
窓越しにじっと見つめていたら、しばらくして、はなが涙をポロポロとこぼすのが見えて、お部屋に乱入したい衝動に駆られたけど、こちらの弁護士が休憩を提案しれて、弁護士に守られて出て来てくれたので夫とはなと私の3人で丸くなって、祈ることができました。
それからのはなは、途中、私が渡したハンカチで目元を吹きながら、それでも、しっかりとした様子で答えていました。
★私は、今朝のみことばを握り、絶対に精神的にだけは譲るまいと心に決めて、部屋に入りました。
次々に馬鹿げた質問、意地悪な聞き方をする相手の弁護士の目をじっと見つめて、冷静に
シンプルに答えるができた、と自分では思います。
学歴を聞かれ、専攻を聞かれ、「では、あなたはミュージシャンですか?」と聞かれたときだけ、ちょっと迷った。
天国のピアニストだと自分では思っているけど、この人にはそれがどういうことが後10万年生きてもわかってもらえないと思って、「NO」と言いました。
「では、あなたは今何をしているのですか?」と聞かれ、「幼稚園で働いています」と答えたら、「そこで何をしているのですか?』と言うので、私は、1秒だけ考えて、「園長です」と言いました。
そして、私は、背中をピンと伸ばして、彼の次の質問を待ちました。
つづく

詩篇 7章

私の神、主よ。
私はあなたのもとに身を避けました。
どうか、追い迫るすべての者から私を救ってください。
詩篇 7:1
今日は、例の裁判のために、裁判所に陪審員たちの前で、相手側の弁護士の質問を受けに行きます。
アーバインのグロサリーストアでお買い物バッグ
洗濯室の壁に飾っています
先週の月曜日にその打ち合わせにこちらの弁護士が我が家に来てミーティングをしました。
主が私たちのための用意してくださっていた弁護士は、私の目には完璧でした。
ただただ、確信ある真実のみに、イエスと答え、その他の知らないこと、わからないことには「知らない」「わからない」と言うことで、はなも私も、心を決めています。
「こんなことになって、申し訳ないと思わないのですか?」などと、感情に触れる質問が出ると思うと、彼女は言っていました。
そもそも、この裁判は、そういう裁判なのらしいです。
その場合は、「私は、私たちの犬が彼を噛んだのか知りません」のように答え、反論しないように言われました。
はなは学校を休み、夫は仕事を休みます。
でも、私は、ちょこっとだけ幼稚園に行き、代理の先生を見届け、そして、夫の迎えでコートに向かいます。
そして、終わったら、幼稚園に戻るつもりでいます。
私にとっては、その方が楽だと思ったから。
こういうことって、時間に余裕がない方が楽なのよね、気分的に。
★今日もリハーサルなので、昨日の教訓をいかして、今日は今、カレーを作っています。
ご飯も研ぎました。
バレエスクールのテーブルが、今夜も私のオフィスです。



Monday, September 24, 2018

賢人なし生活初日

賢人なし生活初日、うっ、こんな時間にようやく帰路に着きました。
チャイニーズのTo Go と共に。
パーキングから賢人のおうちへの小道
はなのバレエレッスンとリハーサルをバレエスクールのラウンジで仕事をしながら待ち、そして頼んでいたご飯を、近所の素朴で丁寧なご飯作り地元の信頼を得ている小さくて古くてこぎれいなチャイニーズレストランからピックアップして帰るという、時間の使い方として、全くどこにも無駄がなかった、私の計画どおりの夜、でも、9時です・・・。
少しづつ、慣れてゆくと思うけど、私、賢人が9歳の時にやっと、もう一人って思えて、はなを迎え、以来夫と私、プラス賢人の3人ではなの世話を焼いてきたから、いま、その3分の1を失って、すごいピンチです・・・。

詩篇 5章

主よ。
朝明けに、私の声を聞いてください。
朝明けに、私はあなたのために備えをし、
見張りをいたします。
詩篇 5:3
朝明けに、私は、主のためにではなく、自分のために備えをしている。
だから、今朝は、主に働いていただくために備えをしよう。
賢人はついに行ってしまいました。
昨日、アーバインへのドライブで、たくさんの記憶が思い起こされました。
私が、オレンジカウンティの幼稚園に勤め始めたのは、賢人が13歳、今のはなと同じぐらいの時でした。
賢人の大学進学のために祈り始めたのはちょうど、その頃だったことを思い出しました。
神さまは、2回に分けて、私の祈りに応えてくださった。
3年前にハーバー・カレッジに進ませてくださった。
100パーセントの主のエイドで。
そして、この秋、UCI に進ませてくださった。
再び、主のエイドを持って。
あれほど願ったことが願った以上の形で成就されたのに、思った通り、やっぱりさみしいです。
でも、すぐそこだし。
何かあれば車を飛ばして逢いに行ける。
でも、やっぱり、今朝はちょっとさみしいです。





