Tuesday, February 28, 2017

万屋

幼稚園を辞めて迎えた新しい学年の9月から今日まで、祈りながら、毎月のように仕事を増やし続けています。
自分が何屋なのか、今だ不明。
万屋(よろずや)とは幼稚園でよく言われいたけど、辞めてなお、なんだかそんな感じ。
でも神さまはご存じだから、大丈夫。
私も概ね大丈夫。
とにかく天国に向かっていることだけは確かだから。


ランドセルの子どもたちをむかえて

毎日、日本語の学校に行っている子がふたり、日本の楽譜を胸に抱えて体験レッスンに来てくれました。
日本の私のピアノの足
熊本の地震で動いた跡
背中にはなんとランドセルです。
すごく懐かしい楽譜と、内容、言葉づかい、アプローチにしばし、気持ちが日本に旅しちゃった。
20代の頃、使ったことがある教材でした。
お話はうまくまとまり、来月から、毎週火曜日の午後に来てくれることになりました。
3年生の兄と1年生の妹、そしてお母さんの持っている雰囲気も、とても日本的。
おけいこが終わると、子どもたちもお母さんも深々と頭を下げながら「ありがとうございました」って。
お兄ちゃんはそのまま、ハ長調、ト長調、ドレミファ表記の日本の教材、妹は、本人の希望で、アメリカの英語の楽譜に変わることになりました。
我が家に日本の風がひゅんと吹き込まれ、私も、かつての自分の全世界だった音楽教育に新しい自分が再挑戦していることを、すごく意識しました。
それは、一体どんななんだろう。
がんばろう。
楽しもう。
神さまに造られた喜びを音にできる子を育てよう。
それを、日本に運んでもらおう。

キリストに似る

彼らの中から出て行き、
彼らと分離せよと、主は言われる。
汚れたものの触れないようにせよ。
そうすれば、わたしはなた方を受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、
あなたがたはわたしの息子、娘となる、
と全能の主が言われる。
Ⅱコリント 6:17,18
無から全てをお造りなった、全能なる父よ、私を変えることのおできになる、あなたに感謝します。
あなたの栄光の豊かさと御霊の力をもって、どうぞ私の内なる人を強めてください。
あなたは、キリスト・イエスにあるあなたの栄光の富をもって、私の必要の全てを満たしてくださるお方です。
だから、どうか私が、安心してあなたに向かって、あなたに似た者となる道を歩むことができますように。
この世界に背を向け、孤立することなく、この世界に染まってしまうことなく、あなたに似た者への道を歩ませてください。
あなたが愛してくださったように、人々を愛することができますように。
あなたの謙虚を私にください。
どうか、私の内で、あなたが輝いてください。
私ではなく、あなたが、私の人生を生きてくださいますように。
今日、キリストの愛を、どこかに、誰かに、運ぶことができますように。

エゼキエル 34章

わたしは失われたものを捜し、
迷い出たものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、
病気のものを力づける。
エゼキエル 34:16
「ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。
牧者は羊を養わなければならなのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊はほふるが、羊は養わない。
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。」(2節、3節)と厳しいことばで始まるエゼキエルの34章。
でも、きっと本当の意味は、そのコントラストにあると思う。
人として牧者の雛形として、後にやってくるキリストの愛し方に、心を留めたい。
「わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、季節にかなって雨を降らせる。
それは祝福の雨となる」(26節)

Monday, February 27, 2017

5つの目的 4日目

この地上の人生だけがすべてではありません。
地上には多くの選択肢がありますが、永遠にはたった二つの選択肢しか用意されていません。
すなわち、天国が地獄かです。
人生には目に見える以上のものがあるということを十分に理解した時、また人生とは永遠への準備であることが分かった時、あなたの生き方は大きく変わるでしょう。
あなたが地上でしたすべてのことについては、永遠における結末が待っているのです。
この地上でどんな結末を迎えるかが永遠の運命を決めることになります。
私たちは、最後の日に備えるために毎日の務めを果たしていくべきなのです。

