Sunday, April 4, 2021

分断から和解への分岐点


彼らはイエスを引いて行く途中、
いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、
この人に十字架を負わせて
イエスのうしろから運ばせた。
ルカ 23:26

「主にある友よ、イエスはあなたの苦難をぜんぶ取り去るために苦しまれるのではないことをおぼえよ。
イエスが十字架を負われるのは、あなたが十字架を逃れるためでなく、むしろそれに耐えるためである。
おずることなく十字架を慕い、それが『永遠の重い栄光あふれるばかりに得させる』ことを思い、十字架を尊ばねばならない。
今朝のスポルジョンのメッセージです。

父の朝の身支度を手伝い、歯磨きに送り、タオルを準備をしている時に、母がつけていたテレビから、聞こえてきた言葉、「本気で、自分がどうなりたいかと考えていれば、どうにかなるんだなっと思いました」
若い女の子、水泳選手のことばでした。
白血病を患い、15キロの体重が体力と共に落ちたところからの、奇跡の復活の勝利の笑顔は、キラキラと輝いていました。
偶然だけど、朝から、本当に良いものを見てしまったっと、拳を握って神さまに感謝しています。

昨日、夫から電話があって、色々と近況を聞かせてもらいました。
はなが、この1年、特に後半の半年で、大きく成長したと思うと言います。
私も、そう思います。
相変わらず、自分が正しいと思うことに関してはとても純粋で傷つきやすいのだけど、色々な国や人や方針や考え方があることを認め、受け入れたいと考えるようになって気がすると言っていました。

今、皆が順番に分岐点を通過していると思う。
誰にも代わって選んであげることのできない、それぞれが自分で決めなければならない分岐点。

世界は少しづつ癒やされつつあります。
私は、そう思います。

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