Sunday, September 23, 2018

センチメンタル・ジャーニー

組体操した芝生の広場
はなが、「お庭小さくなったみたい」って
そうじゃない
あなたが大きくなったのよ
あの日の感動がまるで昨日のことみたい




新生活のお買い物2

 パントリーの自分の食材を入れるバスケット
3個のコンテナがすでに並んでいたので
私も賢人にひとつ欲しくなりました
蓋はなくてもいい
バスケットにした

お水なんてどこの家にもあると思っていたけど、
なくて慌てて買いに走った
それで製氷皿も買いました
ナイフとまな板も
車がないのにこの先どうやって
水を確保するのだろう・・・
6時からオリエンテーションらしいから、
終わった頃に電話して聞いてみよう
お水は小さな頃から、いつもそばに欠かさず置いていたから
あの子はそれを買う苦労をきっと知らない





賢人のお部屋

4人で一つのお家
2人で一つのお部屋




お家を見たら、色々足りないものがあったので
めんどくさがる彼を連れて、もう一度お買い物へ


新生活のお買い物

お買い物その1
シーツ、ゴミ箱、トイレットペーパー、
ハンガー、ランドリーバスケット
シリアル、スープ、オイル、ベーコン、卵

今日のランチ〜回転寿し

久しぶりに
家族4人でランチ

ネタが大きいのが特徴
ご飯はほんの小指の3分の2
食べるの面倒くさくて
てっとりばやくお腹いっぱいになりたり私には
ちょっとお上品すぎだったけど
でも安かった
みんなでおなかいっぱい食べて
4人でなんと85ドル


ヨブ記とポキのまとめ

おはよう。
主の聖なる安息の日曜日の朝です。
今週も、神さまに守られて、やっとここにたどり着きました。
ヨブ記の38章の41節に「烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。」とあるのを読みました。
39章の16節には、「だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない。神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。」のところにも赤エンピツで線を引きました。
神は天と地と、地の全て、つまり大自然と人類の歴史と全ての人の人生を治めておられる。
私の人生も治めてくださっている。
とても良い人生です。
何不自由なく、食べるに満ちたり、住むにも着るにも困らず、愛する人に欠かず、そして何よりも私は私の神と私自身を心から愛している。
地上においてすらこんなに幸せなのだから、天とはどんなところなのだろう。
まだまだプロセスです。
本当の主の宮は天で実現する。
アーメン
★今日は、賢人の引越しです。
それが決まる3日ほど前に、賛美の奏楽の奉仕のスケジューリングに返事をしていたので、私は、ピアノの前で、賢人を引越しさせてくださる主を褒め称えます。
私は、だちょうとそれほど変わらないぐちゃぐちゃな人だけれど、烏のように、うるさく祈るから、主は私に、良い判断をさせてくれます。
そして、いつもそれは祝福されてきたから、今日もきっとうまくいくと思う。
礼拝が終わったら、はなと一緒に駆けつけます。
ひさしぶりに405を南へドライブします。
何を感じるだろう。
又、書きます。
★写真は夕べのディナー、ポキを作ってみました。
レモネードで食べておいしかったので。
自分で言うのもなんなんだけど、レモネードのよりもおいしかった。
マグロのお刺身6ドル分ぐらいで、賢人が山のようにご飯にのせて2回食べて、夫とはなと私の分もちゃんと取れました。
買ってきたお刺身を薄く小さく切り直したのです。
買うより安くておいしいポキ。
今度は残ったお刺身でやってみよう。
サーモンは間違いなくおいしくできると思う。タコも。




ヨブ記 42章

私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ、
ちりと灰の中で悔いています。
ヨブ記 42章
よく、「主よ、どうか私にあなたにみ声を聞かせてください」、って祈ってしまうけれど、実際、それは、とても覚悟のいることなのだと思った。
でも、そう祈らずにはいられないの時というのがあります。
私は、神のうわさをこの耳で聞いています。(読みました)
でも、まだ、この目で神を見たことはありません。
見ないままで、信じ続けていきたいです。★怖い夢を見ました。
私は、三度の飯より寝るのが好きと言うほどの眠り上手なので、怖い夢は、良くない兆候です。
聖霊さまではなく、自分か、もしくは、サタンが支配的になっているサイン・・・。

Saturday, September 22, 2018

いいこと考えた!

