Sunday, April 28, 2019

ヘブル人への手紙 3章

神が多くの子たちを栄光に導くのに、
彼らの救いの創始者を、
多くの苦しみを通して全うされたことは、
万物の存在の目的であり、
また原因でもある方として、
ふさわしいことであったのです。
聖とする方も、聖とされる者たちも、
すべて元は一つなのです。
ヘブル 3:11,12
ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ、テモテ、テトス。
コリントが終わるといつもあっと言うまにヘブルです。
そして、ヘブルだけは、いつもなぜだかなんだか、読むのにぐずぐずと時間がかかります。
万物の存在の、「目的」は、ともかく、「原因」なんて考えたことがありますか。
大体、「万物の存在の原因」という言い回し自体、「今日の晩御飯の原因」的とっぴょうしのなさを感じます。
でも、万物の存在の原因があるとするなら、(もちろん、あるのでしょう)それは、聖とする方と、聖とされる者たちが、元のように一つとなるため。
神の喜びのため。
神のワクワクで始まった創世の目的がつかの間達成されたエデンの園へと戻ってゆくため。
和解と癒しと回復のため。
そんな風に考えてみました。
12節の、「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つなのです」ということばが大すきです。
私たちはそれを思い出すために、集まって、主を賛美し、礼拝するのだと思う。
どうぞ、良い聖なる安息の日曜日をお過ごしください。