Saturday, April 27, 2013

悪断⑳~感情・キリストの模範

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
へブル12:2
「感情は率直に扱われるべきもので、無視することはできない。」
「キリストはご自分の感情を認められた。」
「私たちは主にならって率直に自分の感じたことを認めるべきである。苦い思い、憂うつ、嫌悪、情欲などを認めることが、感情に対処することを学ぶ第一歩である。」
「自分の感情について事実を認め、自分の気持ちを神に告げる」
「キリストは友人の援護を求められた。」
「私としは、情緒面の多くは、心を合わせたとりなしの祈りによって解決されると信じている。」
「キリストは、父の愛と同意はご自分の感情面での苦しみに左右されないことを知っておられた。」
「父と御子の関係は、苦悶の重圧に左右されなかった。」
「信者としても私たちは気分でクリスチャン生活を送るのではなく、信仰によって生きるのである。」
「神との歩みは、朝起きるときの気分に左右されない。」
「キリストは服従には祝福が伴うことを知っておられた。」
「情緒面での平安と落着きは、神の御旨を行った後にくる。」
「感情は行動から発するものでその逆ではない。」
「何かに適した感情というものは行動から生まれるのであって、行動に先行することはない。」
「キリストは十字架上に死にたい気分ではおられなかった。」
「しかし主は死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であられ、それに耐えられた。」
「服従の後に喜びがあることを知っておられたからである。私たちは、よくこの順序を取りちがえてきた。神に従うにはそれに適した気持になっていなければならない、と考えるのである。しかし服従がなければ喜びはあり得ない。」
「気持ちに関係なく、すべてのことを神に感謝すること。」
「信仰は自分の気分に縛られる必要がない。」
「感情の助けを借りずに信仰によって歩むとき、神を崇めることになる。やがて、感情は、頭で納得した真理に歩調を合わせ始める。」
アーウィン・ラッツァー
ハレルヤ!信仰の創始者であり、完成者である神さま、
私の人生に大きな変化をくださろうとしている神さま、
あなたのいのちのかんむりに続く道を、無事に歩み通すことができるように、
どうか、すべての災い、すべての悪の試みから私と、私の友だちを守ってください。
アーメン
今朝、目が覚めたその時、何かが終わって、何かが始まっていると思った。
今まで何度も何度も夢みてきた自分がゆっくりと目覚めたので、夢かなって思ったけど、今日はちゃんと昨日の続きの現実の今日だった。
何度も夢をみた。
そして何度も夢から覚めた。
そして、だんだん夢をみるのがいやになり、もう、このまんまで許してもらおうかとあきらめかけていたこと。
缶ビールと縁を切ること。

死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
黙示1:10
Day6:本当に飲みたい気持ちそのものが、すっかりと、陰も形もなく、どこかに消えているのです。ここで苦しい私の葛藤をいろいろ書いて、憐れんで、祈ってもらって、そして、解放されようと思っていたのに。そして、違う偶像に同じような葛藤を持っている人に熱く、証をしようと思っていたのに。アーウィン・ラッツァーの書いていることと矛盾するのだけど、本当に、どこにもないのです。夕べ、夫が私の目の前に冷たいバドワイザーを置いてくれた時に、おいしくないことを自分に証明しようかと一瞬、思ったけど、それは無意味だと思ってやめた。やめてよかったと今朝、起きて心から思った。この1週間、ずっと、今日か今日かと葛藤が戻ってくるのを待っていたけど、ついに現われなかったのです。心の中には、まだ小さな疑いがあるから、用心しようと思うけど、でも、終わった気がするのです・・・。