Sunday, April 28, 2019

Chapter 15 Tomorrow

あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、十分あります。
マタイ 6:34
新しい一歩を踏み出し、喜びに満ちた未来への明るい期待を持つことを、何よりも邪魔するものがあります。
最大のつまづきの石であり、喜びを奪う、その犯人は “心配”です。
どんな種でも、蒔けば、その刈り取りもすることになる、というのが神さまの普遍的な原則の一つです。
ちっぽけな心配の種が地に落ち、根を張るのを許せば、それは習慣化するまで成長し続けます。
心配の慢性的中毒になっている人は、不安になるまで、心配の材料をかき集めます。
まるで、そうでないと安心できないかのようです。
もう心配しないと、ただ心に決めてください。
スー・オーガスティンの「過去の傷がいやされるとき」より
私は、心配性の人がとても苦手だから、できるだけ、心配性の人から遠ざかって生きてきたら、友だちがほとんどいなくなってしまいました・・・。
「そこ、心配じゃん」と自分でも思うけど、仕方ありません。
さみしいけど、そこすら深刻に心配できないから、ほんとに仕方ない。
幼稚園のキッチンで、おいしそうな市販のおやつを見つけて、思わず、手にとって、口に運びそうになったその時、「180カロリー」と後ろから言われ、お菓子をそっと元に戻したことがありました。
もうなんの魅力も感じなかった。
そのおやつに。
心配のパワーってすごいと思う。
心配しないことをがんばるって言うより、心配する人から、どうやって身を守るかの方が私には深刻なのです。