ただいま~。
予定外の休みを含む長い週末を明けて幼稚園に行ったら、予定外の悲しいニュースが待っていて、とてもがっくり。
人生って、キビシイ・・・。
苦労が水の泡的に落ち込みそうになるのを必死にこらえ、きっと何か別な形で報いられることを信じようとがんばってみています。
お昼休みにメールをチェックすると、トレシーから、教会をかえたことについて「どうしてどうして、なんでなんで、」のメールが、とうとうっていうか、ついにっていうか、届いていました。
最も恐れていたその難しい質問に答える日がきてしまい、私なりの精一杯でお返事しました。
正確に答えることではなく、トレーシーの不安や悲しみを受けとめる愛をこめた温かな言葉を、ユーモアをまじえつつ、全力で集結して、全霊を持って答えました。
そしたら、再びすぐにお返事がきて、「知りたいことはまさにそれだった。ありがとう。もうだいじょうぶ。」というお返事がきて、ああ、すごいと思う。
これは、素晴らしい法則です。
私は今まで、いつもいつも誰かに何かを聞かれたら、真剣に正確に答えることに心を注いできて、時にとても相手をがっかりさせ、私も傷ついてきたけれど、これはまさにその解決策。
質問者はただ謝罪がほしいだけだったり、共感がほしいだけだったり、気持ちを受けとめてほしいだけだったり、称賛がほしいだけだったりするのだ。
必ずしも、情報を得るためだけに人は質問しないのだという大発見。
複雑な人の心だけど、その可能性もあると知っていれば、こちらの言葉が変る。そして人生が変わる。