信仰によって歩む

信仰がなくては、
神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、
神がおられることと、
神が求める者には報いてくださる方であることを、
信じなければならないのです。
へブル11:6
主よ、どうぞ、見えるものではなく、信じることにによって歩むことができるように助け
てください。
あなたの約束をしっかりと握って、何ものにも惑わされることのない、信じる力を私に与えてください。
私の中のどんな疑いも、あなたの前にいつもあきらかにしてください。
私は、それを御前に罪として告白し、あなたの赦しを祈り求めます。
あなたの御名によって、人生の山々を動かします。
どうか信じさせてください、神さま。
アーメン

エゼキエル33章

わたしが正しい人に、
「あなたは必ず生きる」と言っても、
もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、
彼の正しい行いは何一つ覚えられず、
彼は自分の行った不正によって死ななければならない。
わたしが悪者に、
「あなたは必ず死ぬ」と言っても、
もし彼が自分の罪を悔い改め、
公儀と正義を行い、
その悪者が質物を返し、
かすめたものを償い、
不正をせず、
いのちのおきてに従って歩むなら、
彼は必ず生き、死ぬのことはない。
彼が犯した罪は何一つ覚えられず、
公儀と正義とを行った彼は必ず生きる。
エゼキエル 33:13~16
再び、昨日の礼拝に来ていたゲスト・スピーカーのことばを思い出しました。
「神学校で、たくさんの自分をクリスチャンと信じる人を見たが、その全てが、クリスチャンというはわけではなかった」
その言葉は、私の中で宙に浮き、そのまま、話は悔い改めへの勧めに流れました。
どういう意味かの説明は何もなかった。
このエゼキエルの箇所が、まさに彼が解き明かした、天国の教えのことばであったと思う。
先週の月曜日の交通事故の後にも思った。
どんなにがんばっても、今日負けて、今日罪を犯し、そしてそれを悔い改める間も与えられず、そのまま召されたら、私の運命の保障はどこにないのです。

Sunday, February 26, 2017

汚名返上

願っても受けいられないのは、
自分の快楽のために使おうとして、
悪い動機で願うからです。
ヤコブ 4;3
自分の心が望む必要と、天国から望まれている召しの間で、どうのように偶像を見分け、それを自分と切り離すかというテーマのメッセージでした。
偶像とは、それが、神に代わって、なくてはならないニーズとなってしまうもの。
そして、それを切り離すのは日々の悔い改めというのが結論です。
いかがでしょうか。
私にも、たくさんの、神に代わって、なくてはならないニーズというものがあると思う。
それは、時に家族の理解、時にこの「おはようスポルジョン」の読まれ率、時に会衆賛美の会衆の平安。
つまり、私を知る人の私への反応。
それを手放す方法が礼拝という、天国的公の場で語られた。
私は、長年、プロの謝り屋になるなと、魂に刻むように教えられてきたので、すごくうれしい。
いつも、かなりこっそりと悔い改めてきたけど、でも、キリストを十字架につけ直すことにはならない、悔い改めというのもあると、やっと顔を上げて言える。
実は内心、ずっと疑っていたけれど、キリストに喜ばれる悔い改めってものもあったのだ。
私は、プロの謝り屋なんかじゃなかった。
私は、赦された罪人なのです。

スパムおにぎりの作り方

ハワイからやってきたLA名物のスパムおにきり
よく、どうやって作るの?ってきかれる
だから、今日はちょっと写真に撮ってみました
スパム切り機なんてものもあるけど
なくても大丈夫
こんな幅に切って焼きます
 焼いている間にのりを半部に切ります
焼けたスパムをお醤油をつけます
 ごはんは5合がぴったり
 のりの上にスパム作り機をのせます
この道具は必須
まずはごはんを
手巻き用の小さなしゃもじがあるとすごく楽
 焼いてお醤油をつけたスパムをのせて軽く押す
もう一度、ごはんをのせて、
押し出します
 計算されたぴったりサイズののりをまいて
3等分に切ります
これでぴったり5合
30分で教会のリフレッシュメントが一品できあがり

