Tuesday, April 30, 2019

愛すべきばかちん

★難しいことでてんこもりだった1日が、今、ようやく終わりそうです。
出来ない仕事は与えられないはずだから、「できる、できる、できる」とひとりになると、ぶつぶつぶつぶつ、自分を励まし続けていました。
ひとりじゃない時も、口が勝手に私を励ましてしまい、お昼寝時間中、まだ寝ていない子とバチっと目が合ったりもしましたが・・・。
★楽しかったのは、子どもたちとのパン作り。
今日は、クロワッサンとフランスパンを作りました。
一家に一人は必ずいる(と思うよ)
我が家のばかちん
先週から、あれこれあれこれ試作品を作り続け、でも、どれも満足のいくクロワッサンではなかったのだけど、今日、生地を子どもたちに台形に切ってもらったら、これが大成功!
紙は膨らませることが出来ないので、三角ではなく台形にすれば、とんがらない、まあるくてかわいい、そしておいしそうなクロワッサンができることがわかりました。
日々、学んでおります。
★大人たちの悲喜こもごも、色々ドラマがあった挙句、もう、これ以上何も起こらないわよねっと、祈るような気もちで、園舎を後にしようとしたその時、はなからテキスト。
信じらなれない。
火曜日なのに、週の真ん中でさえないのに、なんと、勝手に映画を観に行ってしまったとのこと。
返す言葉もなく、選べた中で最も恐い顔の鬼の絵文字で返信。
「ごめんなさい」ってもう一度、来たけど、がんばってもっと恐いの探して、も一回送っといた。

ヘブル人への手紙 7章

この望みは、
私たちの魂のために、
安全で確かな錨の役を果たし、
またこの望みは幕の内側に入るのです。
ヘブル 7:19
永遠に存在される大祭司が、この幕の内側で、今日も私たちのためにとりなしをしてくださっています。
だから、大丈夫。
どんなに難しそうに見えることででも、それが御心なら、やる心も、やり方も、全て備えられているはずだから。
キリストの愛が私を包み、私自身がキリストの愛となれるようにと祈りながら、今日という日を生きたいです。
★サンゲーブルのミッションで観た、礼拝堂の裏の部屋。
「幕の内側」という言葉を読み、この空間を思い浮かべました。
キリストのとりなしに、間に合う働き人になりたいです。

Monday, April 29, 2019

パン屋さんへの夢

★ちょっと重たい週明けとなったけど、このくらいの負荷がなければ、楽しいお店屋さんごっこのパン作りに、新しい商品の開発に、子どもたちと一緒に、かなり本気な遊びモードになっていたので、ちょうどよかったかもしれません。
仕事って、そんなに楽しいことばかりじゃないんだよね、じっさい。
ふう〜。(でも、楽しい方が断然多い、ここだけの話)
★幼稚園から
おいしいパンをもらいました。
紙やティシュのパンではなく、食べられる本物のパンです。
はじっことはじっこらしいけど、ふわふわがしみじみおいしかった。
オレンジの幼稚園で働いていた頃、よく差し入れされた、超人気なパン屋さんの試作品を思い出しました。
店主の彼のことば、今もまだ、よく覚えている。
「お客の喜ぶ顔が見たいんです」
私も、子どもたちの喜ぶ顔、そのご家族の喜ぶ顔が見たい。
だから、がんばろう。
楽しいい仕事も、辛い仕事も、みんなみんな。






ヘブル人への手紙 5章

神のことばは生きていて、力があり、
両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、
心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、
神の目には、すべてが裸であり、
さらけ出されています。
私たちはこの神に対して弁明をするのです。
ヘブル 5:12,13
昨日の、礼拝メッセージのテキストとなったみことばです。
たましいと霊の話がとても心に残っています。
良い1週間をね〜!
たましいとは私たちの素の思い、主が鼻に息を吹き込まれた時からある命と一緒にいただいたもの、そして霊とはキリストが天に上げられた時に、私たちの中に置いてくださった助け手。
パワーポイントのスライドで、霊がたましいを包むように示されていました。
生きた神のことばはこのたましいと霊とを判別できるというメッセージでした。
だから、私たちは、片時も、この神のことばから離れてはいけない。
離れたそばから、何がなんだかわからなくなってしまいそうになるのは、そういうわけなのでした。
牧師は、葛藤とは、この両方をあわせ持つゆえに、生まれるとも言っていた。
ものすごく良くわかるピクチャーだった。
そして、造られたもので、神の前に隠れおおせるものは何もなし。
スライドで見た構図は一生忘れないと思う。
私のたましいは主の霊によって包まれている。
主は私の全てをご存知でいてくださっている。
隠れているものは何もない。
これ以上の感謝はどこにもない。





