私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、
後の日に、ちりの上に立たされることを。
ヨブ記 19:25
ヨブの苦しみに比べれば、ちっぽけすぎる、私の日々の、苦しみとも言えないチャレンジングだけど、訴訟が40万ドルの賠償金に対する裁判に進んでしまったことには、さすがにがちょんです。
こちらの弁護士は2万ドルを申し出ていたけれど、それ以上は少しも譲る気はなく、調査が始まって以来、1年以上も決着がついていません。
やはり、私たちのジョエルがその訴え主を噛んだという証拠がどこにも見つからず、結局相手は、ジョエルが家から飛び出しジャンプして飛びかかり、驚いて転んでその時に腰と膝を強く打ったために、2年間、働けず、その間の心と経済的な痛みに40万ドルってことだそうです。
でも、なぜか、昨日、その知らせを聞くまでは、なかった平安や喜びもあります。
彼女は、常に正直に、ただ、真実だけを、覚えている真実だけを話すように、くり返し、私たちに忠告してくれた。
憶測はせず、知らないことは知らない、わからないことはわからないで良いと。
推定も、混乱を避けるためになくてよろしいと。
つまり、真実だけで、十分間に合うことを、一生懸命に説明してくれた。
私も、ずっとそう思っていた。
物事は、どんな問題も、もめ事も、それがどれほど複雑で隠されたものであろうと、真実だけで間に合うと私も思う。
なぜなら、真実とは神さまそのものだから。
ヨブも5章の5節で、「ああ、あなたが全く黙っていたら、それがあなたの知恵であったろうに。」って言ってくれたから。
追記:夫は2万ドルで和解するよりも良いと思うと言っている。それは、すごい信仰だと私は驚いた・・・。