私のことば、話すこと、書くことのために

正しいことばは王たちの喜び。
まっすぐに語る者は愛される。
箴言16:13
命の源である主よ、どうぞ、私の心を毎朝、毎日、新しく、あなたの聖なる御霊で満たしてください。
そして、私の心と唇から、あなたの愛と恵みをあふれ出させてください。
ただ真実で、きよく、愛すべきこと、良いこと、意味あることだけを、語ることができますように。
私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れらますように。
どうぞ、私の口が邪悪なことや、不実なことを語らないように守ってください。
私が文句をつぶやいたり、否定的なことを語ろうとする時、どうぞ、そののろいを、はっきりと私に悟らせてください。
私があまりにも早まって語ったり、しゃべりすぎたりする時、その愚かさを、はっきりと私に見せてください。
だから、どうか、私が話すたびごとに、あなたが私に言葉を与えてください。
私が、いつ話し、いつ黙るかも、あなたが教えてください。
どうぞ、私にいのちをもたらす、良いことばだけをお与えください。
どうかそれが、私に与えられている希望を人々に伝えることばでありますように。
今日も世界中のキリストの教会で、全ての口があなたを褒めたたえることができますように。
聖なる日に感謝して、アーメン

エゼキエル 21章

それゆえ、
神である主はこう仰せられる。
あなたがたのそむきの罪があばかれるとき、
彼が、あなたの不義を思い出させて、
あなたがたのすべてのわざの罪が表われるようにするため、
また、あなたがたが思い出すため、
あなたがたは彼らの手に捕らえられる。
エゼキエル 21:24
これは間違いとは気づかない
あまりにも平安で
それが罪だとは知らなかったとか、そんなに悪いこととは思わなかった、は、なしという意味だと思います。
もうひとつがんばって、そういう意味ではなかったも、なしにしたい。
一番ありがちで、一番ずるい言い逃れだけど、こんな日には、きっとそれも全く意味を持たないと思う。
自分の身勝手な解釈は、結局、不純という不安を私に残して、神さまは、私から平安を奪います。
・・・・というよりも、悪にすきを与えて、神と私の間に入りこまれ、自ら平安を失ってしまう。
どんなものでも偶像になりうるってこと。
でも、平安を失って、良いこともある。
何かがおかしいと、何かが間違っていると私は気づく。
最後の日に、思い出さされずとも、自分でわかる。


Saturday, February 25, 2017

人生の意味

★ショッキングな交通事故体験から始まった今週、土曜日であるにも関わらず仕事をして終りを迎えました。
不思議なことの連続な日々、神さまが、私の人生深く関わってくださるようになってきてきるようで、恐いぐらいです。
★教会のナーサーリーでの仕事は、幼稚園を退職した私にとって、正直なところ、自分の社会性、保育の言葉を借りるなら社会的技能能力の保持のためのようなところがありました。
だから、今日のような突然な仕事に、自分が一生懸命に対応していること自体がすごく不思議です。
私は、本当に変えられたのかもしれない。あの事故を境に。
★「5つの目的」は10年前、何もかもしよとうするのをやめよって、教えてくれた。
でも、今は、何でもせよって言う。
★「神の国とその義をまず第一に求めよ」、という聖書のことばが、耳に慣れきって、新鮮さも失い、そんなことは知っているって思っていたけど、でも神の国とその義のためにできることって、きっと毎日違う。
★クリスチャンたちの、天国のための活動のために、彼らの小さな人たちを預かってお世話をすることも、賛美のためのピアノレッスンをすることも、礼拝の会衆賛美をリードすることも、福音を伝えることも、全部同じ。
ほんとに同じだった。
それはたったひとつの良いこと、最良。

