Sunday, April 14, 2019

2コリント人への手紙 6章

すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと嘆きの中で、
また、むち打たれるときにも、入獄にも、
暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
また、純潔と知識と、寛容と親切と、
聖霊の偽りのない愛と、
真理のことばと神の力により、
また左右の手に持っている義の武器により、
また、ほめられたり、そしられたり、
悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、
自分を神のしもべとして推薦しているのです。
2コリント 6:4~8

パウロは全てを知っている。
パウロは全てを見抜いている。
それは、天からの知恵、天からの啓示。
私たちは、幕屋にいるからうめいている。
私たちは、エデンの園の外での暮らしに、どうしても慣れることが出来ない。
それは、天国への憧れが、私たちの生きる力となっているから仕方がない。
それでも、パウロは続けてこう宣言する。

私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
人に知られないようでも、よく知られ、
死にそうでも、見よ、生きており、
罰せられているようであっても、殺されず、
悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、
貧しいようでも、多くの人を富ませ、
何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
2コリント 6:8~10

「悲しんでいるようであっても、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」が大すき。
そこだけは、私も自信を持って、「パウロと同じ!」と言える。
本当に幸せな聖なる安息の日曜日の朝です。
仕事だけではなく、家庭生活でも、教会生活でも、主を第一として、昨日のような祝福をもらいたい。
もうひとつだけ。

だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、
見よ、すべてが新しくなりました。
2コリント5:17

★「イースターのお話」というプログラム、朝、幼稚園で励まされ、コ・ワーカーたちにも背後で祈ってもらって、自分で書いた原稿を読みました。
しーんと静まった礼拝堂の中で、自分の声だけが響き、死ぬほど怖かったけど、でも、それで良かったと思っている。
私は、教会で証するだけの信者だったし、子どもに伝道するだけのキリスト教保育の人だと思っていたけど、よその子を預かって伝道している責任ということを考えたら、それは当たり前の仕事だったと、今は心から思える。