Sunday, April 28, 2019

すたっく2

今日も、一瞬、賢人のいるアーバインに走ろうかと思ったけど、でも、ぐっと思いとどまりました。
霊的音楽への渇きが、大波のように私を飲み込もうとしていて、それは、アーバインに行っても、どこに逃げても、どこに隠れても、私を追いかけてくるのだとわかったから・・・。
それで、一つの決心をしました。
歌いたい褒め歌、届けたい感謝、メロディとなった信仰と決心、賛美の叫びが聴こえるのを待つ前に、私が自分で歌ってしまうこと。
これが幼稚園で働く人の思考パターンなのよね。
単純明解。なければ作る。こさえる。
あはははは。
って笑ってる心境じゃないんだけどさっ。

すたっく

今日も、思うような賛美ができず、とても残念でした。
これ以上の準備があるとするなら、それは、もう祈りしかないと思う。
だって、本当にちゃんと準備したのだもの。
楽譜はもちろん、ビデオも。
そしていつもは決めない展開も決めておいた。
歌詞も覚えて、いつも、何が起きているのかわかるようにしておいた。
モニターも犬のジョエルみたいに、私の足のとこに無理矢理置かせてもらっておいた・・・。
手放せるものと手放せないものがあるけど、これはちょっと手放すの難しい。
これでいいとは、どうしても思えない。
聖霊さまも思っていないと思う。




今日のランチ〜マーケットでのお惣菜

行って、買って、すぐ食べられる
マーケットのお惣菜
腹ペコの時はいつもここ


Chapter 15 Tomorrow

あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、十分あります。
マタイ 6:34
新しい一歩を踏み出し、喜びに満ちた未来への明るい期待を持つことを、何よりも邪魔するものがあります。
最大のつまづきの石であり、喜びを奪う、その犯人は “心配”です。
どんな種でも、蒔けば、その刈り取りもすることになる、というのが神さまの普遍的な原則の一つです。
ちっぽけな心配の種が地に落ち、根を張るのを許せば、それは習慣化するまで成長し続けます。
心配の慢性的中毒になっている人は、不安になるまで、心配の材料をかき集めます。
まるで、そうでないと安心できないかのようです。
もう心配しないと、ただ心に決めてください。
スー・オーガスティンの「過去の傷がいやされるとき」より
私は、心配性の人がとても苦手だから、できるだけ、心配性の人から遠ざかって生きてきたら、友だちがほとんどいなくなってしまいました・・・。
「そこ、心配じゃん」と自分でも思うけど、仕方ありません。
さみしいけど、そこすら深刻に心配できないから、ほんとに仕方ない。
幼稚園のキッチンで、おいしそうな市販のおやつを見つけて、思わず、手にとって、口に運びそうになったその時、「180カロリー」と後ろから言われ、お菓子をそっと元に戻したことがありました。
もうなんの魅力も感じなかった。
そのおやつに。
心配のパワーってすごいと思う。
心配しないことをがんばるって言うより、心配する人から、どうやって身を守るかの方が私には深刻なのです。

