Wednesday, September 26, 2018

詩編 9章

私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ。
あなたの御名をほめ歌います。
私の敵は退くとき、つまづき、
あなたの前で、ついえ去ります。
あなたは私の正しい訴えを支持し、
義の審判者として王座に着かれるからです。
詩編 9:1~4
聖書の通読の箇所が、毎日、毎朝、どんぴしゃりにその日の必要であることこそ、奇しき主のみわざだと、主の御名をほめたたえずにはいられません。
昨日会った、相手側の弁護士に、何か、人柄の良さそうな、誠実そうな、実直そうな、そんな好ましい部分がひとかけらもなかったことさえ、主に感謝したい朝です。
大人になるって、物事はそんなに簡単ではないということがわかることだと思う。
概ね、どこのどんな揉め事の中にもあるのが、人間の考え方感じ方の違い、立場による物事の見え方の違い、人間の弱さと強さの複雑な絡まりです。
でも、これはとてもシンプル。
今回のこれに関して、私、はっきりと、「ああこの人たちは(訴訟人とその弁護士)、ただお金を巻き上げるネタを探し、その目的に向かって事実を捻じ曲げながら、人の血をヒルのように吸い上げながら生きるかわいそうな人たちだ。」と思えた。
その空虚を埋めるために、ヒルのように人の皮膚にへばりついても、結局満たされることはない。
キリストの十字架の血で贖われた私のプライドはこんな時こそ、奮い立つべきなのだと思う。
★写真は夫の尋問中にはなが電話で見せてくれたシェルターでのじょえる。
臆病者のじょえるは、最初、目も合わせなかったらしい。
でも、彼がこのケージで過ごしたのは、なんとわずか数時間。
送られた来たその日に、夫とはながすぐにアダプトの手続きをしたのでした。