子どもの祈り

びっくりする証をひとつ。
はなのお祈りです。
木曜日の帰りの車の中で、週末にモールに連れて行ってって、言われたので、間髪入れずにきっぱり「NO」と言いました。
お金がないのです。
食べるものを買うお金さえ危うい。
お金を数えるのが苦手で、あんまり深く考えていない私でさえ、危ういのがすごくよくわかる危うさ。
そう、率直にそう言うと、はなは「OK」ってすぐ納得しました。
金曜日の朝、車の中で、なにげなく、「たまにははなが祈ってくれる?」ってお願いしたら、はなは気軽に「OK」って言って、「ママはお仕事が少なくて貧乏だから、もっとお仕事ください」って祈ってくれました。
私は苦笑いで「ありがと」なんて言っていたら、なんと夕べ、ナーサリーのオフィスから、明日、仕事を頼めないかと電話があり、びっくり仰天。
土曜日に仕事なんて、すごく気がすすまなかったけど、はなの祈りの応えには、ちゃんと報いようと、「やります」とお返事をしました。
それに、今は本当にお金がピンチだから、なんでもやらなくちゃとも思ったの。
はなの祈りに応えてくださった神さまに感謝して、それをはなに言いました。
調子にのって、一言付け加えて。
「ありがとう。はなの祈りに神さまは、すぐに応えてくれたよ。でも、ママは、どっちかっていうと普通の日がいいな。できたらピアノが教えたい。お金が一番たくさんだから。」って。
最後のことばが餌となり、はな、また気軽に「OK」って、祈ってくれた。
その30分後・・・・、電話があったの。
「ピアノ教えてください」って。
兄弟で。
さっそく来週から来てくれることになりました。
バンザイ。(そして、はなはモールに行きたかったのことはすっかり忘れている)
子どもに祈ってもらったこと、ありますか?
私は、はじめてです。
ぜひ、祈ってもらうことをお勧めします。

今を生きること

あっという間に再び、週末。
でも、私にとって、この1週間は、とても特別で、そして重要な1週間でした。
月曜日の夕方、はなのバレエ教室の前の交差点で遭遇した交通事故がその鍵となりました。
この1週間、私は、運命を分けた神の奇しいご計画について考えずにはいられなかった。
それは、明暗とか、生と死とか、守られたとか見捨てられたとか、そういうシンプルなあっちとこっちではなくって、神は神だから、神のなさることは、人の知恵を超えていてるから、誰の身にも、どんなことも起こりうるってこと。
だから、明日やろうっていうのはなしにした。
いつ取られても不思議のないこの世の時間は、今を精一杯に生きるほかないのだなっと思う。
そして、あの事故を境に、新しい日は恵みと知ったから、恵みは誰かを愛するために使わなければって思う。

Use Me 誰かの人生に触れる道具となる

それぞれに賜物を受けているのですから、
神のさまざまな恵みの良い管理者として、
その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
Ⅰペテロ 4:10
恵み深い天の父よ、あなたのあふれる恵みを、どうか私を通して、あなたの愛する人に届けさせてください。
あながたが願っておられる方法で、私を、あなたの道具としてお使いください。
どうぞ、私にあなたの愛する人々を与えてください。
どうか私の目を開き、その人々の必要が見えるようにしてください。
どうか私に人々の必要に、物惜しみすることのない豊かな心を与えてください。
私のうちに与えられている希望をもって、他の人の人生に触れる道具として、私をお用いるください。
どうかその最初の人が、お兄ちゃんと、愛する姉妹と、彼女の大切な人でありますように。
すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神があがめられますように。
栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。
アーメン

エゼキエル 18章

ー神である主の御告げー
悔い改めて、
あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。
不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたは犯したすべてのそむきの罪を
あなたがたの中から放り出せ。
こうして、
新しい心と新しい霊を得よ。
イスラエルの家よ。
なぜ、
あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。
―神である主の御告げ―
だから、悔い改めて、生きよ。
大すきなみことばです。
神さまはの心は、常に「生きよ」と、生に向かって、命の向かって、私を励ます。
どんな時も。
そして、私が命に向かっている時は、それがどんな状況であっても、神さまの霊は私とひとつでいてくださる。
これを、クリスチャンは「平安」とよんでいるのだと思うけど、それは、この世がいう「安全」とは違うけど、でも「安全」以上のものだと思う。
「安全」には守るべき条件があるけど、でも「平安」は何かあるのかよくわからないし、何をさせられるのかわからないこともあるけど、でもそれは、キリスト・イエスの名において、完璧に平らで安らかな心。

