きょうは、あなたがたの神、
主のために聖別された日である。
悲しんではならない。
泣いてはならない。
ネヘミア記 8:9
民はなぜ律法のことばを聞いて泣いたのだろう。
聖書にはその説明はありません。
感動したのかな。
知らずにに生きてたきた過去を振り返って、悲くなったのかな。
みんなそれぞれに、いろんな意味で、神のことばに、打たれのだと思います。
10節でエレミアは民にたたみかけるように言います。
「きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」
その悲しみがどこから来た悲しみなのか、わからないけれど、子どもたちに十字架のイエスの話をすると、時々、涙をこぼす子がいます。
どうして泣いているの?と聞いても、たいていは説明できません。
この夏もひとりいました。
私も、代わりに気もちを分析してあげることはできないけれど、でも、その気もち、涙が出てこぼれちゃう気もちはよくわかります。
神の霊がその子の中で、人々の中で、魂を揺さぶっているのかもしれません。