Thursday, April 11, 2019

1コリント人への手紙 15章

朽ちるもので蒔かれ、
朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、
栄光あるものによみがえらされ、
弱いもので蒔かれ、
強いものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、
御霊に属するからだによみがえさせられるのです。
1コリント 15:42~45
昨日の朝、プールで、泳ぎながら、復活のキリストが子どもたちとどんな風に出会ったのかを、話にまとめたくて、そうお祈りしました。
いつもは30分も40もかけて祈る家族や教会や仕事のことを、早々に切り上げて、神さまに、「どうか私にあなたの言葉を与えてください。僕は聞いています。」と祈って、黙想しました。
子どもたちにとってキリストの復活は、「だるまさんがころんだ」の鬼に、「動いた」という罪で、小指で繋がった人のその鎖を切りに来てくれた人のようです。
自由です。
永遠に自由です。
この自由を良いことに使いましょうと話し続けてきました。
神さまのエデンの園の外にはたくさんの悲しみや痛みがあります。
でも、もし、復活のキリストを信じ、受け入れ、エデンの園での出来事を、自分のことだったと信じることができるなら、悲しみも痛みも、全て、キリストが引き受けてくださる。
それが、この春、子どもたちが知った福音です。
★やっと暖かくなり、窓を開けたり、薄着になったりしています
お花も若葉もいつもどおりにきれいだけど、私の春の訪れは、とっても遅かった
おばさんになるってことは冬が長くなるってことのようです