Friday, February 24, 2017

土いじりセラピーのすすめ

今日は、ほとんど一日、庭仕事をしてすごしました。
去年の秋に買った、エンジンのついていない草刈機も出して、カラカラと草刈もしました。
庭仕事って、やればやるほどやるべきことを見つけてしまう、エンドレスな仕事。
元気一杯に冬を越したゼラニウム
葉っぱについた白い跡は
お米の研ぎ汁の色
エンドレスだけど、ちっとも虚しくならないのは、変化が楽しいから。
私の庭は、これから、まだまだ変化し続けると思う。
なんせ、未開拓(荒野状態)のエリアがまだ数箇所残っているのです・・・。
でも、庭仕事の本当の意義は、変化を楽しむことではなく、そこ(与えられた領域)をなんとか自分で治めている、治めようとがんばっている自分を励まし、心の葛藤の落ちつかせるためのセラピーのような効果にあると思う。
土を触っていると、本当に気もちが落ち着く。
なんとかなるって思えてくるのです。



春の予感

48個植えた水仙の球根
今朝、ようやくひとつめが花びらを開いた
 はなが大好きなジャスミンも、もう咲く直前
 なんの世話も焼かないのに毎年この季節に
火のようなお花をつけてくれる、花火草(仮名)
 白いあじさいは今月のニュー・フェイス
りんごの木ももちろん元気


この世への恐れからの解放

もしあなたが悟りを求めて声をあげ、
銀のようにこれを捜し、
隠れた宝のように、
これを探り出すなら、
そのとき、
あなたは、
主を恐れることを悟り、
神の知識を見いだそう。
主よ、あなたこそが神、唯一の存在です。
どうか、私が本当のあなたを見つけることができるように助けてください。
あなたこそが、私の主です。
私の人生は、もともと、あなたのものでした。
私の身体も、私の時間も、私がこの地上で得たものも。
あなたを恐れることが全てのはじまりであることを、私が自分の全てで解ることができるように教えてください。
私に愛と慎みの霊を豊かに注ぎ、受けた全てに厚く感謝しながら、あなたに精一杯をお返しすることを生きる目的とすることができますように。
私は揺り動かされることのない、天の国を受けていますから、安心して、あなただけを恐れつつ、あなたに喜ばれる歩みを続けてゆくことができますように。

エゼキエル書 17章

神である主はこう仰せられる。
「わたしは、高い杉のこずえを取り、
そのうちから柔らかい若枝の先を摘み取り、
わたしはみずからそれを、
高くてりっぱな山に植える。
わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、
それは枝を伸ばし、実を結び、
みごとな杉の木となり、
その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、
その枝の陰に宿る。
このとき、野のすべての木は、
主であるわたしが、
高い木を低くし、低い木を高くし、
緑の木を枯らし、枯れた木に芽を出させることを
知るようになる。
主であるわたしが語り、
わたしが行う。
エゼキエル17:22~24
毎朝、毎日、「神を神と知れ」、というメッセージを受け取っています。
「神を神とせよ」って、主エジプト記の20章の3節から、ずっとずっと神さまは、私に語りかけてくださっている。
そのメッセージを胸に夏を迎え、日本に行き、夏を閉じ、幼稚園をやめ、秋を迎え、新しい仕事をいくつかもらい、今、冬の中にいます。
「あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。
それらに仕えてはならない。」
旧約聖書のメッセージは、ただ一重に、ここに帰していると思う。
なぜか。
それが、最も、難しいことだから。
神を神とすることが。

Thursday, February 23, 2017

犬自慢


19歳の男の子のための祈りのための祈り

寒い一日でした。
さすが2月。
こうでなくっちゃね、2月、な一日。
はなが帰りの車の中で、かわいそうなお友だちの話をふたつ話してくれました。
ひとつは、先生に気もちをわかってもらえなかったの子のこと、もうひとつは、彼女の言い方をそのままに、Anger Probrem の子への先生の対処について。
毎朝、はなと車の中で祈っていることに、「お友だちの気もちがわかるようにしてください。困っているお友だちを助けることができますように。また、はなもお友だちに助けてもらえますように。」というフレーズがあります。
かれこれ半年、週に5日、スクール・デイズの全ての日に祈っていきました。
それが、すごくきかれている気がしてうれしかった。
賢人のためにそれを祈ってこなかったことに気づいて以来、はなとの朝はもっぱらそのことばかりを祈ってきた。
ダンスも、勉強も、進路も脇に置いて。
ダンスも、勉強も、相変わらすだけど、でもすごくうれしい。
そして、今からでも遅くないかもと思い、賢人のためにも、人の気もちに敏感な感性を与えてくださいと祈り始めようかと考え中、祈り中。