爪を切って、シャワーをして、お洗濯しながら、掃除機かけてモップして、はなのお勉強に付き合って、マニキュアして、お買い物に行ってきました。
新発売コーナーで買ったスープ
今日の一品です
いつものように、日系マーケットで生のお魚と日本の野菜と日本の調味料を買い、メキシカンマーケットで野菜と果物とお肉と凍った魚を買い、普通のマーケットでパンやシリアルやヨーグルトなどなどを買ってきました。
そして、その間に、実にいろんなことを考えました。
小さな頃から、「いいこと考えた!』が口癖です。
掃除機かけながら、ひとつのとても良い思い考えが私の内に広がリました。
それは「まだまだプロセス」。
私、実際、この道がどこにどんな風になっているのか、全く知らないわけです。
もちろん、生まれてから今日まで、ずっと知らなかった。
でも、急にわかったみたいに思い違いしていたと思う。
そう思ってしまうと、理想と現実のギャップに苦しむのは、しごく、とーぜん。
私、まだまだ、自分の人生を握った気持ちになっちゃいけない。
これから、まだまだいくつもの、山と谷を超えて、そして、ようやく主の泉にたどり着くのだから、信じていることとやっていることの違いもいまは、全てのみこんで、一歩一歩、歩んで行こうって思う。
楽しく。
歌いながら。



今日のランチ〜残りものサンド


ヨブ記 38章

主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
知識もなく言い分を述べて、
摂理を暗くするこの者はだれか。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
ヨブ記 38:1−3
ヨブ記、38章にして、初めて、神さまが、話し始めます。
もし、今朝の私に、神さまが声をもってお話されるとしたら、なんて言うかな。
「おはよう。一週間、ご苦労さん。今日は何をするの?」って、言うかな。
それとも、「おはよう。昨日のことについて、一緒に話し合おう。あれはね・・・」と仕事の話をするかな。
幸い(?)、あらしの中の御声のない普通の静か朝なので、今日は、ただ神の平安を求めながら、一生懸命に家事に集中しようと思います。
お掃除とお洗濯は、私の精神衛生をあるべき状態に引き戻す、大切な気分転換です。
そして、お料理とお買い物は、引き戻された健全な状態をハッピーに盛り上げるレクレーション。
安上がりに造られた被造物なのです。

Friday, September 21, 2018

祈りの課題てんこもり

今日も、一通の卒園児さんからのお手紙が届いていて、たった今、うれしく読みました。
逢いに行ってもいいですか、って書いてくれていたけど、あんまり逢いたくありません。
私は今、何かに必死すぎて、自分の感じる感覚に自信がもてずにいます。
何に必死なのかも実はよくわかっていません。
私が聞く私の評判と、私が感じる私の評判には大きなギャップがあります。
ギャップをくださったのは神さまだから、私は、小さくへりくだって、何をどんな風に変えてもらわなくてならないか、主の前に祈り求めなければなりません。
まずは変わりたくないと思う思いを取り去ってくださいと。
やること、祈ることがいっぱいです。

ヨブ記 34章

神は決して悪を行なわない。
全能者は公義を曲げない。
ヨブ記 34:12
もし神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。14章と15章です。
昨日の朝の焦燥感とはうってかわって、今朝はとても満ち足りた朝となりました。
神さまの助けが私を包んでいます。
お祈りが、次々と私の願った形で応えられるのは、クリスチャンになりたての頃のよう、、、。
また、新米の気分で頑張れ!ってい神さまの励ましね。きっと。
一人でできることは、最後まで頑張れるのに、協力を得られないとすぐに、あきらめて、違う方法を探すのが、時間が足りない時の私の癖になっていることを、発見しました。

