Saturday, February 11, 2017

エレミア書 29章

まことに、主はこう仰せられる。
「バビロンに70年の満ちるころ、
わたしはあなたがたを顧み、
あなたがたに幸いな約束を果たして、
あなたがたをこの所に帰らせる。
わたしはあなたがたのために立てている計画を
よく知っているからだ。
―主の御告げ―
それはわざわいではなく、
平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたが私を呼び求めて歩き、
わたしに祈るなら、
わたしはあなたに聞こう。
もし、あなたが心を尽くしてわたしに捜し求めるなら、
わたしを捜し求めるなら、
わたしを見つけるだろう。
エレミア 29:10~13
エジプトに奴隷してて売られた人の気もちも、バビロンへと捕囚にひかれた人の気もちも、私にはわかりません。
私は、そういう意味では生まれて今日までずっと自由でした。
サウロだってそうです。
そして名前を変えられたサウロは、パウロの名で、誇りを持って、自分を神の奴隷、義の奴隷、と言いました。
これが律法ではなく、恵みによる支配と、ローマ人への手紙で何度も読みました。
読むたびにアーメンと思っていました。
ここにパウロがいたら、私になんて言うだろう。
どんな風に励ましてくれるだろう。