子どもの公開授業で教育された一世のはなし

はなの担任の先生から写真が届いたのでシェアします
ちょっと前の保護者参観(公開授業)の風景です
私は仕事で行くことができなかったのだけど、
夫が行って、ものすご~く感動して帰ってきました
彼曰く、「アメリカの歴史がすっとわかった気がする」
「日本史は長いけど、
学年ごとに年代を分けてでも、
このような授業をして欲しかった」と
この授業のための、授業の宿題を手伝っていたから
それがどれほど良い授業だったのかわかる
この学校に、この子を入れてよかったと心から思います

健やかに歩む

こういうわけで、あなたがたは、
食べるにも、飲むにも、何をするにも、
ただ神の栄光を現すためにしなさい。
Ⅰコリント 10:31
ご臨在の中だけが、私を本当の意味で休ませ、癒せ、励まされるところであることを、愛する天の父なる神よ、感謝します。
私を造ってくださったあなただけが、何が最善で、何がそうでないかも一番よくご存じです。
どうか、私が何をどのくらい食べて、何を避け、何をすべきか教えてください。
そして、あなたの教えに、素直に従う健康な心を、毎日、私に新しく与えてください。
あなたから与えられたこの身体の良き管理者として、もうしばらく、私に務めさせてください。
あなたが与えてくださった、聖なる霊の神殿として、今日も元気一杯にあなたのご用のために働くことができますように。

エゼキセル 16章

あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、
へその緒を切る者もなく、
水で洗ってきよめる者もなく、
塩でこする者もなく、
布で包んでくれる者もいなかった。
だれもあなたを惜しまず、
これらの事一つでもあなたにしてやって、
あなたにあわれみをかけようともしなかった。
あなたが生まれた日に、
あなたはきらわれて、野原に捨てられた。
あなたが自分の血の中でもがいているを見て、
血に染まっているあなたに、
「生きよ」と言い、
血に染まっているあなたに、
くり返して、
「生きよ」と言った。
エゼキエル 16;4~6
エルサレム、いえイスラエル、へブル人についてのエゼキエルにあった主のことばです。
人類は、最初の人たち、アダムとイブのエデンの園での堕落以来、父なる神から切り離されて生まれてくるから、全ての人の出生は、このような霊的孤児と言えると思う。
そして、私は、「生きよ」、くり返して「生きよ」と励まされて生きてきた。
そんな私と偶像の関わりは、神の視点からは、このエゼキエルの16章のごとく、というのはとても重たい事実です。
神に愛され、女王とされ、絹の衣、たくさんの美しいものを贈られで幸せであったはずななのに、手あたり次第に姦淫を犯し、拝み、貢いできた。
20節は、そのことをこんなことばで書いてありました。
「あなたはまた、わたしのために産んだ自分の息子や娘たちを取り、その像にいけにえしとしてささげて食べさせた。あなたの姦淫はささいなことだろうか。」
私は、エゼキエル書の16章と、自分の信仰との関わりがなんであるのか、はっきりとはわかりません。
ただ、偶像を拝む、偶像を愛する、偶像に貢ぐって、神さまのビューではこんな風にとても重たいことなのだということを、しっかりと受けとめておきたいと思います。

Wednesday, February 22, 2017

5つの目的 3日目 ②

リック・ウォレンの5つの目的を、最初に読んだ時、あの頃の私の心の中にあった、数も形も色も大きさもバラバラの良いモノたちが、とりあえずすっきりと整理整頓されて、「よし、あそこだ」って思って、立ち上がった気がしていた。
確かに、あの時はそうだったのだと思う。
でも、今、それは新たに、もっとコンパクトに整理されるべき時を迎えました。
あの時の私に与えられた心のオーガナイズのためのスペースは、子ども部屋のクローゼットのように、なんでも入った。
大きな箱やぶらさげるフック、引き出しやかご、なんでもかんでも放り込むことができた。
立体的なもの平面的なもの、聴くもの読むもの、ハードソフト、小さなシールや大きな絵画、天国のものこの世界のもの、エトセトラ。
でも、今回は小さいなデスクの引き出しと、その上の小さなフォルダー、そんな感じです。
まだ、40の学びのの中のほんの3までしかコマを進めていないのに、こんなに刈り込まれるなんて、思ってもみなかったけどね。

