世と世の欲は滅び去ります。
しかし、神のみこころを行う者は、
いつまでもながらえます。
Ⅰヨハネ 2:17
情欲は常に、愛とは正反対のものです。
それは禁じられているものに対して心を向け、情熱を注ぐことです。
そしてクリスチャンにとっては、神と人々との交わりから、離れていく第一歩となるものです。
なぜなら、あなたの情欲を燃やす対象となるもの自体が、うその始まりだからです。
あなたを満足させてくれるかのように思える、これらの人や物は、決して満たされることのない、底なしの憧れだからです。
あなたの目と心が主イエスに注がれているなら、あなたの行動は、果てしない後悔と自責の念にではなく、いつまでも消えることのない喜びへとつながっていくことでしょう。
私が、つい1週間前まで、一番、欲しいものは、新しいラップトップでした。
あっ!また! なんこめ? |
でも、お給料をもらった途端、なぜか、このくたびれた小さな私の相棒の動きがスムーズになりました。
まるで、「まだ、おヒマをちょうだいするわけにはいきません」と言わんばかりに。
それで、2番目に欲しかった水着が浮上してきました。
水着はまだ、一月しか経っていないのに、もう、のびて、うすれて、そして色も落ちてきました。
週に5000メートル泳ぐということは、そういう頻度の消耗率なのでしょうか。
よくわかりません。
それで、今度は、ちゃんとしたスポーツ・ブランドのを買おうと思います。
スカートのツーピースじゃなくて、パンツになったワンピース。
何を書こうとしていたかと言うと、人の、私の、目の欲は、尽きないということ。
究極的には、泳ぐ必要なんて、ないわけなのに、それ自体が、かなり、情欲主義的なのに、その時に身につけるものを、あ~だのこ~だのと。