Sunday, September 16, 2018

ヨブ記 11章

ーあなたの手に悪があれば、それを捨て、
あなたの天幕に不正を住まわせるなー
そうすれば、あなたは必ず、
汚れのないあなたの顔を上げることができ、
堅く立って恐れることはしない。
こうしてあなたは労苦を忘れ、
流れ去った水のように、これを思い出そう。
あなたの一生は真昼よりも輝き、
暗くても、それは朝のようになる。
望みがあるので、あなたは安らぎ、
あなたは守られて、安らかに住む。
ヨブ記 11:14−18
プールで祈る祈りの最初に、主の御名を褒め称え、賛美し、祈れることを感謝したのち、キリストの十字架と受けた聖霊を、もう一度感謝します。
夕べの晩御飯に賢人が一言
「痩せっぽっちの女の子のランチみたい」
これは私の祈りの決まりの導入なのだけど、その時に、時々、祈りが止ります。
聖霊のくだりで。
そして、私は静かに、主に聞きます。
聖霊が私の中で、私の中の何かと調和せず、黙ってしまっている理由を聞くのです。
苦い思いのままでは、聖霊は私のために、天におられる父なる神にとりなしてはくれない。キリストも。
ほんの小さなかけらでも、一粒でも、一滴でも、見逃されることはないと、私は思う。
祈りが虚しく地に落ち、(プールの水の中で泡となり)祈る前よりも気分が滅入るから絶対に気づきます。
罪の告白とは、そんなに仰々しく重たいことではなく、「この淋しさをごめんなさい。
あなたがいてくだされば、それで良いはずなのに。」でさらっと先に進めるのよね、、、実は。