5つの目的 3日目

ひさしぶりの雲のない青空。
まだ風は少し冷たいけど、窓を少しだけ開けたその窓辺で書いています。
今日は、朝から、ずっとコンピューターに向かって、月曜日のバイブル・スタディの準備をしてすごしました。
一度だけ、「これはちょっとやばいかも」と思ってシャワーを浴びました。
内容が濃すぎで、頭と心がパンパンになってしまい、ちょっとこなさなきゃって思って。
リック・ウォレンの5つの目的です。
10年ぐらい前に、40日間かけてで読みなさいって書いているのをズルして2日ぐらいで読んでわかった気になって、それを3回ぐらいくり返して、すごくわかったつもりになっていたけど、今、とんでもなく新しすぎて、心も頭もいっぱいです。
どれだけ、乱暴に好きなことばだけを、拾って読んでいたのだろうとあきれちゃう。
一緒に学んでくれる人がいるから、もう一度がんばろう。
どの言葉も大切に大切に。
私の心に響く言葉と、若い人や、独身の人や、ノン・クリスチャンの人の心に響く言葉はきっと違うから、よ~く考えながら、じっくりじっくり、大切に大切に。
今日の私(10年前ではなくね)にぐっときたのは、こんなフレーズ
明確な目的がなければ、あなたは自分の進路や仕事、人間関係、教会といった外的要因を常に取り替えていくことになるでしょう。
あわよくば、そのような外的変化が混乱を収め、心の空しさを解決してくれることを期待するわけです。
きっと今度こそ違うはずだという淡い期待を抱いてはみるものの、人生の焦点が定まらずに目的を失っているという現実を解決するということにはならないです。
これがわかっていなかった証拠に、私は今10年前とは違う教会に今いて、10年前とは違う所で働いている。
リ・スタートにふさわしすぎる学びに、私、もう、「恵まれた」とか「守られた」なんてありきたりな言葉では神さまの業を表現しづらくなっちゃってる。

誘惑から守られながら歩む

私たちのも、
いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって
走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、
完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせず十字架を忍び、
神の御座に着座されました。
へブル 12:Ⅰ,2
主よ、どうぞ、私を思いと霊において、強くなれるように助けてください。
どんな小さなに偶像にも、どんなに大きな誘惑にも、あなたの側に立ち、はっきりと拒むことができますように。
カモフラージュ法
私にまつわりつく、どんな誘惑からも、イエスの御名によって守られるよう、祈ることを選べますように。
そして、どうぞ、主よ、私が祈った時には、必ず、私を助けてください。
私は、実を結ばない、どんな暗闇のわざとも関わりを持ちたくありません。
あなたを悲しませる、どんなことも、思ったり、考えたり、言ったり、書いたりすることがありませんように。
食べ過ぎたり、飲みすぎたり、働き過ぎたり、眠りすぎたりすることもありませんように。
どうか、私の足のために、平らで真っ直ぐな道を作ってください。
今日も、その道の真ん中を安全に歩むことができますように。

エゼキエル書 14章

悔い改めよ。
偶像を捨て去り、
すべての忌みきらうべきものを
あなたの前から遠ざけよ。
イスラエルの家の者でも、
イスラエルにいる在留異国人でも、
だれでもわたしから離れ、
心の中に偶像を秘め、
不義に引き込むものを顔の前に置きながら、
わたしに尋ね求めようと、
預言者のところに来る者には、
主であるわたしが答えよう。
わたしがそのような者から顔をそむけ、
彼のしるしとし、
語りぐさとして、
わたしたの民のうちから彼を絶ち滅ぼすとき、
あなたがたは、
私が主であることを知ろう。
エゼキエル 14:6~8
偽りの希望を持って、民を欺く偽預言者も、また彼らに、主を尋求めに来る人々も、もう容赦しない、もう言葉ではなく、滅亡を持って、どっちが本物かをはっきりとさせるという神の側のチャレンジです。
「後のキリストが、全てを解決してくれたの。
多少の偶像礼拝、偶像崇拝は人間だもの、しょうがない。
間違えば、すぐに悔い改めればよし。
イエスのとりなしが私を守ってくれる。」
私、もしかしたら、長いことそう思っていたかもしれない。
もし、私が誰かにそう言ったとしたら、それはエゼキエル書に出てくる偽りの希望を持って、民を欺く偽預言者たちと同じことにならないかな・・・。
十戒を信じるなら、十戒を信じたその日から残りの生涯をかけて守ろうとしていたら、きっと、自分にも人にも、そんなこと言えないと思う。
すごい、チャレンジだけど。