ヘブル人への手紙 3章

神が多くの子たちを栄光に導くのに、
彼らの救いの創始者を、
多くの苦しみを通して全うされたことは、
万物の存在の目的であり、
また原因でもある方として、
ふさわしいことであったのです。
聖とする方も、聖とされる者たちも、
すべて元は一つなのです。
ヘブル 3:11,12
ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ、テモテ、テトス。
コリントが終わるといつもあっと言うまにヘブルです。
そして、ヘブルだけは、いつもなぜだかなんだか、読むのにぐずぐずと時間がかかります。
万物の存在の、「目的」は、ともかく、「原因」なんて考えたことがありますか。
大体、「万物の存在の原因」という言い回し自体、「今日の晩御飯の原因」的とっぴょうしのなさを感じます。
でも、万物の存在の原因があるとするなら、(もちろん、あるのでしょう)それは、聖とする方と、聖とされる者たちが、元のように一つとなるため。
神の喜びのため。
神のワクワクで始まった創世の目的がつかの間達成されたエデンの園へと戻ってゆくため。
和解と癒しと回復のため。
そんな風に考えてみました。
12節の、「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つなのです」ということばが大すきです。
私たちはそれを思い出すために、集まって、主を賛美し、礼拝するのだと思う。
どうぞ、良い聖なる安息の日曜日をお過ごしください。

Saturday, April 27, 2019

今日のランチ〜いつものとこのいつものあれ〜生演奏付き

ハーモニカ、本当にきれいだった・・・

2テモテへの手紙 2章

あなたは熟練した者、
すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、
恥じることのない働き人として、
自分を神にささげるよう、努め励みなさい。
2テモテ 2:15
パウロにとってのテモテになれる方法があるとしたら、それは、「純粋な心」と「無垢な信仰」を持って、家族や職場や教会に仕えることだと思う。
家族に愛され、パウロに愛され、教会に愛された人、テモテ。
隠しようのない育ちの良さがパウロの文章から滲んでしまう純潔なサラブレットのようなテモテ。テモテに憧れます。
私のことをテモテのように尊びながら励ましてくれる人が、この世界のどこかにいるとしたら・・・。
・・・・・・・いる。
でなければ、私は毎日、安心して小さな人たちの魂を並んだお椅子に座らせて、真理のみことばをまっすぐに説き明すことなど、絶対にできないはずだもの。
だからこそ、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みたいという願いが与えられているのだと思う。
そんな風に想像してみるなら、もっともっとがんばれる気がする。
勇気がわく。
本当にテモテになった気がする。



Friday, April 26, 2019

クールダウンちゅう

★てんやわんやな1日が、今、ようやく終わりました。
ふう〜。やれやれ・・・。
夫はまだ帰っていません。
しめしめ、今日も超・簡単なディナーで済むかもしれない。
簡単でおいしい納豆スパゲッティーかな。
★金曜日の夕方が一番幸せです。
全開のエンジンがまだブルブルと音を立てて動いているけど、放っておけば、少しづつ落ち着くでしょう。
アドレナリンの分泌があまりに激しく、終わったことを告げても、しばらくは勝手に緊張が続くのです。
イグニッションキーは抜いているにも関わらず。
★やっとのことで、大人を相手に仕事をしているというあきらめにも似た自覚に達し、すこ〜しづつ、すこ〜しづつ新しい仕事に慣れつつあります。
周囲の愛と憐れみの大きさは、神さまの私への特別なクレジットだと思う。
こんな私、こんなにわがままで、気難しい私にも関わらず・・・。
★何をしようかな。
とりあえず、明日はたっぷり朝寝坊したい。
それから、ピアノを弾こう。






1テモテへの手紙 5章

自分自身にも、教える事にも、
よく気をつけなさい。
そうすれば、自分自身をも、
またあなたの教えを聞く人たちをも
救うことになります。
1テモテ5:16
やわらなか小さな子の魂がうじゃうじゃと集まる幼稚園という場所は、福音がたやすく子どもたちに受け入れらる分、よくないことを知ったり、覚えたりしてしまうのもかんたんです。
パウロが言うみたいに、自分自身にも教える事にも気をつけなければならない。
私が思うに、幼稚園で子どもたちにおかしなことをやらない人は、(やっても、すぐに誤りに気付いて自分を変えてゆける人は)、家族に愛されている人、独身でもお友だちがいる人、楽しかった子ども時代を覚えている人、そして今も人生を楽しんでいる人。
失敗してもめげないとか、人からのアドバイスや注意に素直でいられる事自体がもう神さまからの素晴らしい贈り物だと思う。
そして、そうやって愛をもって教えてくれる人を得ることも神さまの贈り物だったのだと、今ごろになって気づく私です。
そして、今は、メンターなしで、すごく心ぼそいのも、これまた事実・・・。