Thursday, September 20, 2018

ヨブ記 32章

人の中には確かに霊がある。
全能者の息が人に悟りを与える。
ヨブ記 32:8
私の中にも霊がある。
創世の始めに水を覆っていた神の霊。
キリストの霊。
聖霊。
良いものは、良い判断は全てここからくる。
ここからしかこない。
★新年度が始まって、3週間がもうすぐ終わります。
毎日、神さまに、手を差し出し、そこに仕事をのせていただき、それだけに集中してきました。
明日のことは心配せず、昨日のことは悔やまず。
でも、昨日の夜、そして今朝も、ちょっと考えてみている。
どうすれば、もっと、みんながハッピーでいられるかなって。
子どもたちのために、子どもたちの家族のために、ってがむしゃらににならないよう、周囲の気もちや様子を察することに、今、一番気をつけているつもりだけど、それが私にはとても難しい。
全能者の息が私に知恵を与えてくださいますように。
アーメン


Wednesday, September 19, 2018

ヨブ記 22章

さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。
そうすればあなたに幸いが来よう。
神の御口からおしえを受け、
そのみことばを心にとどめよ。
ヨブ 22:21
「神と和らぐ」というフレーズに、なんとも言いようのない、平和を感じます。
神と和らいでいますか。
私は、全く時間が足りないはずなのに、毎朝、いそいそとプールに通い、そこで神と和らぎます。
その時だけは、確かに和らいでいます。
でも、プールを出て、はなを学校に送ったり、幼稚園で、あれも終わっていない、これも終わっていない、あれはどうなってる、これはどうなっている、あれもやろう、これもやろうとするうち、だんだん、和らぎが、格闘なってきます。
家に帰って、ふっと、気づくと、主は自分になっていたりして。
だから、また、プールに行く。
その繰り返しです。

Tuesday, September 18, 2018

ヨブ記 19章

私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、
後の日に、ちりの上に立たされることを。
ヨブ記 19:25
ヨブの苦しみに比べれば、ちっぽけすぎる、私の日々の、苦しみとも言えないチャレンジングだけど、訴訟が40万ドルの賠償金に対する裁判に進んでしまったことには、さすがにがちょんです。
こちらの弁護士は2万ドルを申し出ていたけれど、それ以上は少しも譲る気はなく、調査が始まって以来、1年以上も決着がついていません。
やはり、私たちのジョエルがその訴え主を噛んだという証拠がどこにも見つからず、結局相手は、ジョエルが家から飛び出しジャンプして飛びかかり、驚いて転んでその時に腰と膝を強く打ったために、2年間、働けず、その間の心と経済的な痛みに40万ドルってことだそうです。
でも、なぜか、昨日、その知らせを聞くまでは、なかった平安や喜びもあります。
私が、一番うれしかったのは、弁護士と私が同じ気もちでいることがわかったこと。
彼女は、常に正直に、ただ、真実だけを、覚えている真実だけを話すように、くり返し、私たちに忠告してくれた。
憶測はせず、知らないことは知らない、わからないことはわからないで良いと。
推定も、混乱を避けるためになくてよろしいと。
つまり、真実だけで、十分間に合うことを、一生懸命に説明してくれた。
私も、ずっとそう思っていた。
物事は、どんな問題も、もめ事も、それがどれほど複雑で隠されたものであろうと、真実だけで間に合うと私も思う。
なぜなら、真実とは神さまそのものだから。
ヨブも5章の5節で、「ああ、あなたが全く黙っていたら、それがあなたの知恵であったろうに。」って言ってくれたから。
追記:夫は2万ドルで和解するよりも良いと思うと言っている。それは、すごい信仰だと私は驚いた・・・。




Monday, September 17, 2018

訴訟のこと

弁護士とのミーティングが終わったところ。
残念ながら、和解とはならず、裁判に進むそうです。
相手の要求額、なんと40万ドル。
40万ドルってお家買えちゃう、ていうか、お家売らなきゃでしょ。
それでも全然足りないし。行くとこないのに。(賢人はあるけど)
ふう〜。
それはとんでもないってことで、裁判にするそうです。
でも夫もはなも笑って、ジョエルがどんなに気が弱くて愛すべき犬かを説明していた。
そして、良い人柄が顔に滲む白人女性の弁護士は、とてもとても私たちに親切にへりくだり、ご協力に感謝しますという態度だった・・・、にもかかわらず、私の、「このことがどう治ると予想しますか?」の質問に、「裁判は最後まで、何がどうなるかわかりません。でも、こういう、お金欲しさのドッグバイトの訴訟9回のうち8回勝っています。LAの陪審員は訴える人の動機に敏感だから。」って。
唯一の目撃者が当時9歳だったはななわけだけど、あの子が証言台に立つって想像しただけでくらくらしちゃってんだけど。