Tuesday, February 21, 2017

本気の リ・スタート

今日は庭しごとはお休み。
いろいろやりたいことがあるんだけど、あっという間に日も暮れはじめたのであきらめました。
雨のおかげで土が濡れていて、靴やスコップが泥んこまみれになるのだけど、それをきれいにするのに水を使います。
それが遅い時間だと冷たくてつらいし、見えにくくてうまくきれいにできないのです。
それに、今日は、なんだか土に触ったら、自分のお墓でも掘ってしまいそうな気分だったから、それでよかった。
一人暮らしのお庭なら、それもいいけど、事情のわからない家族はびっくりでしょ。
一応、昨日遭遇した交通事故のことは、夫にも賢人にも話したけど、ふたりとも、私に何事もなくて良かった、良かったって、それだけだった。
もちろん良かった。
でも、このリ・スタートされた人生は、今までと同じじゃだめだと、なぜかとても強く思うのです。
今日、考えたこと。
●夫が仕事に向かう時、子どもたちが学校に行く時、私が誰かを家に置いて仕事に出る時、つまり家族と小さくお別れする時、ちゃんと顔を見てあいさつをしよう
●洗濯や支払いなどを溜めることなく、できる限り、身辺を、きれいに整理整頓していよう
●絶対に誰とも喧嘩したまま、悪い関係のままで夜を迎えることがないようにしよう
その三つ。
何も難しいことじゃない。
だから、今日からさっそく実行した。
もう二度と会わなさそうな人とは、絶対に問題を起こさないように気をつけた。
つまり、運転中は、常に「お先にどうぞ」スピリットで。

本気のリセット

昨日の夕方の交通事故は、私にとって、「守られた」とは単純に喜べないショッキングな出来事でした。
事故を目撃したのではなく、ついに経験してしまったのだと、自分では思っています。
誰も私に見向きもしなかったけれど、私は何事もなかったかのように現場を立ち去るのに違和感を覚えたほど、かなり当事者の気もちでした。
朝、神さまと一緒に石でできたリセット・ボタンを押した、その日の夕方の出来事だから、なんだか、私の新しい日々への大きな警告のように思えてなりません。
今朝エゼキエルで読んだ、「終りがくる。その終りがくる。あなたを起こしに、今、やってくる。」が、エゼキエルや彼の置かれていた状況と関係なく、生々しく私の心に迫ってくるのです。
明日はないものと思って、しっかりと生きなければと思う。

慰めをいただく

愛する者たち。
あなたがたを試みるために
あなたがたの間に燃えさかる火の試練を、
何か思いがけないことが起こったかのように
驚き怪しむことなく、
むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、
喜んでいなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、
喜びおどる者となるためです。
Ⅰペテロ 4:12,13
主よ、たとえ、私の周りがどんな状況になっても、私の目の前で何が起きたとしても、あなたが決して消されることのない、私の光、世の光であることをありがとうございます。
たとえ、どんな黒雲が私の人生をのみ込んでも、あなたのご臨在と私を引き離すことはできません。
主よ、どうか私が悪い知らせを恐れずに、あなたのご臨在と平安に留まり続けることができるようにお守りください。
あなたは、私のたましいを死から、私の足をつまづきから、私の目を涙から、救い出されました。
それ以上に大切なことはないことを、私が忘れないように教え続けてください。
どうか、私があなたに購われたあなたの者であること、これ以上に大切なことなどほかにないことを、いつも思い出せるように助けてください。
主よ、どうか、今日も私を全ての災いから遠ざけておいてください。