Thursday, April 25, 2019

タコ・ナイト

とっても充実した良い日でした。
何をしたかよく思い出せないほど、たくさんのことをしました。
まだまだできそうだったけど、気づいたら幼稚園に子どもが一人もいなくなっていたので、慌てて、テーブルに広げたものを、わらわらとバッグにかき集めて帰ってきました。
毎日一杯寝て、一杯食べて、一杯働いて、そして、また寝て、食べて、働いて。
ふう。大満足。幸せです。
今日のディナーは、はなのバレエスクールの前で毎晩店びらきしている、ケータリングトラックのタコス。
健康志向の人が見たら、「おお、のお」な晩ごはんかもしれないけど、自分への満足と神さまへの感謝で食べるなら、なんでもおいしいし、ギルティ0だし、お料理しなくて良いのは時々はとってもとっても嬉しいこと!




1テサロニケ人への手紙 5章

悪はどんな悪でも避けなさい。
平和の神ご自身が、
あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。
1テサロニケ 5:22,23
悪を、悪だとわかることさえできないのがこの私、なんばまきなのに、パウロはどんな悪でも避けなさいと言います。
でも、このことばは、すぐ前の3つの節とセットなのでした。
19節 御霊を消してはなりません。
20節 預言をないがしろにしてはいけません。
21節 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
どうですか。
どちらが簡単ですか。
どちらならできそうと思えますか。
私は、ほんとうに良いものを堅く守ることの方を選びます。
悪はどんな悪でも避けたいけれど、それについてじっくりと考えている間に、何がなんだか良くわからなくなってしまう前に、ほんとうに良いものを堅く守ることで、結果的に悪を避けることになることになりたい。
ちょっと、いえ、丸一章前なのだけど、こうもあります。
4章11節、「私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい」
大すきなことばに、「最良の敵は良」というのがあります。
最良の敵は最悪ではないという意味です。
最善の敵は最悪でもないという意味です。
記事とは全然関係ない写真
ただ、「でも元気で〜す」とアピールしたかった
良を持ってこられても、「これは最良ではない」ときっぱりと言わなくてはいけない時がありました。
でも、言えず、結果的に、いろいろ悔やみ、苦しみました。
何が言いたいのかさっぱりわからないと思うけど、今朝も読んでくれてありがとう。
ごめんね、支離滅裂で。
私、今、自分のリーダーシップを主に訓練され中で、寝ても覚めてもそのことで心も頭もいっぱいなのかもしれません。
今日も、良い日でありますように。
一杯の愛と感謝をこめて。

Wednesday, April 24, 2019

今日の晩ごはん〜ドリア


幸せな季節到来

ユニフォームのTシャツと薄手カーディガン一枚で十分なあたたかさ、本当にうららかな季節がやってきました。
前に書いた気がするけど、真冬のある日、あまりの着膨れに首が痛くなって、苦手なバックストロークをウォームアップとクールダウンをたっぷり泳ぐようになったら、まるで頭がないかのような軽さになりました。
その軽さにようやく慣れてきた頃だったけど、この薄着でまたさらに軽くなり、まるで水の中を泳ぐように地上を生きている気分。
寒くないというのは本当に幸せです。
そして額に汗しながら、山歩きをしたい季節でもあります。
茶色から緑に変わるLAの山々。
写真は先週の土曜日の午後、近所の公園の裏山の散歩道で撮りました。
この先、ぐぐっと魅力的な険しいトレイルコースが始まっていて、歩き始めたい衝動にかられたけど、軽装過ぎて、やめました。
靴下履いていなかったし、帽子もなかったし、水もなかったので・・・。

