Monday, November 3, 2014

ソロモン先生、おはようございます②

ことば数の多いところには、
そむきの罪がつきもの。
自分のくちびるを制する者は思慮がある。
箴言10:19を
今朝、主は、私に、ソロモン先生のこの箴言のくちびるということばを、と代えて読んでみるようにと教えてくれました。
そうしたら、それは私にとって、ともて胸の痛む、聖句となりました。
昨日のメッセージを思い出します。
主からの愛を受けた私は、豊かにそれを周囲に流す者となるべきなのに、出てくるものが苦しみだなんて、全くおかしなこと。
なにかが、とんでもなく間違っている気がします。
受けたものを与えるという単純作業が難しいのは、もしかしたら、あまり受けていないからでしょうか。
それを日本語では忙しいと言うのだと、誰かが教えてくれたことがあります。
心を亡くしした状態をいうのだそうです。
「愛する天の神さま、どうか、私のこの新しい一週間、私の心を守ってください。
何をなくしたとしても、決して心だけは、うしなうことがありませんように。
どんな時にも、天のあなたをみあげて、愛をいただきたいと願う心を手放してしまうことがありませんように。
良い一週間でありますように。
イエスさまのお名前によってお祈りします。
アーメン」
憎しみは争いをひき起こし、
愛はすべてのそむきの罪をおおう。
箴言10:12