ヨブ記 13章

知恵と力とは神とともにあり、
思慮と英知も神のものだ。
見よ。神が打ちこわすと、それは二度と建て直せない。
人を閉じ込めると、それはあけられない。
水を送ると、地をくつがえす。
力とすぐれた知性とは神とともにあり、
あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神のものだ。
ヨブ記 13:13−16
「あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神の者だ。」
そもそも、ヨブ記は、神とサタンの会話から、サタンのチャレンジから始まった物語でした。
神がそのチャレンジを許した以上、「迷わす者も、神のものだ」にアーメンと言わない理由はどこにもありません。
でも、人は、いえ、私は、つい、それを忘れて、迷わす人に対して、なんとかならないものかと腕組みをして考えたり、祈ったりしてしまいます。
自分のこと、自分のなすべきこと、自分の手の平にいただいた、今日の召に祈りを集中させよう。
ヨブだって、きっと、友の言ったて始まらない、余計な励ましがなければ、そうしたと思う。
★昨日、ゆりかさんとはなに付き合ってもらって、ラップトップのケースを買いました。
前のより、ちょっと大きなサイズなので、新調です。
今日から、バックパックにこれを入れて、どこでもちんまりオフィスです。
教室で、バレエスクールで。
集中、集中。



Sunday, September 16, 2018

旅たちその1

今日は、賢人の、この街での、当分の間の最後の礼拝だったから、是非とも挨拶に行きたかったけれど、何しろ全てが、あちら(学校当局)、の都合でギリギリの段取りで、私はすでに奉仕を入れてしまっていたので、それも叶わず、とても残念。
引越しにすら立ち会えない哀れな、いえ、
そこ、主に、立ち退き命令出てるみたいな母の私なのです。
パイをふたつ買って持たせたけれど、それでは全然足りない感謝が溢れます。
あの子は、サウスベイの教会で育てていただきました。
ハンナがサムエルを主の宮に連れて行き、そこに置いて帰ったように、私も内心、ずっとハンナの気もちの母でした。
だから、この教会のために祈らない日は1日たりともなかったと思う。
思い出す限り。
牧師のために祈り、クラスマザーのようだった姉妹のために祈り、メンターたちのために祈り、そして兄弟、姉妹のために祈ってきました。
それが、今日でいったん、ピリオドです。
良い教会が与えられうよう、皆さんで祈ってくださっていると思う。
でも、やっぱり、そこが一番、心配です。
ここほど、あの子の家らしい家はどこにもないと思うから・・・。

近況報告

おはよう。
聖なる安息の日曜日の朝です。
濃厚な1週間でした。
周囲の人に支えられて、何とか新しい学年の新しい仕事に慣れつつあります。
年長さんの担任は、昨年度と同じだけど、その他に新しい仕事が同時進行で色々あり、緊張はまだまだ当分続きそうです。
でも、日に日に、慣れてきていると自分では思っている。
難しいと思うこと、感じてしまうことは、全て、今まで避けて通ってきたことばかりなので、神さまのトレーニングだと思って、祈りながら逃げずに取り組んでいます。
でもそれ以上に楽しいこともたくさんあります。
自分で作り出した新しい仕事は全部楽しい。
神さまにもらったインスピレーションやアイディア、前の職場で長に教えられたことがヒントとなって生まれこと、してもらって嬉しかったこと、などなど、溢れるものを実現に向かって準備する前に忘れてしまわないように、書き留めたモノの整理が間に合わないほどです。
さて、今日は賛美の奏楽の奉仕なので、そろそろ準備しなくては。
良い、安息の日曜日をお過ごしください。
お祈りしています。