コロサイ人への手紙

あなたがたのことばが、
いつも親切で、
塩味のきいたものであるようにしなさい。
そうすれば、
ひとりひとりに対する答え方がわかります。
コロサイ 4:6
毎朝のルーティン
●お水を飲む
●ベーグルを半分に切ってトースターに入れる
●前の晩からお水につけておいた雑穀米のお鍋に火を入れる
●フルーツを切ってスナックと一緒にコンテナに詰める
●ベーグルにクリームチーズを塗って包む
●洗って切ってある野菜を詰めてサラダを作る
●ドレッシングを作る
●コーヒーをセットする
●洗い物(ベーグルとフルーツを表と裏で切った小さなまな板とナイフとクリームチーズを塗ったバターナイフだけ)をする
そして、座って、聖書を開きます。
書く方が難しいほど、体が勝手に動く、何も考えなくてもできるほとんど一つとなった動作です。
一つの動作だけど、はなのランチとスナック、私のお弁当のため、私の朝のコーヒー、3つの目的のための動作です。
慣れるって、こういうことなのよね。
いつも親切で塩味のきいたことばには、全く慣れていないから、私の、質問や意見に対する答えは、いつも、たじたじのもぞもぞ、ヘロヘロでしょぼしょぼです。
心の中には、いつも、自分の考えがあって、こうしよう、とか、これはよくないとか思っているのに、それについて、話すのが上手じゃない・・・。
っていうか、とっても下手なのだと思う。すごく認める。
全面的に引っ込めるか、全面的に押し付けるかの、ON OFF 単純スイッチのようになってしまわないようにしなくては、と思いました。
サウンドボードのレバーのようにありとあらゆる音色をミキシングして、相手の様子を伺いながら、話せる人になりたいです。





Tuesday, April 23, 2019

うららかな日

あたたかで、春らしい、うららかな1日でした。
園舎の中も外も、とっても、うららかだった。
そんなうららかな春の日を一生懸命に生きた。
働いた。励ました。愛した。
明日から、もっと軽くて薄い、仕事着になろう。
もっと、もっと激しく生きることができるように。
働くことができるように。
励ますことができるように。
そして、愛することができるように。

コロサイ人への手紙 3章

あなたがたは、古い人を
その行いといっしょにに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。
新しい人は、
造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、
真の知識に至るのです。
コロサイ3:9
私を責め立てていた債務証書を取り除け、無効にしてくださったキリスト。
そして、「これが、その代償だ」と十字架にかかられたイエスさま。
だから、私も、この債務証書と共に古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てよう。
新しい私は、造り主のかたちに似せられてますます新しくなるのだもの。
真の知識に至るのだもの。
影響のできる範囲で、真剣に、そして真心を込めて、一生懸命に生きよう。
神さまが、私に与えてくださった、「影響の輪」は決して小さくない。
そして、それはどんどん大きくなってゆく。
だから、どうすれば、この影響の輪の中で、もっともっとインパクトのあることができのかを考えることに、心を注ごう。
愛を着て、キリストの平和に支配されよう。
まあ、平たく言うと、与えられた今日という日を思いっきりエンジョイしようってことよ。
★大粒のいちご、おいしそう。
今日は、このいちごをじい〜と観察して、画用紙に描きます。
そして、もちろん食べます。
そこがお楽しみ。






Monday, April 22, 2019

今日の晩ご飯〜サーモンのパスタ


特製の平安

ただひたすら、自分のトーンやテンポをキープすることに集中。
それで、それはなかなかうまくいったと思う。
内側も外側もやけに静かに感じたけれど、きっとそれは神さまがくれた特製の平安。
賢人が教えてくれた平安。
あの子は本当に、周囲のムードに左右されにくいマイペースな人。
それが、母にとっては、ものすごくはがゆい、イライラの種だったけど、今回はばかりは、爪の垢を煎じて飲ませてもらった漢じです。
やさしくて静かで穏やかな賢人。
おもしろいこと、決して、何にも言わないけど、でも、おもしろいことよりも良いこといっぱい知っている。
ありがとう賢人。
母さん、大丈夫になってきた。

