私は、無理矢理に何かをさせられるのが大っきらい。
ちっちゃい頃からずっとそう。
身体を押されたり、手をひっぱられると私の本能のサイレン、「この人は間違っている!」の警報が鳴り響き、それを信じて、訳もわからず、でもとりあえず、反対方向に全力疾走してきました。
だから、いつも『選ぶ』課題が与えられる人生なのかもしれません。
聖餐式で、後ろから強く身体を押され、びっくりして振り返ると足の不自由な人を先に通したくて健康な誰かが私をどかせようとしてくれたことがあったけど、私はとっさに大声で、「お口で言って!」と言いそうになりました。(幼稚園じゃあるまいし・・・)
そう。
これを聖書では『憤り』(ガラテヤ5:20)と教えています。
私は、まず、(他にもいろいろあるけど)このことをなんとかしなくちゃいけないって思う。
昨日の朝のデボーション以来、ずっと考えていて、やっとひとつそのことをに気づきました。