Sunday, May 4, 2014

持っててね、大切な旗だから

私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ。
あなたの御名をほめ歌います。
詩篇9:1,2
火曜日の遠足の後に、「くじらの親子とイルカの群れが私たちのボートに会いにきてくれました。お祈りのおかげです。」と祈り会に報告したら、この聖書のことばが送られてきました。
宝物として大切に胸に刻みました。
『証し人になりたい』って思って、そう書いたことを神さまは喜んで読んでくださったのだなって、思いました。
今朝、もう一度、読んでみました。
気もちと、考えと、やりたいこと、やるべきことが、ちゃんと書けた日だったなのだとあらためて思います。
こんな私にも、そんなヒットの日があるのね。
それもこれも、みんな神さまのおかげ。
ここ数日、将来の夢や夢をかなえるための方法が頭の中でごちゃごちゃになって大変でした。
いろんな色の毛糸が絡まって、どこからどう、解こうかなって途方に暮れかけていました。
心が希望で膨らんでいるのはわかるけど、どうしようもなくあふれる高揚に、「でもなんで?でもなんのため?」と聖書的にちゃんとわかりたい気持ちがあふれる喜びを「まあ、まあ、落ち着いて」っておしとどめようとがんばっていた。
でも、今朝、『証し人になりたい』を読んで、私の祈りや、喜びや、満足は、全部それを、余すことなく語り告げること、主をほこり、御名をほめうたうためなのだと思えました。
そう、私は証し人になりたいのです。
週末、一週間の献立を立てて、お買い物をします。
献立のコンセプトは〝簡単〟
月曜日の仕事が始まったら、それを、食べたくても食べたくなくても、おいしく出来ても出来なくても、機械的にとにかく、夕方、5回、家族に出します。
でも、今日は、〝簡単〟じゃなくて、〝家族の笑顔〟というコンセプトで献立を立ててみようと思います。
私の願いや、祈りや、神さまの知恵の献立が、もし家族の笑顔として実を結べば、また、私はそれを書くでしょう。
福音を楽しく、わかりやすく、子どもたちに伝えるという大きなゴールを旗のように掲げていました。
大きな旗なので、それを雨の日も、風の日もまっすぐに立てているのは、大変でした。
片手で必死に旗を立てたまま、もう片方の手で一般の幼稚園で働き、家族にごはんを作り、教会でその仕事に召しだせるのを待っていたのかもしれません。
大切な旗は、神さまに持っていてもらうことにします。
そして、私は自由になった両手で、精一杯に祈りながら、力一杯の仕事をしよう。
やっと、ここまできたよ。
ありがとう、神さま。