コロサイ人への手紙

今は神は、
御子の肉のからだにおいて、
しかもその死によって、
あなたがたをご自分と和解させてくださいました。
それはあなたがたを、聖く、傷なく、
非難されるとことのない者として
御前に立たせてくださるためでした。
コロサイ1:22
冬の間にたくさんの雨に恵まれ、今年の私のお庭は、とても元気です。
元気すぎて、植物と植物の境界がなくなりそうなところを、きれいに整理する作業はまだまだ続きます。
アロエにお花がつきました
向こうの花火草(私が勝手にそう呼んでいる)
とそっくり!
昨日、賢人とアーバインでカレーを食べながら、日本語クラスを取っているという話を聞きました。
最初のテストで、読み書きができず、中級とのこと。
毎週、20問の漢字テストがあり、最初はボロボロだったけど、少しづつ良くなってきているそうです。
アメリカ人とのハーフの子がいて、彼も会話力はあるのに、読み書きが苦手で同じクラスになり、日本語で話しているといいます。
漫画やその他のカルチャーを通して、読み書きできるけど、あまり話さない韓国人や中国人の中で、文盲な二人が、日本語で静かに普通に話している様子が目に浮かびます。
帰ったら、はなが荷物を持つのを手伝ってくれました。
アーバインのコリアンマーケットで生ものをあれこれ買って帰ったクーラーバックを、夫がきれいにして干してくれた。
それからたったの0.8パウンドの豚のしゃぶしゃぶ肉を仲良く3人で分けて食べました。
「賢人がいたら、この3倍は必要だったね」と夫に言われ、ドキッとしたけど、アーバインに行ったことは、二人には内緒にしておいた。
キリストの死によって、私は神と和解した。
それは、私を、聖く、傷なく、非難されることのない者として御前に立たせてくださるため。





Sunday, April 21, 2019

影響できるエリア・安全地帯

夫の小さな畑
ネギの種を蒔きました
 こちらは野菜の苗
紫蘇、トマト、きゅうり、唐辛子
 私の花壇
 かなりかわいい
 テーブルの上は、継植え(子孫増やし)コーナー
 後ろのゲートからのアプローチ
 名前も知らない、生育方法も知らない
でも、衝動的に買った二つのお花
 お兄ちゃんのリンゴの木に今年、初めて、実がついた
 マコトくん(10歳で日本に帰ったけんとの友だち)が
食べた実の種から育てたみかんの木にも
なかなkいい具合な私の庭です

アーバインでのなぐさめ 2

教会を案内してもらった
おばちゃんのいない教会
もちろん、おじちゃんもいない
 来年度住むお家↓
10ベッドルームに20人
バスルームは5
かなり厳しい私生活の自由のような
 FIJIというお家
プライバシーは、今の方が断然あるけど、
自ら希望してここにした
住人たちはこの1年で親しくなったサークルのメンバー
プライバシーは賢人にとって、
あまり重要でないらしい

アーバインでのなぐさめ

礼拝でピアノがめちゃくちゃになり、
どうして良いやら分からなくなり、アーバインに走った


ほとんど、空っぽのパントリー、
よし、買い物に行こう


昨日のランチと今日のランチ

↓こちら、昨日
チャンポンなんだけど、ニラたっぷり

↑こちら、今日
最近、カレーの頻度多し
一番小さいのにしてもらって。大きなサラダと一緒に食べた
でも、カレーの方がサラダよりおいしかった
サラダはどこで食べても、自分のが一番好き


ピリピ 人への手紙 3章

うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。
ピリピ 3:13,14
私も、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走ろう。
昨日、はながバレエレッスンに行っている間に、土と植物をカートに一杯、シビックのトランクに一杯、買ってきました。
真冬に、あまりの安さに衝動買いしたウィスキー樽は、ポットと言うよりは、小さな花壇のような立派さなので、思いきって、たくさん買ってみました。
「たのむ!ちっとの間だけ、辛抱してくれ!」
と祈りながらバンッと蓋をした
雨水がたまらないようにひっくり返していた樽を元に戻すと底(でも天井となっていた)に3898匹ぐらいの鋏虫と団子虫が仲良く暮らしていてびっくりしました。
樽の内側には4ひきのなめくじの家族もへばりついていました。
それはそれは見事なインディアナ・ジョンズ状態で、思わず、2分ほどじっと見つめていました。
樽の内側を日にさらし、庭のあちこちにしゃがみ混んで、私の大切な植物の間で、どさくさまぎれにいい気になって立派に生育している雑草たちを注意深くとりのぞく作業をしながら、虫たちの解散を待ちました。
そして、樽と、その他の余ったポットに、買ってきた植物を植え終わる頃には、心は、すっかり庭に夢中になっていた。
今朝は、庭や家への将来の夢にうれしくて目覚めました。
当たり前のことだけど、わからないことや上手にできないこともあるけれど、わかることや上手にできることもあります。
最近読んだ本にあった数字を思い出しました。
70%を強いことに割り当てる、25%を新しいことに割り当てる、そして5%を苦手な分野に割り当てる、という時間や労力の配分の数字です。
5%だけがんばろう。