ヨブ記 11章

ーあなたの手に悪があれば、それを捨て、
あなたの天幕に不正を住まわせるなー
そうすれば、あなたは必ず、
汚れのないあなたの顔を上げることができ、
堅く立って恐れることはしない。
こうしてあなたは労苦を忘れ、
流れ去った水のように、これを思い出そう。
あなたの一生は真昼よりも輝き、
暗くても、それは朝のようになる。
望みがあるので、あなたは安らぎ、
あなたは守られて、安らかに住む。
ヨブ記 11:14−18
プールで祈る祈りの最初に、主の御名を褒め称え、賛美し、祈れることを感謝したのち、キリストの十字架と受けた聖霊を、もう一度感謝します。
夕べの晩御飯に賢人が一言
「痩せっぽっちの女の子のランチみたい」
これは私の祈りの決まりの導入なのだけど、その時に、時々、祈りが止ります。
聖霊のくだりで。
そして、私は静かに、主に聞きます。
聖霊が私の中で、私の中の何かと調和せず、黙ってしまっている理由を聞くのです。
苦い思いのままでは、聖霊は私のために、天におられる父なる神にとりなしてはくれない。キリストも。
ほんの小さなかけらでも、一粒でも、一滴でも、見逃されることはないと、私は思う。
祈りが虚しく地に落ち、(プールの水の中で泡となり)祈る前よりも気分が滅入るから絶対に気づきます。
罪の告白とは、そんなに仰々しく重たいことではなく、「この淋しさをごめんなさい。
あなたがいてくだされば、それで良いはずなのに。」でさらっと先に進めるのよね、、、実は。

Saturday, September 15, 2018

その後のきいちゃん

アメリカ各地、そして日本から時々届く教え子さんのその後の近況
リトミックで一緒に遊んだ子が
ピアノを弾いている!
これは、うれしかった
なぜか、なによりうれしい報告だった
だから、やめられないのよね、このシゴト

今日のおやつ〜ケーキはんぶんこ苺つき

ゆりかさんが買ってくれたケーキをはんぶんこ
ひとつしかない苺もくれた
1時間の自分だけ時間
神さまありがとう
ごちそうさま

今日のランチ〜皿うどん

家事の合間にちゃちゃと作って
わしわし食べた
一人で食べた
うまかった
合掌

Jesus Heals Us All 

Jesus stood still and called them, and said,
"what do you want Me to do for you?"
Matthew 20:32
Are you waiting for Jesus to heal you? Take hope from Jesus' response to the blind men of Matthew 20:29-34.
     "Have mercy on us, O Lord," they cried.
     "Jesus stood still." He stopped dead in his tracks. Everyone else kept going, but Jesus froze.
Something caught his attention. What did Jesus hear?
     A prayer. An embellished appeal help, floating across the path in the winds if faith and landing against his ear. Jesus heard the words and stopped.
     He still does. And he still asks, "What do you want me to do for you?"
     The duo in Jericho told him. "Lord, that our eyes maybe opened," they said.
     And you? What in your life needs healing?
     Jesus' heart went out to the blind men. He "had compassion and touched their eyes." He healed them.
     He will heal you my friend. I pray he heals you instantly. He may choose to heal you gradually. But this much is sure: Jesus will heal us all ultimately. Wheelchairs, ointments, treatments, and bandages are confiscated  at the gateway to heaven. God's children will once again be whole.
     Because ultimately Jesus heals us all.
Max Lucado の 「God Is with You Every Day 」より
私も、そう信じたいです。
お兄ちゃんのために祈っているから。
もうすでに、癒しはお兄ちゃんの内で起きているのかな、、、。
ultimately、私の願いは、この一語をのせた癒しです。
身体のことは、その後ろについてくると思う。
お兄ちゃんの場合ね。



ヨブ記 7章

人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを尊び、
これに御心を留められるとは。
また朝ごとにこれを訪れ、
そのつどこれをためされるとは。
ヨブ記 7:17、18
私も、実は、毎朝、そう思いながら、おそるおそる祈り始めている。
仕事を通してでなければコミュニケーションできない私
主の御名を崇め、褒め称え、感謝したのち、そんなあなたが、こんな私の祈りを聞くために、こんな時間の、こんな場所にまで来て、私と一緒にいてくださるなんて、、、っと。
クリスチャンは、ノンクリスチャンのために祈ります。
私も夫やお兄ちゃんのためのせっせと祈っています。
でも、クリスチャンがクリスチャンのために祈る祈りほど、大きな力を持つものはないかもしれません。
今さら、ごめんね。
いつも友だちに囲まれているはな
もし、クリスチャン生活の成長分析表が神さまの机の上にもしあるとしたら、私のは、多分「交わり」部門が、極端に未熟なのです。
でも、少しづつ、ほんのすこ〜しづつ、成長させてもらえているって、自分では思っています。
★賢人に「母さん、僕、いなくなるけど、大丈夫」と言われてしまいました。
なんでもかんでも、とりあえず、最も近いクリスチャンとして、シェアし、祈ってと言ってきたからだと思う。
大丈夫じゃないんんだよね、、、実は。