Wednesday, April 10, 2013

悪断③~条件Ⅱ「全ては私の責任」

神へのいけにえは、砕かれたたましい。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたはそれをさげすまでません。
詩篇51:17
「あなたは自分の行為に全責任がある。」
「行動の責任が私たちにあるのなら、選択権も私たちにある。私たちは変ることができる。神に変えていただくように選択できる。」
「行動のパターンは状況によってではなく、むしろ状況に対するあなたの反応によって生まれてくる。」
「あなたが自分の罪の責任を取り、罪を認めるとき、希望への扉が開けてくる。罪を認めるとき、解放の可能性がある。」
「神はあなたを環境の犠牲者として創造されたのでも、遺伝子の奴隷として造られたのでもない。あなたは過去を乗り越えることができるし、境遇だろうが遺伝子だろうが何でも型に押し込まれる必要はない。   アーウィン・ラッツァー
神さま、そうです。
私の中にはいつもたくさん理由がありました。
淋しいから、苦しいから、他に何もないから・・・
今朝、その理由をあなたの十字架の元にすべて置くことにします。
いつのまにか、心の中にあたりまえのように住み着いていた、言い訳
あたりまえのようにかざしていた権利
神さま、どうか受けてください。
そして、神さま、
私にきよい心を造ってください。
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてくださいますように。
アーメン
昨日は、はなの顔をおもいきり叩きました。
叩いてもいい理由なんてどこにもなく、私に彼女を叩く権利などなく、私はただ、神さまにではなく、サタンに従ったでした。
神の、目に見えない本性、
すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時かたこのかた、
被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、
彼らに弁解の余地はないのです。
ローマ1:20