Saturday, April 20, 2019

ピリピ人への手紙 2章

それは、あなたがたが、
非難されるところのない純真な者となり、
また、曲がった邪悪な世代の中にあって
傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、
彼らの間で世の光として輝くためです。
ピリピ 2:15
毎朝のプールでの祈りの最初に、キリストを感謝します。
そして、キリストの十字架に感謝します。
キリストを私に与えた天の父なる神と、私のために十字架にかかってくれたイエスに感謝します。
それから、十字架で流された血潮と罪の赦しに感謝し、そして、その次に、キリストの刺し傷に感謝します。
感謝は信仰という贈り物と、それと同時に与えられた聖霊へと続くのだけど、今朝は刺し傷に感謝するということについて書いてみようと思います。
私は、十字架でのキリストの刺し傷によって過去に受けた全ての傷から癒されました。
昨日の写真とちょっと違います
どこが違うでしょう〜
それは、私が信じようが疑おうがそんなこととは関係のない事実です。
過去に起きたどんな悲しみも、恥も、今の私に、影響を与えることはできません。
私の一生懸命は、時々、いえ、かなり頻繁に滑稽だし、私の書く文章は公の手紙としては、ちょっと独特です。
つっこみどころの山盛りでおかしなクリスチャンです。
笑われること、ニヤニヤされること、目配せされること、踏みにじられること、そして無視されること。
締めくくりは、よく耐えましたというご褒美なのか休戦の印なのかは不明だけど、でもとにかく大変な親切と善意。
パウロの足元にも及ばないとは思うけど、私にとってはとても苦しいことをぐるぐると経験しています。終わった感は全くありません。
これを過去の出来事として手放して、完全な癒しを受けるための方法は一つしかないのだと思う。
次に備えて、笑われなくなるのではなく、笑われても平気になること。
神にとって、非難されるところのない純真な者となりたい。
神にとって、傷のない神の子になりたい。
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で、世の光として神の目に輝きたい。
それでいい。それがいい。
アーメン





Friday, April 19, 2019

今日の晩ご飯〜シーフードパスタと残り物サラダ

ほんとに玉ねぎとトマトとアボガしかなく、
それでもなんとかサラダになった!
明日は、山のように野菜を買ってこなくては
レタス、シランティロ、紫の玉ねぎ、きゅうり
エトセトラ



ぶらぶらウィンドショッピング

グローブ行って、サンタモニカを回ってきました



何の目的もなくふらふらてくてく
楽しかった
おいしいもの、かわいい人々、かわいいもの
色々みてたら、元気がわいてきた


今日のランチ〜チキンカバブ

ラ・ブレアのファーマーズマーケット
 チキンは普通においしかったけど、
手前のケールのサラダが不思議なおいしさ
ローストした野菜も塩味だけで、とってもいけた


エペソ人への手紙 5章

悪いことばを、
いっさい口から出してはいけません。
ただ、必要なとき、
人の徳を養うのに役立つことばを話し、
聞く人に恵みを与えなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、贖いの日のために、
聖霊によって証印を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、
いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
互いに親切にし、心の優しい人となり、
神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、
互いに赦し合いなさい。
エペソ 5:29~32
具体的で、現実的な、パウロの教えが、今朝の私には、とても優しく響きます。
お父さんから教えを受ける小さな女の子になった気もちで、読みました。
そして、素直な心で、「はい」と思いました。
「アーメン」と言いました。
今日は、Good Friday。
私たちの幼稚園は休園です。
恵みの休日です。
色々、やりたいことがあります。
爪を切って、マニキュアを塗ろう。
バナナケーキを焼こう。
ピアノを弾こう。
お庭の手入れをしよう。
どさくさに紛れて、タマゴを隠してみよう。
乱れた心を、主に整えてもらおう。
癒してもらおう。
回復してもらおう。
復活させてもらおう。
★今週、必死になって探していた楽譜、なんと、新聖歌の中に見つけました。
10年ぐらい前に日本で買った新聖歌。
全く活用できていなかったけど、これを機にに開いて、弾いてみたい気もちがむくむくと湧いています。


Thursday, April 18, 2019

私の盃

不明な点を多々残したまま、短い一週間が終わりました。
考えてもわからないことは、考えない方がいいに決まっています。
そんなことは、誰に教えてもらうまでもなく知っている。
でも、心が感じてしまうから困っちゃう。
それが、私だから。
そんな風に造られているのです。
突然の親切や誠実、礼儀や思いやりの嵐を、どう受け止めて良いやら、わからずにいます。
だって、ほんの二日前まではその対極で、私は心を麻痺させることで、やっと自分を保っていたのだもの。
てんやわんやな最中、いろんなな問題を判断して前に進まなくてはならなかった最中、ともかく、状況を冷静に受け止めようと必死な日々だった。
そして、それは私には、決して短くもなかったし、簡単でもなかった。
その緊張状態が、昨日、恐ろしいほどの親切でピークに達し、今日は、自分がどんな顔をしているのか自分でも良くわからないほど、感情が壊れてしまったように感じていた。
つむじ風は去った、バンザイ、って思えたら、どんなにか幸せかと思う。
でも、そうは、単純に思えない。
明日のことはわからない。
もちろん、誰にもわからない。
でも、明日がどんな日であろうと、それを受けとめ、愛したり、尊重したり、励ましたり、慰めたりするのが、私の仕事だとしたら、それは真剣に考えなくてはいけない主の盃と思う。
分不相応な盃をいただき、飲み残すことで、裁きを受けないために。






Wednesday, April 17, 2019

疲れちゃった・・・

すごく、疲れちゃった。
何しろ、とてつもなく、変な日だったから・・・。
大雨の中の晴れ間。大嵐の中のぴーかん。いえ、吹雪の中のカンカン照り。
どうにもこうにも、さっぱりわけのわからない日。
理解したい努力をやめられるようにと祈り始めて数週間、私自身の行為と何の因果関係も見つけられないまま、アウトオブコントロール的に不合理に、そして不条理に揺れまくるお天気に自分の心を左右されたくないから、必死に、ニュートラルを保つ努力をしています。
惑わされてはいけない。信じてもいけない。
明日は、津波かもしれない予測不能なお天気。
散々、散々。本当に散々、振り回されたことから、そろそろ、私、学ばなくっちゃいけない・・・。
本当に「そろそろ」。
バカじゃないんだから・・・。
えっ?バカでしょって?   かもしれない。



ガラテヤ人への手紙 5章

キリストは、
自由を得させるための、
私たちを解放してくださいました。
ですから、あなたがたは、しっかり立って、
またと奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。
ガラテヤ 5:1
奴隷のくびきは、いつでも、私の横にあると思う。
毎日が葛藤の連続だと書いたら、「どれほどの罪人だ」と疑われそうだけど、本当にそうなのです。
やるべき良いことが、山のように備えられているということは、全ての葛藤から自由になるということではないのでした。
1日に最低3回は「何それ」と思って、それを問い正したい葛藤と闘っています。
生きた身体を持つ、メンターが欲しいと、この頃よく思います。
そうこぼしたら、「イエスさまがメンターでしょ」って言われて、何も言えなかった。
そうなんだけどね。
王さまが欲しいと言って神さまとサムエルを悲しませたイスラエルの民のようにはなりたくないし。
これから、プールでそのこと、一生懸命に祈ってみよう。
(そうだ!書いたとたんに、まだ、水着にさえなっていないのに、応えが天から落ちてきた。話せる人、祈ってもらえる人、いた。)

Tuesday, April 16, 2019

はなの春やすみ


雑穀おにぎり進化中

雑穀おにぎり仲間が
コリアン・マーケットでゲットしたという
うるち米入り、七穀米をシェアしてくれた
何を隠そう、おこわ好きな私
うるち米を白米にパラパラと忍ばせていたほど・・・
明日はこれで炊いてみます
とっても、とっても楽しみ!